49歳の誕生日
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本日2021年4月24日、無事に49歳の誕生日を迎えることができました。
順風満帆とは程遠い49年間でしたが、遠回りをしてきたおかげで、様々な景色や風景に触れることができたかなと思います。
40代最後、という意識はあまりなく、50代の素敵なお兄さんお姉さん達がまわりにたくさんいるので、むしろ50代への日々が楽しみです。
子どもたちへのデザイン教育をはじめて6年目になりますが、授業の中で必ず伝えていることが3つあります。
1)想像できることは実現できる。だから最後まであきらめない。
2)したことの後悔より、しなかったことの後悔のほうがずっと辛い。だから失敗を恐れずに挑む。
3)素敵な恋の想い出と学びは、人生最後の日まで自分を支えてくれる。だから大いに恋して、大いに学ぶ。
これらは全部、僕自身の失敗と後悔から得た教訓であり、今でもずっと自分に課している課題でもあります。
40代最後の年。
そして50代へ。
これからも大いに学んで、目一杯に楽しみたいと思います。
世界中の4月24日生まれの人へ、誕生日おめでとう!
大切な人がそばにいるなら、今すぐ抱きしめよう。
逢いたい人がいるなら、今すぐ走り出せ!
産んでくれた両親に、心から感謝。
ありがとう。
簡素・質素
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最近、「簡素」や「質素」という言葉の味わいや意味や価値が、ここ数年ですごく変わってきたなあと感じます。
かつて「簡素・質素」というワードは、貧乏くさい、とか、安っぽいとか、どこかネガティブな印象で語られることが多く、そこに「シンプル」というキラキラワードが、「簡素・質素」ではない、もっと洗練された、静寂や奥深さ、鋭さ、なめらかさなどの上質感を身にまとって来日してきて、それが一気に広まっていきました。
ただし、僕もシンプルなものが大好きですが、ここ数年のデザインの流れを見ると、シンプルの本来の意味とはかけ離れているのではないか?と疑問に思うデザインが散見されるようになり、よくわからず使っているデザイナーも多いように感じて、残念に思うことが増えてきました。
そんな中で、かつてはネガティブな印象だった「簡素・質素」という概念が、かつてのそれとは意味も解釈も味わいも手触りも耳障りも変化して再注目されるようになり、度を越えて道を外れた「シンプル」に警鐘を鳴らす存在のように感じるのです。
さらに言えば、「わびさび」や「用の美」ともニュアンスが微妙に違う気がして、なんていうか、もっと大きい視点で捉えるべきテーマなのではないでしょうか。
つまり、簡素であり質素であることは、これからの時代においては決してネガティブなことではなく、その言葉の奥には、「モノのあるべき姿」が宿っていて、時代が何週かして、簡素でいい、質素でいい、ともっと堂々と言ってもいいというか、シンプルよりももっと硬派で大切でかっこいい存在として語ってもいい時代になってきたのではないか、と思います。
これからの「簡素・質素」。
よくよく研究して、見極めてみたいテーマです。
月が綺麗ですね
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前回、僕が主宰しているデザインスクール「WIPE ACADEMIA」で、ここ数か月にわたって「知性(創造的知性)」について学んでいる、ということを書きました。
俗にいう、「何を言うかが、知識。何を言わないかが、知性。」であるならば、「何をデザインするかが、知識。何をデザインしないかが、知性。」とも言えます。
今回はせっかくなので、特別に、実際にレッスンで使用した題材をもとに、皆さんとも考えてみたいと思います。
紙とペンをご用意いただき、「走っている人」の絵を描いてみてください。
上手下手は関係ありません。
構図や書き方などは自由です。
ここでのポイントは、「何を描けば、走っている、と見えるか」です。
多くの人は、横線をシャシャっと描いて、進んでいる様子を表現したり、汗が飛び散っている様子を描いたりして、走っている、と伝えているのではないかと思います。
ここまでは、「知識」です。
では、知性とは、「何を描かないか」なので、例えばシルエットだけで表現したり、止まっている人の前を何かが高速で横切った様子を描いて、見えないけど走っている人の存在を伝えようとしたり、つまりは、走っている人を描かないで、走っている人の存在を描く、ということだと言えます。
よく、「風」を表現する、あれです。
夏目漱石は、「愛してる」という言葉を使わずに、「月が綺麗ですね」という言葉で表現しました。
歌手のさだまさしさんの歌には、そのことを言わずに、そのことを伝える、という手法がたくさん見られます。
これらはまさに、知性である、と言えそうです。
もちろん、知性は知識がないと生まれないので、知識量はすごく大事です。
「知識」に命を吹き込み、熱量を持たせ、情緒豊かに、想像力を刺激する、それが知性なのだと思います。
「WIPE ACADEMIA」は、デザイナーだけのためのスクールではありません。
実際に、デザイナー以外にも、女性経営者や子育て中の女性の方もいらっしゃいます。
デザインは、デザイナーだけのものではありません。
この世の中で、デザインに関係のない人も場所も存在しません。
子育てでも、子どもに「何を言うか」ではなく、「何を言わないか」を実践することで、子どもの自発的な行動を促す効果が期待できます。
会社経営者の方であれば、社員教育にも応用できるでしょう。
「デザイン」は、目的ではなく、それぞれの目的を達成するための、最適な手段なのです。
次回のアカデミアでは、さらに知性を深く掘り下げ、知性を得るには、そしてそれをどう活用するべきかを学び、センスを磨くレッスンを行いたいと思います。
2021.04.20 06:15
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| 日記・デザイン
知性
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僕が主宰するデザインスクール「WIPE ACADEMIA」では、ここ数か月、ずっと「知性(創造的知性)」をテーマに学んでいます。
日本を代表するファッションデザイナーのおひとり、菊池武夫さんも、「センスを磨くには、知性しかない」とおっしゃっているように、これからのデザイナーには、知識以上の知性が、これまで以上に不可欠だと思うのです。
よく、何を言うかが知識、何を言わないかが知性、とか言いますが、要は、物事や状況や関係性の本質を見事にズバリと見抜く力であり、何をして何をしないかの判断が適切であり、心に届くラブレターを書くためになくてはならないもの、です。
創造的知性が高い、ということは、問題提起や問題解決におけるデザインスキルが高い、ということと同じ。
「時には●●」とか「ここは敢えて●●」という立ち振る舞い方が絶妙で、頭の回転スピードも速く、かつ柔らかい。
菊池武夫さんのセンスや知性には一生かかっても到底追いつけませんが、アカデミア生たちと一緒に、もう少し、知性について学んでみたいと思います。
2021.04.19 05:42
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人を追わない
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俳優、ウィル・スミスの言葉。
「Don't chase people. Be yourself, do your own thing, and work hard. The right people, the ones who really belong in your lie, will come to you. And stay.」
「人を追わない。自分らしく自分のことを一生懸命する。正しい人、君の人生に本当にいるべき人は君の元にやってきて留まる」
いい言葉。
だけど、人を追わない、のではなく、臆病者ゆえに、追うべき人を追えなかった場合はどうなるのか。
「どこ」にいるか、ではなく、「だれ」といるかで、人生も仕事も、物語は大きく変わっていく。
臆病さと勇気。
人としても、デザイナーとしても、生きていくうえでとても重要なキーワードだと思う。
目の前の、わずか32インチの世界だけが、人生の全てではないのだから。
休みもなく、息つく暇もなく、持ちうる知性と感性に、落胆と感謝の日々。
過去と未来、時間軸を自在にコントロールする能力が求められる、デザイナーという生き方。
誰かの夢の実現をお手伝いし、その夢が叶うことで、僕らは息をさせてもらえている。
想像力と創造力、デザイナーがいない世の中なんて、とてもじゃないが考えられない。
とてもとても、大切な仕事だと信じてる。
なんだか冷え込む日曜の夜。
今日はもう、仕事は終わりにしよう。
日々、デザインたれ!
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イチローが4000本以上のヒットを打つために、どれだけバッドを振ってきただろう。
カズが200以上のゴールを決めるために、どれだけボールを蹴ってきただろう。
「本番」の打席もシュートチャンスも、そう多くはない。
その数少ないチャンスをものにできたのは、決して才能だけではなく、誰にも負けないほどの練習量があったからだろう。
じゃあ、デザイナーはどうか。
「本番」、つまり、「実際に依頼を受けた仕事」の数は、どれだけ忙しくても、月に何千件をこなせるわけじゃない。
「本番」の打席もシュートチャンスもそう多くはない中で、どうやって実績を積んでいくのか。
その答えは、「どれくらいデザインが好きか」で決まるんだと思う。
学校の先生なら、「本番」が練習でもあり、失敗しながら成長していけるのかもしれない。
でも、外科医の医者が失敗すれば、その患者を死なせてしまう。
カメラマンなら、プライベートでもいっぱい写真を撮って練習量を増やせるだろうし、料理人だってそうだろう。
でも、パイロットが「本番」だけで実績を積もうとしても、それは無理。
失敗すれば、何百人が死んでしまう。
僕のような商業デザイナーはどうか。
大きな事務所の新人なら、失敗しながら成長できるだろう。
でも僕のような個人事務所は、失敗が続けば仕事を失う。
クライアントを死なせてしまうことはなくても、大きな損害を与えてしまうことになる。
若い頃、誰にも頼まれてないのに、ソニーやアップルの新しいロゴを作ってみたり、ビートルズの新作アルバムのジャケットをデザインしてみたりしてた頃が懐かしい。
毎日毎日、あらゆる職種の架空の仕事を設定して、何十何百ととにかく作り続けた。
忙しくなったあとでも、まちの中で何かを発見した時、車の中でアイデアを思いついた時、カフェで誰かと話してる時だって、頭の中でデザインのソフトを立ち上げて、頭の中でデザインをはじめた。
その体験が、その練習量が、今の僕を支えてる。
イチローやカズのような才能がないから、それでもまだまだ足りないんだけど、奇跡的に今までやってこれたのは、恵まれた出会いと、運の強さと、練習量だと思う。
独学でデザインを学び、未経験のままデザイン事務所を立ち上げたのが20代。
今でも、プロフィールに書けるような賞なんて何もないし、有名なデザイナーでもない。
でも、デザインが好きだ。
ものすごく、デザインが好き。
だから今でも、時間を見つけて練習を積む。
それは義務ではなく、欠かせない習慣のようなもの。
または、おまじない、なのかもしれない。
今月で49歳。
僕ももう若くはない。
ずっとアシスタントデザイナーを募集してるけど、いまだに見つからないから、後継者を育てたくても育てられないのがすごく残念だし、心残り。
だから、世の中の名前も知らない若きデザイナー達に、無名のおっさんからエールを贈ろう。
デザインの力で、世の中をもっともっと素敵にしておくれ。
常に「今が一番いい時代」って言える世の中にしておくれ。
若きデザイナー諸君、日々、デザインたれ!
配管工事
100年は長い。
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毎年恒例の怒涛の年度末(3月)をなんとか乗り越え、少しだけひと息つけそうな4月になりました。
案の定、3月は体調もメンタルもとにかくボロボロ。
常にイライラして、わけのわからない所が猛烈に痛くなったり、そのせいでまた眠れなかったり、生活が荒れ、ストレスの症状が総動員でパレードです。
こんな時はいつも、暴飲暴食しながらNetflixとかの映画を観まくることでなんとかやり過ごすしかないんですが、もちろん、いい習慣とは言えません。
でも、何もしないでいると気が狂いそうになるので、いけないと思いつつもやめられない。
ただ、原因はわかってるので、なんとか対策を見つけたいと思います。
ところで、最近観た映画の中で印象に残っているのは、「シングストリート」という映画。
特に、弱い者いじめばかりしてる奴に、主人公が言い放った言葉、「お前は壊すだけで、何も作れない。」というセリフは印象深かった。
クリエイティブは、創造と破壊の繰り返し。
壊しては作り、また壊しては、また作る。
ただ壊すだけでは、クリエイティブとは言えません。
でも残念ながら日本では、質の高いクリエイティブでも、あっという間に消費されてしまいます。
生前、師匠が「100年続くデザインを。」と言ってましたが、それは本当に難題です。
「100年続くデザイン」とはつまり、「100年愛され続けるデザイン」ということ。
じゃあそういうものをデザイナーとして生み出せているか、と自分に問えば、言葉に詰まる。
「お前は壊すだけで、何も作れない。」という主人公のセリフがずっと耳から離れず、僕ももしかしたら、ただ壊しているだけで、実は何も作れていないんじゃないか、とまた不安になる。
師匠、100年は長いよ・・・。