本居宣長



今日は、丸川商店の商品を販売していただいている「本居宣長記念館」に在庫の補充へ行ってきました。

本居宣長と言えば、現存する日本最古の歴史書「古事記」の解読に成功し、約35年をかけて「古事記伝」44巻を執筆したことで知られる、松阪が生んだ物学びの天才。
意外と知らない人も多いけど、映画監督「小津安二郎」とは縁戚関係にあたる。

本居宣長という人は、知れば知るほど、先見性に富んだ、ものすごくクリエイティブな人だったんだなあと思う。
それと同時に、だからこそ、現代の本居宣長の扱われ方には、正直疑問も感じる。
本居宣長の肖像画と言えば、決まってあの、なんとも根暗っぽい冴えない面持ちの絵。
きっと天国で、彼は「やめてくれ」と思っている気がしてならない。
きっと彼は、もっと未来を生きている。
そんな気がする。
いつか天国で出会えたら、常に先を見つめてきたそのまなざしに、現代の世界はどのように写っているのかを、聞いてみたい。

松阪という町は、本居宣長だけでなく、三井高利など、多くの優れたクリエイター達を多く輩出してきた。
そもそも、松阪を作った「蒲生氏郷」自体が優れたクリエイターだったから当然と言えば当然なのかも知れない。

そこでひとつ提案。
多くの優れたクリエイター達を生み出してきた松阪市を、「クリエイティブな町」としてPRしていくために、全国から優れたアイデアを募集する「ノリナガ・クリエイティブ・アワード(仮)」みたいなコンテストを開いてみたらどうだろう。
そうすれば、若い子達も、もっと蒲生氏郷や本居宣長や三井高利などに興味や誇りを持てるんじゃないかな。

さてさて、GWなどというお祭りとは無縁の僕ですが、しばらく風邪気味でダル重だった体調もようやく持ち直してきたので、お待たせしているクライアント様方に怒られないように、そろそろエンジンかけてがんばります。
45歳の誕生日



本日、無事に45歳になりました。
誕生日は、産んでくれた両親に感謝する日でもあります。
朝から母親にありがとうと伝えました。
が、父親に伝えるのを忘れてました(笑)。

今年は社名も変わり、事務所も移転し、長女が小学一年生になり、色々なことがまさに心機一転の年です。
毎度のことですが、自分の本当にやるべきことが何なのかにいつも悩み、迷い、でも時には喜び、そうやって七転八倒しながら、ゴロゴロと転がりながら生きていますが、良き家族や友人達に恵まれた僕の人生は、無数の幸せに彩られた、幸福な日々です。
これからも、焦らずとも、やりたいことをやっていきたいと思います。

写真は、僕のへその緒が入っている箱です。
裏面には、産まれた日や時間、身長や体重などが書かれています。
確かにこの世に産まれて、今、45年が経ったことの奇跡に、心から感謝です。
娘達と。



夕暮れ時。
満開の桜。
近くの公園で娘達と。

静謐なひととき。
これもまた、創造性を育てる、片方の源。
作家モノ
東京の片隅で小さなデザイン事務所を立ち上げて17年。
年を追うごとに、デザインを学んでいく度に、僕の好みや趣向も変わっていきました。

例えば「作家モノ」。
昔は作家モノの器を集めていました。
どれも作家それぞれの個性が表現されていて、エネルギーが溢れていました。
でも、いつの頃からか、それぞれの作家モノ達が、それぞれのエネルギーを放出しあって、まるで喧嘩してるように感じられて、目には見えないそのエネルギーが飛び交う空間に、息がつまりそうになりました。
そしていつしか、作家モノを買わないようになってしまいました。
今でも作家モノは嫌いではありませんが、どうしても、その強すぎる主張に疲れてしまいます。

例えば「自然素材」。
これもちょっと苦手になってしまいました。
もちろん自然は大好きですが、家の中にあるテーブルや椅子や棚や小物などに使われている木材などの自然素材を見ているうちに、本来、自然の中にあるそれの姿との違いに、なんだか切ない気持ちになってしまいます。
やっぱり木は、山の中のあの姿こそであって、窮屈な家の中の感じが、なんだか切ないのです。

本来あるべき姿。
それを人間が道具として、飾りとして利用してきた歴史を否定するつもりは全くありません。
むしろ大好きです。
ただ、切ないのです。

だから僕は年々、身の回りのものに自然素材のものを選ばなくなってきてしまいました。
人工物のほうが、気負いなく、切ない気持ちが起こりません。
でも、人工物の多くは、やがて大量のゴミとなります。
これはダメです。
だから、100均で買ったものでも、壊れたら直して使います。
本来の使い道が出来なくなった場合も、子どものおもちゃなどに改造して使い続けます。

本当なら、作り手の想いが詰まった作品が一番です。
本当なら、自然に帰すことのできる自然素材が一番です。
それで問題ない人は絶対にそれらを選ぶべきです。
でも僕は、苦しくなって、切なくなります。
ただ、また何年かしたら、元に戻るかも知れません。
それまでは、工業製品達と折り合いをつけながら暮らしていきます。