うるせーよ

僕は基本的に人を信じないし、人に期待しない。
それは反面、人を信じたいからとも言える。
でも色々あって、いつも誤解されて、その結果として、僕は人を信じないほうを選んだ。
期待しても、ろくなことがない。
そんな僕でも、時々出会う。
真っすぐに僕を信じてくれる人。
そういう人を無条件に尊敬してしまう。
だから僕も、信じてみようと試みる。
だけど、だいたいいつも、それはあっけなく終わる。
本気のレベルが合わない人とは、結果的に付き合いは短くなる。
この人は本物かな、と期待はするけど、そんなものはそうそうあるものじゃない。
ある人が言う。
まずはあなたが信じないと、相手にも信じてもらえないよ。
しばらくはそれを信じて、そうやってみた時期もあったけど、でも結局僕はまた、信じないほうを選ぶ。
小中高の友達で、「今でもしょっちゅう会う」っていう友達はひとりもいない。
会えば楽しいし、元気にしてるかなと思うこともあるけど、だからといって会いにいくわけでもない。
友達はたくさんいたし、いじめられたこともないし、学校が嫌いだったわけでもない。
むしろ学校が好きだったし、狂ってしまうほど好きだった女の子もいたし、そんなあの頃の日々は、かけがのない一生の宝物だ。
でもきっと、残りの僕の人生で、あの頃の友達に会う機会は、ものすごく少ないと思う。
それがいいわけでも、それでいいわけでもなく、そうなんだろうなと、ただ思うだけ。
会いたくないわけでも、会えないわけでも決してないけど、実際、たぶんそうなる。
東京のデザイナー仲間には、今でも時々会いにいく。
自分の足りさなを毎回思い知らされるのに、それなのにすごく心地いい。
信頼は結果で勝ち取るしかない。
お互いにプロフェショナルとして、結果を出す。
結果が出れば、次がある。
それがなければ、次はない。
僕を信じてくれたクライアントを笑顔にしたい。
その笑顔をずっと守りたい。
一緒に夢を見たい。
追いかけたい。
そして必ず、夢を叶えた丘で、一緒にその景色を見たい。
おかしな言い方だけど、僕はこのシステムがとても気に入ってる。
シンプルでわかりやすいし、筋が通ってる。
ただ付き合いが長いから、ではなく、ただ近い存在だから、でもなく、プロ対プロでゲームに挑む。
アドレナリンやドーパミンがドバーっと放出される瞬間が好き。
傷つくことも傷つけることも、失うことさえ恐れずに、それをただがむしゃらに掴みにいく。
何度も本気だと言っておいて、結局途中で逃げ出すやつらは大嫌いだけど、ある意味ではもう慣れっこ。
変態だと言われたらその通りだし、子どもっぽいと言われたら、きっとそうなんだろう。
今年も6月になったら、20代で逝ってしまった中学の同級生の墓参りにいく。
僕はなんで、毎年彼女に会いに行くんだろう。
死んだから?
もういないから?
たぶん、彼女との会話に癒されてるからだと思う。
大好きだったあの笑顔で、未だに陸上部のマネージャー気取りで、まだまだだね、っていう声が聞こえてくる。
ちゃんと自分から信じるようにしてる?
何度も言ってるけど、そのうち本当にひとりぼっちになるよ、ってまたきっと言ってくる。
うるせーよ、って言いながら、でも、それがきっと、心地いいんだな。
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