奥の細道



コロナ以前へ「戻ろう」とする人たちと、コロナ時代の先へ「進もう」とする人たちと、その狭間でうろたえ、迷い、留まる人たちと。


月日は二度と還らぬ旅人であり、行きかう年もまた同じ。
船頭として舟の上で人生を過ごす人、馬子として愛馬と共に老いていく人、かれらは毎日が旅であり、旅が住いなのだ。
(奥の細道)

川の流れは絶えることはなく、それでいてそこを流れる水は、同じもとの水ではない。
川のよどみに浮かぶ水の泡は、一方では消え、また一方ではできて、そのまま長くとどまっている例はない。
世の中に生きている人とその人たちの住処もまた、ちょうどこの川の流れや水の泡のようなものである。
(方丈記)


できるなら、僕もそうでありたい。
もめんノート



今夜はお通夜、明日は告別式。
身近な人の死は、自分の残された時間について考えさせられる。

亡くなったあとはあとで、色々と残された問題や課題も多い。
やはり故人が、生前のうちに色々と決めていってもらえると助かります。

ところで、我が故郷の松阪市には、500年続く伝統工芸「松阪もめん」がありますが、この「もめん」と、残された家族で揉めないでね、という意味の「揉めん」を掛け合わせた、「もめんノート」という名のエンディングノートがあるそうです。

ただ、「死人に口なし」とはよく言ったもので、本人は家族葬を希望していたのに、結局大掛かりな葬儀になってしまうパターンって多いので、エンディングノートにどこまでの効力があるのかは不明ですが、それでも、何かしらの意志は示しておいたほうがいいのかなと思います。


上の娘は、「もめんノート」と聞いて、「おっぱいが揉めん」と言ってひとりでゲラゲラ笑い転げてますが、こういう強靭なメンタルの持ち主はきっと後悔のない人生を送るのでしょうね。

羨ましい。


▼伊勢新聞の記事
https://www.isenp.co.jp/2020/09/01/49445/
たろか星人



松阪牛などで有名な僕が生まれ育った愛すべき故郷、三重県松阪市。
そこで暮らす松阪人を、別名「たろか星人」と僕は呼んでいる。

「教えたろか?」
「代わりにやったろか?」
「反対側、持っとったろか?」
「後で持ってきたろか?」
「お茶いれたろか?」
「呼んできたろか?」
などなど、悪意はないだろうが、とにかく押しつけがましい。

その後、25歳から東京で暮らすようになって、その違いに衝撃を受けた。

「お教えしましょうか?」
「私が代わりましょうか?」
「反対側、持ってましょうか?」
「後で持ってきましょうか?」
「お茶いれましょうか?」
「呼んできましょうか?」
などなど、とにかく押しつけがましくない。
なんてスマートなシティなんだと、よし、これからは俺も真似をしよう!と心に決めた。

それから24年後、三重県へ戻ってきて8年が経った今、ついつい僕も、「たろか星人」がひょっこりはんする。
もちろん悪意などないが、慣れというのは本当に恐ろしいものだ。
皆さんも、お気をつけて。
ドS度診断
息抜きにネットで見つけた「ドS度診断」。
項目に何個当てはまるか、だそうで、見事に全問パーフェクトで当てはまり、「真性のドS」との診断。

もちろん、とうの昔から自覚しております。
さらに、うお座の人にはドM気質の方が多いようで、僕とは相性がいいそうです。

うお座の方、お友達になりましょう(笑)。