おもしろい学校をつくろう!



「おもしろい学校をつくろう!」を合言葉に立ち上げた新しいプロジェクト「地立おもしろい学校」。
「教育をデザインする」というコンセプトで企画を作りましたが、それっとどういうこと?ってお思いの方も多いことでしょう。


ところで、どんなに賢い人でもお金持ちでも、生きていれば何かしらの問題やトラブルに出くわします。
対処法は大きくわけて、がんばって乗り越えるか、スルーするか、の2択。

ただ、がんばって乗り越える派の人達の中には、自分の考えを押し付けたがる人もいます。
それが有効なシーンもありますが、精神論や根性論が苦手な人には敬遠されがちです。

反対に、死ぬくらいなら逃げればいい、ダメな自分だとしても気にせずいこー!、見たくないものは見なくていい、聞きたくないことは聞かなくていい、というのがスルー派だとして、この考え方に救われた人もたくさんいるはずです。

ただいつも思うのは、なぜにいつも両極端に分かれていくのかなってこと。
白か黒か、右か左か、上か下か、勝つか負けるか、向かうか逃げるか、生きるか死ぬか。
もちろん全員とは言いませんが、わりと多いんじゃないかと僕は思っています。

だから提案。

乗り越えるか、スルーするか、デザインするか。

つまり、乗り越える方法が有効な場合はそれを、スルーしたほうが有効な場合はスルーする。
両方を混ぜ合わせたほうが有効な場合はバランスを見てうまく和えていく。

でも、それをどう判断するの?という疑問もわきます。
どう判断して、どう活用して、次にどうつなげていくか。
それを手助けしてくれるのが、デザインの手法です。

「A」という行為があって、それは「B」という本当の目的があるうえでの手段としての「A」だとします。
でも、世の中には「A」そのものが目的になってしまう人がたくさんいます。
「B」という本来の目的があるのであれば、「A」でなくても「C」という方法でもいいはずなのに。

例えば「あいさつ」はどうでしょう。
あいさつは大切です。
それは間違いない。
でも「あいさつ」の真の目的を忘れて、とにかく角度や姿勢や声の大きさや表情ばかりをとやかく言う人がいます。
それが苦手な人はあいさつをしなくなる。
あいさつ自体が苦手になる。
でも、本来の目的を果たすことが最も大切であるならば、必ずしも大きな声である必要もきっちり45度である必要もありません。

モノゴトの本質である「B」を正しく見つけ出し、それをお互いが共有する。
両者のどちらかにガマンを強いるのではなく、どちらにとってもハッピーなアイデアを見つける。
そうやって新たな解としての「C」や「D」を生み出していく。
それを可能にしてくれるのが「デザイン」だと思います。

さっぱりわからん!とお叱りを受けそうですが、そういう「デザインの手法」を最大限に活用して教育や学校や学ぶということそのものをデザインしていく、それが10月の開校を目指している「地立おもしろい学校」という取り組みです。


いくら小さいプロジェクトとはいえ、企画の特性上、実際の運営には色々と大変なことがあります。
でもありがたいことに、「プロジェクトに参加したい!」や「入学したい!」という声をたくさんいただいているので、まあなんとかなるか、と楽観的に考えています。(やけくそではありません)

そもそも「地立おもしろい学校」って何なんだ?
何をする場所なのか?
どうやって運営していくのか?

開校までに決めなければいけないことがありまくってて、現在も絶賛バタバタもがき中。
それでも、僕らの取り組みを多くの方に知っていただき、日本中で僕らを待っててくれているだろうたくさんの人へ届けていきたいので、夏バテってる暇もなく、このまま脳みそフル回転で走ります!


▼地立おもしろい学校
https://omoshiroi.school


さあ、おもしろい学校を、つくるどー!
おもじろー







不安定な天気が続いておりますが、皆様お変わりなくお過ごしでしょうか。

さて、現在準備を進めております新しい教育プロジェクト「地立おもしろい学校」のエンブレム(校章)が決定いたしましたのでご報告させていただきます。

1)「OMOSHIROI(おもしろい)」の「O(オー)」の形(綺麗な丸じゃなくても構わない)
2)驚いた時の口の形(気づきや感動の前にはいつも驚きがある)
3)トンネルの向こうに見える光(暗闇から抜け出そう!)
4)明るい場所に出た時の小さくなった瞳孔(最初はまぶしいけどゆっくり慣れていけばいい)
5)井の中のカエルが見上げる小さな空(あの空へ飛び出そう!)
6)丸い形はどんな形にも変形できる(何者にだってなれるし、ならなくてもいい)
7)丸い形には行き止まりがない(ワクワクするほうへ歩いていこう!)
8)ドーナツみたいで美味しそう(美味しいは正義!)

などの意味がこもったエンブレムです。
ちなみに名前は「おもじろー」と申します。
国籍も性別もありません。
たぶん、いい奴だと思います。
以降、お見知りおきくださいますよう、何卒よろしくお願いいたします。


「おもしろい(面白い)」の語源は、暗闇を抜けて目の前(面)がパッと明るく(白い)なること。だからこそ「地立おもしろい学校」には、「ラボ」と「学校(本校と分校)」の2つの顔があります。
「ラボ」は、様々な分野のクリエイター達と一緒に、勉強や学びをどうすればもっと「おもしろく」できるかを研究し、開発するラボラトリーです。
「学校(本校と分校)」は、ラボが考えたアイデアやツールの実践と検証を行う場所であり、既存の学校の代わりとなる代替教育の場でもあります。
さらに、既存の小中高と連携し、協力し合い、ラボのアイデアやツールを実際に小中高の授業でも使用していただけるように準備していきたいと思っています。

「地立おもしろい学校」は、大人も子どももどちらでも入学できる学校として、地域とクリエイティブとみんなの力を合わせ、「学び」をデザインし直し、学ぶことのおもしろさに出会える場所でありたいと思っています。
今秋の開校を目指して、まだまだやることが山積みですが、仲間と共に歩む道は楽しさが勝ります。
とりあえず理事長(僕です)と副理事長と本校の校長先生だけは決定しましたが、それでもまだまだ人手も設備もあれもこれも、まるで足りていません。
もしもご興味のある方がいらっしゃましたら、おもじろー手拭いや、おもじろーTシャツを無理やり着させられる可能性がないとは言い切れませんが、どうか恥ずかしがらずにご参加ください。


▼地立おもしろい学校
https://omoshiroi.school


僕らが来ることを、きっとどこかで誰かが待っててくれている。
そう信じて、一歩一歩です。
おも校ミーティング



昨日、新しいプロジェクト「地立おもしろい学校」の第ゼロ回となる最初のミーティングを、19歳~67歳の参加者6名(うち1名はZOOMで参加)にて開催しました。

年齢もバックグラウンドも違うバラエティに富んだメンバーにて、「誰とどう作るか?」の前に、もっとも大切な問いである、「なぜ作るのか?」について意見を交わし、改めて「地立おもしろい学校」の必要性を参加者全員で共有することができました。
他にも、既存の学校やオルタナティブ教育と何が違うのか、何が新しい取り組みなのか、目指すべきゴールはどこか、などを話し合い、全会一致でプロジェクトの始動が決定!
いよいよ本格的に動き出していきます!

次回の全体ミーティングは8月。
この時はさらに参加者を増やし、運営体制、役割分担、資金集め、生徒の募集方法など、より具体的な内容について協議していく予定ですので、教育関係者、各種クリエイター、他にも多彩なジャンルの方々に、賛同&参加していただけたら嬉しいなと思っています。

現在、「地立おもしろい学校」とは何なのかをご理解いただくためのウェブサイトを制作中です。
サイト内でも、企画に賛同し、参加していただけるメンバーさんを募集してまいりますので、そちらも何卒よろしくお願いいたします。
家訓



ニンテンドースイッチのコントローラーは割と壊れる。
修理に出したり買い替えたりすると結構な出費になるので、我が家では修理キットを使って毎回自分で修理しています。

職人だった父親の口癖は、無い物は作れ、足りないものは工夫しろ、でした。
その言葉をずっと守って生きてきたので、まずは自分で直してみる。
どうしてもダメなら修理に出す。

そしてこの家訓は、いずれ娘たちへと引き継いでいく。
の予定でしたが、自分でやってみる?と聞いたら、自分で壊したくせに、めんどーとかいいやがる。


父上、残念ながらこの家訓は、僕の代で終わりそうです。
DESIGNED BY CHILDREN 2022



2015年から三重県の勢和小学校(多気町)で毎年実施してきました、小学6年生を対象にしたデザイン教育プロジェクト「DESIGNED BY CHILDREN ~デザインを手にいれたコドモたち~」の今年の日程も全て無事に終了!

記録のための写真やビデオを見返して毎年思うことは、いくら何でもいよいよ痩せなきゃなってことと、50代のごっついおっさんじゃなく30代のヤングなイケメンデザイナーがやるべきだなってことと、個性豊かな子ども達の変化。

自分の小学6年生の頃と今を比べること自体がナンセンスかも知れないけど、今の子ども達のすごい所は、ゲームに慣れ親しんでるからか、「理論」への理解がちゃんとあって、飲み込みがすごく早いこと。
でもその反面、無い物を生み出す想像力に関しては、昔の子どものほうが豊かだったようにも思う。

とにかく、「今」や「時代」とこうして触れ合える機会を与えてもらえてることに感謝したい。
この活動がもっともっと広がっていくようにがんばらないとな。

来年はカリキュラムを思い切って変えてみようと思う。
そして、僕の後を引き継いでくれる若手を育てよう。
誰か、立候補してくれる若者はいねーか?


勢和小学校の皆さん、今年もありがとうございましたー!
安心感
今日も暑い中、3件の打ち合わせ。
うちひとつは、クリエイティブディレクターとして全体の総括を担当する新事業のキックオフミーティングでした。

新事業のチームリーダーは25歳の若き女性起業家。
こういう時、僕が彼女たちに与えてあげるべきことは、これまでの知識量と経験値以上に、何よりも「安心感」だと思う。

このおっちゃんがいれば何とかなる。
何があっても、最後にはこのおっちゃんが何とかしてくれる。
そういう安心感を彼女たちに持ってもらうことが何よりも大事。


最後はおっちゃんが何とかするから、自分たちが信じる道をおもいっきり突き進んでほしい。
太らないチョコ
三重県内の中学校から、生徒たちが取り組んでいる防災企画にデザインの視点からアドバイスをするお役目をいただいた。
こうやって少しずつ地元三重県の教育にデザインで関われることが増えていくのは大変嬉しく光栄なこと。

通常、こういう企画の場合、子ども達ならではの視点が抜け落ちていることが多く、大人が考えそうなことを考えて、はいよくできました、と終わるのがオチ。
でも、子どもだから見えてくることがきっとあるし、子どもだから気づけることがもっとあるはず。
まして、実際に災害があった時は、真っ先に避難しなければいけないのが子ども達自身。
そういう視点から企画を考えられているかをアドバイスできればと思う。


近年、教育をデザインしようという動きはどんどん盛んになっている。
実際に「教育×エンターテインメント」な活動やサービスは世の中にたくさんあるし、それをテーマにベンチャー企業を立ち上げる若者もたくさんいる。
でも、そのわりには広まっている印象は少ないし、数年で撤退してしまうベンチャー企業も多いと聞く。
なぜだろうか?

要因は色々あると思うけど、やはり国が定める既存のルールという壁の圧倒的な高さと分厚さが原因だと思う。
通常、教育をエンタメ化した教材やゲーム要素を取り入れた授業などは、通常の教科とは別の「総合的学習の時間」という枠の中で行われることが多い。

ちなみに「総合的学習の時間」とは、「生徒(児童)が自主的に課題を見つけ出し、課題解決のための資質や能力の育成を目的とした探究学習の授業」で、小学校6年生の場合は年間70単位時間が割り当てられ、授業内容は学校や教師の裁量に任されいる。
ただ、任されているとはいえ、実際の現場ではそれほど自由度が高いとは思えない。
ましてや「総合的学習の時間」を魅力あるものにするためには、それなりのスキルを持った教師でなくては難しいと思う。

僕が行っているデザイン教育プロジェクト「DESIGNED BY CHILDREN~デザインを手にいれたコドモたち~」も「総合的学習の時間」を利用させてもらっているけど、こういう取り組みや授業が「総合的学習の時間」でしか出来ないこと自体が問題だと思う。

学校を変えたい!と思ったら学校の中にいては難しいのではないか。
本当に学校を変えたいのなら「学習指導要領」の鎖に縛られない別の場所を作るしかないのではないか。
文科省や学習指導要領の壁の高さを前に、たかがベンチャーはあまりにもか弱い。

新しく立ち上げようとしている「地立おもしろい学校」というプロジェクトは、子どものためだけの場所でもないし、大人のためだけの場所でもない。
不登校児や障がい児のための学校でもなく、おもしろい学校で学びたいと思う全ての人のための場所。
なので、不登校児も障がい児もミュージシャンもデザイナーもサラリーマンも医者もマジシャンもスポーツ選手もお笑い芸人も料理人も、みんなが普通に一緒にいて、みんなで一緒に学校をおもしろくしていく場所だ。

そんな「地立おもしろい学校」が、「教科書もあるし先生もいる学校」というスタイルにこだわっているのは、日本の学校そのものを全否定しているわけではなく、良い所はそのまま残してダメな所はおもいっきり変えていこう、と思うから。
僕は学校が嫌いじゃなかったし、「学校」というキーワードに紐づけされた大切な想い出がたくさんある。
僕はただ、学校をもっと素敵でおもしろい場所にしたいだけなのだ。

未来は子ども達がつくる、とよく言うけれど、赤を青に、右を左に、上を下に、急に変えられるわけじゃない。
未来を作るということは、少なからず「今」を否定することでもあるわけで、未来という理想のゴールを定めて、そこから逆算して今何をするべきか、何を残し何を変えていくべきかをいくら問うても、「過去」や「今」に固執する勢力がそれを全力で阻み、その巨大な壁の前にいくつもの志とベンチャー企業が沈んでいく。

1か月後に急に10キロ痩せられるわけじゃない。
今日のこのチョコ1個が、1か月後の10キロ減量へとつながる。
現状に固執する勢力達が、まだ見ぬ未来のために、今、このチョコ1個を取り上げられることに耐えられるだろうか?

でも、だからといって、声をあげ、プラカードを掲げて、無理やりにチョコを奪っても効果は薄い。
チョコが美味しくないと感じる仕掛けや、太らないチョコを新しく作ってあげるほうが、もっとチャンスが生まれるだろう。

それがデザインの役割であり、それが「地立おもしろい学校」なのだ。
続・おもしろい学校
前回に続き、おもしろい学校を作ろう!の件。
プロジェクトの名前は、公立でもなく私立でもなく、地域と一緒に育てていく学校なので、仮に、「地立 おもしろい学校(ちりつ おもしろいがっこう)」とする。
プロジェクトメンバーが集う拠点となる場所を探し中なので、空き家の情報、お待ちしております。

はてさて、おもしろい学校とはどんな学校なのか。

例えば、とある社会の授業。
先生がまず、タブレットでルーレットを回し、ランダムに出現する3つのキーワード(「自転車」「夕焼け」「ホッチキス」など)を決定する。
そのキーワードは、子ども達たちが言ってはいけない「NGワード」。
このNGワードを、チャイムが鳴るまでに子ども達に3つとも言わせたら、先生の勝ち。
ひとつでも残ってしまったら、子ども達の勝ち。

先生は、社会の授業を進めながら、どうやって「ホッチキス」という言葉を子ども達から引き出すのか。
子ども達は、無事にチャイムが鳴る終えるまでNGワードを言わずに済むだろうか。

これは家庭でも出来るので、夕飯時とかにぜひやってみてほしい。
ご飯を食べ終わるまでに、子ども達に3つのNGワードを言わせるのは至難の業。
もちろん、いつもの口癖とかをNGワードにしてしまうと、普通の会話もまともにできなくなってしまうのでダメ。
あくまでも、ランダムに出現するキーワードにすること。
もしも親が勝ったら、その日のお皿洗いは子ども達にしてもらおう。

このゲームで大切なことは、ギリギリのところで、先生または親が負けること。
負けたほうは、ちゃんとおもいっきり悔しがってください。


こういうことをすると、子ども達が勉強に集中できないだろ!という人がいるかもしれないけど、僕は逆だと思う。
この、ゲームのような授業がいざ始まると、子ども達はもう、先生やほかの子ども達の一言一句に集中せざる得ない。
なのでむしろ、感覚は研ぎ澄まされると思う。

こんな風に、100人のクリエイターがひとつずつアイデアを考えれば、100通りのおもしろい授業が作れるんじゃないかなと思う。


明日は、小学校で行っているデザイン教育プロジェクト「DESIGNED BY CHILDREN~デザインを手にいれたコドモたち~」の2日目。
怖いくらいな暑さかも知れないので、熱中症対策を万全にしつつ、マスク越しでもわかる子ども達のキラキラした笑顔に会ってきます。