素材

僕が生まれ育った三重県は、日本のほぼ真ん中に位置し、海も山も気候も農作物も技術も歴史的な建造物においても、僕の知る限り、「素材」の質と量においては全国でもトップクラス。
もちろん、表面的なものだけを見て語るような、よくある薄っぺらいPRじゃなくて、裏側も闇も理解したうえで、やっぱり三重県はいいところだと思うのです。
それなのに・・・
話は逸れますが、愛知県名古屋市に大好きな女性がいます。
プロのカメラマンである彼女は、圧倒的な知識量と経験値でクライアントのビジョンを完璧に理解し、しびれるほどの技術力とディレクションスキルでそれをさらに昇華させてみせるプロ中のプロ。
あらゆるジャンルに精通し、多くの海外経験があり、各界のトップクリエイターから絶大な信頼を得ているのにも納得しかありません。
彼女は、「素材」の良さを引き出すプロフェッショナルであり、その手法を間近で体感できた経験は僕の宝物。
例えば、「うまく撮る」の「うまく」には、上手く・美味く・旨く・巧くなど、いくつもの意味がありますが、その違いが何なのかをここまでハイレベルに使い分けて表現できる人はそうはいないでしょう。
話を戻します。
「素材」は活かしてこそ。
決して簡単なことではありませんが、それでも、三重県に数多あるそれらの素敵な「素材」を、よくぞそこまで台無しにできるな、と感じることがあまりにも多いのです。
僕が「おいしい」をプロデュースする時、まず最初に、「おいしくない」を定義します。
「かっこいい」の場合は「かっこ悪い」、「心地よい」の場合は「心地悪い」という具合に。
反対側を知らずして、全体を作り上げることなど不可能です。
素材の表面だけをいくらなぞっても、下品な光を放つだけ。
そこにあるべきものを想像もせず、自分が作りたいモノやコトばかりを作る。
いや、自分が作りたいモノやコトがダメなんじゃなく、それをどこにどう作るのかについて、あまりにも想像力が足りてなさすぎやしないでしょうか。
野球だろうとサッカーだろうと、それぞれにポジションがあり、どのポジションにも役割や意味がちゃんとあります。
それを理解していない人が三重県をいじれば、あっという間に多くを台無しにしてしまいます。
そんなクソ生意気な想いに突き動かされ、自分なりにはなんとかしようともがいてきたつもりでしたが、あれこれ言ううちに、いつの間にか「もの言うデザイナー」と揶揄され、いや、煙たがられ、そこまでのものは求めていない、と軽くかわされるのも日常。
それではと他力本願に次世代に期待をかけてみたりもしましたが、誰を育てることも叶わず、そもそも僕には人徳がないことをすっかり忘れてしまっていたようです。
20代で商業デザインに出会い、東京に出てデザイン事務所を立ち上げました。
30代になり、様々な仕事をさせていただく中で、「デザインの視点と考え方」を活用した問題の発見と解決に関する役割こそが、僕に与えられた天からのギフトではないかと考え始めます。
ですが40代になり、それなりの力をつけて三重県に戻ってきたものの、三重県にはそれを活かせる案件がほとんどありませんでした。
ないなら自分で作ろうと、小さいながらも色々なプロジェクトを立ち上げて、資金は湯水のごとくに消えていったけど、そこからまた多くを学び得ることもできました。
50代になり、教育に関する問題の発見と解決のプロジェクトとして、「地立おもしろい学校」という小さな学校を作りました。
30年あまりのデザイナー人生の中で学び、気づいてきた「デザインの視点と考え方」のスキルをフルに活かし、これまでにない方法で教育や不登校の問題点を見出して解決策をデザインしていくプロジェクトです。
仮説と検証を何度も実践していくことで、事実、不登校の子ども達が目に見えて変わっていきました。
このプロジェクトに関わってくれているメンバーたちにも良い変化が起こり、保護者の方々からも感謝のお言葉を数多くいただいています。
これこそだな、と心から感じるのです。
教育プロジェクトだからではありません。
それが何のプロジェクトであれ、こういうことなんだなと改めて思うのです。
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ジョン・ダワーは、「日本は Japan ではなく、 Japans(ジャパンズ)として見たほうがいい」と示唆したことがあります。
ダワーの見方は、日本を複合的に捉えるということですが、それは私にとっては、日本の面影を編集的に捉えるということにあたっているのです。
(日本文化の核心/松岡正剛)
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ならば僕も、Mieではなく、Mies(ミエズ)と捉えることで、せっかくの「素材」を台無しにしない方法をいつの日か見つけてみたい。
相変わらず人徳はありませんが、せっかくの天から与えられたギフトです。
できればそれらを思う存分に活かして、三重県の本当の良さを多くの方に知ってほしい。
ただ、年甲斐もなく戯言を言うにしても、実際は体のあちらこちらが不具合だらけ。
そんな調子なのでどこまで持つかはわかりませんが、大人げない大人のつたない冒険を、もうしばらくは続けてみたいなと思います。
53歳

本日(4月24日)、53歳になりました。
中身の成長が伴わずに年齢だけが積みあがっていくのは、なんだか奇妙な感じです。
思えば、人生53年のうち30年あまりを、デザインとはなんぞや?に費やしてきたように思います。
「デザイン」の定義はデザイナーによってバラバラですが、僕の中での「デザイン」とは、何か特定のモノを指す言葉ではなく、ましてやロゴやチラシなどを作るだけの表面的な装飾のことでもなく、目の前の「それ」を少しでも良くしようとすること、だと考えています。
「日日是好日・・・今日という日を好ましい日にしていく(より良くしていく)こと」という言葉を皆様もご存じかと思います。
社会問題を解決することもデザインであり、新商品を生み出すことも、被災地の復興も、法律の改定も、寝ぐせを直すことも、服を選んだり、ご飯の献立を考えたり、靴ひもを結びなおすことも、部屋の模様替えをすることも、瞬きすることも、窓を開けて空気を入れ替えることでさえも、全ての行為や行動が、今そこにある何かを「より良くしようとするため」であり、僕はその行為全般を総称して、「デザインする」と呼んでいます。
また、「デザイナー」とは、「デザインの視点と考え方」という道具を武器に、豊富な知識と経験と、様々な手法(哲学・心理学・脳科学・行動学・経済学・統計学・アート思考など)を使い分けながら、それらを高次元で行うプロフェッショナルのこと。
ただ、難しいのは、何をもって「良い」とするのかについて、自分と相手との間にはなかなかのズレがあることです。
なんでわざわざダメにしてしまうのかと感じても、相手にとっては良くしようとしている行為だったりして、そのことに胸のあたりがいちいちワサワサしてしまう僕のような奴は、商業デザイナーには向いてないんでしょう。
ちなみに、ロゴやチラシやホームページ制作を専門とする、一般的に「デザイナー」だと思われている職業は、正確には「スタイリスト」であり、僕が定義する「デザイナー」とは、役目も役割も、持っているスキルや知識や経験なども異なります。
もちろん、うちのような極小なデザイン事務所では、デザイナーが、問題の本質を見つけて解決策を生み出すことも、スタイリングも営業も事務作業なども、全てを1人で担当することも珍しくありません。
特に地方では、基本的に大きなプロジェクトは大きな広告代理店がまるごとかっさらっていくので、残りの案件はほぼスタイリングのみの仕事。
なので、実際に日々こなしている仕事はデザイナーもスタイリストもあまり変わらないというのが現実であり、田舎ではスタイリストしか育たない(食べていけない)と言われるのも無理はありません。
ただし、それがどこであれスタイリストは必要だとして、むしろ地方や田舎だからこそ、本来はデザイナーやクリエイティブディレクターがもっと必要なはず。
この歪んだ慣習をどうにかしたいともがいてきたつもりですが、僕ごときではどうすることもできませんでした。
その昔に柳宗理さんの存在に救われて、最後まで胸を張って自分の「良い」を貫けと勝手に背中を押された気になってたけど、想いだけじゃどうにもならない。
田舎に戻ってきたことも間違いではなかったはずだけど、だからといって、置かれたところで咲きなさいって言われても、稚拙な僕にはなかなか難しい課題です。
生きていれば、色んなことがあります。
勘違いや誤解をされやすいのも、不徳の致すところなのでしょう。
見えている景色が違えば、わかり合えないのは当然のこと。
足で地面に横線を一本引いて、いつでも、何度でも、そこをスタートラインにできた頃もありました。
とはいえ、20年前に、教育をデザインし直さなきゃダメだと叫んでも、本気で聞いてくれる人はおらず、それができるのはデザイナーだけだと呼びかけても、声を枯らすだけで誰にも届きませんでした。
「つまづいたのは誰かのせいでも、そこから立ち上がらないのは誰のせいでもないわ。」
(峰不二子/ルパン三世)
誰のせいでも何かのせいでもないことは重々承知。
結局はただの力不足。
悪名は無名に勝ると言うけれど、誰が為のレースなのか、よくわかりません。
自分勝手で自分本位な「良い」を相手に無理やりに押し付けるのにも気力や体力や覚悟がいって、残り少ないそれらを使う余裕もありません。
それでも、誰かさん達みたいに、狭くて小さな世界で茹でガエルにならずに済んだだけでも、僕は僕で良かったと思うこともたくさんあります。
どこにいるかではなく、誰といるかが大切なことであるならば、今の僕は間違いなく、幸せ者だと思います。
大好きなみうらじゅん氏の新刊、「アウト老」がおもしろかった。
ならば僕は、「ス老」と名付けましょう。
転がってるのに苔が生えてしまうくらいの退屈な坂道を、ゆっくり、ぼんやり、落ちていきましょう。
アウト老のごとく、それくらいに肩の力を抜いて生きていくことが、今日という日を好ましい日にしていくコツなんだと、53歳の今、改めて感じています。
本日はお日柄もよろしいようで、皆様にとって、今日という日が良き日でありますように。