例えば、捉えなおす。
例えば、捉えなおす。

58+24は、60+22と同じ答え。
自分にとって都合のいい問いに変えてやる。
そうすれば数字を嫌いにならなくてすむかもしれない。

デザインで問題を解決するときも、その問題を、自分の都合のいい形に捉えなおしてみる。
それは、形や色やジャンルやタイミングかも知れない。
とにかく、楽に対処できるものに置き換える。
そうすれば、解決のアイデアも出やすくなる。

苦手なものを、がんばって乗り越えるのも大事だけど、得意なものに捉えなおすことも、時には大事。

「問い」を捉えなおす。
「問い」を再設計する。

教科書やマニュアルはいったん閉じて、こうじゃなきゃって思いこみも捨てて、有名デザイナーや有名ブランドの例はこの際無視して、肩の力を抜いて、深呼吸して、上手くやろうとせずに、楽しんでできる方法を考えてみる。

デザインは楽しい。
デザイナーも、ノンデザイナーも、デザインが「わかる」人が増えたら、世界はもっと素敵になると思う。
49歳の誕生日



本日2021年4月24日、無事に49歳の誕生日を迎えることができました。

順風満帆とは程遠い49年間でしたが、遠回りをしてきたおかげで、様々な景色や風景に触れることができたかなと思います。
40代最後、という意識はあまりなく、50代の素敵なお兄さんお姉さん達がまわりにたくさんいるので、むしろ50代への日々が楽しみです。

子どもたちへのデザイン教育をはじめて6年目になりますが、授業の中で必ず伝えていることが3つあります。

1)想像できることは実現できる。だから最後まであきらめない。
2)したことの後悔より、しなかったことの後悔のほうがずっと辛い。だから失敗を恐れずに挑む。
3)素敵な恋の想い出と学びは、人生最後の日まで自分を支えてくれる。だから大いに恋して、大いに学ぶ。

これらは全部、僕自身の失敗と後悔から得た教訓であり、今でもずっと自分に課している課題でもあります。

40代最後の年。
そして50代へ。
これからも大いに学んで、目一杯に楽しみたいと思います。


世界中の4月24日生まれの人へ、誕生日おめでとう!
大切な人がそばにいるなら、今すぐ抱きしめよう。
逢いたい人がいるなら、今すぐ走り出せ!

産んでくれた両親に、心から感謝。
ありがとう。
簡素・質素



最近、「簡素」や「質素」という言葉の味わいや意味や価値が、ここ数年ですごく変わってきたなあと感じます。

かつて「簡素・質素」というワードは、貧乏くさい、とか、安っぽいとか、どこかネガティブな印象で語られることが多く、そこに「シンプル」というキラキラワードが、「簡素・質素」ではない、もっと洗練された、静寂や奥深さ、鋭さ、なめらかさなどの上質感を身にまとって来日してきて、それが一気に広まっていきました。

ただし、僕もシンプルなものが大好きですが、ここ数年のデザインの流れを見ると、シンプルの本来の意味とはかけ離れているのではないか?と疑問に思うデザインが散見されるようになり、よくわからず使っているデザイナーも多いように感じて、残念に思うことが増えてきました。

そんな中で、かつてはネガティブな印象だった「簡素・質素」という概念が、かつてのそれとは意味も解釈も味わいも手触りも耳障りも変化して再注目されるようになり、度を越えて道を外れた「シンプル」に警鐘を鳴らす存在のように感じるのです。

さらに言えば、「わびさび」や「用の美」ともニュアンスが微妙に違う気がして、なんていうか、もっと大きい視点で捉えるべきテーマなのではないでしょうか。

つまり、簡素であり質素であることは、これからの時代においては決してネガティブなことではなく、その言葉の奥には、「モノのあるべき姿」が宿っていて、時代が何週かして、簡素でいい、質素でいい、ともっと堂々と言ってもいいというか、シンプルよりももっと硬派で大切でかっこいい存在として語ってもいい時代になってきたのではないか、と思います。

これからの「簡素・質素」。
よくよく研究して、見極めてみたいテーマです。
月が綺麗ですね



前回、僕が主宰しているデザインスクール「WIPE ACADEMIA」で、ここ数か月にわたって「知性(創造的知性)」について学んでいる、ということを書きました。
俗にいう、「何を言うかが、知識。何を言わないかが、知性。」であるならば、「何をデザインするかが、知識。何をデザインしないかが、知性。」とも言えます。

今回はせっかくなので、特別に、実際にレッスンで使用した題材をもとに、皆さんとも考えてみたいと思います。
紙とペンをご用意いただき、「走っている人」の絵を描いてみてください。
上手下手は関係ありません。
構図や書き方などは自由です。


ここでのポイントは、「何を描けば、走っている、と見えるか」です。
多くの人は、横線をシャシャっと描いて、進んでいる様子を表現したり、汗が飛び散っている様子を描いたりして、走っている、と伝えているのではないかと思います。
ここまでは、「知識」です。

では、知性とは、「何を描かないか」なので、例えばシルエットだけで表現したり、止まっている人の前を何かが高速で横切った様子を描いて、見えないけど走っている人の存在を伝えようとしたり、つまりは、走っている人を描かないで、走っている人の存在を描く、ということだと言えます。
よく、「風」を表現する、あれです。

夏目漱石は、「愛してる」という言葉を使わずに、「月が綺麗ですね」という言葉で表現しました。
歌手のさだまさしさんの歌には、そのことを言わずに、そのことを伝える、という手法がたくさん見られます。
これらはまさに、知性である、と言えそうです。

もちろん、知性は知識がないと生まれないので、知識量はすごく大事です。
「知識」に命を吹き込み、熱量を持たせ、情緒豊かに、想像力を刺激する、それが知性なのだと思います。

「WIPE ACADEMIA」は、デザイナーだけのためのスクールではありません。
実際に、デザイナー以外にも、女性経営者や子育て中の女性の方もいらっしゃいます。
デザインは、デザイナーだけのものではありません。
この世の中で、デザインに関係のない人も場所も存在しません。
子育てでも、子どもに「何を言うか」ではなく、「何を言わないか」を実践することで、子どもの自発的な行動を促す効果が期待できます。
会社経営者の方であれば、社員教育にも応用できるでしょう。
「デザイン」は、目的ではなく、それぞれの目的を達成するための、最適な手段なのです。

次回のアカデミアでは、さらに知性を深く掘り下げ、知性を得るには、そしてそれをどう活用するべきかを学び、センスを磨くレッスンを行いたいと思います。
2021.04.20 06:15 | Permanent Link | 日記・デザイン
知性



僕が主宰するデザインスクール「WIPE ACADEMIA」では、ここ数か月、ずっと「知性(創造的知性)」をテーマに学んでいます。

日本を代表するファッションデザイナーのおひとり、菊池武夫さんも、「センスを磨くには、知性しかない」とおっしゃっているように、これからのデザイナーには、知識以上の知性が、これまで以上に不可欠だと思うのです。

よく、何を言うかが知識、何を言わないかが知性、とか言いますが、要は、物事や状況や関係性の本質を見事にズバリと見抜く力であり、何をして何をしないかの判断が適切であり、心に届くラブレターを書くためになくてはならないもの、です。

創造的知性が高い、ということは、問題提起や問題解決におけるデザインスキルが高い、ということと同じ。
「時には●●」とか「ここは敢えて●●」という立ち振る舞い方が絶妙で、頭の回転スピードも速く、かつ柔らかい。

菊池武夫さんのセンスや知性には一生かかっても到底追いつけませんが、アカデミア生たちと一緒に、もう少し、知性について学んでみたいと思います。
2021.04.19 05:42 | Permanent Link | 日記・デザイン
人を追わない



俳優、ウィル・スミスの言葉。

「Don't chase people. Be yourself, do your own thing, and work hard. The right people, the ones who really belong in your lie, will come to you. And stay.」
「人を追わない。自分らしく自分のことを一生懸命する。正しい人、君の人生に本当にいるべき人は君の元にやってきて留まる」


いい言葉。
だけど、人を追わない、のではなく、臆病者ゆえに、追うべき人を追えなかった場合はどうなるのか。
「どこ」にいるか、ではなく、「だれ」といるかで、人生も仕事も、物語は大きく変わっていく。

臆病さと勇気。
人としても、デザイナーとしても、生きていくうえでとても重要なキーワードだと思う。
目の前の、わずか32インチの世界だけが、人生の全てではないのだから。

休みもなく、息つく暇もなく、持ちうる知性と感性に、落胆と感謝の日々。
過去と未来、時間軸を自在にコントロールする能力が求められる、デザイナーという生き方。
誰かの夢の実現をお手伝いし、その夢が叶うことで、僕らは息をさせてもらえている。
想像力と創造力、デザイナーがいない世の中なんて、とてもじゃないが考えられない。

とてもとても、大切な仕事だと信じてる。

なんだか冷え込む日曜の夜。
今日はもう、仕事は終わりにしよう。
日々、デザインたれ!



イチローが4000本以上のヒットを打つために、どれだけバッドを振ってきただろう。
カズが200以上のゴールを決めるために、どれだけボールを蹴ってきただろう。
「本番」の打席もシュートチャンスも、そう多くはない。
その数少ないチャンスをものにできたのは、決して才能だけではなく、誰にも負けないほどの練習量があったからだろう。

じゃあ、デザイナーはどうか。
「本番」、つまり、「実際に依頼を受けた仕事」の数は、どれだけ忙しくても、月に何千件をこなせるわけじゃない。
「本番」の打席もシュートチャンスもそう多くはない中で、どうやって実績を積んでいくのか。

その答えは、「どれくらいデザインが好きか」で決まるんだと思う。

学校の先生なら、「本番」が練習でもあり、失敗しながら成長していけるのかもしれない。
でも、外科医の医者が失敗すれば、その患者を死なせてしまう。
カメラマンなら、プライベートでもいっぱい写真を撮って練習量を増やせるだろうし、料理人だってそうだろう。
でも、パイロットが「本番」だけで実績を積もうとしても、それは無理。
失敗すれば、何百人が死んでしまう。

僕のような商業デザイナーはどうか。
大きな事務所の新人なら、失敗しながら成長できるだろう。
でも僕のような個人事務所は、失敗が続けば仕事を失う。
クライアントを死なせてしまうことはなくても、大きな損害を与えてしまうことになる。

若い頃、誰にも頼まれてないのに、ソニーやアップルの新しいロゴを作ってみたり、ビートルズの新作アルバムのジャケットをデザインしてみたりしてた頃が懐かしい。
毎日毎日、あらゆる職種の架空の仕事を設定して、何十何百ととにかく作り続けた。
忙しくなったあとでも、まちの中で何かを発見した時、車の中でアイデアを思いついた時、カフェで誰かと話してる時だって、頭の中でデザインのソフトを立ち上げて、頭の中でデザインをはじめた。

その体験が、その練習量が、今の僕を支えてる。
イチローやカズのような才能がないから、それでもまだまだ足りないんだけど、奇跡的に今までやってこれたのは、恵まれた出会いと、運の強さと、練習量だと思う。

独学でデザインを学び、未経験のままデザイン事務所を立ち上げたのが20代。
今でも、プロフィールに書けるような賞なんて何もないし、有名なデザイナーでもない。
でも、デザインが好きだ。
ものすごく、デザインが好き。
だから今でも、時間を見つけて練習を積む。
それは義務ではなく、欠かせない習慣のようなもの。
または、おまじない、なのかもしれない。


今月で49歳。
僕ももう若くはない。
ずっとアシスタントデザイナーを募集してるけど、いまだに見つからないから、後継者を育てたくても育てられないのがすごく残念だし、心残り。
だから、世の中の名前も知らない若きデザイナー達に、無名のおっさんからエールを贈ろう。

デザインの力で、世の中をもっともっと素敵にしておくれ。
常に「今が一番いい時代」って言える世の中にしておくれ。

若きデザイナー諸君、日々、デザインたれ!
配管工事



商業デザイナーに休みなどありません。
日曜日だろうと仕事です。

で、今日の最初の仕事は、雨降りの中、自宅の水道の配管工事。
ライフラインの修理は最優先事項ですからね。


皆様、よい日曜日を。
100年は長い。



毎年恒例の怒涛の年度末(3月)をなんとか乗り越え、少しだけひと息つけそうな4月になりました。
案の定、3月は体調もメンタルもとにかくボロボロ。
常にイライラして、わけのわからない所が猛烈に痛くなったり、そのせいでまた眠れなかったり、生活が荒れ、ストレスの症状が総動員でパレードです。

こんな時はいつも、暴飲暴食しながらNetflixとかの映画を観まくることでなんとかやり過ごすしかないんですが、もちろん、いい習慣とは言えません。
でも、何もしないでいると気が狂いそうになるので、いけないと思いつつもやめられない。
ただ、原因はわかってるので、なんとか対策を見つけたいと思います。


ところで、最近観た映画の中で印象に残っているのは、「シングストリート」という映画。
特に、弱い者いじめばかりしてる奴に、主人公が言い放った言葉、「お前は壊すだけで、何も作れない。」というセリフは印象深かった。

クリエイティブは、創造と破壊の繰り返し。
壊しては作り、また壊しては、また作る。
ただ壊すだけでは、クリエイティブとは言えません。
でも残念ながら日本では、質の高いクリエイティブでも、あっという間に消費されてしまいます。

生前、師匠が「100年続くデザインを。」と言ってましたが、それは本当に難題です。
「100年続くデザイン」とはつまり、「100年愛され続けるデザイン」ということ。
じゃあそういうものをデザイナーとして生み出せているか、と自分に問えば、言葉に詰まる。

「お前は壊すだけで、何も作れない。」という主人公のセリフがずっと耳から離れず、僕ももしかしたら、ただ壊しているだけで、実は何も作れていないんじゃないか、とまた不安になる。


師匠、100年は長いよ・・・。
なんとか復活。



丸1日寝て、なんとか復活。
鼻だけまだぐずぐず言ってるけど、まあ大丈夫。

それにしても、「睡眠」ってやっぱりすごいですね。
ちゃんと寝れば、大抵のことは大丈夫。

特に僕の場合、昔から、三大欲求のバランスが崩れた時に必ず体調やメンタルを崩します。
もうこれは100%そうなる。

みなさんもお気をつけあそばせ。
ダウン。



肉体的にも精神的にもダウン。
風邪もブリ返して、体調最悪。

今日明日でなんとかしますので、とりあえず、寝ます。


ううう・・・。
招待状



仕事がまだまだ溜まってますが、たった今、次女(6歳)から直接、招待状をもらいました。
これは仕事なんてしてる場合ではありません。

ということで、行ってきまーす!
楽しみ!
世界が平和でありますように



あいかわらず与党の失態が続きますね。
「記憶にございません」なんて生き恥さらす為に一生懸命勉強してきたわけじゃあるまいし、生き恥さらしてでも守らなきゃいけないものがあるんだろうけど、もうまともな感覚を失ってしまってるんだろうな、この人達は。
そうしなければいけない「政治」って、一体何なんだろう。

こういうニュースを見るたびに、僕の奥さんは言います。
「総理大臣もオリンピックの会長も何もかも全部、芦田愛菜ちゃんだったらいいのに!」

これには強く賛同します。


今日も世界が平和でありますように。
初心忘るべからず。



かいだ製麺所さんの新しい3種類の伊勢うどんのパッケージとネーミングを担当させていただきました。
普段はあまり自分がした仕事をご紹介することはしないんですが、ご紹介するってことはつまり、そう、良くも悪くも、何かあるわけです。

今回は、僕がデザインした全体的な雰囲気は残しつつも、文字のサイズや字間&行間や余白等を印刷会社のインハウスデザイナーによって勝手に修正されてしまう、という事態が発生し、裏面に関しては、一番最初に印刷会社がしたデザインを全て僕が作り直したにも関わらず、最初の印刷会社バージョンに戻ってしまっているというあってはならないショックな出来事が起こり、でもそれに僕が気づいたのが、もうすでに販売がスタートしてしまっていたあとだったのでどうすることもできず、という悲しい案件となってしまいました。

付き合いの長いクライアントさんだったとはいえ、あまりの忙しさにかまけてしまった僕のチェック不足がまねいた悲劇であり、それは大いに反省すべきことですが、小さな文字のサイズくらい、裏面くらい、それくらいは別にいいだろう、という判断がなされたのだとしたら、たとえインハウスデザイナーだとしても、同じデザイナーを名乗る者としてあってはならない行為です。
もちろん、インハウスデザイナーはただのオペレーター業務をしたにすぎず、上司から言われるがままだったのかも知れませんが、こういうことが普通に起きるから、デザイナーを国家試験にすべきだと本気で思うわけです。


という、悲しい案件となってしまいましたが、肝心のうどん自体はめちゃくちゃ美味しいので、現在のパッケージの在庫を早くなくして、増刷の際にデザインをやり直すためにも、もしもどこかで見かけたら、抱えきれないくらいに買ってください(笑)。

初心忘るべからず。
今後はさらに最後の最後の最後までチェックを怠らず、まあそれでも事件は起きたりするものですが、うるさいデザイナーだなと思われても、そこは徹底していきたいと思います。


反省、反省、ああ、へこむ。
頼むから、運命のアシスタントさん、早く僕と出会っておくれ。
若者よ
ある所に、無知で経験も乏しく、力も信用もお金もない、でもハートだけは熱い若者がいたとする。
彼は、「三重県」とか「日本」とか、とにかくモノゴトを広く捉えたがる。
一方で、酸いも甘いも知ってる、経験も力もお金も信用もある、そんなとある大人がいたとして、彼はいつも「自社」とか「地域」とか、モノゴトを小さく捉える。

三重県に戻ってきて感じたことのひとつが、このズレ。
このズレを正さないと、三重県のリブランディングはきっとうまくいかないと思う。

もちろん、若者が大きな夢を追いかけることには大いに賛成だし、大人が足元を大切にするのは、人生は思ったよりも短く、だからこそ意味のない無駄な戦いを避け、大局をしっかりとつかんだうえで、モノゴトをスムーズに動かしていくことの大切さを知ってるからだってことも理解してる。

けれど、実際に問題や課題を解決していくためには、若者はスピード感をもって小さくはじめ、大人は持てる力を発揮して、さらなる巨人たちと戦うことも大事だと思う。
若者が巨人に挑み、惨敗し、諦めることを覚え、うつむいた視線の先で足元の草花に癒され、それを大切に守ることの尊さを知り、世の平和を願いながら余生を送る。
例えばそんな感じだったとしても、でもそれじゃあ問題や課題はなかなか解決できないし、若者が惨敗するのは、ロールモデルとなる大人になかなか出会えないからだし、特に田舎ではその傾向が強いように感じる。

僕自身がそうであったように、いつの時代も、大局が見えてない若者は無謀だし、無知だし、甘いし、うぬぼれてるし、でもだからこそのパワーもあって、こういう熱量をうまく引き出して活用できるシステムや大人が必要だよなあと思う。

ついでに言うと、マーケティングの人達は群れたがり、クリエイティブの人達は孤立したがる。
このズレも問題ですよね。
モノゴトを動かしていくには、どちらか一方ではダメで、ブランディング、マーケティング、テクニカル、プロモーション、ビジネスなどなど、色々な要素が同時に一緒に動かないとなかなか成果は出ない。
大企業ならこれら全てのセクションを持ってるから有利だけど、持たざる者たちはお互いにチームを組んでやるしかない。
問題は、誰もが主導権を持ちたがるから、そもそも大きなチームをつくること自体が想像以上に難しいってこと。
みんな、故郷をもっと良くしたいっていう想いは一緒なのに、人間のエゴが邪魔をする、のかな。
もちろん、僕も含めてですが。

でも、例えば、全ての人が、それぞれ別々の方法でも構わないから、共通の認識や同じ旗印を持って活動することができれば、もしかしたら大局を動かせるかも知れない。
その指針を定め、そのために自分に出来ることを、小さくてもいいし大きくてもいいから、とにかく行動し続けること。
かつて諸先輩方と立ち上げた、「三重基準会議(Mie Standard Conference)」というプロジェクトの目的はそれだったと思うけど、その活動も止まったままだ。

アメリカのことわざ「If every man would sweep before his own door, The city would soon be clean.(みんなが自分の家の前をキレイにすれば、町はあっという間にきれいになる)」っていうのもそういうことだと思うし、こんな簡単なことがこんなにも難しいってこと自体が、一番の問題なんだと思う。

そういえば、アフリカのことわざ「If you want to go fast, go alone. If you want to go far, go together.(早く行きたければ、ひとりで行け。遠くまで行きたければ、みんなで行け。)」ってのも、そのどっちかではなく、ちょうどいい塩梅って出来ないのかなあと思ったりもします。


若者よ 君は旅立つ
東へと向かう列車で
華やいだ街で見つけたい
贈り物ってなに?
君が贈りたい物と
相手が欲しい物が
ズレてる限り
うまくはいかないのに・・・
松阪木綿のハンカチーフください
涙で顔が藍色に染まってしまうけど・・・


そして最終的には、僕の奥さんがいつも言ってる、「無理に決めたりまとめたり束ねたりしようとせず、みんなそれぞれが正しいことをして、それがやがて、知らない間に三重県のためになっていればラッキーぐらいでちょうどいい」のかも知れません。
バレンタイン



今年のバレンタインも、娘たち(小4と年長)が手作りクッキーを作ってくれました。
僕にとっては、世界で一番美味しいクッキーです。

もう数年もしたら、どこぞの馬の骨野郎にチョコを渡したりするんだろうなって思うと複雑ではありますが、女芸人な娘たちのおかげで、毎日毎日笑い転げられる最高に楽しい人生を過ごせていることに、こちらこそ、心からありがとうを贈りたい。

まあ、メッセージを読む限り、もっともっと働け、ということだと思うので、老体にムチを打って、まだまだがんばります!
建国記念日



今日は建国記念日。
建国をしのび、国を愛する心をやしなう日。

どうやってやしなうの?と聞きたくなってしまう日に、森さん辞任の意向のニュース。
そりゃそうなるだろうな。
この滑稽な茶番こそが今の日本。
時代が終わり、時代は変わり、時代が始まる。

いつの時代も、若者たちは言う。
こんな腐った時代に、
こんなクレイジーな国に、
なぜ僕らは生まれてきたのか、と。

でも、
戦争を知ってるおじいちゃんとおばあちゃんが今でも生きていたなら、きっとこう言うだろう。
昔に比べたら「今」はずいぶん良くなった、と。
世界中で繰り返されてきた真っ黒な歴史の証人たちも言うだろう。
「今」の一体何が不満なのか?と。

生まれた時から身分が決まっていた時代。
肌の色だけで、まるでゲームのように簡単に殺される時代。
自由に恋愛ができなかった時代。
結婚相手を自分の意志で選べなかった時代。
平均寿命が30代だった時代。

人を殺し、女性を犯し、動物を迫害し、自然を壊し続けてきた人類。
今でもそれはゼロではないけど、でも「ずいぶん良くなった」のは確かだろう。

「昔」の中でしか生きれない人達には、さぞ「今」は生きにくい時代だと思う。
こんなにも便利で豊かになったのに、「昔」を恋しいとさえ思うだろう。

子どもの頃に腹を抱えて笑い転げた経験があれば、人はその時の中で一生をさまよう。
どんなに貧しくとも、どんなに不便であっても、笑い転げたその「今」を、人は決して消し去ることができない。
一瞬で心を奪われたあの恋から、何年も何十年も離れられなくなるみたいに。
だから僕は、「時代」の匂いに誘われて、古い車や物に惹かれてしまうのだろう。

ついていけない自分を認めず、ついていかない道を選ぶ。
それが悪いわけじゃないけど、だからって「昔」を持ち出すのはセンスが悪い。
今頃森さんはぼやいてるだろうな。
あの頃は良かった、と。


でも、それでも、「今」を生きよう。
ちゃんと「今」を、最高にしよう。

娘たちにはこう言ってあげたい。
完璧にはほど遠いけど、それでも「今」が一番、最高の時代なんだよと。
そう言える時代でなければならない。
そう言い切れる自信がないからこそ、そうであってほしいと願う。


さあ、今を生きよう。楽しもう。
今日も子ども達と一緒に、笑い転げよう!
きっとそれが、「建国記念日」の正しい過ごし方だと思うから。
サファリ







先日、新しい相棒が我が家に仲間入り。
僕がまだ「日産」というブランドが好きだった頃の車。

31年前(1990年式)の車ですが、現在の走行距離は6万キロ代なのでまだまだ走れます。
今後、ノーマルのデザインの良さを台無しにしない程度に少しずつ手を入れていきたいと思います。

ニュー相棒よ、これから一緒に楽しい思い出をたくさん作っていこう。
どうぞ末永くよろしくね。

そして、現在の日産自動車の中の方々へ。
「やっちゃえ日産」なんてズレまくったことを言ってる場合ではありません。
あなた達は、こんなにも楽しい車を作れる力を持っているのです。
どうかそのことを忘れないでください。
DESIGN THINK ABOUT



東京で16年過ごし、故郷の三重県に戻ってきてから8年。
色んな人のおかげで、様々な案件に携わらせていただいてきて、伊勢志摩サミットの時も大事な役目を与えてもらえたりしたけど、僕レベルのデザイナーなんて世の中にそれこそ無数にいるわけで、もっとすんごいデザイナーが若い人の中から現れてくれないと、「三重県」のブランディングは成功しない。

だから若手を育てようと動いてきたけれど、その活動の中で痛感したのは、三重県から外へ出たクリエイター達に、三重県でもこんな面白いことができるんだよ、いつか三重県に戻ってきてね、と堂々と言える何かが必要で、彼ら彼女らの才能を思いっきり発揮できる場を、まずはここにいる僕らが作らないといけないよなということ。

今の三重県のままじゃ、戻ってきたいと思えなくても仕方ないもんね。
戻っても才能を無駄にするだけ、戻って何をするの?って実際言われたことあるし。


そのために今年は、三重県内で3つのプロジェクトを立ち上げる。
そして、そのためにも、僕はまだまだ学ばないといけない。

だからまずは、毎月最低でも1人ずつ、日本全国の大好きなクリエイターさんや各分野の専門家さん達に会いに行って、デザインの視点で、デザインのことや教育のことや色々な話を聞かせてもらって学ばせていただこうと思う。

もちろん、リモートでもいいんだけど、その場の空気を感じたいし、その人のゆかりの地やルーツも見てみたい。
で、せっかくだし、その対談の話を聞きたいと思う人もきっといるだろうから、それを動画で撮影して配信できたらいいなと。

どうせならこの行脚にも名前をつけたいなと思い、「DESIGN THINK ABOUT」に。
なんだかおかしな英語だけど、それはまあいいとして、基本的には緊急事態宣言が出されていない地域の方から会いにいきたいと思います。

まずはやっぱり、大好きな真喜志さんに会いに沖縄からスタート、がいいなあ。
沖縄の方、渡航費の足しになるような沖縄での案件があったらぜひご紹介ください(笑)!

詳細はまたご報告させていただきますが、同行メンバーも募集してますので、ご興味のある方はご連絡を。


さあ、今年は動くぞ!
もちろん、コロナ対策は万全に。
新年あけましておめでとうございます。



新年あけましておめでとうございます。
今年ももう3日が過ぎてしまいました。
早い。
この調子だと年末までまたあっという間、ですね。

今年の正月収めは高見山。
明日から仕事再開します。


今年の抱負は、
とにかく健康的な生活を送り、
納期を守り、
デザインにもっと真面目に取り組む。

人に優しく、
誰かの役に立つことをたくさんして、
なるべく笑顔で。

出無精もデブ症も改善し、
想像力と創造力をさらに磨く。

デザインにこだわり、
でもデザインに縛られず、
やりたいことをやりたい人とたくさんやって、
全力で日々を楽しむ。

そして今年も、
僕を求めてくれる人のためだけに生きて、
仕事して、
その人達を幸せにする。

汚れ役も喜んで引き受けて、
表通りも裏通りも選り好みせずにスキップで進む。

批判も評判も気にせずに、
作品ではなく商品作りに勤しんで、
マイクが来たなら微笑んで、
十八番を一つ歌うだけ。

飾った世界に流されず、
好きな誰かを想いつづける、
時代おくれの男になりたい(?)。


今年もたくさんの出逢いと別れがあるでしょう。
なりふり構わず時々後ろも振り返りながら、
たまにはセンチメンタルな遠い日の花火に心を預けてみたりして、
泣きたい時には泣いて、
笑いたい時にだけ笑って、
自分の中の流儀を信じ、
師匠に恥じぬデザイナーであるために、
腰を据えて懸命に生きる。

2021年も、あいかわらず来るもの拒まず去る者追わず。
いつまで経ってもつかめないデザインの尻尾を、
それでも腐らずに追い続けます。


本年も、あたたかーい眼差しで、よろしくお願いいたします!
FUJISAN



今日はここからスタート。

さあ、今日もがんばりましょー!
モンスターブランド



次女が描いた落書き。

「ブランド」とは、全く全然どう見ても似ていないのに、それが何を表現したものかが一瞬でわかってしまうコトやモノ。
ましてや、年齢も性別も問わず、とくれば、それこそが、唯一無二のモンスターブランドだ。

デザイナーとして、今までにたくさんのロゴやパッケージや広告をデザインしてきたけど、そこにはどうしても、僕のデザインのクセやヘキが出てしまう。
アーティストとしてならそれでいいとしても、デザイナーとしてはいかがなものか?と時々悩む。

ここ10年くらいは、右を見ても左を見ても、ブランドだのブランディングだのの時代。
本も記事もセミナーも、それこそ会話の中にもこのワードがしきりに出てくる。

だけど、誰もがモンスターブランドになれるわけじゃない。
近道も魔法も唯一の正解もない。
コツがあるとすれば、「今の100%」を常に出し切ること。
背伸びも誇張もいらない。
デザイナーが0%を100%にしてくれるわけじゃない。
大事なのは、「今の100%」。

同じ「100%」でも、容量や面積や温度や体積はそれぞれの人や企業で異なる。
だけどそれは大した問題じゃない。
そこに「20%」のエッセンスの粉を振りかけて、120%にする。
それを積み重ねた先にだけ、そのドアは現れる。


いつの日か、こんなモンスターブランドを手がけてみたい。
次女が描いた落書きを眺めながら、「日本」が目指すべき、そしてなるべきブランドは、まさにコレだよな、と思った。
長女の誕生日



12月10日は、長女の10歳の誕生日でした。
そしてそれは、僕と奥さんが初めて人の「親」になって10年の記念日でもあります。

いと(長女)、楽しい10年をありがとう。
サンタなんかいない、あれは親がやってる、と言ってきた同じクラスの男の子に真っ向から反論してみせた君を誇りに、そして愛おしく思うよ。

君の想像力と創造力にはいつも驚かされてる。
だからまあ、算数が苦手でも、それはそれで、まあいいか。
午前2時



いろんな事情やら訳やらがあって、六穀米に使われている6つのお米の撮影にサンプルが間に合わず、急遽、手作業で6種類に仕分けすることになった、たったひとりの午前2時。

今日はもうさんざん仕事してヘトヘトなのになあ・・・。
太陽が昇るまでに終われるかな。
明日もやることいっぱい。
ああ、目も体も痛い。

とにかく、イヤホンでトーキング・ヘッズを大音量で聴きながら乗り切りたいと思います。
モニカ病の正体



ここ1~2年の間、ずっと悩まされてきたある症状の病名と原因がようやく判明。
浅い眠りの時にお尻の穴を中心にお尻全体に痛みが広がって、トイレにいくとかそういうのではない、でもすごく痛い、これ何だ?って症状の正体は、「特発性肛門痛(肛門疝痛発作とも言う)」というものらしい。

で、結局原因はストレスと。

頭皮神経痛に後頭神経痛、そこへ今度は特発性肛門痛が仲間入り。
しかも全部、ストレスが主な原因とかなんとか。
まあ、根本の原因が何なのかは自分なりにはわかってるけど、職業病のひとつでもあるんだろうな。


刺激のない平穏な日々が悪いわけじゃないけど、心が体を通して必死に伝えてきてる。
けど、体を通す前に心の声が聞けるようにならないと体がもたんな。

ストレスをやっつけるか、それとも、ストレスを減らすか。
簡単なようでどっちもそんなに簡単なことじゃない。


とにかく、星野源さん、安住紳一郎さん、教えてくれてありがとう。

皆さんも、気をつけなはれやー!


▼安住紳一郎アナ「特発性肛門痛」の“先生”星野源に感謝「助かりました」
https://bit.ly/31Gthqb
おっさん2人のサシ飲み



30年来(陸上部時代の良きライバル)の友人と久しぶりのサシ飲み。
基本、用事があったり誘われたりしないと外に出かけない僕なので、唯一誘ってくれる彼の存在はありがたい。
まあ、誘ってくれるのが女性じゃないのが残念ですが、たまにはおっさん2人で飲むのも悪くないですね。

また誘ってねー。
コマーシャル・フォト



現在発売中の雑誌「コマーシャル・フォト 2020年11月号」にて、僕の活動を少しだけご紹介していただきました。
逆光が眩しくて細い目がさらに細ーくなってますが、まあこれもまたリアルってことで。

では、今日もがんばりましょう。
バリカン



もう20年近く、髪はバリカンで自分で切ってる。
楽だから坊主頭にしたいけど、ますます人相が悪くなって仕事に支障が出るという理由で奥さんからNG。

バリカンも今ので2代目か3代目か。
たくさんついてたアタッチメントの中で、結局使うのは3つだけ。
お店で切ったほうが楽なんだろうけど、三重県に戻ってからも行きつけのお店をまだ見つけられていない。

そろそろ今のバリカンも動きがおかしくなってきた。
買い替えか、この機会にお店で切るか。

悩んだ末、たぶん買い替え、だな、やっぱ。
年男
ねずみは「寝ず身」と言われ、ねずみ年の人は寝る間も惜しんでコツコツ働き続けるんだそうです。
どうりで(笑)。

でも、なんで大金持ちになれないのでしょう。
またあの人に「仕事をちゃんと選ばないからでしょ!」って言われそう。

でも、20年前に、美大も芸大も出てない僕が、ましてやデザイン業界での経験もないのにデザイン事務所を立ち上げて、それでも仕事をいただけたあの頃の喜びがこびり付いてて、たとえ新人デザイナーよりも低いギャラだったとしても、普通ならひとりで抱えられる案件の量をはるかに超えていたとしても、依頼された仕事を全部受けてしまうのは、癖というか性分というか、もう仕方のないことなのです。


今年は子年。
つまりは年男。

次の子年までのラスト1週は、仕事をちゃんと選んでいければと思うけど、こんな僕にお仕事を依頼していただけることには、引き続き、感謝をしていきたいと思います。


事務所を立ち上げて、今年でまるっと20年。
ラスト1週。
踏ん張りどころ。
美人なしぐさ



デザイナーとしての僕を救ってくれた憧れのデザイナー、柳宗理さんはかつて、「本当の美は生まれるもので、つくり出すものではない」と言った。
デザイナーである僕らは、言うなれば産婆のように、「本当の美」が生まれやすくなるように導き、手助けをする役目でもある。
僕がいつも心に留めてる「指針」のような言葉のひとつだ。

一方で、良し悪しは別として、「美しい」という「印象」は、徹底的に細部にこだわり抜くことで表現することならできる。
ズボラでガサツな人より、言葉や所作が美しい女性に惹かれるのは、デザイナーならごく自然なこと。
もちろん、過剰で、演出じみた嘘っぱちの所作はたちが悪いし、ズボラでガサツだけどかわいい人っていうのもごくごく稀にいるけどね。


僕らデザイナーは、日々、広告で、文字で、レイアウトで、造形で、この「美しい」という印象の表現に挑み続けている。
男の色気、女の色気、人の色気。
車であれ、道具であれ、料理であれ、色気は細部に宿り、その蓄積によって醸し出されるもの。
本物の色気は決して隠し通せない。

どうすれば「美しい」を正しく表現できるのか。
そもそも「美しい」とはどういうことなのか。

そんな「美しい」という印象を完璧に表現できるデザイン力が欲しい。
パイクカーシリーズ



Be-1、パオ、エスカルゴ、フィガロ、ラシーン。
日産のパイクカーシリーズは輝いてた。
今でも、日産のパイクカーシリーズに乗ってる女子を見ると、もうそれだけで惚れてしまう。

日産はまた、マイクロソフト対マイクロソフトの戦いに突き進んでしまった。
マイクロソフト対アップルの構図にしなければ、トヨタにはきっと勝てない。
車のデザインも広告もCMも、全てが迷走の現れ。

奥さんの最初の車もBe-1だった。
あの頃の日産が恋しい。
草枕



山路を登りながら、ふと思った。
仕事や学業において優秀であればあるで角が立ち、情を持ちすぎてもそれに流されてしまう。
かといって、自分は自分と意地を通せば、余計な敵や対立を生み出し、なお窮屈になる。
人の世とは、どのみち、とにかく住みにくいものだ。

あまりにも住みにくいと感じれば、もっと良い場所へ引っ越したくなる。
でも、どこへ引っ越しても、所詮は同じ。
結局はどこに行っても、住みにくさは変わらないなと悟った時、詩が生まれて、絵が出来る。

人の世を作ったのは、神様でも鬼でもなく、所詮はただの弱き人間。
ただの人間が作った人の世が住みにくいからといって、ほかに良い場所などあるわけがない。
もし、そんな場所があったとすれば、それは人間ではない誰か、例えば鬼が作った国かも知れない。
であれば、そこはきっと、人の世以上に住みにくいに違いない。

そこがどこであれ、全てを自分の思い通りに出来ないのなら、そこが少しでも住みやすい場所になるように努力し、工夫するべき。
そのために、だからこそ、詩人や画家や文化が必要なのだ。

あらゆるアーティストやクリエイターの使命は、くだらない世の中を、少しでも良くするために、人々の心を豊かにすること。
だからこそ、尊い。
くだらない世の中から、くだらないモノやコトを消し去り、隠れて見えなくなっていた世界の真の美しさを、ありのままに映し出すのが詩であり、絵である。
または、音楽やアートも。
もちろん、詩人や画家のように、形にできなくても構わない。
ただありのままに、あなたの心の向くままに見つめれば、そこに詩が生き、歌が生まれる。



これは、夏目漱石が遺した「草枕」の冒頭の言葉(の僕なりの現代語訳)。
いくら時代が進んでも、変わるものがあれば、変わらないものもある。
100年しか生きられない僕らにとっては、今のこの世の中が全て。
今の時代が最高!と言うべきだろうが、そう言える確証はどこにもない。

でも、アートがある。歌がある。デザインがある。
文化は心を豊かにし、ただの景色を風景へと変えていく。
下品で汚い都会の夜の景色も、タクシーの後部座席から、ヘッドフォンで「ラストクリスマス」を聴きながら眺めれば、たちまちそこに、ロマンスの香りが漂ってくる。
単純で愚かでも、詩や歌は時に、ただの人をアーティストに変えてくれる。

文化が育たなかったら、世の中はどうなってしまうだろう。
夏目漱石の期待に、今のアーティストやクリエイター達は応えられているだろうか。


「あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。(原文)」


いつまでも、そうあってほしい。
そして僕も、そうありたい。
夏が終わった
徹夜明けの朝6時。
夜明け前の冷え込みは、もう本当に夏が終わったんだってことの証明。

今年の夏は、大した思い出も作ることもできず、つまらない夏だった。
来年の夏は、きっともっといい夏にしよう。


夏の終わりは、やっぱりこれが聴きたくなります。
歳を重ねるごとに、遠く離れていくたびに、強く強く、胸にしみる。


若者のすべて(フジファブリック)
https://youtu.be/IPBXepn5jTA


さあ、今日はこのまま仕事続行です。
デザイナーあるある







ボトルのパッケージをミリ単位でひたすら調整。
文字や要素ごとに「カチッ」って音が心の中で聞こえる位置をひたすら探す。
ひたすらひたすら、100回200回は当たり前。

画面上で拡大してミリ単位で調整して、印刷して、カットして、ボトルに当ててみて、また調整。
印刷すると小さい文字なので、普通ではその違いには誰も気づけない。

夜中の1時過ぎから始めて、現在夜中の3時をまわったところ。
2時間、もうずっとこの作業。
ひたすらに手や首や腰や足や目も痛い。
こういう夜にはチョコが欠かせないけど、減り方がやばいな。


デザイナーあるあるな作業。
世のデザイナーの皆様。
誰にも気づいてもらえなくても、誰にも褒めてもらえなくても、それでもただひたすらに調整しましょう。
変態とはそういうものです。
パッケージデザイン



僕の商品のパッケージデザインについての持論。

生産者や技術者や製造者が職人魂を込めて良品を生み出す。
ここを「A」とする。

ではそれをどう売るか?
どうすればたくさん売れるか?
ターゲット層を決めて、女性向けとか30代向けとかシズル感とかを考える。
ここを「B」とする。

※「B」から始めて「A」を作るパターンもありますが今回は「A」から「B」の場合です。


商品のパッケージをデザインする時、ほとんどの場合は「B」の中でデザインが行われ、決定される。
でも、本来は「A」の時にパッケージをデザインするべきだと思う。
「A」の時にパッケージをデザインして、それをどう売るかを「B」の中で考える、という流れが僕には腑に落ちる。

その商品に一番似合う服を着せてあげる。
その商品の本当のかっこよさや良い所を正しく表現する。
この段階では、ターゲット層はあえて意識しない。

つまりは当然、ターゲット層の好みに反するデザインになる可能性も大いにある。
失笑されるのはここだ。
それじゃあ売れない。
売れなければ何の意味がない。
お前はビジネスがまるでわかっていない。
だからお前は、と笑われる。

でも、だからこそ、それをどう「ガワ」でフォローしていくか。
それがマーケターやプランナーやバイヤー達の腕の見せ所でもあるはずだ。

例えば、伊勢の名物、伊勢うどん。
伊勢うどんの印象を聞いて回ったら、きっと「シンプルだけどインパクトもある」とかの意見が多いはず。
でも、世の中の伊勢うどんのパッケージは、ごちゃごちゃしたものがほとんどだ。


美味しくないものを美味しそうに見せるためにデザインがあるわけじゃない。
本当はそんなキャラじゃないのに、売れるために着たくもない衣装と作り物の笑顔で客に媚を売る昔のアイドルでもあるまいし、これじゃあ製造者や職人魂が浮かばれない。
三重県には、パッケージと中身の印象がまったく違う商品も多いし、店のロゴの雰囲気と料理の質が一致しないレストランがどれほど多いことか。
意味のない変なズレは、本当に気持ちが悪い。
このズレが、三重県の印象を益々ぼやけさせてしまう気がしてならない。
エレジー



if you read the book again in 10 years,
it will change again,
because you've changed.
もしも10年後に読み直したら
本は違うものになる。
それはあたなが変わったから。



この映画の肝となるこの台詞がとても印象的だった、2008年の映画「エレジー」。
10年後に観直したら、その10年間の経験と今現在の心境や状況によって映画もまた違うものになる。
だから僕はいつも映画や音楽を何度も観たり聴いたりする。

映画や音楽の中に、その日その時の自分が生きている。
10年経っても変わらないのは、この映画を観ると、今すぐ誰かに逢いたくなること。
あなたにとっての、僕にとっての、大切な、誰か。



Time passes when you're not looking.
時は知らぬ間に過ぎていく。
名は体を表す
僕の仕事は、ブランド名や商品名を考える機会も多い。
気をつけているのは、言葉の意味、語源、響き、歴史、見た目など。
毎回いつも頭を悩ませる、難しいけど好きな作業です。

とあるサイトによると、五十音それぞれが持つイメージがあるそうで、それらは思っている以上に、誰にとっても共通しているとのこと。
試しに、僕の名前、「たつや」を例にとってみると、

--------------

■「た」という音のイメージ
外柔内剛型/温和/信念/正義感/争いを好まない/弱者に優しい/熱心/実力/地位/重厚/実直/希望/繁栄/行動力/高潔さ/強い精神力/タフ/努力家/やりとげる力/頼られる/リーダー気質/直観力/自分でする/人に任せられない/決断力

■真面目でたくましい、とても頼りになる存在。

■「た」が使われた言葉
たいせつ、たいとう、たすける、たくす、たかい、たたかう、たくましい、たんぽぽ、たき、たつまきなど

--------------

■「つ」という音のイメージ
強い意志/行動力/明るさ/考えることが好き/思考型/勉強好き/知識が豊富/知的/こだわり/才能/世渡り上手/自信が強い/他人を軽視/見えっ張り/挑戦的/協調性に欠ける/単独/感情/ひかえめ/内にこもる/論理的/分析力

■何か一点に集中したイメージの強い音、集中的に物事を突き詰めて考え続ける。

■「つ」が使われた言葉
つかう、つくす、つくる、つつむ、つながる、つつく、つたえる、つくえ、つる、つき、つばさ、つくし など

--------------

■「や」という音のイメージ
まっすぐ表現/飽き性/積極的/器用/頭の回転が速い/おおらか/行動力/芯が強い/裏表がない/決断力/好奇心/協調性がない/鋭い感性/孤立/まっすぐな性格/はっきりしてる/感じたまま 

■素直でまっすぐ

■「や」が使われた言葉
やくそく、やさい、やけい、やぶる、やね、やめる、やみ、やま、やきいも、やり など

--------------

「協調性」のなさがわざわざ2回も出てくるあたり、確かに、なかなか当たっていると思います(笑)。


昔から「名は体を表す」と言います。
ネーミングは、適当ではなく、ちゃんと考えたいものです。


▼SIRUHA
https://bit.ly/3247cBf
三重問屋





クリエイティブディテクターとして参加させていただいている三重県志摩市の地域商社「三重問屋」のプロデュース第一弾商品、早川酒造部さんの「朝(あさつ)」が、おかげ様で大変好調です!!!

日本酒があまり売れないとされるこの夏の中、異例のヒットを連発中!
ご購入いただいた方々からは、「とにかく美味い!」と大評判!
正直、この売れ行きに自分たちでも驚いていますが、これはきっと三重問屋サポーターの方が作ってくれた手縫いの朝(あさつ)のキーホルダーのおかげですね(笑)。
そしてもちろん、早川酒造部さんの作るお酒がめちゃくちゃ美味しいのと、地域商社はこうあるべきだよなと改めて実感できる三重問屋のチームワークの良さもヒット連発につながった要因。

そうそう、日本酒好きの女子にぴったりのお仕事があるので、三重問屋に参加したい!って思ってくれる日本酒大好きな女子の方はぜひご一報ください!

さあ、まだまだ「朝(あさつ)」シリーズはこれで終わりではありません。
すでに「朝(あさつ)」シリーズの新商品のデザインに取り掛かっていますので、楽しみに待っていてください!


三重の良い人が作る良い品を、全国、海外、そして、次代を担う子ども達の未来へ!
残りのデザイナー人生をかけて、三重県の正しいリ・ブランディングに挑み続けていきます!
ことっとスタート



毎年、小学校で6年生にデザインの視点と考え方を教えてる。
昨年の授業の最後は、こんな言葉で締めくくった。

---
君たちはこれから中学へ行って、それからどんどん大人になっていく。
だから、どうか素敵な恋をしてね。
素敵な恋の思い出が、君たちの人生をどんな時でも支えてくれるから。
だからどうか、素敵な恋をしてください。
---
.
いくつになっても、恋心は大切。
恋をすることを忘れちゃいけない。
例えばこの本のホッピーさんのように。

自分の心に嘘をつかず、花々を愛でるように、丁寧に育てよう。
水をやって、潤いを与えて、丁寧に、大切に。
恋は、あなたの人生を、どんな時でも支えてくれるから。
お手伝い



今日も天気がいいので、プール遊び、ではなく、先週の大雨で補修した箇所のペンキの下地塗りをお願いしました。

次女(6歳)はすぐに飽きてしまうけど、長女(10歳)はこういうことをさせるとすごく優秀。
ちゃんと自分で工夫するし、もともと絵を描くのも好きだし、文化的なもの全般への興味も高い。

がんばれー。
それぞれの道



懐かしい写真を整理していると、会話の内容までは思い出せませんが、その時その日の音や匂いが蘇ってきます。
大学に行っていない僕にとっては、最終学歴である高校での思い出が一番濃く残っていて、嫌な思い出もあったはずですが、思い出すのは心地いい風や匂いのするシーンが多い。

例えばこの写真は、バンド仲間達と校内でしょっちゅうミニライブみたいなものをしていた時の写真。
先生たちも目をつぶってくれてたし、それを楽しみにしてくれている子たちがたくさんいた。
今の僕では考えられない、勘違いしてしまいそうなくらいの、なんともいい時代でした(笑)。


時々こうして振り返ると、確かに今の僕につながっている道や足跡が見えてきます。
そしてその事実に背中を押されて、また歩き出そうと思える。
なぜなら、これまでの時間の価値は、これからの時間が決めるから。
今の僕には、そしてこれからの僕にも、振り返ると続くすべてのシーンをちゃんといい思い出にする責任があるわけです。

大好きだったあの子のこと、中途半端で投げ出してしまった陸上のこと、僕が嫌いな奴らのこと、僕のことが嫌いな奴らのこと、一緒に泣いてくれた高校の先生のこと、ダルかった授業、一緒に抜け出した屋上、なんだかんだ言っても、やっぱりキラキラしてた全部の時間。

だから時々、こうしてきちんと振り返る。
これも大切なルーティンワークです。


色々なことを乗り越えてきた古い靴は心から感謝して脱ぎ捨てて、新しい靴でバシッと決めて、前を向いてまた歩き出そう。

僕も、あなたも、君も、それぞれの道を。
ミナ本



面白くて、数時間で読み切ってしまった、皆川さんの「生きる はたらく つくる」。
ジャンルこそ違えど、僕が奥さんが連日連夜語り合った自分たちのやりたかったこと、そして出来なかったことが、全部つまってた。
僕の中で、「皆川さんの人柄」だけではとても表現しきれなかったミナの世界観がどうやって育ってきたのかが、この本でようやく理解できた気がする。

肌寒いくらいの真夜中でも、読み進めるごとに全身の熱量が高くなっていくのを感じた。
もう遅すぎるかも知れないけど、もう一度だけ、自分たちのブランドをつくること、育てることに、挑んでみたくなった。
あの頃には出来なかったことが、今ならできるかも知れない。
あの頃には出会えなかった人とも、今なら出会えるかも知れない。
それよりもまず、僕と僕の奥さんが、2人で作りたかった世界と、もう一度だけ向き合ってみたい、そんな風に思えた。

ものづくりの本質、醍醐味、厳しさも含めた楽しさ。
僕は今まで、こだわりが強すぎる、とか、難しいことはいいからさ、とか、色んなことを色んな人に言われてきたし、丸く収まってればよかった場面でも、ものづくりやデザインを理解しようとさえしない相手の言動に黙ってることができない性格。
そのせいで、無駄な対立も生んできたと思うし、もらえたはずの仕事をたくさん失ってきた。

僕には、「人柄」とか「人徳」とか、確かにそういうものが欠けているんだろう。
それでも、僕には確かに見えているものがあった。
言葉や形で正しく的確に表現できない無力さが今でも本当に嫌になるけれど、僕には確かに見えているものがあったんだ。
誰にも理解できない、のではなく、理解してもらえる力がなかっただけ。
だから、代わりにそれを言葉や形にしてくれる仲間をずっと求めてきたけど、ここでも、「人柄」や「人徳」の欠如が重く立ちふさがる。

ミナ・ペルホネンに、田中景子さんと長江青さんがいたように、僕には、その2人の役割をこなしてくれる奥さんがいる。
独立したての極貧生活にも、思うようにいかないことでイライラする僕にも、彼女は常にそばにいて、放り出すことも、逃げ出すこともせず、まっすぐに向き合ってくれた。
何日もかけた作品に、迷うことなくダメ出ししてくる。
でも、その指摘はいつも正しい。
だから、いつの頃からか、彼女さえいいと言ってくれたら、もうそれで十分だと思えるようになった。
今でも、それは変わらぬまま。
彼女がいいと言ってくれたものは、絶対に間違いがない。
そう確信できるほど信頼してる、唯一無二のパートナーだ。

東京ではチヨに、三重に戻ってからはリナに出会えた。
給料とは呼べないくらいのほんのちょっとのお金しか出してあげられなかったのに、彼女たちはうちで働く毎日が楽しいと言ってくれた。
2人ともすごく優秀で、ほかの事務所に行けばエースになれる人たちだ。
彼女たちがいてくれなかったら、間違いなく今の僕はいない。
僕の人生の中で、この2人との出会いは最高の宝物。
もっともっと、一緒にいたかったなあ。
もっともっと、一緒に見たい風景があった。
僕がもし自伝を書いたら、本の半分はこの2人のことで埋まると思う。
皆川さんの本を読んで、改めて、チヨとリナに、心からありがとうって思った。

無地の服ばかり着て、ファッションにはめちゃくちゃ疎い僕でも、ミナ・ペルホネンの世界観が放つ心地よさは伝わってくる。
いい本と出合えた。
もう一度、って思えた。
これからも、丸くならずに尖っていこう。
自分の直感と本能をもっと信じてやろう。
周りの人は、ものすごく迷惑だろうけど(笑)。
景色と風景



三重県に戻ってきてから、「目的と手段」という言葉を使うシーンが増えた。
なにも、どこぞのコンサルみたいに、ただそう言いたいだけなのとは意味が違う。
本当にそう言わざる得ないことが多いのです。

そして、「目的と手段」と同じくらい口にする機会が増えたワードは、「景色と風景」。
あくまでも僕個人の勝手な解釈ですが、似て非なるこの景色と風景、ものすごく雑に言ってしまえば、目に見えるものを景色、それに加えて目に見えないものも含めたのが風景だと考えています。
つまり、風景には、その土地の「文化」が含まれていて、目に見えるものと目に見えないものが常にセットになっていると考える必要があります。

よく、家族の風景と言いますが、家族の景色とはあまり言いません。
それは、そこに文化、風習、関係性などのドラマやストーリがあるからです。
どっちがいいとか悪いとか、そういう話ではなく、その中から、見た目の部分だけを抜き出したのが景色なんだと思います。

なので、いきなり風景を作ることは不可能です。
文化やドラマが育っていないうちは、まだ風景にはなれません。
楽しいことだけでもないでしょう。
悲しい歴史や辛い出来事もあったはず。
風景とは、その積み重ね以外の何ものでもなく、最初はただの景色だったものが、やがてそう呼ばれるもの、であるはずです。

さらに、たとえ同じ場所に立っていても、そこがいくら歴史のある場所でも、ある人にとってはただの景色で、ある人にとっては風景だったりします。
同じものを見ているつもりでも、実際に見えているものは全然違う。
まるで、だまし絵のように。
そこがズレている関係は、遅かれ早かれ道を分かつことになります。


三重県には、素晴らしい景色も風景もたくさんあります。
なのに、それらが正しく活かされているとは思えません。
きっとそれは、景色と風景の違いが理解されていないのと、理解する術を持たないからでしょう。
学校でも教わらないし、そもそもそれを教えられる先生なんてほとんどいません。

三重県だけではないと思いますが、そこに素敵な文化が生まれ育つ土壌ができていない。
いや、かつてはあったのかも知れませんが、今の状況を見ると、育てるつもりがないようにさえ思えます。
誰もが結局は、自分のことばかり。
木だけを見て、森を見ていないし、感じようともしない。
狭い世界しか知らない人、広い世界を知ろうともしない人ほど、「みんなを」とか「みんなで」という言葉を軽々しく使う。
多様性の本当の厳しさを知っている人は、その言葉の重みを知っています。
デザインは、根っこからデザインして、はじめてデザインと呼ばれるのです。

そして僕らの仕事は、まさに風景を作っていくこと。
長く続く仕組みを考え、登場人物のために大まかな道筋や、舞台、ステージ、小物、時間などを丁寧にデザインする。
あとは、そこに色々なドラマが生まれ、やがて風景と呼ばれるまで、寄り添っていきます。
それがモノであれ、場所であれ、人であれ。
だから時間もかかるし、手間もかかる。
なかなか理解してもらえないことですが、それが真実です。


やがて風景と呼ばれるもの。
そこに寄り添う仕事。
ドラマのない人も場所も存在しない。
そこには必ずストーリーが生まれ、育っている。

息を合わせて、手を繋いで、どうせなら、素敵な風景をご一緒に。
いすゞ





今ではトラックのイメージしか無いいすゞ自動車にも、かつてはこんなに素敵な車があったわけです。

色々な事情があって現代の車では表現できないわけですが、この時代特有の優美さには、デザイナーとして学ぶべきことがたくさんあります。
ゴリラがいっぱい



三鷹の森はジブリでいっぱいだろうけど、僕のデスクはゴリラ好きの僕のために娘たちがプレゼントしてくれたゴリラや、父の日のたびに長女が自作してくれたアクセサリーでいっぱい。
貫きたい志



昔、雑誌の取材で、「デザイナーを辞めたいと思ったことはありますか?」と聞かれ、「はい、何度もあります。いつも考えてます。」と即答して驚かれたことがある。

誤解を恐れずに言えば、今でも変わらず、常にそう思ってる。
デザインが嫌いになってしまう前に辞めなきゃな、と。

そういえば僕の恩師は、信じた道をまっすぐに進むため、保身に走らず覚悟を持って役目を果たすために、いつでも懐に辞表を持っている、と表現してた。
自分の信じた道、自分のやるべきこと、ありたい自分の姿、貫きたい志。
叶えたい未来のために、時に体制を欺いたとしても、決して自分の心だけには嘘をつくな、と。

なぜ?どうして?と問いまくる子どもはウザがられる。
僕はたぶん、そういうタイプのデザイナー。
そんなことはどうでもいい、って親の声が聞こえてくる。
子どもは元来、哲学くさい生き物で、大人になるにつれ、消えていく。
デザイナーはどっちでいるべきだろう。


高校の体育祭の時の写真が出てきた。
夕日のオレンジ色か、それともただ色褪せたのか、みかん色のその写真の僕は、一番先頭で、ちょうど最終コーナーをまわってる所。

でも、30年以上経った今でも、まだゴールできていない気がする。
ゴールがまだ見つかっていないのか、そもそもゴールなんて存在しないのか。
誰かに託されたはずの、右手のバトン。
自分の信じた道、自分のやるべきこと、ありたい自分の姿、貫きたい志。
しじみの白スラブ



形のみならず、名前まで色んなところで真似をされて何かと話題の丸川商店オリジナルの「しじみ」に、ついに、いや、ようやく、「白スラブ」がラインナップに加わりました。

使いやすさはそのままに、これまでの藍染よりもグッと涼し気で、これからの季節に最適です。

もちろん、男女問わずお使いいただけますので、僕とお揃いが嫌でなければチェックしてみてください。


▼丸川商店
https://www.mrkw.jp
Why?
理解できないこと、納得できないこと、ひとつの何かの原因が次々と連鎖して、疑問の噴出という結果につながる。
僕はとにかく、事実ではなく、真実が知りたい。

もしもガンになったら、真っ先に正直に告知してほしいタイプ。
雪崩のように押し寄せてくる「Why?」をそのままにしておけないから。

そもそも、クリエイティブディレクターという仕事は「Why?」の追求に他ならない。
なんで?どうして?どういうこと?を積み重ねていって、本質をあぶり出す。

だからこれからも「Why?」と問い続けていこう。
もうそれ以上は進めない「つまりはこういうこと」って所まで突き進もう。
誰かさんみたいに影でコソコソではなく、せめてこういう場でも、正直でいよう。

おざなりな評価なんて欲しくもない。
何を言われてもいい。
どう思われてもいい。
それをやめてしまったら、もはやクリエイターではいられない。
命のリレー



本日、6月27日で、次女(こと)が6歳となりました。
生まれてくるとき、低体重で生死をさまよったのが信じられないくらいに、ちょっと心配になるほどの元気な女の子に育ってくれました。

長女(いと)と次女の娘二人の新喜劇を観ているような笑いっぱなしの毎日は、それこそ宝箱のように光り輝いていて、僕なんかにも、生きていく意味を授けてくれているように感じます。

そして、6月27日は、僕が幼い頃に亡くなってしまった、大好きだった祖父の誕生日でもあります。
次女が生まれた時は、おじいちゃんが女の子に生まれ変わってきたーって親族の間では話のタネになっていましたが、もし本当にそうだとしたら、すごく嬉しいことです。
亡くなってからもう30年以上になると思いますが、今でも共に過ごした時間をはっきりと覚えているし、ゲームのキャラクターにつける名前も、おじいちゃんの名前をつけてます。

写真は、小学校の入学式の朝に、実家の玄関先で記念撮影した、おじいちゃんと僕です。
清く正しく厳しい人でしたが、心のとても優しい人でした。

いつか僕に孫ができたとして、僕が死んでから30年経ったあとでも、孫たちは僕のことを思い出してくれるかなあ。
まあ、そんなことを期待するのはナンセンスだな。
ただただ、前を向いて、元気に、幸せに生きていってくれたらそれでいい。

そもそも、娘二人の命は、おじいちゃんやそのご先祖様たちが繋いでくれたもの。
何かどこかでひとつ違っても、今の僕も娘たちも存在していない。
不思議なめぐりあわせと、命のバトンリレー。
めぐる、命と命の物語。
そしてもちろん、娘たちと出会わせてくれた奥さんにも心から感謝です。


いよいよ来年は次女も小学生になります。
天国から見てくれているのか、はたまた、次女はおじいちゃん本人なのかはわかりませんが、今日のこの穏やかな日を、共に喜んでくれていることでしょう。

こと、誕生日おめでとう。
おじいちゃん、ありがとう。
DBC2020 最終日



今日は、2015年から続けているデザイン教育プロジェクト「DESIGNED BY CHILDREN 2020」の最終日でした。
全3回、子ども達と一緒に、デザインの視点と考え方を楽しく学ぶことができました。

装飾のための技法だと思われているデザインの、本来の意味と役割に触れた子ども達がやがて大人になったとき、今日の日のことを、たとえ欠片でも覚えていてくれて、何か問題にぶつかったときに思い出してくれたら嬉しいなと思う。

問題の本質を正しく見つけ出し、それを見事に解決するためのデザインの視点と考え方は、この先子ども達が生きていくうえでの助けになるはずです。
吉田松陰先生の言葉を借りるなら、今日のこの出会いと学びが、どうか一粒の籾として、次の春の種となれますように。
そしていつか、自分が生まれ育った見慣れた景色の中に光を見出し、それを燦燦と光り輝かせてくれることを、心から願っています。

子ども達、先生方、見学に来ていただいた皆様、本当にありがとうございました。


そしてその後の別の打ち合わせで、また新たな仲間たちとの出会いがありました。
これはものすごい化学反応が生まれる予感。
こんなにワクワクしたのは久しぶりです。
新たに立ち上がった新プロジェクトを1日でも早く皆さんにご報告できるように、ひとつずつ形にしていきたいと思います。


ブラボー!子ども達!
ブラボー!仲間たち!
ブラボー!デザイン!
ラスト1週



先日、名古屋の友人と話してて、彼女は僕よりも少しだけ年上で、彼女が48歳の時、つまり、今の僕の年齢の時に考えたという内容がとても興味深かった。

彼女が48歳の時に思ったことは、60歳まであと12年、ひとつの区切りを60歳と考えるなら、あと干支1週(12年)だってこと。
この、ラスト1週をどう生きるか、どう設計するか、限られた残りの時間を、「誰」と「どう過ごす」か。
彼女の話を聞いていると、それはとても大事な問いだなと思った。
今の彼女を見る限り、その時に選んだ選択と下した決断が間違いではなかったってことがよくわかる。

もちろん、60歳以降も人生はまだまだ続くんだけど、60歳をひとつの区切りだと考えるなら、今まさに僕は48歳で、あと干支1週。
残りの時間を、「誰」と「どう過ごす」か、僕もよく考えてみた。
目指している場所へとたどり着くためには、何はともあれ、まずは仕事のやり方と人間関係を見直す必要がある。
まさに、「誰」と「どう過ごす」か、だ。

くだらない付き合いも必要ない。
意味のない関係性も必要ない。
ごっこ遊びもいらない。
お互いを高め合えない関係にも意味がない。
傷を舐め合うだけの関係なんて気持ち悪い。
「本当」から逃げてるだけの関係じゃあ何も生み出せない。
本能を誤魔化して生きるなんてまっぴらごめん。
本能と向き合うことから逃げて、それを誤魔化して笑ってる人を、僕は決して信じない。
行くべき道、共にいるべき人間、それを知っているのは頭ではなく、心だ。
でもそれは、ホッとしたり、安心できたり、ってことじゃない。
楽なほうへ逃げれば、誰だってホッとする。
「痩せたいなら食べなさい」なんて言われたら、人はそれを信じたくなる弱い生き物だ。
でもそこに、きっと「本当」はない。


僕はよく不本意に敵を作るけど、それは僕が「本当のこと」をズバリと言うからだ、と指摘されたことがある。
でも、僕は辛口コメンテーターじゃないから、誰彼構わず噛みつくことは決してしない。
その言葉には意味があるし、想いがある。
でも、僕の言葉のその真意が、相手に正しく伝わったことはとても少ない。
ほとんどの場合は、誤解されたまま、自然と疎遠になっていく。
それは僕の言葉が足りないせいなんだろうけど、そもそも「周波数」が異なる関係では、いくら時間をかけて説明しても通じるわけもない。
だからそう、そういう関係性も、必要ないんだと思う。
意味のない関係は自然と淘汰されていく。

僕を嫌う人のために使う時間なんてない。
小さな世界にとどまらず、広い視野で、創造的に、本能の声を聞き逃さず、本当から逃げずに、本気で生きてる人とだけ、貴重な残りの時間を共有していくべきだ。
そして、そういう関係性を求め続けていれば、やがてそういう出会いがあり、でもそれが偽物なら、やがて自然と消えていく。
「誰」と「どう過ごす」かは、言い換えれば、僕がどうありたいか、ってことなんだと思う。


もしも、皆さんのまわりに、人間関係で困っている人や、そのことで死にたいくらいに悩んでいる人がいたら、伝えてあげてください。
あなたを嫌う人に使ってあげる時間なんて必要ないし、自分を守るために誰彼構わず噛みつくこともしなくていい。
あなたの人生に必要がない人は、自然と離れていくし、やがて消えていく。
だから決して、離れることや消えていくことを、恐れないでください。
神様を信じるよりも、自分の本能を信じてください。
本能とちゃんと向き合い、それを誤魔化さず、その声を聞き逃さないでください。
正しい答えは、きっとそこにあるから。
会いたい人



6月の空の下、会いたい人に今年も会いに来た。
沈む船



今日、新たなクライアントの担当者さんと第1回目の打ち合わせをしてて思った。
彼はまだ24歳だが、その会社の社長の長男なので、つまりは次期社長。
世間一般の常識的には、まだまだこれから経験を積まないと社長の座にはつけない。

でも、本当にそれでいいんだろうか?
VUCAの時代だと言われて久しい現代において、いや、この先の未来を見据えて、「十分に経験を積んで」という発想自体がすごく危険な気がする。
まだ足りない、まだ早い、それって本当に意味があるんだろうか?

完成度にこだわって、というより憑りつかれて、なかなか市場にリリースできない企業や会社が日本にはまだまだ多い。
でも世界を見渡せば、20%の完成度で世に放ち、そこからフィードバックを得て改良を重ねていくのが主流になりつつある。
未だかつてないスピードで変化しつづける世界の中で、日本のそれはあまりにも時代遅れ感が否めない。

むしろ、24歳で社長にして、それを回りが支え、フィードバックを得ながら成長させていくべきじゃないのかな。
十分に経験を積んでから、なんて、少し過保護すぎやしないか?
時代の変化に柔軟に対応できる本当に強い企業を目指すなら、24歳という年齢が若すぎるってことはないと思う。
だって、デジタルネイティブな彼ら彼女らのほうが、時代の匂いに圧倒的に近い。
もちろん業種や業界によっても違うんだろうけど、起業家だけじゃなく、世襲経営でもそうあるべき時代になったんじゃないのかな。

何度も言ってることだけど、僕は美大も芸大も出てないし、どこかのデザイン事務所に勤めたこともないし、デザインもパソコンも全部独学で学んだ。
それなのに、28歳の時にほぼ未経験のままで独立した。
東京っていう、ある意味ライバルしかいない激戦区の中で、経験も実績もない未経験社長でスタートしたけど、独立から20年、なんとか会社を潰さずにこれた。
もちろん、吹けば飛ぶようなチョー零細だし、経営のど素人が偉そうに、と言われたらその通りですが、ちょっとした空気の変化で季節の往来を感じるように、時代の変化を見逃さないように気をつけてきたつもりです。
確かに今は、あまりにも変化が速すぎてそろそろついていくのがしんどいけど、できる限りに柔軟に、自分という軸を持ちつつ変化していける自分でいたいなと思います。

ずっと変わらないもの。
変わり続けていくもの。
今こそ、今という時代においての「不易流行」の真の意味と向き合おう。
それができなければ、その船はきっと、ゆっくりと、でも確実に、沈んでいく。
小泉今日子



仕事中に音楽は欠かせない。
なんてったって、今日の仕事のお供は小泉今日子。
仕事がはかどります。
ただ、「優しい雨」のときは毎度手を止めて聴き入ってしまう。
いいのやら悪いのやら。

とにかく、キョンキョンの力を借りて、溜まってる仕事を片付けます!
泡風呂



娘たちは、キャッキャ言いながら泡風呂をご堪能。
後片付けで大人は大変。

今夜も楽しい夢が見れますように。
ぐっすりおやすみ。
したたかさ
広告とは「広く告知するもの」、つまり、多くの人に知ってもらうための手段。
ならば、ターゲットを絞り込んで、ある特定の人たちだけに刺さることを目的とした広告は「狭告」と呼ぶべきかも知れない。
いずれにせよ、そこに届けたい想いや情報があり、それを確実に届ける、つまり「刺さる」ために何をどうするべきか、それが僕らの仕事。

昔から広告はラブレターだと言われていることは何度も触れてきた。
想いを伝える、届ける。
それがちゃんと伝わる、届く。
そのために、広告やデザインは昔から、心理学や行動経済学や統計学なんかを駆使して進化してきた。


星野源さんの「歌を歌うときは」という歌、

歌を歌うときは 背筋を伸ばすのよ
人を殴るときは 素手で殴るのよ
さよならするときは 目を見て言うのよ
好きだと言うときは 笑顔で言うのよ
想い伝えるには 真面目にやるのよ

の歌詞の通り、手段はいつもひとつではない。
手段は目的に合わせて変えるもの。
人を殴るときに笑顔はヤバいし、さよならするときに背筋を伸ばすのもちょっと変。
広くても狭くても、届けたい想い、情報、叶えたい目的を手中に収めるには正しい手段が大切だ。

例えばあなたが、空を飛びたいと思ったとする。
さて、どうする?
必死に腕をバタバタする?
きっとそれじゃあ上手くいかない。

あなたの目的が、自分の体だけで空を飛ぶこと、であれば、どこか高いところから落ちながら飛ぶしかない。
でももしあなたの目的が、空を飛ぶこと、であれば、人や道具やテクノロジーが役に立ってくれる。
本当に叶えたいこと、果たしたい約束、掴みたい夢、守りたい人、そしてそれらを叶えるのがとてつもなく難しいことなら「他力」が欠かせない。
たとえ1%の可能性しかなくても、方法を見つけ出すことが僕らの役割であり、仕事なのだ。


何度も言ってきたことだけど、目的と手段を間違えてる会社やお店や人がすごく多い。
え?結局それがやりたかったの?って拍子抜けするほど、手段がいつの間にか目的にすり替わってる。
そういう会社やお店や人を見るといつも思う。
ああ、本気じゃなかったんだなあ、と。

誤解を恐れずに言えば、本気には「したたかさ」が不可欠だと思う。
したたかさとは、強さのこと。
目的を叶えるためにあらゆる手段を講じて、そして決してあきらめない。

本来の言葉の意味とは違うかも知れないけど、例えば枕営業は一般的には悪いことだとされているが、全部が全部、僕は必ずしもそうとは思わない。
そこまでしてでも叶えたいこと、果たしたい約束、掴みたい夢、守りたい人がいるのなら、「他力」をうまく使い、したたかに生き抜き、決してあきらめない。
むしろ僕は、そういう人のほうが好きだとさえ思う。

きれいごとばかり言って、耳障りのいい言葉を並べて、でも結局言い訳ばかりで行動しない。
そういう人を見ると気分が悪くなる。
善か偽善かなんてどうでもいい。
何があってもあきらめない、したたかに生きる人を応援したい。
映画やドラマでも、そういう役(たいていは悪役)の人に惹かれる。
僕はそういう人が好きだし、主人公を好きになれる映画やドラマはと聞かれても、すぐには思いつかない。


では、どうして手段が目的へと変わってしまうのだろう。
色々な理由や事情があるだろうけど、よくあるのは「楽(らく)」と「楽しい」をはき違えてるパターン。
楽しいほうを選んだつもりでも、それは所詮、楽なほうを選んだだけ。
同じ字でも、意味はまるで違う。
楽はほうばかり選ぶスーパーヒーローを見ても楽しくない。
困難を乗り越えるからこそ、敵わない相手に立ち向かうからこそ、その先に楽しさがある。
楽な道の先に求めている世界はない。
本来の目的をあきらめて手段にしがみつく姿は痛々しい。
それで仕事をした気になってる会社には、たとえそれが大企業であろうとも、きっと未来はない。
僕はそう思う。


あなたが本当に叶えたいことは何ですか?
あなたが果たしたい約束は何ですか?
あなたが掴みたい夢は何ですか?
あなたが守りたい人は誰ですか?
そのために、あなたは何をしますか?
今歩いてるその道の先で、本当に夢は叶いますか?
置き忘れてきてしまった夢を、取りに戻らなくて本当にいいんですか?
美空ひばり



美空ひばりさんの最後のステージとなった小倉公演のCD。
そもそも販売することを目的として録音されたものではないゆえ、音源の質も本人の歌唱も、いわゆる「美空クオリティ」には及ばない。
けれど、ドクターストップを押し切り、文字通り命を懸けて歌い切った最後のステージ、その終盤に収められている「川の流れのように」は、何度聴いても胸の奥の奥にくる。

1989年と言えば、僕は高校2年生かな。
その後の僕の人生は、まさに「でこぼこ道や曲がりくねった道」の連続だったけど、「愛する人をそばに連れて夢探しながら」、ここまで歩いてこれた。


「1滴の雨が木の根を伝ってせせらぎが小川になる。やがて大河になってゆっくりと海にたどり着く。人生っていうのも同じように真っ直ぐだったり、曲がっていたり、流れが速かったり、遅かったり…本当に川の流れのようなものなのよ。でもね、最後はみんな同じ海にそそいでいるのよ。」


僕も少しは大人になったから、今ならわかる。
今こそ、ひばりさんのこの言葉を、強く噛みしめたい。
うるせーよ



僕は基本的に人を信じないし、人に期待しない。
それは反面、人を信じたいからとも言える。
でも色々あって、いつも誤解されて、その結果として、僕は人を信じないほうを選んだ。
期待しても、ろくなことがない。

そんな僕でも、時々出会う。
真っすぐに僕を信じてくれる人。
そういう人を無条件に尊敬してしまう。
だから僕も、信じてみようと試みる。
だけど、だいたいいつも、それはあっけなく終わる。

本気のレベルが合わない人とは、結果的に付き合いは短くなる。
この人は本物かな、と期待はするけど、そんなものはそうそうあるものじゃない。

ある人が言う。
まずはあなたが信じないと、相手にも信じてもらえないよ。
しばらくはそれを信じて、そうやってみた時期もあったけど、でも結局僕はまた、信じないほうを選ぶ。
小中高の友達で、「今でもしょっちゅう会う」っていう友達はひとりもいない。
会えば楽しいし、元気にしてるかなと思うこともあるけど、だからといって会いにいくわけでもない。
友達はたくさんいたし、いじめられたこともないし、学校が嫌いだったわけでもない。
むしろ学校が好きだったし、狂ってしまうほど好きだった女の子もいたし、そんなあの頃の日々は、かけがのない一生の宝物だ。

でもきっと、残りの僕の人生で、あの頃の友達に会う機会は、ものすごく少ないと思う。
それがいいわけでも、それでいいわけでもなく、そうなんだろうなと、ただ思うだけ。
会いたくないわけでも、会えないわけでも決してないけど、実際、たぶんそうなる。

東京のデザイナー仲間には、今でも時々会いにいく。
自分の足りさなを毎回思い知らされるのに、それなのにすごく心地いい。

信頼は結果で勝ち取るしかない。
お互いにプロフェショナルとして、結果を出す。
結果が出れば、次がある。
それがなければ、次はない。
僕を信じてくれたクライアントを笑顔にしたい。
その笑顔をずっと守りたい。
一緒に夢を見たい。
追いかけたい。
そして必ず、夢を叶えた丘で、一緒にその景色を見たい。

おかしな言い方だけど、僕はこのシステムがとても気に入ってる。
シンプルでわかりやすいし、筋が通ってる。
ただ付き合いが長いから、ではなく、ただ近い存在だから、でもなく、プロ対プロでゲームに挑む。
アドレナリンやドーパミンがドバーっと放出される瞬間が好き。
傷つくことも傷つけることも、失うことさえ恐れずに、それをただがむしゃらに掴みにいく。
何度も本気だと言っておいて、結局途中で逃げ出すやつらは大嫌いだけど、ある意味ではもう慣れっこ。
変態だと言われたらその通りだし、子どもっぽいと言われたら、きっとそうなんだろう。


今年も6月になったら、20代で逝ってしまった中学の同級生の墓参りにいく。
僕はなんで、毎年彼女に会いに行くんだろう。
死んだから?
もういないから?
たぶん、彼女との会話に癒されてるからだと思う。
大好きだったあの笑顔で、未だに陸上部のマネージャー気取りで、まだまだだね、っていう声が聞こえてくる。
ちゃんと自分から信じるようにしてる?
何度も言ってるけど、そのうち本当にひとりぼっちになるよ、ってまたきっと言ってくる。

うるせーよ、って言いながら、でも、それがきっと、心地いいんだな。
価値



世界中のあちらこちら、コロナショックの傷跡はまだまだ癒えない。
けど、色々と新たに発見したことも多かったと思う。

ある人は、今回のコロナは、自然界の浄化作用だと言う。
またある人は、いよいよ資本主義経済の崩壊が始まったと言う。
いずれも僕には、まだよくわからない。

わかるのは、世界が闇に落ちた時、僕らの仕事の「価値」もまた、ずずずーっと落ちていくってこと。
軒並みに新規仕事は延期か中止となった。
マスクの高額転売を擁護するつもりは1ミリもないけど、これもまた「価値」なんだなと思う。
高くても、それを求める人がいる。

山の上の自動販売機と、ある意味では同じ理屈だ。
ドローンの登場で運搬は格段に楽になったのに、それでも値段が下がらない。
ということは、山の上まで運ぶのが大変だから、だからジュースが高かったわけじゃないってことだ。
そこにある「価値」はただひとつ。
高くても、それを求める人がいる。


資本主義経済が崩壊したあとは「価値主義」へと変わっていくらしいけど、そもそも「価値」って何だろう、と改めて思う。
あくまでも資本主義経済をベースにして、そのうえで何をもって「価値」と定義づけるのかによっても答えは変わるけど、例えば、クリエイティブディレクターとかは技術よりもアイデアだけど、スタイリストやオペレーターは技術が全て。
でも、時給で計算してしまうと、仕事が遅い人のほうが報酬が高くなってしまう。

僕も最近、イラストを描く作業が増えたけど、僕はイラストがすごく苦手なので、ものすごく時間がかかる。
でも、だからといって、通常の仕事と同じ金額では算出できない。
なぜって、僕はイラストのプロではないから、プロのイラストレーターと同じクオリティの仕事はできっこない。
だから、プロのイラストレーターの10倍の時間がかかっても、10分の1のギャラが妥当だろう。
つまり、ものすごく効率も能率も割も悪い。
結果、つまりは僕のイラストは「価値が低い」ってことだ。

そもそも、コストダウンのために求められてしている作業。
求められてしている作業なら、本来はそこに価値があるはずなのに、でも価値が低い。
つまり、「あれ」が決定的に異なるんだ。

高くても、それを求める人がいる。
安いから、それを求める人がいる。

文字数は同じでも、そこにある「価値」には雲泥の差がある。

東京にいた頃と今とでは、仕事の単価がまるで違う。
それでも、仕事に向かう姿勢は同じ。
僕らの使命は、クライアントさんの仕事や商品の価値を最大限に引き出し、「高くても求められるもの」にしていくことだ。
それができて初めて、僕自身にも価値が生まれる。
場所はもう関係ない。
いや、ちょっとは関係あるんだろうけど、言い訳にしかならない。
自分の夢を叶えるには、誰かの夢を叶えてあげるしかないんだから。



今、外は強めの雨がずっと降ってる。
僕の価値は、ビニール傘か、それとももっと質のいいものか。
ただ雨をしのぐだけなら、そこに違いはあんまりない。
それでも、あえて質のいい傘を選ぶ人に、選んでもらえる傘にならないと。

安いから求められているだけなのだとしたら、とっとと足を洗わないといけない。
前を向きながら、でも同時に、引き際のこともちゃんと考えておこう。
コロナショックの傷に気休めの絆創膏を貼りながら、夜中の作業はまだまだ続く。
椅子に座りすぎて、お尻が割れそう。


道端に生えてる小さな花には、どれくらいの価値があるのかな。
そこに価値を見出す人とそうでない人の差は何なんだろう。
そんなことより、やっぱり、お尻が痛い。
そして、眠い。
48回目の誕生日



先週の24日は、48回目の誕生日でした。
奥さんと娘たちが、手作りのバースデーケーキでお祝いしてくれた。
外出自粛でずっと家にいるのに、それはそれで楽しみを見つけていける娘たちは、なかなかたくましい。
僕という人間をこの世で一番理解してくれているのは奥さん。
僕の全部を知ったうえで、もう27年も一緒にいてくれてる。
 
考えてみれば、僕はずっと誤解される人生を歩んできた。
子どもの頃から、見た目や言動がよく裏目に出る。
奥さんとカフェに行って、ジョッキのビールとカルーアミルクを頼んだら、間違いなく僕のほうへビールが運ばれるけど、正解はいつも逆。
人は見た目が9割、なんて本もあったし、印象の力は凄まじい。
そして今僕はその「印象」を仕事にしてる。
 
先日、ある会議の席で、「丸川さんに仕事をお願いして印象操作の大切さを痛感しました。とても大切なお仕事。感謝してます。」と言われた。
若い彼は僕に感謝の意を表してくれたんだと思うし、それはとても嬉しいけど、ひとつだけ、「印象操作ではなく、印象の最適化、ね。」とお答えした。

違いを聞かれたので、その商品やサービスが粗悪であれば必要なのは印象操作、すごくいいものなのに市場にうまく伝わっていない場合に必要なのは印象の最適化だと思う、と答えた。
そしてその点において僕は、印象操作が必要じゃないクライアント、そして商品ばかりを扱わせてもらえている今に心から感謝しているし、とてもラッキーだと思う。
 
広告はラブレターだと言われて久しいけど、その商品やサービスの良さを正しく伝えていくために必要なのは、何を言うか、そして、何を言わないか。
特に、時として「何を言わないか」はとても重要だ。
好きだ好きだとただ言っても届かない。響かない。
仕事である以上、戦略の質がものを言う。
 
でも、相手が人である場合、時として「好きだ」とただひと言、まっすぐに目を見て伝えることのほうが心に深く響く場合があることも知ってる。
僕も若い頃に、そのひと言が最後の最後まで言えなかったことを死にほど後悔しつづけた。
もしも言えたところで、あんなに素敵な彼女が最後に僕を選んでくれるとはどうしても思えなかった。
そしてそれは、僕の思い違いだったとずいぶん後で知って、死ぬほど後悔した。
「本当」がちゃんとわかっていれば、想いをちゃんと伝えられたかも知れない。
 
「本当」を知ることは難しい。
心理テストは「本当」を知るためにするもの。
本心や本当がわからなければ道を正しく選択できない。
 
でも例えば、Aを選んだらこうなる、Bを選んだらこうなる、さあどっち、なんて心理テストでは「本当」は見つからない。
何かを選ぶ際にその選択を大きく左右するような「重要な要素」はあらかじめ隠しておく必要がある。
答えに影響が出ないように余計なバイアスは外しておくのがセオリーだ。
 
先日、別のクライアントに、コロナ禍で大変な今の状況を踏まえ、事業の今後の方向性を見極めるため、心理テストの要領でAという目的地を選んでもBという目的地を選んでも「重要な要素」には変わりはない、とした上で方向性を選んでもらった。
でも実際はAという目的地を選んだら方向性に変わりはないけど、Bという目的地を選んだらそうはいかない。
進む道が変われば、向かう目的地が変われば、服装もお小遣いも靴も地図もコースも、そしてガイドも変わる。
でもそしたら、「重要な要素」には変わりはないと言ったから選んだのに、嘘つきだ、もう信用できない、豹変だ、怖い、と言っていると、あとで人づてに聞いた。
 
お年玉は預かっておいてあげる、怒らないから本当のことを言いなさい、とは意味が違う。
僕は確かに嘘をついたけど、それは道を正しく選択するためで、本当を引き出すためだった。
それをもう一度説明する機会はもう閉ざされてしまったけど、いつの時も、「本当」を引き出すのは簡単じゃないしリスクもある。
僕はこうしていつも誤解され、良かれと思うことが裏目に出る。
もちろん、今回のことで信用を落としたのは、それだけが原因ではなく、何かが積もり積もったもの。
それもわかってる。
まあでも、それで信用を失う程度の付き合いなら結果オーライだろう。
ちゃんとわかってくれる人もいるし、それでいいんだと思う。
 
目利きで頭のいい奥さんが、僕の全部を知ったうえで27年も一緒にいてくれる。
それが僕にとって、どれほど心強いことか。

誤解されるのには理由もあるし、僕に非がないとは思ってないし、そもそも火のないところに煙は立たない。
でも、それもわかったうえで、奥さんには「本当」が見えている。
それでいて、こっちの服を着たほうが良い人に見える、というアドバイスもちゃんとくれる。
これは印象操作、ではなく、印象の最適化だと、僕は強く、信じてる。

毎日が誰かの誕生日。
コロナ禍の中、僕にとっても、ある意味で記憶に残る誕生日になりました。
両親、奥さん、娘たち、師匠、数少ない友よ、どんな時でも信じてくれて本当にありがとう。
夜明け前が一番暗い。
でも永遠に続くわけじゃない。
こんなにもたくさん、子どもたちと笑い、遊び、話し、抱きしめられるこの日々を、まるごと抱きしめよう。
分析



若かりし頃は、街の看板、有名デザイナーのポスター、いかした本の装丁などなど、それらを自分のパソコン上に再現し、色を変えてみたり、配置を変えてみたりして、デザインのコツや秘密、どうして最終的にこうなったのか、どのようにしてこの最終形に落ち着いたのかを、必死で探った。

貧乏デザイナーゆえ、パーツを組み合わせて自作したパソコンでの作業は困難の連続だったけど、とにかく必死だった。
「分析」と呼んでたこの作業によって、僕は「場数」を増やしてきた。
毎日毎日、それこそもう、数えきれないほど。


先日、ふと東横インの看板を見ていて、どうしてURLがロゴの上にあるのかが気になったので、かなり久しぶりに分析してみた。
結果的には、URLが下にあると、なんだか普通の目立たない看板になってしまった。

若いデザイナー達に「場数を踏んで経験値をあげろ」と言うと、仕事として「依頼」を受けて場数を踏んでいくものと理解するようだ。
だけど地方の案件だけでは全然足りない。
それじゃあなかなか経験値は上がらない。
そのことに気づいていない若いデザイナーが多いように思う。

「架空の依頼」を何十何百と積み重ね、(あくまでも架空だけど)NASAの仕事も3件こなした。
時には依頼人として注文をつけ、時にはユーザーとして批評もする。
スーパーに行って、自作したパッケージをこっそり並べて写真を撮って検証した。

確かに、暇だったのかも知れないけど、寝る間も惜しんで手と頭を動かしてきたことには自負もある。
今は、あの頃よりも忙しくさせてもらってる分、分析遊びをしてる暇はなかなかないけど、移動中や休憩中に頭の中でやることはある。
もう、癖みたいなものだけど、今の自分の現在地を把握し続けるためにも、必要な遊びだと信じてる。
伊勢のみそぎ湯



リラックスや癒やしをテーマにプロダクト展開しているブランド「LIBAL」の新しい入浴剤「伊勢のみそぎ湯」のパッケージデザインを担当させていただきました。
本日より、丸川商店でも販売開始してます!
 
私達も何度も体験させていただき、お風呂上がりのしっとり感のすごさは感動ものです。
次の日になってもしっとり感がちゃんと続いてます。
三重県の天然成分でできていますので、乾燥肌にお困りの方にはもってこいな商品かも知れませんね。
 
商品展開は、伊勢茶の香りの「琥珀(こはく)」と、柑橘系の香りの「瑠璃(るり)」の2種類があり、それぞれ2パック入りで、500円(税別)です。
 
ご購入は、リバル伊勢さんが運営している、伊勢市小俣町の「リラクゼーション時楽 伊勢小俣店」か、丸川商店へお問い合わせを。
 
尚、販売先も随時募集しているので、「伊勢のみそぎ湯」を取り扱いたいと思うショップ様または会社様もお気軽にお問い合わせくださいませ。
 
 
夜はだいぶ冷え込むようになってきました。
デザインの際にいただいたサンプルがまだ残ってるので、お先にあったまらせていただきまーす。
 
 
リラクゼーション時楽 伊勢小俣店
https://relaxjiraku.com

丸川商店
http://mrkw.jp
理想のアシスタント



どんなアシスタントさんが希望なんですか?、と聞かれ、深津絵里!っと即答&かぶり気味に答える。
いやいや、そういうことじゃなくて、スキル的にとか、そういう。
ああ、そっちか、と我に返り、こんなだからなかなか理想的なアシスタントに出会えないのか、と今更にして反省。

とにかく、良い人、が理想です!
ん?まだ間違ってるか?
結局、深津絵里さんが好きなだけ。
保育園の運動会



秋晴れにも程があるぞ、というくらい強い日差しの中、今年も次女の保育園の運動会へ。
あいかわらずゆる~い感じの、でもまあ、そこがいい感じでもあるほっこり運動会でしたが、それでも47歳の体には確実にダメージを与えてくれます。

次女が中学にあがるまで、あと8年弱。
その時僕は50代半ば。

敬老席へまっしぐら、でしょうか。
それとも、永ちゃんバリのかっけーおっさんになれているでしょうか。

答え合わせは、8年後に。
僕らの仕事



地域(地方)の強みは、「そこにしかない」こと(又はモノ)。

地域(地方)の弱みは、「そこにしかない」こと(又はモノ)。

ようは、捉え方次第。
やり方次第。
取り組み方次第。

同じこと(又はモノ)でも、視点を変えて、それを強みに変えていくのが、僕らの仕事。
プレゼン



今からプレゼン。
決定打を見つけられないままこの日を迎えてしまいましたが、あとはプレゼンやりながら、その中で見つけるしかないな。

あとは神のみぞ知る。
線香花火



昨日は師匠の命日。
今日は昔一緒に暮らしてた犬の命日。
そんなことを想いながら、家族だけの夏の終わりの小さな花火大会を楽しみました。

今年の夏も色んなことがありましたが、おかげさまで楽しい夏でした。
娘達の成長も感じられたし、良き出会いにも恵まれました。

少しずつ年老いていく親と、日々成長していく娘達。
ふたつの世代の真ん中で、滔々と引き継がれていく命のバトンの尊さを感じます。

最後の線香花火を持つ長女がポツリ。
この花火が終わったら、今年の夏も終わりやなあ。


来年もまた、楽しい夏にしようね、一緒に。
牧野富太郎植物画集





ずっと見てられる美しさ。
愛が溢れてる。
特殊メイク



長女(8歳)。
急に何を思ったか、はじめての特殊メイクに挑む。

将来、親子で浮田くんに弟子入りするか。
地球



次女(5歳)が描いた、地球。

なんだかグッときたので、スキャンして永久保存。
呼子



ふらりと初めて立ち寄った焼肉屋さんの味も接客もすごく良かった件。
このお店、かなりオススメです。
漫画



1984年11月11日、第2刷発行。

あの時代、健康な男の子が小学校6年生にもなれば、自分で単行本を作ったりするものです。
それが例え、「〇〇の拳」のもろ過ぎるへったクソな模倣だとしても、デザインだって音楽だって、創造性は、まず真似ることから始まるものなのさ。

それにしても、顔の表情を描くのは難しいのと、せめてまんま「〇〇の拳」になってしまわぬようにと、主人公をマスクマンにしたのは、まあ、我ながらいいアイデアだ(笑)。
若き職人たちと。



昨日、伊勢型紙の那須さんと、伊賀組紐の松島くんと共に、伊勢新聞社の取材を受けました。
昔から職人への憧れと尊敬を抱いていた僕にとって、次世代を担っていく若き2人の職人との対談は刺激になりました。

とかくメディアは、「非効率だろうと手作業にこだわる職人魂」とか言って、職人をアーティスト扱いしたがるわけですが、彼ら彼女らはあくまでも職人であって、黙々と、淡々と、職人という生き方を積み重ねているだけ。
非効率とか効率とか以前に、機械には出来ないから、手作業でしか出来ないから、だからただ、そうしているだけの話。
現場をよく知らないまま上辺だけをすくって、いかにもな物語に仕立て上げるのは、職人達に失礼だし、困らせるだけだと思う。

彼らはアーティストでも、ナルシストでもない。
だからこそ価値があり、だからこそ、かっこいいのです。

これからの時代、多くの人が、伝統工芸は消えていく運命だと言うけれど、僕はそうは思わない。
今の時代のニュータイプな若者達は、すぐにゴミになる偽物よりも、ずっと長く使える本物を求めてる。
ただし、若者がひょいと変えるような値段じゃないから手が出せないだけ。
ならば、伝統工芸側の工夫とアイデアで、何とかするしかない。
サブスクやシェアリングの仕組みを採用してみるとか、思い切って「お試し期間」を設けて、試してから買える仕組みにしてみるとか、まだまだ方法はあると思う。

鉛筆の基本的な形は、それが誕生してから今までの間、ほとんど変わっていません。
それは、使い手である人間の手の形が、ほとんど変わっていないから。
反対に、人間の生活スタイルは、時代と共にどんどんと変わってきました。
であれば、そこに関係するプロダクトもまた、変わっていく必要があるのではないかと思う。

変えるべき所は変える。
変えない所は変えない。
もう一度、その原点の意味に立ち返ろう。
未来は自分で創れる



その昔、友人と飲食店を立ち上げた。
客足は順調だったし、売上も伸びてたけど、僕は、ある問題を重要視して、オープンから5ヶ月目に、店を閉めることを提案した。
彼は首を振らず、その後も何回も話し合いをしたけど、彼の意見を尊重して、営業を続けることにした。

でも結局、オープンから9ヶ月目に、店を閉めた。
借金だけが残り、それ以外にも色々なものを失ったけど、不思議と今は、少しも後悔していない。
店を閉めたことも、店を始めたことも、全部。


高校野球で、佐々木投手を登板させなかった監督がめちゃくちゃ叩かれてる。
弱った者をここぞとばかりに叩きまくって気を晴らしてるクソ野郎共には心底吐き気がするけど、今回の監督の決断が正しかったかどうかなんて、今の時点では誰にもわからない。

店を閉めるかどうかでさえ、毎日のように悩んだのに、溢れんばかりの可能性を秘めた少年の、これからの人生を左右しかねない決断なんて、気が狂いそうになる。

ゲームを続けるのか降りるのか、タオルを投げるのか投げないのか、その判断はとてつなく難しいし、それを判断しなければいけない立場の底なしの苦しみは計り知れない。
この監督は、とても勇気がある人だと思う。
でも、だからといって、正しいかどうかは、判断できない。
今回の件が、正しかったのかどうかは、その後の佐々木投手の生き方によって決まる。

人生は、挑戦と選択の積み重ねで出来ていて、過去の意味は、未来の在り方で変わるんだ。
これで腐ってしまったら、それは間違っていたってことかも知れないし、今回のことを糧にして更に飛躍していけば、正解だったといえる。


未来は自分で創れる。
デザインはそのためにある。
何をしないか
それがどんな業界であれ、僕が尊敬するトップランナー達はみな、「何をするか」よりも、「何をしないか」の明確な意思があり、ぶれてない。
柳宗理や三宅一生がしないこと、坂本龍一や山下達郎がしないこと、明石家さんまや松本人志がしないこと、中井貴一や樹木希林がしないこと、三浦知良やイチローがしないこと、などなど。

人の「質」を計るとき、その人がどんなコミュニティに属しているか、その人のまわりにどんな人達が多くいるか、そういうことも判断材料になり得る。
特に、奥さんであれ、恋人であれ、パートナーであれ、一番近くにいる人がどんな人であるかは、その人の属性をはっきりと示していると思う。

もしもあなたが、自分の「質」をより良くしたいと思うなら、自分がどうありたいか、どんな自分になりたいか、まずはそのビジョンを明確に持つこと。
その上で、それを叶えるためにはやっぱり、「そういう人達」といる時間をより多く持つことが大切だと思う。
最初は不釣り合いでも、場違いでも構わない。
やがてその環境が、僕やあなたの「質」を育てる。

尊敬する人や目標とする人が「しないこと」を、まずは真似て、自分も「しない」。
そのあとで、なぜ「しない」のかの理由と本質を徹底的に考える。
理由なんて、あとから考えればいい。

服装や持ち物ではなく、人やメディアの評価でもない。
かっこいいとチヤホヤされてる人よりも、その人をチヤホヤしてる側の人の「質」をよく見ること。
キレイな言葉に騙されず、常に本質を見抜ける人になるためには、「何をしないか」の観察がとても大切なんじゃないだろうか。
深夜高速



22年前の1997年6月19日、生まれ故郷の三重県から東京へ引っ越した。
現在の奥さんと友人2人の4人で、トラックとバンを借りて自分達で荷物を運んだ。

フラワーカンパニーズの「深夜高速」はまだリリースされてなかったけど、あの歌みたいに、荷物と一緒に、たくさんの希望とたくさんの不安を荷台に積んで、東名を走った。
その時に借りたアパートはもうないけど、楽しいことも辛いことも、お腹一杯に味わった。

東名を走るトラックの中の僕らは、間違いなくキラキラしていて、でもあの頃の僕らには、今の自分を想像することはできなかったな。
思っていた道のりとは少し違うけど、まあ、良しとしよう。

あの頃の自分にとっては、それが人生最大の挑戦だったと思う。
だいぶ歳をとったけど、あの頃の自分に負けないように、がっかりされないように、これからも、ずっと挑み続けよう。
茶道
何気なくふと、デザイナーが茶道から学べることについて考えてみた。

きっと茶道は「五感」で味わうもの。
その中でも特に、耳で味わうもの、ではないだろうかと、ど素人ながらに思う。

デザイナーである僕らは、さもわかったかのように「五感」を語りがちだけど、茶道のそれに比べたら、それこそ浅い。
茶道にはいくつもの所作があり、そのひとつひとつの意味を考えるのではなく、無心でひたすらにそれを繰り返していったその先で、ようやく、その意味に出会える「己」を持つことができる。

ど素人の僕なんぞが見たら、美しいというよりも、あまりにも多い「無駄な動き」に目がいってしまう。
その無駄なほどの美しさにこだわり続けること、そしてそれを徹底的にカラダに染みこませること、その「己」になるために必要なのが、苦行とも思えるあの無数の所作なのか。

だからたぶん、「無数の(無駄に見える)所作がある」ということがとても大切なことで、アーティストではない僕らデザイナーには、表現よりもまずは精神的にも肉体的にも「己」を持つこと、が必要なのではないのかな、と。

どこぞのクリエイティブ・ディレクターしかり、馴染みのない横文字を使って、自分に酔う姿は、滑稽以外の何者でもない。
デザイナーの使命は、茶道の達人になることではないけれど、本質を見抜く、という目的においては、共通項がないわけじゃない。

利休さんには見えていたもの、聞こえていた音。
アタマで考えずに、身を委ね、溶ける。
意味がわかるのは、ずっとずっと、その先のこと。
アタマではなく、体がひとりでに、動く。
そうやって、本質へと導いてくれる。
きっと茶道とは、それを教えてくれる「道」なのかなあと思う。
カルチャー



対向する何台かの車から、「この先でねずみ捕りやってるよ。気をつけてね。」という意味のパッシング(ライトをチカチカ)の合図。

いいか悪いかは別として、こういうカルチャーは好きです。
ブランド



商品名を書かなくても、それが何であるかがすぐわかる商品というものがあります。
ブランドとは、たくさんの時間を経て、確かな信頼を積み上げてきたものだけに与えられる称号なのです。
では、テクニカルな視点から見て、それらの意匠に関する共通点や方式みたいなものはあるのでしょうか?
もちろん、シンプルにすればいい、シンプルが大事、とかいう単純な話では決してありません。
では、どうすれば?

僕が主宰するデザインスクールでは、そんなことをノンデザイナーさんにもお伝えしています。
何か怪しいもの



アートではありません。
打ち合わせ時のメモです。

何か怪しいものを製造するつもりではありませんのでご心配なく。
墓参り



今日は、中学の時の同級生の命日が近いので、毎年恒例の墓参り。

彼女は、素敵な旦那様と出会って結婚した数年後、念願だった妊娠と同時にガンが見つかり、お腹の子のために抗がん剤を拒否して、なんとか無事に出産した直後、生まれたばかりの息子をその胸に抱くこともなく、天国へと旅立ってしまいました。

中学時代、陸上部のマネージャーだった彼女は、気立てがよくて、分け隔てなく誰にも優しくて、笑顔がとっても素敵な、みんなに愛された女性でした。


まだ誰も君のことを忘れてないし、俺もずっと忘れることはない。
君が命をかけて産んだ最愛の息子も、今年で20歳になりますね。
無念だったのか、それとも、無事に産めたことだけで満足だったのか。
いつかまた会えたら、教えてね。
速読は禁物



デザイナーとしての僕的には、「速読」は禁物だと思っています。
それが小説であれ、ビジネス本であれ、漫画であれ、写真集であれ、装丁のデザインや紙質から、ひとつひとつの文字や言葉のリズムから、行間や余白や句読点から、作者が感じていたであろう手触りや匂いや息づかいや情景などを丁寧に思い浮かべながら、でも最後は僕の自分勝手な解釈で、しっとりと、じっくりと、味わいます。

あくまでも面白い本であったなら、と思われがちですが、そこはあまり関係がなく、何らかの興味を持って手にとった本なのであれば、結果的に面白くてもそうじゃなくても、「本を味わう」という、いつもの僕のスタイルで迎え入れるだけ。
それに、面白かったー!と感動できる本なんて、そうそうあるものじゃないし。

さあ、今回の本はどうでしょうか。

というわけで、今夜は作業をやめて、読書にふけります。
2019.06.05 06:33 | Permanent Link | 日記・デザイン
それが、デザインだろう。



デザインの本で、その輪郭を知り、デザイン以外の本で、その本質に触れる。
モノゴトの本質に出会うための鍵は、いつだって、その外にある。


愛とは何かを学ぶなら、聖書を捨てて、ブルーハーツを聴くといい。
ロックの本質を知りたければ、シャツに着替えて、クラシックのコンサートに行くといい。

それが、デザインだろう。
人生は風船のよう



伊勢市でリラクゼーションサロンを運営されているリバル伊勢さんが立ち上げた新ブランドのブランド名の考案とロゴマークのデザインを担当させていただきました。
結果的に、その名前が「リバル伊勢」という会社名にもなりました!

オーナーご夫妻から、「一人でも多くの方の1日がんばった疲れをほぐしてあげたい」という、僕の汚れきった心を反省させられるようなあったかい想いを受け、真っ先に僕の中に浮かんだのは「風船」のイメージ。

僕個人の勝手な解釈ですが、鳥の羽根はひらひらと「落ちてくる」イメージがあるけど、風船はふわふわと「浮かんでいく」イメージがあって、サロンを出る時には、まるで風船になったような、身も心も軽~くなってもらいたいなあと考え、いつものごとく、まずはイメージを膨らませる恒例の文章作りからスタート。

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人生は風船のようです。
時々は、縛る紐から手を離し、
高く、自由に、ふわふわと舞う時間が必要です。
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という文章を書き、そこから、「人生は風船のよう=Life is like a balloon」となり、「Life」と「Like」の「LI」と「Balloon」を合わせて「LIBAL(リバル)」。
ロゴマークも、風船がふわふわと舞い上がっていく、その残像のイメージです。


この新ブランド「リバル」から、三重県産の天然素材をふんだんに使ったボディ・クリームとバス・エッセンスが新登場します。
これまではサロンでしか体験できなかった極上の癒やしが、これからはご自宅でも体験できるわけです。
僕も自宅のお風呂でバス・エッセンスを体験してみましたが、潤い肌が続く続く!
次の日までしっとりしてました。

もちろん、それぞれのパッケージのデザインも担当させていただきました。
さらに、バス・エッセンスは近々クラウドファンディングに挑戦の予定。
詳細は追ってご案内させていただきまーす!
挑戦と選択の積み重ね



先日の松本人志さんのツイートですが、まさにその通りだと思います。
禅の修行ならまだしも、子どもではない社会人にとって、「ルーティーン」だけを繰り返しても成長できません。

デザイナーにも同じことが言えて、出来ることをいくら繰り返しても、それ以上の成長率は微々たるもの。
自分より強い奴に挑むことが美学だった昭和男としては、自分がまだ出来ないことに挑むことで、何度も転ぶし、激しく傷ついたとして、それでしか自分の成長を確かなものに出来ないのではないか、と思うわけです。

そういう機会がない、と情けないことをいうデザイナーもいますが、ないなら作る、が基本です。
僕には、慕っているデザイナーはいても、これといった師匠という存在がいません。
師匠がいれば、もっともっと早く成長できたのだろうと思います。
まして、美大も芸大もデザイン事務所に勤めたこともない僕には、自分でトライ&エラーを繰り返すことでしか、学びの機会はありませんでした。

ミエノコというフリーマガジンを作る時も、どういう紙質がいいのか、コストはどれくらいかかるのか、どういう形なら無駄がないのかを、未だにトライ&エラーしてるので、毎回形が違う!そんな雑誌は普通ない!ひとつに決めろ!とよく突っ込まれます。

これまでの「挑み賃」の金額を考えると気絶しそうになりますが、そこから得られたもの全部が今の僕の財産なわけです。
まあ、そんなこと言うとまた、今の若いデザイナー達に煙たがれると思いますけど。

人生は挑戦と選択の積み重ね。
未来は、挑戦してきたものと選択してきたものの通りにしかなりません。
転売ヤー?



2008年に製作、販売をスタートした、僕の小売りのブランド「丸川商店」のオリジナル10年日記帳「日事記(ひじき)」ですが、卸していないショップで、定価よりも高く売られているって、どういうこと?

注文が入ってから、僕が卸してるショップの中のどこかで定価で買って、それを販売(転売)してる、ってこと?
さらに、うちのサイトの写真と説明分をそのまま使ってるって、これはいくらなんでも訴えてもいいのではないか?
伊勢



今日は、伊勢市にある、住宅・店舗デザイン・施工の「toiro lifestyle design labo」さんの建物をお借りして、クライアントの商品撮影をしました。
代表の西山さんも建物もわんこも素敵で、気持ちよく撮影させていただけました。

次の打ち合わせの時間が迫ってたので、インスタ用に写真を撮ってくるのをすっかり忘れてました。
なので、西山さんに承諾を得たうえで、トイロさんのインスタ写真を拝借。
家や店舗を建てる時は、トイロの西山さんにご相談を!

そんなこんなで、久しぶりの伊勢を満喫するヒマもなく津市へ大急ぎで帰りました。
トイロさんがある場所の近くは、たくさんお世話になったフジサト動物病院があったり、そこからさらに先へ行くと、高校時代の元カノの元実家がある場所だったり、とにかく伊勢市には青い春の思い出がありすぎるくらいにいっぱい。

今度こそはゆっくり伊勢を堪能したいものです。
2019.05.21 10:37 | Permanent Link | 日記・デザイン
草刈正雄



アルマーニも半纏作ってたのか、と本気で思ってしまうほど、草刈正雄さんが着ると、パッチも、ももひきも、長靴も、何でもイタリアンの高級品に見えてしまうのは僕だけだろうか。
続・しじみバック



昨日の投稿で、丸川商店の「しじみ」の模倣品の問題を書きましたが、個人の方で個人使用の方は問題なし、と思っていたけど、企業は別。
消費者をバカにする行為はやっぱり許せない。

例えばこのブランド、ちょっとひどいです。

「ルーツを巡り、伝統を重んじ、革新を求めるという姿勢を表した」

と堂々と書いてますが、いやいや、ウソもいいとこでしょ。
さらに、

「持った時の形が貝のしじみに似ていることからその名がついた、」

とありますが、それ、僕の奥さんが適当に言ったに過ぎませんから(笑)。
インスタにもFBにもかなりのフォロワーがついてますが、消費者をバカにしすぎてます。


サイトによっては、江戸時代から呼ばれている名前、みたいに説明しているとこもあるけど、だとしたらうちの奥さんは逆にすごい(笑)。

さて、どうしたものか。
しじみバック



僕の小売りのブランド「丸川商店」で2008年から製造&販売している、松阪木綿で作ったオリジナルのバック「しじみ」ですが、あちらこちらで、別の素材で作った「しじみバック」という名前の模造品(?)が出回っているようです。

ネットやインスタなどで「しじみバック」で検索してみると、出るわ出るわ(笑)。
うちの商品の露出よりも遙かに多いです(笑)

ちなみに、「しじみ」という名前は、僕の奥さんが試作品を見た時に見た目で適当につけた名前であって、それがなぜか、どういう伝わり方をしたのか、例えば「トートバック」みたいに、「しじみバック」という昔から存在する伝統的なジャンルだと思われているようです。

結構大きな会社から個人の方まで作っていらっしゃるようですが、商品の説明文が、まんまうちのサイトのパクリの場合や、少し変えただけの場合も多く、さらに、ご丁寧に型紙まで作ってサイトで公開されている方もいらっしゃいますので、これはそのまま黙認して放っておくべきなのかどうか、悩むところです。

ただ、個人の方のサイトとか見ると、すごく楽しそうに作っていらっしゃるんだよなあ。
この形を気に入ってくださっていることもすごく伝わってくるし、そういうのを見ると、何も言えなくなってしまいます。
ON THE STREET CORNER



今日のBGMは、もう何回聴いたか想像もつかない「ON THE STREET CORNER」の3部作。
色褪せることのない名盤です。

ケースは傷だらけでボロボロだけど。
WINDUCATION



「WINDUCATION PROJECT(ウィンデュケーション・プロジェクト)」のロゴ。
「WIND(風)」+「EDUCATION(教育)」を掛け合わせた造語。

まずは、方向性の軸となる短いストーリー(下記)を考案。
そのストーリーのもと、ロゴのデザインは、受け取る側のイメージを固定させてしまわぬよう、全体的にシンプルで普遍的に。
さらに、「WIND」を透明にしました。


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風はどこからくるんだろう。
風はどこへいくんだろう。

そこにいるのに見えないのはなんでだろう。
見えないのに感じるのはなんでだろう。

見えないけれど、いつも、どんな時も、そばにいる。
時には追い風となって、君の背中をおす。
時には向かい風となって、君を強くする。
疲れた時は、柔らかな風で、そっと包んであげよう。

風によって葉を落とし、風によって芽吹くもの。
風は形を変え、風は大地を走り、風は空を動かして、
君の髪をなびかせる。

君は君の帆をあげて、風をうまくつかむんだ。
そうして、なりたい自分へと、進んでいけばいい。


教育とは、風のことだ。


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腰痛



またもや腰を痛め、歩くのもままならない状況ですが、今回は、家にある材料で即席の杖を作り、それこそお年寄りのように前かがみでちょびちょび歩くことができるだけ、まだマシなほう。

驚いたのは、本当に杖をついたお年寄りの歩き方を真似てみた時に、杖を持っていないほうの手を腰にまわしておくと、そうではない時に比べて格段に歩きやすくなること!

バランス?
人間工学?
行動のデザイン?
アフォーダンス?

いやはや、お年寄り達の智恵には、いつもアタマが下がります。
三重問屋



志摩市の酒屋さん「べんのや酒店」さんが立ち上げた地域商社「三重問屋」のネーミング考案とロゴとパンフレットのデザインを担当させていただきました。

「三重問屋」という、一見するとどこにでもありそうなネーミングですが、代表の竹内さんから、三重県の食や酒蔵、農業などの現状と、三重が誇る良い品々をもっともっと広めていきたいという竹内さんの熱のあるお話を聞いているうちに、三重県らしさや、三重県の食材や食卓の風景などを僕なりに解釈して、変化球なネーミングではなく、英語でもなく、ズシリと真っ直ぐに響く、横綱の、美しく、かつ安定感のある四股のような、それでいて洗練されたイメージも併せ持つネーミングとロゴが必要だなと感じ、このネーミングとロゴに落ち着きました。

ロゴマークは、お酒の一升瓶を逆さまにした状態、つまり、誰かにお酌している状態を、カタカナの「ミエ」で表現しました。
まあまあまずは一杯、そんな言葉とお互いの笑顔が浮かんできます。
食やお酒は、最高のコミュニケーションツールであり、言葉を超えた、世界共通のアイコンでもあります。

パンフレットもできる限りシンプルに仕上げ、伊勢神宮を持つ県としての凜とした佇まいと、底力を感じさせる無骨さを表現しています。
合わせて、こんなコピーも考えました。

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心地いい風。健やかな人達。丁寧に育まれた品。
それはきっと、子ども達に残してあげたいモノ。
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良品は良人が作っている、という竹内代表の言葉を手がかりにして、それを世に広めていくのはなぜか?、何のために地域商社を立ち上げるのか?をたくさん考えました。

そして僕がたどり着いた答えは、心地いい風も、素晴らしい風景も、地元を愛し、誇りを持ってモノ作りを続ける人達の技術や知識や経験も、そしてそれによって生み出された良品の数々も、それらは全部、子ども達に必ず残してあげたいモノだ、ということ。

だからこそ広めていきたい。
残していきたい。
つなげていきたい。
竹内代表の想いとは、きっとそういうことなんじゃないか、と考えました。

今後も、三重問屋のデザインチームとして、商品のパッケージやイベントなどのデザインを担当させていただきますので、県内外、いや、国内外を問わず、末永く宜しくお願い致します。
北風と太陽



デザイナーの必読書は数あれど、「北風と太陽」は決して外せない。
デザインとは何か、その多くをこの絵本は教えてくれる。
半纏



10年来愛用している半纏(ちゃんちゃんこ・どてら)。
もうヨレヨレだしシワだらけだけど、冬の間は絶対に欠かすことの出来ない大切な相棒。
デザインする時もずっと着てるし、それ以外でも家にいる時は必ず着用。
しかしまあこの半纏ってのは間違いなく大発明で、温めるべき所をしっかりと温めながら、いかなる作業をするにも決して邪魔にならない工夫が随所にあり、まさに用の美なわけです。

相棒よ、今年の冬も本当にお世話になりました。
寒さからも風邪からも寂しさからも、まるで背中から抱き締めるかのごとく、やさしく、そして力強く、包み込むように守ってくれたね。
君のいない冬なんて、もう考えられないんだ。
だからまた寒い季節になったら会おうね。
それまでしばしのお別れだ。
大好きだぜ、半纏。
ありがとう、半纏。

ああ~、いつの日か、外でも着れるおしゃれな半纏のブランドを作りたい!
既存の要素の組み合わせ



ジェームズ・W・ヤングが「アイデアのつくり方」という本の中で、「アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ以外の何ものでもない」と言ったのは有名は話。
僕らデザイナーが新しいアイデアを考える時も、ほぼ忠実に、このセオリーを守っている。
そうして、普段は絶対にそばにいない、なるべく遠いもの同士を見事にくっつけることが出来た時の感動は言い表せない。

そういう意味で言えば、写真の2冊の本は、既存の、そして遠い(っぽく見える)要素を見事にくっつけて、新しいコンセプトを生み出していると思う。
しかも、乱暴に無理矢理にくっつけたわけじゃなく、むしろ何で今までなかったんだろうってくらいにスタンダード感を併せ持ちながら。

で、やはりどちらの本も売れている。
しかも、タイトルやコンセプトだけの本ではなく、中身も非常に面白かった。
うまいところを見つけたなあって、素直に感動しました。
目的と手段



デザイナーという職業柄、色んな業種の方とお話させていただく日々ですが、求められるのは、本質的な問題点と解決策を見つけ出すこと。
その中でいつも思うのは、問題が起こっている根本的な原因として、「目的」と「手段」を間違えているケースが多く見受けられます。

文字通り、「手段」は「目的」を果たすため、または、「目的地」へたどり着くための、あくまでも「手段」であって、それ自体が「目的」になってしまっては意味がありません。
誰もがわかりきっているようで、実はいつの間にか「手段」であるはずのことが「目的」になってしまっていた、というケースは意外とあります。

建築家は、家を建てることを「目的」にしてはいけません。
美容師は、髪を切ることを「目的」にしてはいけません。
シェフは、料理を作ることを「目的」にしてはいけません。
政治家は、政治家になることを「目的」にしてはいけません。
飲食店は、料理を提供することを「目的」にしてはいけません。
マッサージ店は、マッサージすることを「目的」にしてはいけません。
教師は、勉強を教えることを「目的」にしてはいけません。
車屋は、車を売ることを「目的」にしてはいけません。
不動産屋は、土地や家を売ることを「目的」にしてはいけません。
会計士は、会計を処理することを「目的」にしてはいけません。
パン屋は、パンを焼くことを「目的」にしてはいけません。
市長は、市長になることを「目的」にしてはいけません。
英会話スクールは、英会話を教えることを「目的」にしてはいけません。
パイロットは、飛行機を操縦することを「目的」にしてはいけません。
酒蔵は、お酒を造ることを「目的」にしてはいけません。
経営者は、お金を稼ぐことを「目的」にしてはいけません。

デザイナーは、デザイナーになることを「目的」にしてはいけません。

それらは全て、「手段」に過ぎません。
その「手段」を使って、何を叶えたいのか、誰を、どんな風にハッピーにしたいのか、どこへたどり着きたいのか、その意識の欠如や、はき違えによって生まれている問題がたくさんあります。

そこに気づければ、自分のまわりに溢れている、多くの「違和感」に気づけるようになります。
例えば飲食店であれば、店舗の外観や内装やスタッフの服装や接客だって、「目的」を果たすための大切な「手段」のひとつです。
そのひとつひとつが、ズレてはいないか、「目的」を果たすための大事な「手段」になり得ているか、そもそも「目的」は何だったのか、デザインを担当する際に、まずはそこを確認して、間違っていれば正す、ということから始めるようにしています。

はてさて、「生きること」は、「手段」だろうか、「目的」だろうか。
忍者バス



デザイン・コンテストの選考委員を務めさせていただきました三重県伊賀市のラッピングバス、通称「忍者バス」。
その最優秀作品でラッピングしたバスが4月から運行開始しているそうです。

京都府在住のイラストレーター、おおえさき(@ohyeah_saki)さんの忍者のイラストがちりばめられたキュートなデザインで、伊賀市に笑顔が増えること間違いなし!

見かけたら、きっといいことありますよ(笑)。
さらに乗車したら、もっとすごい奇跡が起こるでしょう!
続・高齢者のセックス事情



前回の投稿で、高齢者のセックス事情の件について書きました。

早速、知り合いのデザイナーが、スウェーデンの事例について色々な情報を教えてくれました。
スウェーデンといえば、誰とでもやりまくるフリーセックスの国、というまったくでたらめな噂もある国ですが、決してそんなことはないと教えてもらったことがあります。
さて、教えてもらった、現代ビジネスの4年前の記事を読む限り、日本人はやはり、「幼い」んだなあと実感し、日本人が考える「先進」とは何なのか、という疑問を抱きました。


▼性の先進国スウェーデンに学ぶ「幸福な”夜”の過ごし方」
https://bit.ly/2I6yhfD

自分でも、色々とスウェーデンの事例について調べてみました。

▼日本の女子大生「性の先進国」スウェーデンで衝撃を受ける
https://bit.ly/2Vx8DUd

▼男女としての愛情が大前提?スウェーデン人の考える夫婦の在り方
https://bit.ly/2IldPHb


ほかにも、日本で問題になっている「セックスレス」の問題などについても色々と調べてみました。
ぜひみなさんも検索してみてください。

「日本人はセックスの年間回数が世界一少ない」という記事も以前話題になりましたが、「世界幸福度ランキング」では常に上位にいるスウェーデンに比べて、日本はいつも低い。
もちろん、何をもって幸せなのかの基準が違うので、このランキング自体に意味があるのかないのかは考えないといけませんが、それにしても色々と違いすぎます。

そもそも、セックスレスは本当に「悪」なのか、という議論も必要ですが、ここでは、それに苦しむ人達がいることの事実の側に立って書きますので、ご了承ください。

セックスレスについて堂々と議論も出来ず、相談もしにくいこの国においては、セックスレスがなくならないのも、ある意味では当然なのかも知れません。
ただ、なんでセックスレスな状況が起きるのか、正直僕にはよく理解できませんでした。
それでも、僕のまわりにも、セックスレスで悩んでいる人達がたくさんいることがわかってくると、なるほど、これはかなり根深い問題だなあと思うようになりました。
根本には「教育」と「文化度」の問題があり、「コミュニケーション」の問題であるという意見もいただきました。

特に「教育」に関しては、「今までの常識はもはや常識ではないと言える勇気も、デザイナーなら持てるはずだ」という意見も。
三重県では、ロゴやパンフレットやチラシやホームページを作る人がデザイナーだと思われてるし、実際に、それしかしてない自称デザイナーのなんと多いことか。
そうではなく、勇気を持って発言し、行動できるデザイナーでいたいと心から思う。
なので、勇気を持って、色々と発言をしていきます。

まず思うのは、日本人の、「奥ゆかしさの美学」も理解できるし、決して嫌いでもないけれど、例えばセックスを「自分から楽しむ」という女性が少ないんじゃないかとは思います。
恥ずかしいって気持ちは当然わかるけど、あまりにも受け身になりすぎて、それを楽しもうって気持ちが少ないんじゃないだろうか。
SとかMとか、そんなものは本当にどうでもよくて、SにもMにもなりながら楽しめばいいと思う。
もしかしたら、セックスレスじゃない人のほうが少ないんじゃないかってさえ思うくらいだけど、ハリウッドの女優達が、自分はバイセクシャルだと公言できるあのかっこよさは、日本ではまだまだ無理なんだろうなあ。

現実として、セックスレスで苦しんでいる人達がたくさんいる。
バカにする奴らもいるだろうけど、そんな奴らは放っておけばいい。
セックスレスの解消によって、充実した日々を取り戻した人達もいる。
何が問題なのか?
どうすれば解決できるのか?
セックスしなければ幸せになれないのか?
100年後はどういう状況になっているだろうか?

色々な意見があると思うし、興味がある人もない人もいる。
とにかく、僕の関心は、高齢者のセックス事情やセックスレスについて研究してる人も団体もたくさんある中で、デザイナーやクリエイターがこの問題にどう関わっていくのか、ということ。
こんな大切な問題に対して、デザイナーがアプローチしないほうが不自然だし、興味を持たないことのほうが問題です。
高齢者のセックス事情にしても、現代のセックスレスの問題にしても、ここはクリエイティブの、デザイナーの役割がすごくあるんだと思う。
なぜなら、その土地の色々な文化や文化度が、その土地の風景を作るんじゃないかって思うから。
いわゆる当事者ではない僕のような人間が、この問題に関心を持ち、勇気を持って発言し、何かの行動を起こすことが、すごくすごく、大切な気がするのです。

現代ビジネスの記事には、「スウェーデンという国の成熟を「セックスの質」が表している。」と書かれていた。
ガンジーさんも、「その国の偉大さ、道徳的発展は、その国における動物の扱い方で判る」という言葉を残してる。
やはり大切なのは、「教育」や「文化」や「文化度」。
超高齢化社会がやってくるこの国の、下ネタなどではないド真面目で大切な問題あることを、僕もこれをきっかけにして、たくさんの人達と議論を交えて学びたいと思います。

世間的にはまたすごく引かれてしまうんだろうけど、そんなことは恐れずに、デザイナーとして、クリエイターとして、何ができるか、何をすべきか、一生懸命、ド真面目に考えてみたいと思います。