簡素・質素



最近、「簡素」や「質素」という言葉の味わいや意味や価値が、ここ数年ですごく変わってきたなあと感じます。

かつて「簡素・質素」というワードは、貧乏くさい、とか、安っぽいとか、どこかネガティブな印象で語られることが多く、そこに「シンプル」というキラキラワードが、「簡素・質素」ではない、もっと洗練された、静寂や奥深さ、鋭さ、なめらかさなどの上質感を身にまとって来日してきて、それが一気に広まっていきました。

ただし、僕もシンプルなものが大好きですが、ここ数年のデザインの流れを見ると、シンプルの本来の意味とはかけ離れているのではないか?と疑問に思うデザインが散見されるようになり、よくわからず使っているデザイナーも多いように感じて、残念に思うことが増えてきました。

そんな中で、かつてはネガティブな印象だった「簡素・質素」という概念が、かつてのそれとは意味も解釈も味わいも手触りも耳障りも変化して再注目されるようになり、度を越えて道を外れた「シンプル」に警鐘を鳴らす存在のように感じるのです。

さらに言えば、「わびさび」や「用の美」ともニュアンスが微妙に違う気がして、なんていうか、もっと大きい視点で捉えるべきテーマなのではないでしょうか。

つまり、簡素であり質素であることは、これからの時代においては決してネガティブなことではなく、その言葉の奥には、「モノのあるべき姿」が宿っていて、時代が何週かして、簡素でいい、質素でいい、ともっと堂々と言ってもいいというか、シンプルよりももっと硬派で大切でかっこいい存在として語ってもいい時代になってきたのではないか、と思います。

これからの「簡素・質素」。
よくよく研究して、見極めてみたいテーマです。
コメント一覧
コメント投稿

名前

URL

メッセージ