天使が宿う本屋さん





助産院にはたくさんの天使が宿っているらしい。
ここもきっとそうだろうな。

天使が宿う本屋さん、四日市のメリーゴーランドにて。
次の春の種



「どうか一粒の籾として、次の春の種となれますよう。」
(吉田松陰/四時ノ順環)

小学校6年生を対象に昨年からはじめている「Designed By Children」というデザイン教育のプロジェクト。
学校側では「創造授業」という名前を付けていただき、4ヶ月間という長丁場で取り組んできましたが、そこの生徒達からありがたい手紙をいただきました。
写真はその中のひとりの女の子からもらった手紙。
勝手にラブレターだと解釈して、しばしウキウキしています。

田舎の子どもたちでも、デザイナーの視点や思考を身につけることができたら、何もないと思っていた(周囲の大人達から思い込まされていた)、そんな見慣れた景色が、実は宝の山であることに気づけるのではないか、という思いつきではじめてみた企画でしたが、ちゃんと届いている子がいてくれたことに、心から安堵と感謝っす。
みんな、ありがとうね。
小さな足



〇〇のような人に育ってほしい、という願いを込めて、親は子どもに名前をつけるわけだけど、だいたいの場合でそれはかなわず、親の思った通りには育ってくれないもの。

きっと、名が体を表すのではなく、その意味は自分で創っていくものなんだろう。
だから子どもに付ける名前は、なるべくシンプルなものにしておいたほうがいい。

言ってみればそれは、まっ白いお皿みたいなもので、親はその土台だけを用意してあげて、そこにどんな料理を盛りつけていくのかは、やはりその子次第だと思います。

生まれた時は、誰も、何者でもないのだから。
それはつまり、何者にもなれる、という意味でもある。
例えば、太朗や花子や一郎とかは、まさに白いお皿だなあと思う。
何者でもないというか、何にでもなれるというか。


わずか13センチしかない小さな足。
それでも自力で立って、歩いてる。
転びながら、また立ち上がって、そうやって、あとは自分で、創っていけばいい。
COOVAの瀬谷さんと。



あいにくの雨と極寒の中、手織りと機械織りのあいだにあるような織物を作る「COOVA」の瀬谷さんを、松阪木綿の織元へご案内。
松阪で鶏料理を食べながら、色々な話しで盛り上がり、意外とオヤジな一面も新たに発見。

彼女がデザインする織物と同様、何度会っても素敵な女性。
彼女にはもっともっと大活躍してほしいなあと思う。
ずっと応援していきます。


▼COOVA
http://www.coova.co.jp/
中にいる者
三重県の伝統工芸。
良い所もあれば、悪い所もある。

外の人は、そのものの表面だけを見がちだ。
中のいる者は、その裏にある問題や苦悩を抱え、何もわかっちゃいない、と嘆く。

外の人は、良いところを素直に見つけてくれる。
中のいる者は、問題への対処が優先となり、良いところがどこなのかを忘れがちになる。

何事も、世の中はバランスで出来ている。
バランスを取りながら、その上にいる。

そういう世の中の仕組み。
良い所もあれば、悪い所もある。


少なくともかつての僕には、その両方の視点があった。
あったはずなのに、さすがに「中にいる者度」が年々強くなる。
作り手達の粗や雑や勘違いが見えすぎて、ただただ腹が立ち、その物の良い所までも、見えづらくなっている。

これじゃあいけない。
もっと柔らかくならないと。

そろそろ、環境を変える時期だな。
ててて見本市2016



ただいま、東京。
明日から「ててて見本市2016」に参戦です。