線香花火



昨日は師匠の命日。
今日は昔一緒に暮らしてた犬の命日。
そんなことを想いながら、家族だけの夏の終わりの小さな花火大会を楽しみました。

今年の夏も色んなことがありましたが、おかげさまで楽しい夏でした。
娘達の成長も感じられたし、良き出会いにも恵まれました。

少しずつ年老いていく親と、日々成長していく娘達。
ふたつの世代の真ん中で、滔々と引き継がれていく命のバトンの尊さを感じます。

最後の線香花火を持つ長女がポツリ。
この花火が終わったら、今年の夏も終わりやなあ。


来年もまた、楽しい夏にしようね、一緒に。
牧野富太郎植物画集





ずっと見てられる美しさ。
愛が溢れてる。
特殊メイク



長女(8歳)。
急に何を思ったか、はじめての特殊メイクに挑む。

将来、親子で浮田くんに弟子入りするか。
地球



次女(5歳)が描いた、地球。

なんだかグッときたので、スキャンして永久保存。
呼子



ふらりと初めて立ち寄った焼肉屋さんの味も接客もすごく良かった件。
このお店、かなりオススメです。
漫画



1984年11月11日、第2刷発行。

あの時代、健康な男の子が小学校6年生にもなれば、自分で単行本を作ったりするものです。
それが例え、「〇〇の拳」のもろ過ぎるへったクソな模倣だとしても、デザインだって音楽だって、創造性は、まず真似ることから始まるものなのさ。

それにしても、顔の表情を描くのは難しいのと、せめてまんま「〇〇の拳」になってしまわぬようにと、主人公をマスクマンにしたのは、まあ、我ながらいいアイデアだ(笑)。
若き職人たちと。



昨日、伊勢型紙の那須さんと、伊賀組紐の松島くんと共に、伊勢新聞社の取材を受けました。
昔から職人への憧れと尊敬を抱いていた僕にとって、次世代を担っていく若き2人の職人との対談は刺激になりました。

とかくメディアは、「非効率だろうと手作業にこだわる職人魂」とか言って、職人をアーティスト扱いしたがるわけですが、彼ら彼女らはあくまでも職人であって、黙々と、淡々と、職人という生き方を積み重ねているだけ。
非効率とか効率とか以前に、機械には出来ないから、手作業でしか出来ないから、だからただ、そうしているだけの話。
現場をよく知らないまま上辺だけをすくって、いかにもな物語に仕立て上げるのは、職人達に失礼だし、困らせるだけだと思う。

彼らはアーティストでも、ナルシストでもない。
だからこそ価値があり、だからこそ、かっこいいのです。

これからの時代、多くの人が、伝統工芸は消えていく運命だと言うけれど、僕はそうは思わない。
今の時代のニュータイプな若者達は、すぐにゴミになる偽物よりも、ずっと長く使える本物を求めてる。
ただし、若者がひょいと変えるような値段じゃないから手が出せないだけ。
ならば、伝統工芸側の工夫とアイデアで、何とかするしかない。
サブスクやシェアリングの仕組みを採用してみるとか、思い切って「お試し期間」を設けて、試してから買える仕組みにしてみるとか、まだまだ方法はあると思う。

鉛筆の基本的な形は、それが誕生してから今までの間、ほとんど変わっていません。
それは、使い手である人間の手の形が、ほとんど変わっていないから。
反対に、人間の生活スタイルは、時代と共にどんどんと変わってきました。
であれば、そこに関係するプロダクトもまた、変わっていく必要があるのではないかと思う。

変えるべき所は変える。
変えない所は変えない。
もう一度、その原点の意味に立ち返ろう。