夢物語
先日からの熱中症の症状もひとまずおさまり、ひと安心。
経口補水液のオーエスワンを片時も手放さず、対策も万全。
ご迷惑を改めてお詫びし、ご心配とお心遣いに心から感謝します。

そんな中、前回の投稿で書いたとおり、今後、何を選択し何に集中すべきかを考える。
そのひとつは、「教育事業」だと思う。

これまで、三重県出身のクリエイターにロングインタビューする雑誌「MIENOKO」(2012~)、小学校で行うデザイン教育プロジェクト「DESIGNED BY CHILDREN~デザインを手にいれたコドモたち~」(2015~)、ノンデザイナーにもデザインの視点と考え方を教える、デザインを「わかりたい」人のためのデザインスクール「WIPE ACADEMIA」(2018~)、と3つの教育関連プロジェクトを実践してきた。

ただうちの会社では「教育事業」というカテゴリーに分類されるこれらのプロジェクトも、実態は不採算で「事業」なんて呼べるレベルには程遠い。

それなのにデザイナーになってからずっと「教育をデザインしたい」と言い続けてきたのは、デザインが装飾のためではなく、問題の本質を正しく見つけ出し、それを見事に解決できるツールであることを知ってから、世界中の様々な問題を見聞きするたびに、その問題の本質を掘り下げていくと、いつも必ず最後は「教育」につきあたってきたからだ。

そして懲りずにまた、4つ目の「教育事業」を立ち上げようと画策中。
それもずばり、学校を作ろう!ってプロジェクト。
まだ頭の中だけの話だけど、心の中の得体の知れない何かが僕にそれをやれと言う。
光り輝くアイデアはまだ見つからないけど、ワクワクしてる自分がそこにいる。

全部の根底にあるのは、いつだって「教育」だった。
でも僕自身、不登校だったわけでもないし、いじめられた経験があるわけでもないけど、学校がおもしろくならなきゃ、学ぶことが楽しくならなきゃ、分かることの喜びをたくさんの人が知らなきゃ、世の中が良くならない気がしてならない。

かつては僕らも子どもだった。
でも大人になるにつれ、子どものことがよくわからなくなっていく。
「時間」の理解ができていない小さい子どもに「あと5分しかないよ!急ぎなさい!」と言っても、「あと5分で終わり!」と言われても、5分がどういう長さなのかが感覚的にわからないから、その通りにできるわけがない。
大人の常識で子どもを叱っても、意味のわからない子どもにしてみればただただ怖いってだけで、全然おもしろくない。

子どもだけじゃない。
勉強が嫌いだった、学校が楽しくなかった、そういう大人がきっとたくさんいると思う。
きっと僕らは、「学ぶ楽しさ」を学ばずに、「分かるおもしろさ」を知らないままに、大人になってしまったのかもしれない。
でも、学ぶってことは、きっともっと楽しいもののはずだし、答えのもっと先のほうにある、僕らが本当に知りたかったことを知る術がどこかにあるはずだ。

「おもしろい」の定義は人それぞれだけど、そもそも「おもしろい」の語源は、暗闇から抜け出して目の前(面)がパッと明るく(白く)なることだ。
わからなかったことがわかった時の笑顔は学ぶことの楽しさに出会えた証だし、デザインで誰かの目の前をパッと明るく照らせたらとてもハッピー。
だから、おもしろい!って本気で思えるクリエイティブな学校を作ってみたいのだ。

モンテッソーリ、シュタイナー、フリースクール、ホームスクーリング。
世の中にはすでに優れた教育環境がたくさんある。
既存の学校にガマンして通うくらいなら、積極的にこれらのオルタナティブな教育環境を選択すべきだ。

でも僕が作るなら、優秀な教育環境がすでにたくさんあるんだから、それの真似をしても意味がない。
だから、僕が作りたい学校は、教科書がない教育ではなく、教科書がちゃんとおもしろい教育。
先生がいない教室ではなく、先生がちゃんとおもしろい教室。
何をするのも自由な学校ではなく、一緒に何かをするのがめちゃくちゃおもしろい学校。

「おもしろい学校」なんて、ただの理想にすぎない「夢物語」だと僕も思う。
でも、だから挑まないってのも僕らしくない。
とはいえ、「おもしろい学校」ってどうやれば作れるんだろうか。


オーエスワンを小脇に抱え、悩みは続くよ、どこまでも。
一緒に悩んでくれる人、この指止まれ。
熱中症
不覚にも先々週末に風邪を引き、そこへ来て体力が落ちている先週末に熱中症でダウン。
仕事が立て込んでいて疲れ果てていたとはいえ、ゴリアンデザイナーの僕を動けなくさせる威力。
自分が若くないことを痛感する。
絶好調とはいかないが、今日から少しずつ仕事を再開。

今回のことで多方面にご迷惑をかけた。
お詫びしてもしきれないが、今回のことだけじゃなく、やはりそろそろ仕事のやり方を変える時期だなと、ベッドでうーうーうなりながら改めて思った。

世の中には、バスの揺れ方で人生の意味がわかる人だっている。
熱が下がらず、体力が戻らず、手元に力が入らず、タバコを持つ手が震えたりコーヒーをこぼしたりキーを打ち間違えたり、こういうことの全部がメッセージだと思うほどファンタジスタでもロマンチストでもないけれど、何かを感じ取るには十分な週末だったと思う。

良質な仕事ってものは、有名だからとか歴史があるからとか経験豊富なベテランだからとかではなく、いつもパワー全開でエネルギッシュでパワフルで、自分が放つ光で回りを明るく照らしてしまえるような人のもとへ集中する。
そういう人は常に動き回り、常に考え、有言実行で結果を残していく。

だからこそ僕は、スタートアップの頃のように、もう一度やるべきことを選択し、それに集中しよう。
それがどれほど小規模でも、それがどれほど地味で目立たなくても、これぞ自分の仕事、と言い切れる仕事を心から楽しめば、結果はきっと後からついてくる。

小さく、狭く、深く、鋭く、ワクワクする音のなるほうへ。


でもまずは、体調管理ですね。
大好きな笑顔



天候が荒れた今日、毎年恒例の旧友の墓参りに。

妊娠中にガンが見つかり、2000年に27歳の若さで出産と同時に天国へ逝ってしまった陸上部のマネージャー。
最愛の子をその胸に抱くこともできず、さぞ無念だったろう。
母の命を引き継いだ息子も、今年で22歳か。

彼女の墓の前にいると、とても自然に、優しい気持ちになれる。
ご先祖様の墓参りでは、俺は大丈夫だから安心してね、といささかの虚勢もはるけれど、彼女の前だと弱さもズルさも全部を素直に出せる。

この前のアレ、俺は悪くないよな?
どう思う?おかしいだろ、アレ。
そんな風に、1年分のあれやこれやを彼女に愚痴る。
きっと彼女は笑ってる。

みんなが大好きだった彼女。
分け隔てなく包み込む彼女の人柄。
あの大好きだった笑顔に、また会いたい。