Why?
理解できないこと、納得できないこと、ひとつの何かの原因が次々と連鎖して、疑問の噴出という結果につながる。
僕はとにかく、事実ではなく、真実が知りたい。

もしもガンになったら、真っ先に正直に告知してほしいタイプ。
雪崩のように押し寄せてくる「Why?」をそのままにしておけないから。

そもそも、クリエイティブディレクターという仕事は「Why?」の追求に他ならない。
なんで?どうして?どういうこと?を積み重ねていって、本質をあぶり出す。

だからこれからも「Why?」と問い続けていこう。
もうそれ以上は進めない「つまりはこういうこと」って所まで突き進もう。
誰かさんみたいに影でコソコソではなく、せめてこういう場でも、正直でいよう。

おざなりな評価なんて欲しくもない。
何を言われてもいい。
どう思われてもいい。
それをやめてしまったら、もはやクリエイターではいられない。
命のリレー



本日、6月27日で、次女(こと)が6歳となりました。
生まれてくるとき、低体重で生死をさまよったのが信じられないくらいに、ちょっと心配になるほどの元気な女の子に育ってくれました。

長女(いと)と次女の娘二人の新喜劇を観ているような笑いっぱなしの毎日は、それこそ宝箱のように光り輝いていて、僕なんかにも、生きていく意味を授けてくれているように感じます。

そして、6月27日は、僕が幼い頃に亡くなってしまった、大好きだった祖父の誕生日でもあります。
次女が生まれた時は、おじいちゃんが女の子に生まれ変わってきたーって親族の間では話のタネになっていましたが、もし本当にそうだとしたら、すごく嬉しいことです。
亡くなってからもう30年以上になると思いますが、今でも共に過ごした時間をはっきりと覚えているし、ゲームのキャラクターにつける名前も、おじいちゃんの名前をつけてます。

写真は、小学校の入学式の朝に、実家の玄関先で記念撮影した、おじいちゃんと僕です。
清く正しく厳しい人でしたが、心のとても優しい人でした。

いつか僕に孫ができたとして、僕が死んでから30年経ったあとでも、孫たちは僕のことを思い出してくれるかなあ。
まあ、そんなことを期待するのはナンセンスだな。
ただただ、前を向いて、元気に、幸せに生きていってくれたらそれでいい。

そもそも、娘二人の命は、おじいちゃんやそのご先祖様たちが繋いでくれたもの。
何かどこかでひとつ違っても、今の僕も娘たちも存在していない。
不思議なめぐりあわせと、命のバトンリレー。
めぐる、命と命の物語。
そしてもちろん、娘たちと出会わせてくれた奥さんにも心から感謝です。


いよいよ来年は次女も小学生になります。
天国から見てくれているのか、はたまた、次女はおじいちゃん本人なのかはわかりませんが、今日のこの穏やかな日を、共に喜んでくれていることでしょう。

こと、誕生日おめでとう。
おじいちゃん、ありがとう。
DBC2020 最終日



今日は、2015年から続けているデザイン教育プロジェクト「DESIGNED BY CHILDREN 2020」の最終日でした。
全3回、子ども達と一緒に、デザインの視点と考え方を楽しく学ぶことができました。

装飾のための技法だと思われているデザインの、本来の意味と役割に触れた子ども達がやがて大人になったとき、今日の日のことを、たとえ欠片でも覚えていてくれて、何か問題にぶつかったときに思い出してくれたら嬉しいなと思う。

問題の本質を正しく見つけ出し、それを見事に解決するためのデザインの視点と考え方は、この先子ども達が生きていくうえでの助けになるはずです。
吉田松陰先生の言葉を借りるなら、今日のこの出会いと学びが、どうか一粒の籾として、次の春の種となれますように。
そしていつか、自分が生まれ育った見慣れた景色の中に光を見出し、それを燦燦と光り輝かせてくれることを、心から願っています。

子ども達、先生方、見学に来ていただいた皆様、本当にありがとうございました。


そしてその後の別の打ち合わせで、また新たな仲間たちとの出会いがありました。
これはものすごい化学反応が生まれる予感。
こんなにワクワクしたのは久しぶりです。
新たに立ち上がった新プロジェクトを1日でも早く皆さんにご報告できるように、ひとつずつ形にしていきたいと思います。


ブラボー!子ども達!
ブラボー!仲間たち!
ブラボー!デザイン!
ラスト1週



先日、名古屋の友人と話してて、彼女は僕よりも少しだけ年上で、彼女が48歳の時、つまり、今の僕の年齢の時に考えたという内容がとても興味深かった。

彼女が48歳の時に思ったことは、60歳まであと12年、ひとつの区切りを60歳と考えるなら、あと干支1週(12年)だってこと。
この、ラスト1週をどう生きるか、どう設計するか、限られた残りの時間を、「誰」と「どう過ごす」か。
彼女の話を聞いていると、それはとても大事な問いだなと思った。
今の彼女を見る限り、その時に選んだ選択と下した決断が間違いではなかったってことがよくわかる。

もちろん、60歳以降も人生はまだまだ続くんだけど、60歳をひとつの区切りだと考えるなら、今まさに僕は48歳で、あと干支1週。
残りの時間を、「誰」と「どう過ごす」か、僕もよく考えてみた。
目指している場所へとたどり着くためには、何はともあれ、まずは仕事のやり方と人間関係を見直す必要がある。
まさに、「誰」と「どう過ごす」か、だ。

くだらない付き合いも必要ない。
意味のない関係性も必要ない。
ごっこ遊びもいらない。
お互いを高め合えない関係にも意味がない。
傷を舐め合うだけの関係なんて気持ち悪い。
「本当」から逃げてるだけの関係じゃあ何も生み出せない。
本能を誤魔化して生きるなんてまっぴらごめん。
本能と向き合うことから逃げて、それを誤魔化して笑ってる人を、僕は決して信じない。
行くべき道、共にいるべき人間、それを知っているのは頭ではなく、心だ。
でもそれは、ホッとしたり、安心できたり、ってことじゃない。
楽なほうへ逃げれば、誰だってホッとする。
「痩せたいなら食べなさい」なんて言われたら、人はそれを信じたくなる弱い生き物だ。
でもそこに、きっと「本当」はない。


僕はよく不本意に敵を作るけど、それは僕が「本当のこと」をズバリと言うからだ、と指摘されたことがある。
でも、僕は辛口コメンテーターじゃないから、誰彼構わず噛みつくことは決してしない。
その言葉には意味があるし、想いがある。
でも、僕の言葉のその真意が、相手に正しく伝わったことはとても少ない。
ほとんどの場合は、誤解されたまま、自然と疎遠になっていく。
それは僕の言葉が足りないせいなんだろうけど、そもそも「周波数」が異なる関係では、いくら時間をかけて説明しても通じるわけもない。
だからそう、そういう関係性も、必要ないんだと思う。
意味のない関係は自然と淘汰されていく。

僕を嫌う人のために使う時間なんてない。
小さな世界にとどまらず、広い視野で、創造的に、本能の声を聞き逃さず、本当から逃げずに、本気で生きてる人とだけ、貴重な残りの時間を共有していくべきだ。
そして、そういう関係性を求め続けていれば、やがてそういう出会いがあり、でもそれが偽物なら、やがて自然と消えていく。
「誰」と「どう過ごす」かは、言い換えれば、僕がどうありたいか、ってことなんだと思う。


もしも、皆さんのまわりに、人間関係で困っている人や、そのことで死にたいくらいに悩んでいる人がいたら、伝えてあげてください。
あなたを嫌う人に使ってあげる時間なんて必要ないし、自分を守るために誰彼構わず噛みつくこともしなくていい。
あなたの人生に必要がない人は、自然と離れていくし、やがて消えていく。
だから決して、離れることや消えていくことを、恐れないでください。
神様を信じるよりも、自分の本能を信じてください。
本能とちゃんと向き合い、それを誤魔化さず、その声を聞き逃さないでください。
正しい答えは、きっとそこにあるから。
DBC 2020 2/3



明日18日は、2015年から続けているデザイン教育プロジェクト「DESIGNED BY CHILDREN 2020」の2回目。
前回の1回目は「デザイン」ってなんだろう?ってことを子どもたちと一緒に学んだ。
2回目以降はいよいよ実践編。
実際に手と頭を動かしてデザインの視点と考え方を学びます。

前回同様に見学は自由ですが、コロナ対策のため、必ずマスクの着用をお願いいたします。
体調の悪い方は見学をお断りさせていただく場合もございますので予めご了承ください。


さあ、明日も楽しもう!


創造教室プログラム
「DESIGNED BY CHILDREN ~デザインを手にいれたコドモたち~ 2020」(全3回)
場所:勢和小学校の体育館
(三重県多気郡多気町片野2343)

(1) 6月11日(木) 13:40-15:15
(2) 6月18日(木) 13:40-15:15
(3) 6月25日(木) 13:40-15:15
DBC2020 初日



2015年から続けているデザイン教育プロジェクト「DESIGNED BY CHILDREN 2020(以下、DBC)」の初日が無事に終了。
今回はついに、ドローン参戦!
中谷さん、ありがとう!

今回のDBCは、コロナの影響を受けて、通常全6回のところ、全3回に凝縮したバージョン。
さらに密を避けるため、会議室ではなく、体育館を使用。
空間が広いので、マスクをしながらの授業は結構つらい。
次回はマイクを使わせてもらおうかな。

今年は初日に12人もの方に見学に来ていただきました。
もっと色々な学校へ広まってほしいと願って続けてきたプロジェクトですが、僕の力不足のせいで、全然広がっていません。
でも、今日見学に来ていただいた皆様に、諦めずに続けていく勇気をいただけた気がします。
本当にありがとうございました!

2回目の授業は、来週の18日(木)13:40から。
しっかり準備して、子ども達と一緒に楽しみながらデザインを学びたいと思います。
会いたい人



6月の空の下、会いたい人に今年も会いに来た。
沈む船



今日、新たなクライアントの担当者さんと第1回目の打ち合わせをしてて思った。
彼はまだ24歳だが、その会社の社長の長男なので、つまりは次期社長。
世間一般の常識的には、まだまだこれから経験を積まないと社長の座にはつけない。

でも、本当にそれでいいんだろうか?
VUCAの時代だと言われて久しい現代において、いや、この先の未来を見据えて、「十分に経験を積んで」という発想自体がすごく危険な気がする。
まだ足りない、まだ早い、それって本当に意味があるんだろうか?

完成度にこだわって、というより憑りつかれて、なかなか市場にリリースできない企業や会社が日本にはまだまだ多い。
でも世界を見渡せば、20%の完成度で世に放ち、そこからフィードバックを得て改良を重ねていくのが主流になりつつある。
未だかつてないスピードで変化しつづける世界の中で、日本のそれはあまりにも時代遅れ感が否めない。

むしろ、24歳で社長にして、それを回りが支え、フィードバックを得ながら成長させていくべきじゃないのかな。
十分に経験を積んでから、なんて、少し過保護すぎやしないか?
時代の変化に柔軟に対応できる本当に強い企業を目指すなら、24歳という年齢が若すぎるってことはないと思う。
だって、デジタルネイティブな彼ら彼女らのほうが、時代の匂いに圧倒的に近い。
もちろん業種や業界によっても違うんだろうけど、起業家だけじゃなく、世襲経営でもそうあるべき時代になったんじゃないのかな。

何度も言ってることだけど、僕は美大も芸大も出てないし、どこかのデザイン事務所に勤めたこともないし、デザインもパソコンも全部独学で学んだ。
それなのに、28歳の時にほぼ未経験のままで独立した。
東京っていう、ある意味ライバルしかいない激戦区の中で、経験も実績もない未経験社長でスタートしたけど、独立から20年、なんとか会社を潰さずにこれた。
もちろん、吹けば飛ぶようなチョー零細だし、経営のど素人が偉そうに、と言われたらその通りですが、ちょっとした空気の変化で季節の往来を感じるように、時代の変化を見逃さないように気をつけてきたつもりです。
確かに今は、あまりにも変化が速すぎてそろそろついていくのがしんどいけど、できる限りに柔軟に、自分という軸を持ちつつ変化していける自分でいたいなと思います。

ずっと変わらないもの。
変わり続けていくもの。
今こそ、今という時代においての「不易流行」の真の意味と向き合おう。
それができなければ、その船はきっと、ゆっくりと、でも確実に、沈んでいく。