深夜高速



22年前の1997年6月19日、生まれ故郷の三重県から東京へ引っ越した。
現在の奥さんと友人2人の4人で、トラックとバンを借りて自分達で荷物を運んだ。

フラワーカンパニーズの「深夜高速」はまだリリースされてなかったけど、あの歌みたいに、荷物と一緒に、たくさんの希望とたくさんの不安を荷台に積んで、東名を走った。
その時に借りたアパートはもうないけど、楽しいことも辛いことも、お腹一杯に味わった。

東名を走るトラックの中の僕らは、間違いなくキラキラしていて、でもあの頃の僕らには、今の自分を想像することはできなかったな。
思っていた道のりとは少し違うけど、まあ、良しとしよう。

あの頃の自分にとっては、それが人生最大の挑戦だったと思う。
だいぶ歳をとったけど、あの頃の自分に負けないように、がっかりされないように、これからも、ずっと挑み続けよう。
茶道
何気なくふと、デザイナーが茶道から学べることについて考えてみた。

きっと茶道は「五感」で味わうもの。
その中でも特に、耳で味わうもの、ではないだろうかと、ど素人ながらに思う。

デザイナーである僕らは、さもわかったかのように「五感」を語りがちだけど、茶道のそれに比べたら、それこそ浅い。
茶道にはいくつもの所作があり、そのひとつひとつの意味を考えるのではなく、無心でひたすらにそれを繰り返していったその先で、ようやく、その意味に出会える「己」を持つことができる。

ど素人の僕なんぞが見たら、美しいというよりも、あまりにも多い「無駄な動き」に目がいってしまう。
その無駄なほどの美しさにこだわり続けること、そしてそれを徹底的にカラダに染みこませること、その「己」になるために必要なのが、苦行とも思えるあの無数の所作なのか。

だからたぶん、「無数の(無駄に見える)所作がある」ということがとても大切なことで、アーティストではない僕らデザイナーには、表現よりもまずは精神的にも肉体的にも「己」を持つこと、が必要なのではないのかな、と。

どこぞのクリエイティブ・ディレクターしかり、馴染みのない横文字を使って、自分に酔う姿は、滑稽以外の何者でもない。
デザイナーの使命は、茶道の達人になることではないけれど、本質を見抜く、という目的においては、共通項がないわけじゃない。

利休さんには見えていたもの、聞こえていた音。
アタマで考えずに、身を委ね、溶ける。
意味がわかるのは、ずっとずっと、その先のこと。
アタマではなく、体がひとりでに、動く。
そうやって、本質へと導いてくれる。
きっと茶道とは、それを教えてくれる「道」なのかなあと思う。
カルチャー



対向する何台かの車から、「この先でねずみ捕りやってるよ。気をつけてね。」という意味のパッシング(ライトをチカチカ)の合図。

いいか悪いかは別として、こういうカルチャーは好きです。
ブランド



商品名を書かなくても、それが何であるかがすぐわかる商品というものがあります。
ブランドとは、たくさんの時間を経て、確かな信頼を積み上げてきたものだけに与えられる称号なのです。
では、テクニカルな視点から見て、それらの意匠に関する共通点や方式みたいなものはあるのでしょうか?
もちろん、シンプルにすればいい、シンプルが大事、とかいう単純な話では決してありません。
では、どうすれば?

僕が主宰するデザインスクールでは、そんなことをノンデザイナーさんにもお伝えしています。
何か怪しいもの



アートではありません。
打ち合わせ時のメモです。

何か怪しいものを製造するつもりではありませんのでご心配なく。
癒やしの習慣化



何かとストレスを抱えざるえない現代社会を生きている僕らですが、だからこそ、自分で自分を癒やしてあげる時間や方法を持つことが大切です。
晴れた日にはウォーキングを、雨の日には好きな本や映画を観て、よく笑い、よく泣き、よく食べて、夜はゆっくりとお風呂に入り、睡眠をしっかりとる。
簡単なことのはずなのに、それもままならないほどの忙しい人生を走り続けていれば、ココロとカラダも、誰だっていつかは壊れてしまう。
そんな時は、何かをきっかけに「癒やしの習慣化」を取り入れてみることが大事です。

三重県伊勢市で、大人気のリラクゼーションサロンを運営する「リバル伊勢」さんは、日頃の疲れでこわばったココロとカラダを、どうすればほぐし、癒やすことができるかを知り尽くしているプロ。
カラダの疲れがなくなると、ココロまで風船みたいに軽くなります。

そんなリバル伊勢さんが、これまでサロンでしか味わえなかった癒やしの時間を、家庭でも堪能していただきたいという想いで立ち上げた新しいブランドが「LIBAL(リバル)」で、僕は「LIBAL」というネーミングの考案とロゴのデザイン、そして、現在開発中の、三重県産の天然素材をふんだんに使用した「ボディ・クリーム」と「バス・エッセンス(入浴剤)」のパッケージデザインも担当させていただきました。

容器の素材や全体の予算などの制約の中でのデザインは簡単ではありませんでしたが、実際に何度もお風呂で体験させていただけたことは嬉しい産物でした(笑)。
その実体験の中で気づいたことですが、手元にバス・エッセンスがあれば、そこに「意識」が生まれ、それが「行動」へとつながります。
これはデザインの活動においても同じことが言えますが、何かを「習慣化」してやるには、手元に「それ」があることがすごく有効でした。
この「癒やしの習慣化」は、皆さんにもお勧めします。

そして、何度も体験させてもらったバス・エッセンスの商品化を目指して、本日より、クラウドファンディングがスタートしましたので、ぜひとも皆さんのご支援をお願い致します!


▼詳しくは下記のサイトをご覧ください!
https://www.makuake.com/project/libal_ise/


カラダの疲れがとれて、ココロが軽くなると、人は自然と優しくなるそうです。
誰にだって、悲しい出来事はあるし、時間を戻したいと思うこともあります。
目を背けたくなるような事件や事故が相次いでいますが、もっと自然に、もっと優しく毎日を生きていけたら、と、そんなことを願いながら、溜まりまくっている仕事からちょっとだけ目を背けて(クライアントさん、ごめんなさい)、今夜もゆっくりとお風呂に入りたいと思います。
墓参り



今日は、中学の時の同級生の命日が近いので、毎年恒例の墓参り。

彼女は、素敵な旦那様と出会って結婚した数年後、念願だった妊娠と同時にガンが見つかり、お腹の子のために抗がん剤を拒否して、なんとか無事に出産した直後、生まれたばかりの息子をその胸に抱くこともなく、天国へと旅立ってしまいました。

中学時代、陸上部のマネージャーだった彼女は、気立てがよくて、分け隔てなく誰にも優しくて、笑顔がとっても素敵な、みんなに愛された女性でした。


まだ誰も君のことを忘れてないし、俺もずっと忘れることはない。
君が命をかけて産んだ最愛の息子も、今年で20歳になりますね。
無念だったのか、それとも、無事に産めたことだけで満足だったのか。
いつかまた会えたら、教えてね。
速読は禁物



デザイナーとしての僕的には、「速読」は禁物だと思っています。
それが小説であれ、ビジネス本であれ、漫画であれ、写真集であれ、装丁のデザインや紙質から、ひとつひとつの文字や言葉のリズムから、行間や余白や句読点から、作者が感じていたであろう手触りや匂いや息づかいや情景などを丁寧に思い浮かべながら、でも最後は僕の自分勝手な解釈で、しっとりと、じっくりと、味わいます。

あくまでも面白い本であったなら、と思われがちですが、そこはあまり関係がなく、何らかの興味を持って手にとった本なのであれば、結果的に面白くてもそうじゃなくても、「本を味わう」という、いつもの僕のスタイルで迎え入れるだけ。
それに、面白かったー!と感動できる本なんて、そうそうあるものじゃないし。

さあ、今回の本はどうでしょうか。

というわけで、今夜は作業をやめて、読書にふけります。
2019.06.05 06:33 | Permanent Link | 日記・デザイン
それが、デザインだろう。



デザインの本で、その輪郭を知り、デザイン以外の本で、その本質に触れる。
モノゴトの本質に出会うための鍵は、いつだって、その外にある。


愛とは何かを学ぶなら、聖書を捨てて、ブルーハーツを聴くといい。
ロックの本質を知りたければ、シャツに着替えて、クラシックのコンサートに行くといい。

それが、デザインだろう。