光り輝く影
おも校(地立おもしろい学校)が開校してもうすぐ1ヶ月。
「教育」という底なし沼から、たくさんのことを学ぶ日々。


「自由」は素晴らしい。
でも「自由」っていったいなんだろう?

したくないことはしなくてもいい。
これは本当に自由だろうか?
できなかったことができるようになったうえで、それをするかしないかを選択できることが、本当の自由なんじゃないのかな。

「多様性」は素晴らしい。
でも「多様性」っていったいなんだろう?

多様性に寛容といいつつ、多様性を認めろーとデモ行進する人たちは、果たして多様性に寛容といえるだろうか?
多様性に寛容ではない人たちに対しても寛容になれなければ、それももう、否定と同じ。

フリースクールやオルタナティブスクールに通えば登校とみなす、という国の妥協案が実現しても、数字のマジックで、不登校児の「数」が減ったように見せたいだけ。


なぜ「撮影」が、「光を撮る」ではなく、「影を撮る」と書くのか。
影がなければ、それはただの「真っ白な闇」。
おも校がおもしろいのは、そこにちゃんと、「光り輝く影」があるから。

一条校(国が認めた学校)でもなく、オルタナティブスクールでもないのが、おも校。
大人達にこそ、その違いの本当の意味を知ってほしい。

広告業界の人間だからこそ作った学校の、その役割を。
デザインモンスター


過去、僕のことを「デザインモンスター」と呼んでくれた優しい人がいましたが、僕のような偽物ではなく、世の中には本物のデザインモンスターがうじゃうじゃといて、僕の中では、その中の頂点にキングとして君臨しているのが柳宗理さんであり、他にも世代を問わず、すごい才能たちが世界中でたくさん生まれてきていて、発想力というよりは、実現力の圧倒的な差にうならされている日々です。

僕は昔から、自分が常に一番下(底辺)だと思ってデザインをしてきました。
常に最下位。

それは、下は一切見ず、上だけを見て、上と自分の差をどうすれば縮められるかをいつも考えてきたからで、イメージとしては、地面を蹴り上げ、上へ上へと舞い上がっていくのではなく、僕の場合は、地面ごと上に上がっていく感じ。
なので、どれだけ上に上がれても、常に自分が一番底辺、最下位なのです。

もしかするとネガティブな発想に思われるかも知れませんが、僕としてはこれ以上ないほどにポジティブな感覚。
一番下っ端、一番底辺にいるからこそ、上を目指し続けられる。

よく、ジャンルを問わず一流の人達は、「もっとうまくなりたいと常に思っている」と言いますが、若い頃は、それをかっこつけた発言かと思った時もあったけど、この年齢になると、本当に素直にそう思うもんなんだなというのがよくわかります。
そしてこの発言は、自分を常に一番下だと思うからこその、チョー前向き、チョー上向きな言葉なんだと思うんです。


三重県から本物のデザインモンスターが生まれるその日のために、僕は僕のできる全力で、少しでも道づくりに貢献したい。
そのためにも、もっともっと、デザインがうまくなりたい。
いつまで経っても下手くそな自分をしっかりと受け入れつつ、明日は今日よりも1ミリ進んでいたい。

それはきっと、じいさんになろうが車椅子に乗ろうが寝たきりになろうが、一生続く見果てぬ旅なのだと思います。
成美さん



夜のおも校(写真は体育館)もなかなかのもの。
ただ、夜は誰もいないので、ライトアップする機会は現在皆無(笑)。
なんか夜のイベントでもしようかな。

ところで、先日のおも校の開校式でもそうでしたが、昔から日本では、同じ会社等の身内を紹介する際、たとえ年下であろうと後輩であろうと部下であろうと、上司の苗字に敬称を付けずに呼ぶのが通例です。
「弊社代表、丸川から~」というように。

僕は昔からずっとこれに違和感を感じていて、これはいわばビジネスマナーなので、これをしないと失礼にあたる相手や不快な思いをする人がいるから、失礼のないように、という意味で続けられている慣習なわけですが、これをそうしないと果たして一体、誰が、どんな風に不快なのでしょうか?

実際にたくさんの人に不快な思いをさせてしまうのであれば、ぜひとも続けていくべきことだと思いますが、誰に対して失礼にあたるのかも正直よくわからない。

身内を下げることが美学であった昔の日本のなごりかも知れませんが、例えば、とんねるずのノリさんは、奥さんのことを、どこでも、誰に対しても、「成美さん」って言ってるそうだし、なんかそういうのでいいと思う。

そもそもおも校に、そういう慣習はどうにも似合わないので、今後はひとつずつ、おも校らしい感じでやっていきたいと思います。


そうそう、どなたかの家に、昔ながらの応接セット(ソファーとか椅子とか)、余ってないですか?
もし余ってたら、おも校へ譲ってくださいませ。
よろしくお願いいたします。

明日は長靴履いて「おも山」へ行ってきまーす!
おも校開校



先日、教育プロジェクト「地立おもしろい学校(おも校)」の曽原校が無事に開校。
工事やら掃除やら、みんな忙しいのに時間を作ってご協力いただいた「おもじろーず(おも校応援団)」のメンバーの方々には、言葉にならないほどの感謝の気持ちでいっぱいです。
そして、ささやかな開校式にもたくさんの方々にお集まりいただき、これまでの苦労がいっぺんに報われる素敵な開校式となりました。

開校式でのノベルティとして、三重県津市美里町のパン屋さん「チクネ」さんに作っていただいたおもじろーパンと、東京時代のアシスタントで一番弟子の千容ちゃんと旦那のツトムくんから開校記念にとプレゼントしてもらったおも校シールをおすそ分け。
なんと、その後「チクネ」さんにて、おもじろーパンが販売開始とな。
このパン、めっちゃ美味しいです!


最初の企画書を作ったのが今年の3月。
メンバーを集め、実際にプロジェクトがスタートしたのが7月。
それからわずか4か月での開校。
正直、ここ数か月は目が回る怒涛の日々でした。

昼間はおも校の作業や打ち合わせや会議、夜中に通常のデザイン業務や制作、新プロジェクトの企画作り、開発メンバーとの共同作業などなど。
体はボロボロ、制作が遅れ、クライアントの皆さんをお待たせしつづけているにも関わらず、思うように制作が進まず、納得がいく企画やアイデアがなかなか出ないことのビックなストレス。
今日もまだ軽い目まいや立ち眩みが続いていますが、まあダマしダマしいけるうちはまだ大丈夫だろうから、なんとかこのまま走り抜けたいと思います。


実際に学校がスタートしてみて、この企画を立ち上げて良かったと心から思う。
責任も大きいし、やることも膨大だし、お金もじゃんじゃん消えていくけど、自分たちで作った小さな学校で、小さな校庭で、小さな畑で、小さな体育館で、それでも元気よく走り回ってる子ども達を見てると、全部の苦労が吹っ飛んで、やっぱり「学校」っていいなあと思った。
一般的な公立校では学校を好きになれなかった子ども達にも、おも校に来てそう感じてもらえる場所になれたらいいな。

とにかくまずは、子ども達、そしてママ達にとって、「普通に息ができる場所」になること。
普通に息ができるまでに、1日でそうなれる子もいれば、1年かかる子もいるだろうけど、そこは本人のペースで大丈夫。

その後は、色々な遊びを通して、デザインの視点と考え方を自由に使いこなし、未来を自分で創っていける、そんな子ども達をゆっくりと育てていきたい。

よく、フリースクールと混同される方もいるけど、おも校は「自由に生きる」というよりは、「不自由をどう活かすか」を遊びの中から見つけていく場所。

今後少しずつ、おも校の子ども達も増え、おもじろーずのメンバーも増え、笑顔を取り戻すママ達も増えていくはず。
そのために、ボロボロの体にムチを入れて全力で取り組んでいきたいと思います。

来週はご好意によりご提供していただいた山、その名も「おも山」へ、子ども達とおもじろーずのメンバー達とで遊びに、そして学びに行ってきます。
体、もつかな・・・。

今のところ、月曜日と水曜日は開校しておりますので、お気軽に遊びにいらしてください。
散歩に行ったり山に行ったりして留守にしてる時もありますけどねー(笑)。


休校日の今日も昼間はおも校の作業でした。
ひと通り作業を終え、ひとり、体育館の壁に書かれたオモジローを見ながら、僕自身、「デザイン」と出会えて本当に良かったと心から思った、そんな日でした。

さあ、今日も夜は制作、制作、制作。
頭痛薬をかっ込んで、いざ!