作家モノ
東京の片隅で小さなデザイン事務所を立ち上げて17年。
年を追うごとに、デザインを学んでいく度に、僕の好みや趣向も変わっていきました。
例えば「作家モノ」。
昔は作家モノの器を集めていました。
どれも作家それぞれの個性が表現されていて、エネルギーが溢れていました。
でも、いつの頃からか、それぞれの作家モノ達が、それぞれのエネルギーを放出しあって、まるで喧嘩してるように感じられて、目には見えないそのエネルギーが飛び交う空間に、息がつまりそうになりました。
そしていつしか、作家モノを買わないようになってしまいました。
今でも作家モノは嫌いではありませんが、どうしても、その強すぎる主張に疲れてしまいます。
例えば「自然素材」。
これもちょっと苦手になってしまいました。
もちろん自然は大好きですが、家の中にあるテーブルや椅子や棚や小物などに使われている木材などの自然素材を見ているうちに、本来、自然の中にあるそれの姿との違いに、なんだか切ない気持ちになってしまいます。
やっぱり木は、山の中のあの姿こそであって、窮屈な家の中の感じが、なんだか切ないのです。
本来あるべき姿。
それを人間が道具として、飾りとして利用してきた歴史を否定するつもりは全くありません。
むしろ大好きです。
ただ、切ないのです。
だから僕は年々、身の回りのものに自然素材のものを選ばなくなってきてしまいました。
人工物のほうが、気負いなく、切ない気持ちが起こりません。
でも、人工物の多くは、やがて大量のゴミとなります。
これはダメです。
だから、100均で買ったものでも、壊れたら直して使います。
本来の使い道が出来なくなった場合も、子どものおもちゃなどに改造して使い続けます。
本当なら、作り手の想いが詰まった作品が一番です。
本当なら、自然に帰すことのできる自然素材が一番です。
それで問題ない人は絶対にそれらを選ぶべきです。
でも僕は、苦しくなって、切なくなります。
ただ、また何年かしたら、元に戻るかも知れません。
それまでは、工業製品達と折り合いをつけながら暮らしていきます。
年を追うごとに、デザインを学んでいく度に、僕の好みや趣向も変わっていきました。
例えば「作家モノ」。
昔は作家モノの器を集めていました。
どれも作家それぞれの個性が表現されていて、エネルギーが溢れていました。
でも、いつの頃からか、それぞれの作家モノ達が、それぞれのエネルギーを放出しあって、まるで喧嘩してるように感じられて、目には見えないそのエネルギーが飛び交う空間に、息がつまりそうになりました。
そしていつしか、作家モノを買わないようになってしまいました。
今でも作家モノは嫌いではありませんが、どうしても、その強すぎる主張に疲れてしまいます。
例えば「自然素材」。
これもちょっと苦手になってしまいました。
もちろん自然は大好きですが、家の中にあるテーブルや椅子や棚や小物などに使われている木材などの自然素材を見ているうちに、本来、自然の中にあるそれの姿との違いに、なんだか切ない気持ちになってしまいます。
やっぱり木は、山の中のあの姿こそであって、窮屈な家の中の感じが、なんだか切ないのです。
本来あるべき姿。
それを人間が道具として、飾りとして利用してきた歴史を否定するつもりは全くありません。
むしろ大好きです。
ただ、切ないのです。
だから僕は年々、身の回りのものに自然素材のものを選ばなくなってきてしまいました。
人工物のほうが、気負いなく、切ない気持ちが起こりません。
でも、人工物の多くは、やがて大量のゴミとなります。
これはダメです。
だから、100均で買ったものでも、壊れたら直して使います。
本来の使い道が出来なくなった場合も、子どものおもちゃなどに改造して使い続けます。
本当なら、作り手の想いが詰まった作品が一番です。
本当なら、自然に帰すことのできる自然素材が一番です。
それで問題ない人は絶対にそれらを選ぶべきです。
でも僕は、苦しくなって、切なくなります。
ただ、また何年かしたら、元に戻るかも知れません。
それまでは、工業製品達と折り合いをつけながら暮らしていきます。
コメント一覧
コメント投稿