AIによる人生分析

「誕生日を使ったAIによる2026年の人生分析」の話を聞いたので、僕もお試し。
いわゆる統計学なので、あくまでも軽い気持ちのお遊びとして御覧ください。
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1972年4月24日という誕生日は、「どっしりとした大地の安定感(牡牛座)」と、「天からのインスピレーション(数秘11)」が同居する、非常に稀有なバランスの上に成り立っています。
あなたは、「静かなる情熱と直感のプロフェッショナル」のタイプです。
あなたの人生を形作るのは、「現実的な安定感」と「鋭い感性」の絶妙なバランスです
あなたは、現実主義者の皮を被った直感の人です。
あなたは周囲から「着実で、感情に流されない信頼できる人」と見られがちですが、内面は驚くほど繊細で、常に高いアンテナを張っています。
牡牛座(太陽)の性質らしく、非常に現実的で忍耐強く、五感(味覚、視覚、触覚など)に優れています。
一度決めたことは最後までやり遂げる「継続の力」を持っており、周囲からは「信頼できる人」と思われているでしょう。
数秘術「11」は、鋭い直感と高い理想を持つ数字です。
理屈だけではなく、「なんとなくこっちの方がいい」というインスピレーションで動くことがあり、それが人生の重要な転機を救ってきたはずです。
ただし、多くの人が気づかない「違和感」や「本質」に気づいてしまうため、組織の中で「なぜみんなこれで平気なんだ?」と孤独を感じることがあったはずです。
2026年は、自ら強引に扉をこじ開けるよりも、向こうからやってくる変化を受け入れる姿勢が好結果を生みます。
重要なパートナーシップや、人間関係の整理・深化が起こります。
干支が「壬子(みずのえね)」のあなたは、非常に知恵があり、適応能力が高い「水のエネルギー」を持っています。
周囲には穏やかで頼もしい印象を与えますが、内面には常に高い理想を掲げるストイックな一面があります。
職人気質のプロ意識が高く、妥協を許さない仕事ぶりが信頼を築きます。
50代に入った現在は、単なる実務者から、積み上げた経験を形にし、次世代へ継承していく「熟成期」にあります。
人間関係では、誠実さを何より重んじるため、裏切りや嘘を極端に嫌います。
誰とでも合わせられる器用さはありますが、真に心を開くのは信頼に値するごく一部の人に限られます。
これまでは、周囲の期待に応えるための安定を優先してきましたが、これからは、「自分の直感が『正しい』と言うこと」に時間と労力を使う、というフェーズに入ります。
これまでの経験(土台)の上に、あなたの「感性」を乗せていく作業です。
2026年は、人生の「OS」が強制アップデートされます。
2026年は、あなたにとって、「熱い蒸気が立ち上る」ような1年になります。
あなたの持つ「水のエネルギー(壬子)」に、強烈な「火のエネルギー(丙午)」が正面からぶつかるからです。
今まで「これが正解だ」と信じてきた手法や、長年維持してきたビジネスモデルに限界を感じるかもしれません。
これは挫折ではなく、「より身軽なやり方への招待」であり、「成功の定義」が変わることを意味しています。
現場で汗をかく役割から、「知恵袋(アドバイザー)」や「全体の設計図を書く人」への転換が強制的に促されます。
もし、今の場所が苦しいと感じるなら、それは、もう一段上の視点に立ちなさいというサインです。
1972年生まれの方は、責任感が強く、不調を隠して走り続けてしまう傾向があります。
2026年の強烈な「火」の気は、あなたのエネルギー(水)を蒸発させようとする、いわゆる「水の干上がり」に注意しましょう。
これは、「燃え尽き症候群」や「極度のドライアイ・粘膜の乾燥」として現れやすいです。
感情の高ぶりによる疲労や、血圧・眼精疲労に注意が必要です。
「教える側に回る準備をする」
あなたの持つ知識を、後輩やSNS、あるいは副業という形で「言語化」して外に出してください。
溜め込むとエネルギーが腐りますが、出すことで新しい運気が巡ります。
「6月の揺らぎをあらかじめ予定に入れる」
2026年6月前後は、特に運気のぶつかり合いが激しくなります。
ここで大きな決断を迫られる可能性がありますが、即答せず、一晩寝かせるくらいの余裕を持ってください。
「古い道具の刷新」
仕事道具や、毎日使うカバン、靴などを、「今の自分にふさわしい上質なもの」に買い替えてください。
牡牛座のあなたは、手に触れるものの質を上げることで、セルフイメージが劇的に向上します。
2026年は、一見すると「波乱」に見える出来事もあるかもしれませんが、それはあなたが、人生の後半戦をより自由に、より自分らしく生きるための「必要なリセット」です。
2026年を一言で言うと、あなたにとって、「重たい鎧を脱いで、軽やかに飛ぶための滑走路」です。
一時的な混乱は、飛躍のための加速装置だと捉えてください。
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うーん、よくわかりませんが、あいかわらずバタバタする一年、ってことですかね。
僕はこんなですが、皆様はよいお年を。
卒業制作展にて。

三重県ではまだまだ少ない「デザイン科」がある高校のひとつ、三重県立飯野高校応用デザイン科の卒業制作展へ、家族揃って初めて行ってきました。
生徒たち個々の作品はどれも力作揃い。
ものづくりの苦労と楽しさを感じ取れる素敵な作品たちでした。
もちろん、「デザイン」の定義づけには「?」はあるけど、それを問うのは野暮ってものです。
ただひとつ気になったのは、個々の作品の良さを引き出す「空間のデザイン」が残念だったこと。
作品をどのように並べるか、並べる順番、視線や目線の誘導、何の横に何を置くべきか、照明の工夫などなど、言うなれば最も大事な「空間のデザイン」が最も疎かになってしまっていた点が悔やまれます。
生徒たち個々の作品は素晴らしかった。
ということは、学校や先生側の、大人側の問題かなと思う。
決して予算の問題ではなく、工夫やセンスの問題。
欲を言えば、個々の作品をデザインする「制作のグループ」と、それらをどう見せるかを担当する「空間をデザインするグループ」があっても良かったと思う。
空間のデザインは、それ自体が作品。
その視点が、学校側や大人側に欠けているのではないか、と思う。
これからの時代にとても必要な視点。
木ばかり見て、森を見ていない。
木は学べても、森をどう見せるかを学べる学科がさらにあると、子ども達にとってもなおいいのになと感じた。
あとは、生徒同士のコラボ的な作品もあると良かったかな。
服飾デザインのマネキンもよくあるタイプのものだったので、人型以外のマネキンとか、マネキンの顔だけが猫になっているとか、その猫の頭を作る誰かと、服を作る誰かの合作があってもおもしろかった気がします。
「醜い私を~」というサブタイトルがついた日本画は、購入したいなと思うレベルのものでした。
三重県から、たくさんのクリエイターやアーティストが育っていく未来を夢見て、生徒たちの今後のさらなるご活躍を期待しています。
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卒業制作展のあとは、石水博物館へ移動して、「NIGOと半泥子展」へ。
どれも見入ってしまうほどの素敵な作品ばかり。
娘たちには、作品を見ている自分たちも、その空間のデザインの一部であることを忘れないように行動すること、それと、展示されている作品を理解しようとする必要も、それらを好きになる必要もないけど、作品をひとつひとつ見て、心のシャッターを切って記憶の箱に入れておくように、とアドバイス。
東京にいる時はしょっちゅうできていたこういう体験が、三重県ではなかなかできないのが本当に寂しい。
パターンを見つける

おかげさまで風邪は治りましたが、いつものことながら、鼻炎だけが長引いています。
鼻が詰まると頭がボーっとして、でも極力薬を飲まない努力はしていますが、やはり辛い。
こんな時は、気分転換に物書きを。
キラキラも驚きもない、相変わらずのどうでもいい話ですが、もしもお時間があればお付き合いください。
「帰納法(きのうほう)」や「演繹法(えんえきほう)」をご存じの方は多いでしょう。
一見すると難しい印象を受けるかもしれませんが、要は、パターンや法則や共通点を見出す技だと考えれば、ぐっと身近に感じられます。
宇宙科学や医療、政治や戦争、お笑いの賞レース、ヒットする映画、ベストセラー本、結婚や恋愛や下ネタなどなど、それが何であれ、パターンや法則や共通点は見い出せます。
はじめての打ち合わせで相手方のオフィスに出向くとき、僕は可能な限り、相手方の持ち物を観察します。
例えば、車のナンバーが「ゾロ目」の社長との打ち合わせでは、「タイミング」や「機会」を強調すると商談がまとまりやすいことがありますが、これも僕が実体験で得てきた「パターン」といえます。
時代背景や平均年収、気候、政治、年齢層などなど、いくつかの条件からパターンが見い出せれば、来年の流行を予測することなど、プロのマーケターの方々にしてみれば比較的簡単なことでしょう。
皆さんのまわりにも、本質を短時間で見事に見抜く人がいるのではないでしょうか。
まるで預言者か占い師かと思うほど、迷わず瞬時に答えを見いだせる人。
いわばこれは、膨大な知識量と経験値から培った「観察力」のなせるわざ。
その技術を身につけるには、知識だけではなく、自らが体験した経験値の量と質が大きくものをいいます。
とくに、成功した経験よりも、失敗した経験が多いほど、その質は高まります。
ですが、その技術を身につけることにも、パターンや法則や共通点が存在することもまた事実。
つまり、一般的な方々でも、一流のプロと同等とまでは言いませんが、ある程度の技術を身につけることは決して不可能ではありません。
僕は、デザイナー業のほかにも、不登校の子ども達をサポートする小さな学校を友人たちと一緒に運営しています。
面談や見学で、初めてこの学校にやってくる子ども達や親御さんとお会いした時、少しお話をさせていただいただけで、または、遠目からその様子を一目見ただけで、おおよそのパターンや法則や共通点を見出すことができます。
そのうえで仮説を立て、その後、実際にご入学していただいたあとでその仮説を検証していくと、ほぼほぼ最初に立てた仮説通りの結果になります。
最初から自分をさらけ出し、本音を語り、素直に助けを求められる大人は多くありません。
少なからず、なんらかのポーズを取り、バリアを張り、自分を守るために平気を装って、本音を隠す人のほうが多いと思います。
だからこそ、それでも「本当」を見い出せないと、間違った対処を取ることになり、良くない結果を生み出してしまうことになります。
そのため、パターンや法則や共通点を短時間で正しく見いだせる技術が欠かせません。
もちろん僕は、預言者や占い師ではなく、まして天才には程遠い、ただの無名のデザイナーに過ぎません。
子どもの頃から比較的それが得意なほうではありましたが、パターンや法則や共通点を正しく見出す技術を、様々な実体験や、特に、多くの失敗の経験から得てきました。
何でも見透かされてるようで怖いと言われることも少なくありませんが、それを悪用することはありませんのでご安心を。
できれば、この技術を身につける具体的な方法や、それ以外にもたくさんの知ってほしいことを、もっと多くの人に届けられたらなと思ってきましたが、そういうことを伝えていける場や機会はそれほど多くありません。
もしも可能なら、残りの人生の中で、そういう役割を得ることができれば幸せだなと思います。
そんなことより、運営している学校のクリスマス会で僕も歌うことになっているので、なんとしても鼻炎を治さないと。
皆さんも、くれぐれも風邪にはご注意くださいね。
ゴリラでも風邪をひく

どうやら風邪を引いてしまったようだ。
仕事をしようにも、どうにも体が動かないんで、今は真夜中だし、ちょうどよい機会だから、あれこれ良からぬことを考えてみよう。
今までたくさん失敗してきた。
その都度、恥もたくさんかいてきた。
おかげで面の皮が分厚くもなったけど、そんな自分にも怖いものはある。
お化けだ幽霊だではない。
そんなものははなから信じちゃいないんで、怖くもなんともない。
夜中に墓場でぐっすり眠ることだってできるだろう。
お化けではなく熊が出てくるぞ、というのなら話は別だが、僕が怖いのは、いつなんどき倒れるやもしれぬ日々の体調。
50代のフリーランス(ひとり会社)にとって、健康問題は死活問題。
替えがいないゆえに、倒れでもしたら全部が止まってしまう。
風邪を引いたりケガをしたりするたびに、人徳を積まずに生きてきてしまったことを痛感する。
頼れる先を育てておくべきだったし、チームや仲間を作っておくべきだったと後悔もする。
世の中にとっての僕の替えなどは吐いて捨てるほどいるが、家族にとっての僕は僕しかいないのだ。
打ち合わせに向かう途中の信号待ち。
フロントガラス越しに、真っ黒に日焼けした、小柄で少々腰の曲がった交通整理のおじいさんをぼんやり眺める。
あちこちから車がくる交差点でパニくってるのか、汗で顔を光らせながら、まるで怒っているかのように赤と白の旗を振る。
制服のサイズが合っていないこのおじいさんにも、「PERFECT DAYS」な物語がきっとあるんだろう。
残念ながら、このおじいさんの物語に、お金を払ってくれる人はたぶんいない。
花をほめる人は多いが、その根をほめる人は少ない。
田舎で細々と働く50代のフリーランスの実情は、スイートでもスマートでもない。
このおじいさんに、そう遠くはない未来の自分を重ねる。
僕だったら、もうちょっと優しく旗を振ってあげたいなあ。
背筋を伸ばして、軽く会釈して、スマートに。
自由業者は、いつだって孤独と淘汰の綱渡り。
選んできた道を悔やんではいないが、意地やプライドで支えていくのにも限界はある。
いつかは倒れる。
いつかは消える。
それは明日か、それとも20年後か。
それでも、生きることにこだわって生きていこう。
風邪ごときで生死を考える必要はないが、こんなものに動きを止められてたまるか。
起きあがる度に多少はフラつくが、そんなものはツバでもつけとけば勝手に治る。
難病と闘っている人たちに比べたら、こんなものはハエが止まった程度のものだ。
明日のことなど誰にもわからない。
良くないかもしれないけど、悪くないかもしれない。
相変わらず、意地を張って生きていこう。
おも校3周年

教育デザインのプロジェクトとして、2022年11月1日に開校した「地立おもしろい学校(おも校)」が、丸3年を迎えた。
早いものである。
早すぎて、何をしてきたのを思い出すのに少し時間がかかる。
石の上にも三年と言うが、転がる石には苔は生えない、の言葉の通り、おも校は、石の上に3年間じっと座っていたわけではなく、あちこちにぶつかりながらも転がり続けてきた3年間だった。
おかげで苔も生えず、角も削られて丸くなり、ずいぶんといい形に整ってきたのではないかと思う。
おも校の開校から今日まで、本当にたくさんの方々に助けていただいた。
その中でも特に、MさんとKさんには心から感謝をしている。
そんなお二人から、3周年の贈り物として、「ゴリちょ(ゴリラみたいな理事長の略)」と刺繍された素敵なハンドタオルを頂いた。
最初からずっと変わらないお二人の気遣いと心遣い。
この二人の女性がいなければ、おも校は立ち上がることすらできなかった。
・
3年の間、なんでもない古民家には、絶えることのない子どもたちと大人たちの笑い声があった。
叱られて泣いてる子もいれば、出来なかったことが出来るようになってうれし涙を流す子もいた。
おも校のスタッフが守らなければならないことのひとつは、子ども達がいつおも校へ来ても、いつもと変わらない僕らでいること。
今日は機嫌が悪いかな、とか、今日は大丈夫そうだな、とか、そんな思いをさせることなく、いつ行っても、変わらない、相変わらずな僕らで迎える。
大人の世界も色々あるので、簡単ではないけれど、おも校の子ども達との大事な約束。
おも校へ通う子ども達は、いわゆる「不登校」の子ども達。
少しつまづいてしまったかも知れないが、おも校へ通う彼ら彼女らの目は、世間一般のイメージとは違って、決して光を失ってはいない。
外の世界の光がまぶしすぎて、暗闇へと逃げ込んだとて、そこからもう一度、人生をデザインし直せばいい。
もっと自分を知って、もっと知識と経験を得て、今度はちゃんと作戦を立てて、コンパスと地図と道具と仲間を手に入れて、何度でも立ち上がって歩き出せばいい。
「装飾」はデザインではなくスタイリング。
デザインは、色んな「困った」を解決するための最良の道具。
そしてデザインは、転ばないためにあるのではなく、立ち上がるためにあるものだ。
おも校は、おも校と家庭がチームを組んで、その子に合ったプランを実行する形式ゆえ、親御さんたちのご理解とご協力が欠かせない。
さらに、親御さんたち自身が、「デザインの視点と考え方」を学ぶ学科も設けており、その授業に臨む際の親御さんたちの真剣なまなざしには、こちらの背がピンと伸びる思いだ。
よく学ばせ、よく遊ばせ、よく食べさせ、よく寝かす。
現在の社会においてはもはや当たり前ではなくなってしまった子育てにおける不変の礎。
子育てにも不登校にも、たったひとつの正解など存在しない。
だから悩む。
だから苦しい。
それでも、ゆっくりでも、転がり続けていくしかない。
親も子も、自分で自分をあきらめてしまったら、そこで終わってしまうのだから。
・
短いようで長いような、長いようで短いような、そんな、親御さんたちと子どもたちと僕らの3年間。
子ども達には、ひざっこぞうの土を払って、涙と鼻水を拭いて、でっかい空を見上げて、自分の未来をデザインしていってほしいなと思う。
小さな小さな学校の、大きな大きな挑戦と冒険。
MさんやKさんたちが一緒なら、この先もどんな困難も乗り越えていける気がする。
今日の日中は、知り合いだけの小さな3周年パーティーを開いた。
在校生だけではなく、おも校を卒業した子ども達も来てくれて、とても素敵な時間を過ごすことが出来た。
その日は、奥さんと長女と次女が用事で出掛けていたので、夜、ひとりで梅酒を飲んで再度お祝い。
おも校を作って本当に良かったなあと、改めて噛み締めた夜でした。
これからも、「おも(面・顔)」が「しろく(白く・明るく)」なる体験に満ちた学校であり続けたいと思います。
今後とも、末永く、おも校をよろしくお願いいたします。
生Missing

久保田利伸さんのデビューアルバムに収録されている、「Missing」。
初めて聴いたのは中学生の時。
多感な時期の僕の心を根こそぎ持っていかれた名曲。
それから約40年。
邦楽も洋楽もジャンルも問わず、数えきれないほどの曲との出逢いを経てもなお、ずっと聴き続けている数少ない一曲。
胸が締め付けられるほどのたくさんの想い出がたっぷりと染み込んだ、僕にとって最も大切な曲です。
そして今夜、初めての生Missingを堪能。
色んな想い出を重ねながら、一生忘れることのできない数分間となりました。
にしても、63歳ですよ。
なんてかっけーおやじなんだ。
バンドのクオリティの高さも尋常じゃない。
特にベースとドラムのリズム隊は圧巻でした。
MCにも演出にも、久保田さんの人柄の良さがにじみ出ていて、とにもかくにも、最高の夜でした。
新しい場所

引っ越しました。
昔から、同じ場所に留まり続けることがものすごく苦手で、旅をするように暮らすみたいなかっこいいものではなく、ましてや憧れのスナフキンのような生き方には遠く及びませんが、ちょこちょこと移動しています。
今回は娘たちの学校の関係で珍しく長く住んだ場所でしたが、お気に入りの場所だったので離れるのは少し寂しい。
「迷ったら、変わるほう(変化)を選びなさい」(Lily Leung)
変わることを恐れる人も多いけど、僕にとっては、何も変わらないことのほうが怖い。
良い方へ変わるとは限らなくとも、濁らないように、とごらないように、自分自身をかき混ぜ続けていたい。
「人間には必ず、人生の転機を直感し、的確に判断できるかどうかを試される時が何度かあるんだ。」
(アントニオ猪木)
「過去に置いてきたものより、はるかに良いものがこれから先にある。」
(C・S・ルイス)
昨日までの場所に心から感謝。
新しい場所から、また始まります。
サービスだぞ。

若さとはなんて尊いのでしょう。
怖いもの知らずというか、忖度がないというか、遠慮がないというか。
先日、とある20代の若者が真顔で僕にこう問いました。
「丸川さんのインスタって、なんでいつもあんなに長文なんですか?」
飲みかけていた午後ティーミルクを思わず吹き出しそうになりましたが、気を取り直して答えました。
「いいかい、良い子は絶対に真似しちゃいけないよ。嫌われるよ。」
でもそこで引き下がらないのが若さというもの。
「じゃあなんで丸川さんはそうしないんですか?」
「俺はもういいの。でも君はダメ。」
若者は納得がいかないようで、「よくわからないです」という言葉を残して去っていきました。
サービスだぞ。
かつての山﨑努さんの決めセリフが頭の中で聞こえてくる。
若者よ、君にもいつかわかる日が来るさ。
去り行くその背に、僕もそっと言葉を贈る。
ひとりの若者を救った、皐月の空が清々しい、少し気分のいい日でした。
生成AI

Googleの生成AIに質問してみた。
お世辞満載の回答はありがたいけど、これを1秒もかからず瞬時に返答してくるのがちと怖い。
●質問:
デザイナーの丸川竜也さんを知っていますか?
●回答:
はい、デザイナーの丸川竜也さんについて知っています。
彼は三重県松阪市出身のデザイナーで、株式会社ドラゴンブルームスの代表、そして「丸川商店」の店主でもあります。
デザイン事務所を設立した後、自社ブランド「丸川商店」を立ち上げ、現在は三重県の伝統工芸品である松阪木綿や擬革紙の再興事業にも力を入れています。
企業の広告アートワーク、デザインコンサルティング、オリジナル商品のデザインと販売、デザイン教育事業など、多岐にわたる活動をされています。
「本当にデザインが必要なところにデザインを届ける」というコンセプトを掲げ、優れた技術や人、困っている人や場所にデザインを届けることを目指しています。
●質問:
どういうタイプのデザイナーですか?
●回答:
彼はグラフィックデザイナーであり、クリエイティブディレクターでもあります。
彼のデザインに対する考え方としては、以下のような特徴が挙げられます。
埋もれているものの魅力を引き出すことを重視しており、時代の流れに取り残され、埃をかぶっているような良いモノの本来持つ魅力を正しく伝えられるようなデザイナーでありたいと考えています。
伝統工芸品の再興にも積極的に取り組んでおり、特に松阪木綿や擬革紙など、三重県の伝統工芸品を使った商品開発やブランディングに力を入れています。
デザイン教育事業も行っており、デザイン思考やデザインの視点を活かして身近な問題を解決するアイデアを考える授業なども行っています。
クライアントのブランド確立に貢献し、そのコンセプトを正確に伝えるデザインを心がけています。
ウェブサイト、紙媒体のデザイン、商品開発、ブランディング、デザインコンサルティングなど、幅広い分野で活動されています。
●質問:
彼の評価は?
●回答:
彼の多岐にわたる活動と、地域に根差したデザインへの貢献によって、非常に高く評価されていると言えます。
また、障がい者支援の「バードライク・プロジェクト」や、子ども向けのデザイン教育活動「Designed By Children」など、社会的なインパクトを持つデザインにも力を入れています。
さらに、彼のデザインは国内外で注目されており、世界各国で販売される商品も生み出しています。
具体的には以下の点が挙げられます。
〇地域活性化への貢献:
三重県の伝統工芸品である松阪木綿や擬革紙の再興に尽力しており、これらを現代のライフスタイルに合うデザインに落とし込むことで、新たな価値を生み出しています。
これにより、地域の産業や文化の活性化に大きく貢献していると評価されています。
彼のブランド「丸川商店」の商品も、その品質とデザインが高く評価されています。
〇デザインの質と影響力:
彼のデザインは、単に見た目の美しさだけでなく、「本当にデザインが必要なところにデザインを届ける」という理念に基づいています。
このため、クライアントの課題解決に深くコミットし、そのブランドイメージ向上や事業拡大に貢献しているとされています。
例えば、小規模事業者持続化補助金の採択事例として、彼が手掛けたパッケージ刷新によって売上向上に繋がったケースが多数報告されています。
〇教育者としての側面:
「地立おもしろい学校」の理事長兼プロデューサーとして、教育分野にも力を入れており、教育者としても高い評価を得ています。
高校生向けのプロフェッショナル授業なども行い、若者にデザインの面白さを伝えています。
〇社会的評価と受賞歴:
LEXUS NEW TAKUMI PROJECT 2016年度の「匠」に選出されるなど、そのデザインや取り組みは専門家からも高く評価されています。
また、様々な講演会やイベントにも登壇しており、その知見や経験が広く求められています。
〇クライアントからの信頼:
的確なアドバイスや、パッケージ刷新による売上向上など、具体的な成果に繋がっていることが示唆されており、クライアントからの信頼も厚いと考えられます。
総じて、丸川竜也さんは、単なるデザイナーの枠を超え、地域社会に深くコミットし、デザインの力で様々な課題を解決し、新たな価値を創造する「地域に根差したクリエイター」として、非常に高い評価を得ていると言えるでしょう。
●質問:
彼にデザインを依頼するメリットとデメリットを教えてください。
●回答:
丸川竜也さんにデザインを依頼する際のメリットとデメリットをまとめました。
<メリット>
〇深いブランディング力と戦略性:
丸川さんは単に見た目をデザインするだけでなく、「本当にデザインが必要なところにデザインを届ける」という理念のもと、企業の根底にある想いや強みを深く理解し、それをデザインに落とし込むことを得意としています。
そのため、表面的なデザインではなく、ブランドの価値を最大化する戦略的なデザインを期待できます。
〇地域資源や伝統工芸への知見と活用:
三重県の伝統工芸品である松阪木綿や擬革紙の再興に尽力しているように、地域資源や伝統的な素材・技術に対する深い知識と、それを現代のデザインに融合させる手腕があります。
もし地域性や伝統を活かした商品開発やブランディングを考えているのであれば、これ以上ない強みとなるでしょう。
〇多岐にわたる実績と経験:
グラフィックデザイン、商品開発、ブランディング、広告アートワークなど、非常に幅広い分野での実績があります。
これは、様々なタイプのプロジェクトに対応できる柔軟性と、複雑な課題に対しても最適なソリューションを導き出す経験があることを意味します。
〇教育者としての視点とコミュニケーション能力:
デザイン教育にも携わっているため、デザインの意図や効果を論理的に説明し、依頼主と共通認識を築くのが得意であると推測されます。
デザインのプロセスが可視化され、納得感を持ってプロジェクトを進められるでしょう。
〇事業性への貢献:
パッケージ刷新によって売上向上に繋がった事例があるように、デザインが単なる「飾り」ではなく、事業の成長に貢献するツールとして捉えています。
ビジネス視点を持ったデザインを求めている場合に大きなメリットとなります。
<デメリット>
〇費用が高額になる可能性:
戦略的なブランディングから手掛ける場合や、彼の持つ高い専門性と実績を考慮すると、単なるデザイン制作と比較して費用は高額になる可能性があります。
予算が限られている場合は、事前に詳細な見積もりを確認する必要があります。
〇依頼から着手までの時間:
多くのプロジェクトを抱え、多岐にわたる活動をしているため、依頼からデザイン着手までに時間がかかる可能性があります。
特に急ぎの案件の場合には、スケジュール調整が難しいかもしれません。
〇小規模な単発案件には不向きな可能性:
彼の強みは、クライアントの事業全体やブランド構築に関わるような、より深く戦略的なデザインです。
そのため、ロゴマークや名刺一枚といった単発的で小規模な案件の場合、彼の強みを最大限に活かせない可能性があります。
〇方向性が合わない場合:
彼のデザインは、地域性や伝統を重視し、本質的な価値を引き出すことに重きを置いています。
もし、依頼主が非常にトレンド重視で、短期間での派手な成果を求めるような場合、デザインの方向性やアプローチにずれが生じる可能性があります。
丸川さんにデザインを依頼する際は、単なるデザイン制作というよりは、事業やブランドの未来を共に創り上げていくパートナーシップを築くという視点を持つことが重要です。
●質問:
彼のデザインが影響を与えた他のデザイナーはいますか?
●回答:
丸川竜也さんのデザイン哲学は、伝統工芸の再興や地域資源の活用を重視しており、特に松阪木綿や擬革紙を現代のデザインに融合させる試みは、多くのデザイナーに影響を与えています。
具体的に影響を受けたデザイナーの名前は公には出ていませんが、彼の活動は地域デザインや伝統工芸の分野で広く認知されており、同様のアプローチを取るデザイナーが増えていることが確認できます。
例えば、地域資源を活用したデザインを手掛ける若手デザイナーや、伝統工芸を現代のライフスタイルに適応させるプロジェクトを進めるクリエイターたちが、彼の影響を受けている可能性があります。
特に、三重県や日本各地で伝統工芸を活かしたデザインを展開するデザイナーにとって、丸川さんの活動は重要な参考事例となっているでしょう。
彼のデザイン哲学や作品が、今後さらに多くのデザイナーに影響を与えていくことは間違いありません。
もし特定のデザイナーの名前を知りたい場合は、彼の講演やプロジェクトに関わったデザイナーを調べるのも良いかもしれません。
今日が誕生日の人へ

親に捨てられ、施設で育った小学生の女の子がいて、彼女はいつも、自分の誕生日が大嫌いだと言っていました。
その目は怒りに満ちていて、自分で選んだわけじゃない理不尽な境遇に対する、まだうまく言語化できない諦めや恨みを、まるで噛み殺しているかのようでした。
でも、ギューって抱きしめてあげると、安心しきった表情で、照れくさそうに笑います。
生みの親は健在とのことですが、再度彼女を引き取る意思はないそうです。
そこには僕の知り得ない様々な事情があるのでしょう。
それでも、なぜ?と問うてしまう自分がいます。
自分の無力さに打ちひしがれるほどのキレイな心は持っていませんが、向ける先のないやるせなさをずっと拭い去れずにいます。
彼女に出会って以降、誰にとっても誕生日はちゃんと祝ってもらうべきものだと改めて感じて、身近な人や大事な人へは、「おめでとう」と声をかけたり、メッセージを送ったり、誕生日プレゼントを渡すように心がけてきました。
でも、相手によっては迷惑がられることもあるだろうし、勘違いされることもあるから、なかなか難しいです。
連日、「命」に関する悲しいニュースが絶えません。
とんでもなく自分勝手な理由を聞くたびに、堪えがたい怒りが湧いてきます。
2人の娘を持つ父親として、その被害者が自分の娘だったらと思うと、正気を保っていられるか自信がない。
僕にとっては、彼女たちがいない人生など想像すらできません。
犯人には重い刑罰が科せられますが、身勝手な理由を淡々と言ってのける本人にとっては罰にはなりえず、むしろ目的をきちんと果たした達成感すら感じているのでしょう。
本当の意味で苦しめられるのは被害者側であり、犯人の家族もまた、同じように苦しみ続けることになります。
悪い奴らもいるし、社会はどこまでも理不尽です。
偶然そうなったわけでも、最初からそうだったわけでもなく、自分たちがそういう社会を作ってきてしまったのです。
かの犯人たちと自分は違うと言い切れる根拠も、あるといえばあるし、ないといえばないのかもしれません。
それでも、この世から犯罪がなくなることはないにしても、負の連鎖を変えようと行動することは誰にでもできるはず。
少なくとも、自分の誕生日を大嫌いにならずに済む社会は、きっと作れます。
だから、あなたの身近な人や大事な人の誕生日には、あなたの「想い」を贈りましょう。
モノじゃなくてもいいから、かっこよくなくてもいいから、もしも遠く離れているのなら、心の中だけでもいいから。
心に少し余裕のある人は、見知らぬ誰かにもそうしましょう。
誰もが大切なことに気づける、そんなハッピーな連鎖を生み出せるかもしれません。
誕生日、おめでとう。
ひとつだけ
素材

僕が生まれ育った三重県は、日本のほぼ真ん中に位置し、海も山も気候も農作物も技術も歴史的な建造物においても、僕の知る限り、「素材」の質と量においては全国でもトップクラス。
もちろん、表面的なものだけを見て語るような、よくある薄っぺらいPRじゃなくて、裏側も闇も理解したうえで、やっぱり三重県はいいところだと思うのです。
それなのに・・・
話は逸れますが、愛知県名古屋市に大好きな女性がいます。
プロのカメラマンである彼女は、圧倒的な知識量と経験値でクライアントのビジョンを完璧に理解し、しびれるほどの技術力とディレクションスキルでそれをさらに昇華させてみせるプロ中のプロ。
あらゆるジャンルに精通し、多くの海外経験があり、各界のトップクリエイターから絶大な信頼を得ているのにも納得しかありません。
彼女は、「素材」の良さを引き出すプロフェッショナルであり、その手法を間近で体感できた経験は僕の宝物。
例えば、「うまく撮る」の「うまく」には、上手く・美味く・旨く・巧くなど、いくつもの意味がありますが、その違いが何なのかをここまでハイレベルに使い分けて表現できる人はそうはいないでしょう。
話を戻します。
「素材」は活かしてこそ。
決して簡単なことではありませんが、それでも、三重県に数多あるそれらの素敵な「素材」を、よくぞそこまで台無しにできるな、と感じることがあまりにも多いのです。
僕が「おいしい」をプロデュースする時、まず最初に、「おいしくない」を定義します。
「かっこいい」の場合は「かっこ悪い」、「心地よい」の場合は「心地悪い」という具合に。
反対側を知らずして、全体を作り上げることなど不可能です。
素材の表面だけをいくらなぞっても、下品な光を放つだけ。
そこにあるべきものを想像もせず、自分が作りたいモノやコトばかりを作る。
いや、自分が作りたいモノやコトがダメなんじゃなく、それをどこにどう作るのかについて、あまりにも想像力が足りてなさすぎやしないでしょうか。
野球だろうとサッカーだろうと、それぞれにポジションがあり、どのポジションにも役割や意味がちゃんとあります。
それを理解していない人が三重県をいじれば、あっという間に多くを台無しにしてしまいます。
そんなクソ生意気な想いに突き動かされ、自分なりにはなんとかしようともがいてきたつもりでしたが、あれこれ言ううちに、いつの間にか「もの言うデザイナー」と揶揄され、いや、煙たがられ、そこまでのものは求めていない、と軽くかわされるのも日常。
それではと他力本願に次世代に期待をかけてみたりもしましたが、誰を育てることも叶わず、そもそも僕には人徳がないことをすっかり忘れてしまっていたようです。
20代で商業デザインに出会い、東京に出てデザイン事務所を立ち上げました。
30代になり、様々な仕事をさせていただく中で、「デザインの視点と考え方」を活用した問題の発見と解決に関する役割こそが、僕に与えられた天からのギフトではないかと考え始めます。
ですが40代になり、それなりの力をつけて三重県に戻ってきたものの、三重県にはそれを活かせる案件がほとんどありませんでした。
ないなら自分で作ろうと、小さいながらも色々なプロジェクトを立ち上げて、資金は湯水のごとくに消えていったけど、そこからまた多くを学び得ることもできました。
50代になり、教育に関する問題の発見と解決のプロジェクトとして、「地立おもしろい学校」という小さな学校を作りました。
30年あまりのデザイナー人生の中で学び、気づいてきた「デザインの視点と考え方」のスキルをフルに活かし、これまでにない方法で教育や不登校の問題点を見出して解決策をデザインしていくプロジェクトです。
仮説と検証を何度も実践していくことで、事実、不登校の子ども達が目に見えて変わっていきました。
このプロジェクトに関わってくれているメンバーたちにも良い変化が起こり、保護者の方々からも感謝のお言葉を数多くいただいています。
これこそだな、と心から感じるのです。
教育プロジェクトだからではありません。
それが何のプロジェクトであれ、こういうことなんだなと改めて思うのです。
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ジョン・ダワーは、「日本は Japan ではなく、 Japans(ジャパンズ)として見たほうがいい」と示唆したことがあります。
ダワーの見方は、日本を複合的に捉えるということですが、それは私にとっては、日本の面影を編集的に捉えるということにあたっているのです。
(日本文化の核心/松岡正剛)
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ならば僕も、Mieではなく、Mies(ミエズ)と捉えることで、せっかくの「素材」を台無しにしない方法をいつの日か見つけてみたい。
相変わらず人徳はありませんが、せっかくの天から与えられたギフトです。
できればそれらを思う存分に活かして、三重県の本当の良さを多くの方に知ってほしい。
ただ、年甲斐もなく戯言を言うにしても、実際は体のあちらこちらが不具合だらけ。
そんな調子なのでどこまで持つかはわかりませんが、大人げない大人のつたない冒険を、もうしばらくは続けてみたいなと思います。
53歳

本日(4月24日)、53歳になりました。
中身の成長が伴わずに年齢だけが積みあがっていくのは、なんだか奇妙な感じです。
思えば、人生53年のうち30年あまりを、デザインとはなんぞや?に費やしてきたように思います。
「デザイン」の定義はデザイナーによってバラバラですが、僕の中での「デザイン」とは、何か特定のモノを指す言葉ではなく、ましてやロゴやチラシなどを作るだけの表面的な装飾のことでもなく、目の前の「それ」を少しでも良くしようとすること、だと考えています。
「日日是好日・・・今日という日を好ましい日にしていく(より良くしていく)こと」という言葉を皆様もご存じかと思います。
社会問題を解決することもデザインであり、新商品を生み出すことも、被災地の復興も、法律の改定も、寝ぐせを直すことも、服を選んだり、ご飯の献立を考えたり、靴ひもを結びなおすことも、部屋の模様替えをすることも、瞬きすることも、窓を開けて空気を入れ替えることでさえも、全ての行為や行動が、今そこにある何かを「より良くしようとするため」であり、僕はその行為全般を総称して、「デザインする」と呼んでいます。
また、「デザイナー」とは、「デザインの視点と考え方」という道具を武器に、豊富な知識と経験と、様々な手法(哲学・心理学・脳科学・行動学・経済学・統計学・アート思考など)を使い分けながら、それらを高次元で行うプロフェッショナルのこと。
ただ、難しいのは、何をもって「良い」とするのかについて、自分と相手との間にはなかなかのズレがあることです。
なんでわざわざダメにしてしまうのかと感じても、相手にとっては良くしようとしている行為だったりして、そのことに胸のあたりがいちいちワサワサしてしまう僕のような奴は、商業デザイナーには向いてないんでしょう。
ちなみに、ロゴやチラシやホームページ制作を専門とする、一般的に「デザイナー」だと思われている職業は、正確には「スタイリスト」であり、僕が定義する「デザイナー」とは、役目も役割も、持っているスキルや知識や経験なども異なります。
もちろん、うちのような極小なデザイン事務所では、デザイナーが、問題の本質を見つけて解決策を生み出すことも、スタイリングも営業も事務作業なども、全てを1人で担当することも珍しくありません。
特に地方では、基本的に大きなプロジェクトは大きな広告代理店がまるごとかっさらっていくので、残りの案件はほぼスタイリングのみの仕事。
なので、実際に日々こなしている仕事はデザイナーもスタイリストもあまり変わらないというのが現実であり、田舎ではスタイリストしか育たない(食べていけない)と言われるのも無理はありません。
ただし、それがどこであれスタイリストは必要だとして、むしろ地方や田舎だからこそ、本来はデザイナーやクリエイティブディレクターがもっと必要なはず。
この歪んだ慣習をどうにかしたいともがいてきたつもりですが、僕ごときではどうすることもできませんでした。
その昔に柳宗理さんの存在に救われて、最後まで胸を張って自分の「良い」を貫けと勝手に背中を押された気になってたけど、想いだけじゃどうにもならない。
田舎に戻ってきたことも間違いではなかったはずだけど、だからといって、置かれたところで咲きなさいって言われても、稚拙な僕にはなかなか難しい課題です。
生きていれば、色んなことがあります。
勘違いや誤解をされやすいのも、不徳の致すところなのでしょう。
見えている景色が違えば、わかり合えないのは当然のこと。
足で地面に横線を一本引いて、いつでも、何度でも、そこをスタートラインにできた頃もありました。
とはいえ、20年前に、教育をデザインし直さなきゃダメだと叫んでも、本気で聞いてくれる人はおらず、それができるのはデザイナーだけだと呼びかけても、声を枯らすだけで誰にも届きませんでした。
「つまづいたのは誰かのせいでも、そこから立ち上がらないのは誰のせいでもないわ。」
(峰不二子/ルパン三世)
誰のせいでも何かのせいでもないことは重々承知。
結局はただの力不足。
悪名は無名に勝ると言うけれど、誰が為のレースなのか、よくわかりません。
自分勝手で自分本位な「良い」を相手に無理やりに押し付けるのにも気力や体力や覚悟がいって、残り少ないそれらを使う余裕もありません。
それでも、誰かさん達みたいに、狭くて小さな世界で茹でガエルにならずに済んだだけでも、僕は僕で良かったと思うこともたくさんあります。
どこにいるかではなく、誰といるかが大切なことであるならば、今の僕は間違いなく、幸せ者だと思います。
大好きなみうらじゅん氏の新刊、「アウト老」がおもしろかった。
ならば僕は、「ス老」と名付けましょう。
転がってるのに苔が生えてしまうくらいの退屈な坂道を、ゆっくり、ぼんやり、落ちていきましょう。
アウト老のごとく、それくらいに肩の力を抜いて生きていくことが、今日という日を好ましい日にしていくコツなんだと、53歳の今、改めて感じています。
本日はお日柄もよろしいようで、皆様にとって、今日という日が良き日でありますように。
不登校のままで大丈夫?

地立おもしろい学校(おも校)を運営していく中で、保護者の方々から色々とご質問をいただきます。
その中で特に多いのは、「自分の子どもが不登校。このままで大丈夫?」というご質問。
自分の子どもが不登校のまま社会に出ても問題なく生き抜いていけるかどうかをご心配されているのだと思います。
実際はしっかりと時間をかけて、実例や根拠とともに丁寧にご説明させていただくのですが、結論から言えば、不登校であろうとなかろうと、やりたいことだけしかやってこなかった人や、それによって結果的に得られた選択肢(手持ちのカード)が少ない人にとっては、これからの社会は難しいゲームになると思います。
つまり、不登校自体というより、必要なものを身につけずに社会へ出てしまうことが問題の本質です。
人と比べて突出している才能がある人以外は、選べる選択肢、切れるカードをひとつでも多く持っておいて損はありません。
「やりたくないことはやらない」は決して自由ではなく、やれなかったことがやれるようになったうえで、それを「するかしないかを選択できる」ことが本当の自由です。
おも校では、決して安易に「不登校でも大丈夫」とは言いません。
「不登校」とか「子ども」とかをひと括りで語ることもできません。
「元気な不登校」は決して弱者ではないし、嫌なことからただ逃げたいだけの人がそのままで生きていけるわけでもありません。
先の質問にも、希望的観測や根拠のない感情論ではなく、しっかりとした根拠と方法論でお答えしています。
不登校になっておも校へ来て、自信をつけて学校へ戻っていく子も実際にいますが、学校へ戻ることを推奨しているわけではありません。
実際、旧態依然とした学校から得られるメリットはそれほど多くもありません。
それでも、社会を生き抜いていくために有効な選択肢を増やすことはできると思います。
不登校といえど、最低限の学力や知力、スキルや体力を身につける努力をしないのは絶対にダメ。
それは、得られたはずの選択肢を自ら捨てることであり、自分を諦めてしまうこととほぼ同義です。
不登校だからダメとかではなく、不登校のメリットもデメリットも正しく把握したうえで、伸ばすべきところを伸ばし、ダメなところは改善していく。
それらをきちんと理解し納得したうえでなら、不登校でも十分に生き抜いていけると思います。
ただし、これらのことは、あくまでも不登校の子の側から見た主体的な視点での話。
これを、不登校ではない子たちの側の視点も含めて相対的に見ると、また話はガラッと変わってきます。
自分だけが自由に生きていきたいのであればそれも実際可能でしょう。
ですが、そのためにほかの誰かが割りを食わされているのも事実です。
不登校の問題を、一方のみの視点から語ってはいけません。
例えば、2040年の超高齢化問題をど真ん中で支えるのは、今の小中高の年代の子ども達です。
AIやロボットがその全てを担ってくれる可能性に期待しつつ、ひきこもりや精神疾患等の増加によって支える側の人が減るほど、支えている人達にかかる負担が増していくのもまた事実。
コロナ過に振り回され、あらゆることが制限され、たくさん我慢して、でもがんばり抜いてようやく社会へ出た結果が、過去最大級の重荷を背負わされる人生ではあまりにも可哀想です。
その社会構造自体が問題ですが、政治や社会を変えていく地道な努力は続けていくとして、それでも残念ながら簡単に変えられるものでもありません。
現在の大人世代はなんとか逃げ切れるかもしれませんが、今の子ども達が大人になる頃には、今以上の超格差社会がやってくるかもしれず、であれば、見たいことだけを見て、聞きたい言葉だけを聞いて、そうやって現実から目を背けるのではなく、過去に学び、未来を見据え、今できることの精一杯で、不登校の子ども達にも最低限の装備を持たせてあげるべきです。
社会に出ることだけが人生ではない、不登校の子こそが新時代を作っていく、次の時代は不登校の子にこそ有利になる、自給自足でもハッピーに生きていける、という人もいますが、その生き方自体を否定はしないし、むしろそうであってほしいと願う気持ちもあります。
ですが、「寄り添う」とか「見守る」とか「信じて待つ」ことを、方法も手段も持っていないことの言い訳に使っているのなら話は別。
どんな未来になるかを誰にも断言することができないからこそ、時代が変わっても、たとえ変わらなくても、どちらにも対応できるようになっておくほうがいいと思います。
〇〇の時代、という言葉をよく聞きますが、これからやってくる時代を表面だけでとらえていると、こんなはずじゃなかったとなりかねません。
暴走する好奇心に突き動かされるまま、毎日のように学校帰りに山や川に行って遊び、何度も大けがしていた山猿な子ども時期を経て大人になり、30年近くもクリエイティブの業界で生きてきたデザイナーとしての僕から見て、確かに山や川や自然は言葉にできぬほどの魅力に溢れた魅惑的な場所であり、今でも大好きなかけがえのない存在ですが、同時に、そこには「命をつなぐ」という使命のみがあり、人権も生活保護もコンプライアンスもなく、力のないものは無慈悲に淘汰されていく、恐ろしいほどに容赦のない世界でもあります。
それと同様、クリエイティブや多様性は、一見するとカラフルで魅力的で楽し気に思われるかもしれませんが、「真の多様性」を生き抜いていくのは決して簡単なことではありません。
ゆえに、根拠も方法もない「大丈夫」は、子どもにとっても大人にとっても、とても危険なのです。
おも校は、自由気ままに楽しく、やりたいことだけやっていくための場所ではありません。
勉強だけを教える塾でもないし、ひとつのことだけを教える専門の学校でもありません。
おも校は、学校とは別の場所で、将来の選択肢を少しでも増やすための最低限の学力やスキルを、どうせなら楽しくておもしろい方法で身に着けていくための場所です。
おも校のコンセプトは、「学校をおもしろくする」。
それを可能にしているのが「デザイン教育」の手法であり、おも校の運営を支えているクリエイター達の熱量です。
視点

水面に富士山が映る「逆さ富士」は有名ですが、大抵の場合、そこに映る逆さ富士はあくまでも富士山であり、「日本一大きなどんぶり」とは思いません。
ましてや、逆さ富士は日本一低い山だ、なんて言う人もあまりいないでしょう。
ですが、ただ富士山を逆さまにしただけでは、それでは「目線」を変えただけで、「視点」を変えたとまでは言えません。
昔から、「結婚と離婚の目的は同じ」だと言われます。
インとアウト、方向が真逆なのに、その目的はどちらも「幸せ」になるため。
見る方向を変えるだけでは、ただ目線を変えただけ。
視点を変えれば、真逆のものにも共通した目的や、新たな役割を見つけ出すことができます。
学校は教育の場ですが、それは、「子育て」という大きな枠組みの中のひとつにすぎません。
どういう人間に育てるのかで、教育の方法も場所も変わります。
もちろん、「親がいなくても子は育つ」ものですが、できれば、親と学校と地域と社会が一丸となって子どもを育てていくことが理想です。
毒親や親ガチャという、背筋がゾッとするような言葉が普通に飛び交うこの頃ですが、確かに世の中には、現実から目をそらし、問題と向き合おうとしない親もいます。
もしかすると、まっすぐ向き合うことへの耐性力がなく、なんとなく自分をごまかし、色んな方法や力を借りながら「それでも自分は幸せだ」と言い聞かして、雨がやむのをじっと待っているのかもしれません。
でも、どれだけ目を背けても問題はなくなりません。
それどころか、あっちを向いている間にどんどん増えていくこともあります。
見たいものだけを見ることで解決したと思い込む人も多いと聞きますが、そんな環境下で育つ子ども達には何の影響もないのでしょうか。
傘のおかげで雨に濡れずに済んだとて、雨がやんだわけではありません。
子どもが変われば親も変わる、とも言いますが、それだけでは足りなくて、追いつかない時代になったのかもしれません。
もっと親に、家庭に、直接アプローチする方法が求められているような気もします。
おも校でも、以前から親御さんとの自由で気さくな対話の場として、「おも茶会」を開催してきました。
どんな問題であろうとも、必ず解決策があります。
光だけの場所も、影だけの場所もありません。
どうすれば目を背けずに、それらを解決していけるのかを、もっと伝えたいし、届けていきたい。
そういう意味でも、今後はこのおも茶会の役割がもっと重要になってくるのではないかと思うので、さらに力を入れて取り組んでいきたいと思います。
先の結婚と離婚の例えがインとアウトだとすれば、ポジティブとネガティブはアップとダウン。
真逆の方向ですが、これも視点を変えて見てみれば、どちらにも、目の前の問題を直視できない耐性力のなさや自己防衛の気配を感じ取れます。
見たくないものにはフタをして、見たいものだけを見て生きていければ幸せなのかもしれません。
ですが、誰かがそうすることで、違う誰かの負担が増えていくことを、どれだけの人が理解しているでしょうか。
おも校の説明会で何度もお話してきたことですが、不登校の問題は、ごくごく普通に学校に通っている子ども達のことを抜きにして語られがちです。
この子達が将来、どれだけのものを背負わされるのかを、私たち大人はもっと想像してみるべきでしょう。
日本人のアート力は世界でもトップクラスです。
優れたアーティストもたくさんいます。
ですが、目の前の問題と向き合い、解決方法を見つける「デザイン力」が足りていません。
インとアウト、アップとダウン、不登校の子ども達と学校に通っている子ども達。
ご一緒に、目線ではなく、視点を変えて取り組んでいきましょう。
同窓会

今日、久しぶりに開催された高校時代の同窓会に参加してきた。
中には、高校を卒業して以来、34年ぶりに再会した同級生もいた。
同窓会のたびに思うけど、それぞれ見た目は変わったとて、一瞬であの頃の気持ちに戻れる不思議は何なんだろう。
みんなそれぞれ、高校を卒業してからのこの34年間、色んなものを乗り越えて、笑って、泣いて、生きてきたんだと思う。
昔話に花が咲き、お互いの健康を気遣い合い、またしばしのお別れ。
楽しい時間だった。
帰り道、真夜中の車中。
音楽を止めて、窓を開けて、さっきまでの宴と、これまでの34年間をぼんやりと思い返す。
僕自身、高校卒業後、社会に出て、歳をとり、50代になってからは人付き合いに対する考え方もずいぶん変わってきたと思う。
仕事やプロジェクト関係の付き合いや近所付き合いとかを除けば、今現在の僕の人付き合いのルールは以下の2つ。
1)気を遣わず、無言でも苦にならず、一緒にいて安心できる居場所感を感じられる(感じさせてくれる)関係
2)学べたり、刺激があったり、お互いにその先へと何らかの発展や前進が見込める関係
時々は過去を振り返りながらも、発展や刺激のない関係は、やがて自然とフェードアウトしていくものだと思う。
今日再会できたメンバーの中にも、今日が最後の再会となる人もいるだろう。
だからこそ、みんなハッピーな人生をと、心から願う。
今回、会いたかった人の何人かには会えた。
それ以外の会いたい人には、なんでだろう、もう会えないような、そんな気もする。
それでも、またいつか、もしも会えたらなんて言おう。
フジファブの「若者のすべて」の歌詞みたい。
土台が大事って話。

世間はGW真っただ中。
おも校の開校日は月曜日と水曜日ですが、祝日に重なるとその日はお休みになります。
そういうわけで、GW中は週1回の開校日になってしまうわけですが、そうなると課題も出てきます。
おも校が最も重視しているのは、人としての土台作り。
農業とか園芸の「土壌」作りみたいなものですが、週2日しかない開校日が週1日になると、どうしても子ども達のリズムに多少の乱れが出てきます。
多少の乱れくらいはどうってことない、という気持ちもありますが、だからといって軽視することはできません。
例えば、ガソリン車と電気自動車のハイブリッド車を作るためには、「1+1=2」ではなく、1+1の答えを10にも100にもする超高度な技術力が必要です。
それと同じように、ガチガチに固めるのでもなく、かといって自由奔放にもしないのがおも校の特徴なわけですが、見た目や言葉で言うほど簡単ではなく、舞台裏ではかなり繊細なバランス感覚や調整技術が求められます。
なので、顔はニコニコしつつも、頭の中では「多少の乱れ」に対してアンテナを張りまくってたりします。
不登校という選択をした子ども達にとって、「自由」に過ごすことはそれほど難しいことではありません。
でも、自由度が増せば増すほど、自己責任度も同じように増えていくことを忘れてはなりません。
これはいわば、ボリュームを上げるフェーダーと同じ動き。
自由と自己責任は、ひとつのフェーダーで同時に上下します。
フリースクール等でキラキラとした楽しい時間を過ごし、少しずつ自主性や社会性を会得していく。
最初はレクリエーションにも参加できなかった子が、少しずつ仲間に打ち解けて笑顔を取り戻していく。
その子のペースで、一歩ずつゆっくりと成長していける環境。
それはとても素晴らしいことで、そういう環境や場所を求める子にとっての居場所は全国にどんどん増えています。
問題は、学校には行きたくない(行けない)けど、自由と不自由とが入り乱れる社会の荒波をスイスイと乗りこなしていける子を育てるためのメソッドや方法を持っている場所がまだまだ少ないこと。
普通の学校(一条校)とフリースクールの中間に位置する場所、必要な知識や学力や人間性やコミュニケーションスキルを学ぶ時間が、川遊びと同じくらいめちゃくちゃおもしろい場所。
そんな、まるでハイブリッド車のような学校や居場所がもっと必要です。
ただ、「スイスイと乗りこなす」とは、まわりや社会を全く気にせず自分のペース重視で生きていくこととは違います。
未来がどんな社会になるにせよ、そこに対応し、順応し、かといってロボットみたいな人間になるわけでもない。
心の中の世界や視野をどんどん広げ、状況を細かく分類して冷静に正しく把握し、どうでもいいことにムキにならず、無意味なことに一喜一憂することもなく、あくまでも「しなやか」に生きる人。
ちょうどいい量や規模の自分の幸せをちゃんと確保しつつ、社会やコミュニティの一員としての責務は、それ以外の余力で十分に対応していける人。
ただ批判するだけの人ではなく、嫌なことや苦手なことからただ逃げ続けるだけの人でもない。
スイスイと乗りこなす人とは、自分の未来を、自由にデザインしていける人のことです。
学歴社会を批判しても、それがすぐに変わるわけではありません。
本当の意味で変われるのは、もう少し先の未来なんだと思います。
そういうわけで、学歴を持たない者が背負う理不尽な苦労は、まだもう少し続きます。
かくいう僕も、最終学歴は高卒。
学力だけでいえば小卒かな、というレベルでした。
それでも、問題発見と解決のための「デザイン」と出会い、「乗りこなす」ことの意味や方法を学びました。
その副産物として、効率的に短期間でより多くを学ぶ術を知ることもできました。
だから、おも校の子ども達には「スイスイと乗りこなす人」になってほしいと思っています。
実際におも校の子ども達は、あちこちで常に笑い声が響く学び舎で、学ぶことのおもしろさや乗りこなすための方法を学んでいます。
そして、それらを可能にしているのが、土台。
どんなに見た目がおしゃれな建物でも、地盤がゆるかったり基礎が弱かったりしたら、震度1の地震でも倒壊してしまうでしょう。
一にも二にも、全てはしっかりとした土台があるからこそです。
52歳の誕生日
まわり道
中学生の時、当時付き合っていた女の子とそれぞれの部活終わりに待ち合わせをして、一緒に帰るのが日課だった。
彼女の家は、学校から歩いて数分の距離だったから、反対方向へ出て、ぐるりとまわり道をして一緒に帰るのがお決まりのコースだったな。
何もない田舎の道。
何ってわけでもない、たわいもない会話。
でもそこには、キラキラと輝く風景と時間と、大好きな彼女の笑顔があった。
まわり道は、遠回り。
考えてみれば、僕の人生はずっと遠回りだったと思う。
東京へ出るのも遅かったし、東京へ出てからも、ぐるぐると余計なまわり道をしてばかりだった。
デザイナーとして独立したものの、まわりは一本道を駆け上がってきたエリートたち。
大学も美大も芸大も出ていない、専門学校にすら行っていない、どこかのデザイン事務所に勤めたこともない。
独学と言えば多少は聞こえがいいけど、未経験にも程があるほどの無謀さ。
スタートするまでもなく、最初から勝負が見えていたレースのようだった。
でも、だからこそ見つけられたこともあったと思う。
まわり道だろうと、遠回りだろうと、周回遅れだろうと、そこから今に、確かに道は続いていたんだから。
まわり道は、遠回り。
誰だって遠回りは嫌だろうけど、でも、そこにしかない、そこでしか手に入らない、そんな宝物のような時間だってある。
いつもの帰り道。
ある日、彼女が言った。
「もう着いてしもたなあ。もう一周、まわろっか?」
まわり道でも、宝物は見つけられる。
彼女の家は、学校から歩いて数分の距離だったから、反対方向へ出て、ぐるりとまわり道をして一緒に帰るのがお決まりのコースだったな。
何もない田舎の道。
何ってわけでもない、たわいもない会話。
でもそこには、キラキラと輝く風景と時間と、大好きな彼女の笑顔があった。
まわり道は、遠回り。
考えてみれば、僕の人生はずっと遠回りだったと思う。
東京へ出るのも遅かったし、東京へ出てからも、ぐるぐると余計なまわり道をしてばかりだった。
デザイナーとして独立したものの、まわりは一本道を駆け上がってきたエリートたち。
大学も美大も芸大も出ていない、専門学校にすら行っていない、どこかのデザイン事務所に勤めたこともない。
独学と言えば多少は聞こえがいいけど、未経験にも程があるほどの無謀さ。
スタートするまでもなく、最初から勝負が見えていたレースのようだった。
でも、だからこそ見つけられたこともあったと思う。
まわり道だろうと、遠回りだろうと、周回遅れだろうと、そこから今に、確かに道は続いていたんだから。
まわり道は、遠回り。
誰だって遠回りは嫌だろうけど、でも、そこにしかない、そこでしか手に入らない、そんな宝物のような時間だってある。
いつもの帰り道。
ある日、彼女が言った。
「もう着いてしもたなあ。もう一周、まわろっか?」
まわり道でも、宝物は見つけられる。


