流行型
ここ数ヶ月は、ウェブサイト制作の案件が結構続いたので、割と今、そっち方面にアンテナが立ってる状態です。
そういう目線で色々なウェブサイトを見ていると、最近の流行型のサイトはとにかくあっちやこっちへ動くわ動くわで、正直、目的の情報に辿り着く前にげんなりしてサイトからすぐに離れてしまいます。

あくまでもイメージや雰囲気や世界観を伝えなければいけないサイトは別として、現在のウェブデザイナー達が、なんでもかんでもトリッキーな動きをすればいいって本気で思ってるのなら、大きな勘違いだと伝えたい。
このサイトにこの動き、いる?って思うサイトの多いこと多いこと。
思いがけない動きが多すぎて、結局目的の情報にすんなりとは辿り着けない。
もちろん、心地よい動きは大歓迎。
でもほとんどのサイトはそうじゃない。

こういうことを言うと、でも若い人達はこういうのが好きなんだぜって声が聞こえてきそうですが、そもそも若い人達はパソコンでサイト見ないし。
結局はウェブデザイナーのエゴなだけじゃないのって思ってしまいます。

こういう「流行型」ってすぐに古くさくなってしまうから、常に他と違うトリッキーさを追いかけるあまり、無駄にごちゃごちゃしてしまうって、そういえば昔もそういう時代ってあったなあと思い出します。
昔のは、動きっていうより、ぴかぴか光る装飾合戦だったけどね。
で結局、シンプルがいいよねって流れになって、今はまた、動き重視になってる。

思うに、未来を舞台にした映画でコンピューター的なものを操作する場面って、なんだかやたらとボタン押したりスライドしたりするよね。
でもそこまで技術が進歩したのなら、絶対そんな無駄な動きはしなくてもよくなってるはずだし、もしかしたらウェブデザイナーは、そうやって派手に動かないと未来感が出ないと思ってるのかなあ。
だとしたら、それこそ大間違いだと思うよ。
操作をいかにシンプルにするか、そのための創意工夫であって、それを支えてるのが、最新のテクノロジーの存在価値だと思います。

余談ですが、そういえば昨年、俳優の阿部寛さんのホームページの表示速度が爆速すぎると絶賛されてるってニュースがありました。
確かに早いけど、失礼ながら、なんだか思わず笑ってしまいます。
放置されてるのかと思ったらちゃんと更新されてるところがまたすごい。
なんだか、ある意味で考えさせられる事件でもありますね。

何を伝えたいのか、何を表現したいのか、デザイナーなら、もっとちゃんと考えよう。


▼『阿部寛さんのホームページ』の表示が爆速すぎると絶賛の嵐!
https://rocketnews24.com/2017/11/15/982383/
デザインとコミュニティ



読みました。
僕も一応、規模はめちゃくちゃ小さいですが、子ども達にデザイン教育をさせていただいている関係で、とても為になる事例が色々と掲載されていて、多くのヒントを頂けました。
早速取り入れていきたいと思います。
 
特につくし文具店のしゅうさんのパートが面白くて、これまで知っていたようで知らなかった各プロジェクトの裏側が垣間見れた気がして、今後の広がり方がますます楽しみになりました。
「つくし文具店みえ」が三重県のどこかにできるといいなあと勝手に妄想してます(笑)。
 
しゅうさんの、まわりを巻き込んでいく人柄や魅力の意味が、なんだか少し、わかったような気がします。
やりたい人が、やりたいことをやれる仕組み。
関係者全員をきっちりと豊かな気持ちにさせてくれるプロジェクトの数々からは、僕が生まれ育った田舎の「小川」の匂いがしてきます。
ゆったりと流れる小川は実は、ものすごく緻密で複雑なプロセスの大集合なのに、それを感じさせない。
小川は焦らない。
気負わない。
自らの活動に打ち込みながら、同時にその他大勢の命の営みに貢献もする。
山から海へ、そしてまた山へ。
延々と流れ続けていく流れの中で、きっと参加者全員が、あったかい気持ちになっていくんだろうなあと思います。
僕には100年かかっても出来ないことです。
 
田舎でも色々な人達が、人や町やモノを繋ぐ様々なプロジェクトを展開していますが、しゅうさんのそれとはかなり意味合いが違ってる気がします。
もちろん、東京と田舎という違いはあるんでしょうけど、本質的な何かが、やっぱり違う。
そこにちゃんと、「正しいデザイン」があるからなんでしょうね、きっと。
田舎のそれには、そこが足りない。
まだまだ僕も、学ばないといけません。
でも、まだまだ学べるってことは、ものすごく楽しいことです。
肩の力を抜いて、小川のごとく、誰かの心を豊かにしていけるデザイナーにいつかきっと、なってみたいなあと思います。
石見銀山生活文化研究所





石見銀山の登美さんから、また素敵なものをいただきました。
またもやクリエイティブディレクションは大好きな佐藤卓さん。
これだけで心が躍ります。
それにしても、設立30周年、すごいなあ。
30年続けるって、本当にすごいことだと思います。
うちはまだ18年。
 
ちょうど先日、糸井重里さんの40歳へのメッセージについてFBに投稿しましたが、その中に「40にして惑わず(糸井さん的には「40歳は、惑う」でしたが。)」っていう孔子の言葉がありました。
今回、同封されていた登美さんからの書状にも、孔子の一文が書かれていて、「30にしてようやく立つ」とありました。
ということは、18歳はまだ、自分が何者かさえわかっていない時期なのでしょう。
 
実際の僕の18歳の頃を思い出します。
自分の中で、根拠のない自信と、かき消すことの出来ない不安がバランスをとって同居しているような、そんな辛さもありました。
コミュニケーションスキルには自信があった僕も、本当に好きな女の子には素直に気持ちを伝えられませんでした。
今でも心に強烈に突き刺さっている失敗と挫折と後悔の多くは、この時期の出来事が関係していると思います。
そんな懊悩(おうのう)な日々を、でもそれが何なのかを全く知らずに、現実から逃れるような妄想の中で過ごしていたようにも思います。
 
つまり、18歳の僕の事務所も、この時期をどう過ごすかが、すごく大事なのだなあと。
だからこそ、後悔のない道を選択するべきなんだと強烈に思います。
いつもいつも思い出す言葉、「人はやったことの後悔よりも、やらなかったことの後悔のほうが強く残る」。
この言葉が頭をよぎると胸や心や全身が痛くなります。
そんなことをもう繰り返さないためにも、失敗を恐れずに、18歳の若さが持つ無限の可能性を信じて、今、この時期、事務所も僕も、大事な局面であることを改めて胸に刻みました。
 
30年経った頃、今の登美さんのようになれている自信はまったくありませんが、少しでも近づけるよう、精進していきたいと思います。

30年、続くかなあ~。
それがまず心配。
 
登美さん、ありがとうございました~!
MIE食の産業セミナー2018



今日は、「MIE 食の産業セミナー2018」に参加してきました。
セミナーの講師を務めることは多々ありましたが、受講者として参加するのは今回を入れても片手で数えられるほどしかありません。
しかも、今回のセミナーは通常、デザイナーが参加するような内容ではなかったので、デザイナーはおそらく僕ひとりだったのではないかなと思います。

セミナーに参加してみて感じたことは、事業者の方々は、デザイナーに対して色々と不満を持っていらっしゃるんだなあということ。
デザイナーが参加してるなんて誰も思ってないので、気兼ねなく文句を言えたのでしょう。
デザイナーにとっては耳の痛い話もありましたが、普段聞けないことを聞けるのは貴重な体験であり、実におもしろかったです。

割と僕も普段から、同業者でありながらデザイナー批判みたいなことを言うほうなので、参加者の皆さんのおっしゃることもよくわかります。
デザイナーは流通のことを知らなすぎるという意見も、だからこそ僕は流通を学ぶために2008年から自社で小売業も始めたし、事業者とデザイナーのミスマッチが起きるという問題に対しても、「C荘」というプロジェクトで解決しようと数年前から動き出しているし、パネラーの方から、「優秀なデザイナーほど、企画の頭から参加したがる」という言葉のとおり、特に三重のデザイナーは出口近くになってからしか呼ばれないのが問題であり、企画の立ち上げから参加すべき(参加させるべき)と、もうずっと言い続けてきました。

ただ、デザイナーを擁護させていただくならば、気持ちがないわけでは決してないのだと思います。
いいものを作りたい、デザインでお役に立ちたい、金額うんぬんを超えた、もっと燃える仕事がしてみたい、とか、やる気自体はなくしてないと信じてます。
ただ、やはり、言い訳に聞こえるかも知れませんが、三重県という土地の難しさは必ずあると思うんです。
ならばここをどう解決するか、それが問題の本丸だと思っています。

もちろん、三重県の多くのデザイナーは、実際に流通や小売りを経験したこともないし、事業者に言われるままのデザインだったり、Pinterestで見たものをそのまま採用しました的なデザインも時々見かけるし、そういう、デザイナーとしての根本がなってない人も多いのは事実なので、このあたりも緊急の課題だよなと思います。

それに、お叱りをいただくことを覚悟して言うならば、事業者側の意識にも、解決しなければいけない課題はやっぱりあるようなあと思います。
例えば、パネラーのひとりの方が、「僕らは、なるべくぶっとんだデザイナーを起用するようにしています。我々が理解できる程度のものはダメで、理解できないようなデザインを積極的に採用します。」とおっしゃっていて、こういう言葉は、デザイナーにとっては勇気をいただける言葉だったように思います。

とにかく、デザイナー、特に僕のようなデザイナーは、この土地ではあきらかに浮いた存在で、「距離」みたいなものを強烈に感じました。
で、どうするか。今回参加してみて、色々課題も見えたし、いい経験をさせてもらったので、これらを活かし、デザイナーと事業者がそれぞれ、もっといい関係を築いていけるよう、僕も僕なりにがんばっていきたいと思います。

三重県のデザイナーさん、一緒にがんばっていきましょう!
tupera tupera 絵本の世界展



昨日、三重県立美術館にて開催されている、亀山達矢さん(三重県出身)と中川敦子さん(京都出身)の絵本ユニット「tupera tupera」の世界を体感できるイベント「tupera tupera 絵本の世界展」に家族と一緒に行ってきました。
もともと、僕も子ども達も彼らの絵本が大好きで、亀山さんが三重県の人だと知ってから余計に親近感を持ち、一度はミエノコのゲストとして取材を計画したこともありましたが、ここまで有名になってしまったらミエノコがお役に立てることはないので諦めた、という経緯があります。

会場に入ると、僕がもっとも観たかった、絵本を作るうえでの創作ノートや下書き、構想を練っている段階のメモなどがあり、そこでどういう会話が交わされて、どういうきっかけでアイデアがカタチを持って走り出したのかを妄想しながらじっと見つめていました。
他にも、今後の自分の活動においても参考になるものがいくつかあり、おおむねは満足したイベントでした。

さて、「おおむね満足」という、ちょっとトゲのある言葉には、僕なりの理由があります。
ダラダラとまた長く書いてもウザがられるのでポイントを絞りますが、まず思ったのは、多くの家族連れがそうであったと思うんですが、もっと彼らの絵本の世界観に没入できる体験や仕掛けを期待していたのに、それがすごく中途半端な状態になってしまっていたこと。
写真を撮るだけの「セット」だけでは、その世界に入り込んだ気分とはほど遠い。
長い列が後ろにあり、パシャパシャと急いで写真を撮ってすぐに交代、みたいな。

2つ目は、このイベントは大人に向けたものなのか子どもに向けたものなのか、おそらくはその両方を狙ったんでしょうが、それゆえにものすごく中途半端になってしまったこと。
例えば、丸く切り取られた装丁がどのようにして作られているのか、それを実際に作っている工場で撮影した動画が放映されていましたが、それをするなら、2つのモニターを用意して、それぞれを上下に配置して、上のモニターと下のモニターで同じ工程を同じタイミングで流しながら、でも、その作業をしている「人」を、上は普通の工場の人、で、下のモニターでは、人が着ぐるみかなにかをかぶって、tuperaっぽいキャラクターが作業している風に仕立てるのはどうでしょうか。
上下、といういうのは言うまでもなく、大人の目線の高さと子どもの目線の高さ。
この絵本は、パンダ温泉のパンダが作っているのかあ~って子どもには思わせてもいいと思うんだけど、やりすぎでしょうか。

3つ目は、美術館だから仕方ないのかも知れないけど、警備員達の「触らないで!」「この線から中へ入らないで!」のわりと大きな声があちこちから聞こえてくること。
あの声を聞くたびにイライラしました。
あくまでも僕の個人的な考えですが、tupera tuperaの世界観に触れたいから、もっと言えば、tupera tuperaの絵本の世界に入り込んだかのような体験を期待していたのに、触ってはいけない、入ってはいけない、そんなものだらけの世界は青ざめです。
もっと触らせなきゃダメ。
もっと体感させなきゃダメ。
壊されてもいいものをなぜ用意しておかないのかなあと。
美術館だからそれが出来ないんであれば、美術館でやらないほうがよかったと思う。
子どもはあの怖い声を聞く度に、「怒られた」というイメージを持ってしまうし、象徴的だったのは、「もう帰りたい」と途中でゴネだした子どもに「そんなこと言わないで!」と叱りつけるお母さんとますますつまらなそうな顔をする親子達の姿。
そりゃあそうなるよ、だって子ども達にとってはそれが本音だよ、って僕は思ってしまいました。

ほかにもいくつか気になることはありましたが、共通して言えるのは、「tupera tupera 絵本の世界展」と言うのなら、なんでこんな気持ちになって帰らなければいけないのか、このことを、ご本人達は知っているのか、もし知らないのであれば、なんてかわいそうなんだ、と思うこと。
tupera tuperaの絵本は大好き。
あの世界観は安心して子ども達にも見せられるし、帰りの車の中でも、子ども達と「おならのしりとり」をしてゲラゲラ笑っていました。
だからこそ、こういうイベントにはだいたいがっかりさせられる。
極端なことを言えば、このイベントは、あの世界観が好きな大人が、大人だけで行ったほうが、楽しめる、って感じ。
でも、それってすごく残念なことだと思う。
床屋



今日、クライアントさんと打ち合わせをしていて感じたこと。
「田舎あるある」かも知れませんが、三重県の経営者のおじさん達に、あなたの会社や製品にもデザインは必要なんだとどうして感じてもらえないのか、それはたぶん、デザインは、「かっこつけるためのもの」だと思っているからなのかも知れないなあと。

デザインは装飾だという勘違いが日本中に蔓延していますが、印刷会社ではなく、デザイン事務所にデザインを依頼するってことは、おじさん達にとって、通い慣れた床屋ではなく、キラキラしたおしゃれな美容室で髪を切る、みたいな、関係性における絶対的な心の距離の遠さがあるようです。

デザインはかっこつけるためにあるんじゃなく、ましてや、ウソをついたり、ごまかしたりするための便利な魔法ではなく、届けたい相手に、届けたい想い(商品やサービス)を、正しい価値(価格)で届けるための最適な助っ人(ツール)であり、かっこよく見た目だけを繕ったひ弱なブランディングでまかなえるものじゃないってことを、もっとご理解いただく必要があり、どっちかと言えば、デザイン事務所は床屋のほうに近い存在であるはずだと思うんだけど、さあさあさあ、どうやってそれを三重県中の社長さん達にご理解いただくか、それを現在、思案中です。

ところで、娘達と遊ぼうと、試しにダンボール製のVRゴーグルを買ってみましたが、老眼がどんどん進行している僕には、スマホの画面が近すぎて、映像がどえらくボケてしまって、挙げ句のはてには老眼鏡を掛けながらのぞき込んでみるけど、そんなんじゃあ、とてもじゃないけど没入感にはほど遠く、もっといいゴーグルだったら、こういうこともおきないんだろうなあと、ちょっと寂しくなりました。
まあでも、子ども達はキャッキャ言いながらそれなりに楽しんでくれたようなので、良しとしておきます。
今度は、もうちょっといいゴーグルで試してみたいと思います。
40歳は、惑う。
古い話ですが以前、糸井重里さんが雑誌で語った「40歳の人たちへのメッセージ」というものがありました。
「40代はゼロになってもがく」というフレーズが印象的でした。
同じ企画の中で、ライフネット生命の社長さんとの対談もあり、「40代は、若いときのツケの請求書がドカッと一気に来る。
ツケをぜんぶまとめて払うタイミングが40代なのかもしれない」とも。

僕は今45歳ですが、40歳からのこの5年間は、まさにその通りだったと思います。
2011年、39歳になる年に、東日本大震災があり、40代になってすぐに三重に戻ってきました。
仕事の環境も変わり、東京を離れたことへの焦りもあり、根拠の何もない「自信みたいなもの」だけを杖にして、もがき、迷い、苦しみ、諦めざる得ないことも多々ありました。

あの糸井さんをもってして、「暗いトンネルに入ったみたいでつらかったのを覚えている。絶対に戻りたくない、というくらいにね。」と言わせる「40代」という怪物。
僕にとって何がつらいかって、それなりに経験も積んで、色々なことがわかってきたからこそ、色んなことがわからなくなった、っていう感覚。
説明が難しいけど、40代になって、山の向こうがチラッと見えてきて、あっ、無理だ、何もない、こりゃダメだ、ってことに気づいてしまう。
言いようのない敗北感というか無力感というか劣等感というか。
確かに、50代や60代になったときに、僕も糸井さんと同じように、絶対に戻りたくないって思うかも知れないなあと思う。

でも、それも一時の話で、糸井さんはメッセージの最後に、「ぼくが40歳の時、このトンネルを抜けると何があるのか、誰かに教えてほしかった。だから、ぼくの話が40歳の誰かに届けばって思うんだよ。」と語ってる。
そうなんだろうか。
そうだといいなあって思う。
ここを抜ければ、何かが待っててくれている。
そう信じたい。

もうすぐ46歳になる、今年。
また新たな挑戦をはじめようと思う。
どうせ大した奴じゃないなら、どうせもがき苦しむなら、抱えきれないものは一旦横に置いておいて、捨てるものは潔く捨てて、全力で取り組めるサイズ感を見極めて、このトンネルを走りきってやろうと思います。

この糸井さんの企画ではもうひとつ、糸井さんと宮沢りえさんの対談もあり、その中で糸井さんは「逃げてるときに叩かれるとすごく痛いけどさ、「さあ叩けよ」と言って叩かれれば、「そうか」って思うよね(笑)。」と。
そう考えれば、何も怖いものはない。
45歳にもなれば、つまづいた時やケガをした時の対処法や治療法もわかってます。
ただ、このトンネルがずっと続くのかと思ってしまうから、経験してきたそれらがうまく活かせないだけ。
でも、トンネルはいつか終わる。
だったら思いっきり、どうせならでかい夢を持って、挑戦していこうと思います。

「40歳は、惑う」。
惑うとは、「行く先が見定められず、または、どうしていいか分からずに、心が混乱する。」こと。
そこに何か付け加えるとしたら、「だが、この混乱もいずれは収まる。本当かどうかはわからないけど、そうらしい。だから気にせず、ジャンプしてやれ!」かな。

待ってろよ、50代。
高らかに、でも朗らかに、楽しい~!って、笑ってやる。
 
https://aera.1101.com
ナイキ



おもしろかったあ。
次はナイキを買おう。

単純(笑)。
ブラす。



僕はこれまでずっと、「トライ(アル)&エラー」な人生を送ってきました。
頭が良くないせいか、何でも自分でやってみないと腑に落ちず、未経験とかそんなことは気にもせず、無謀な挑戦の繰り返しです。
稼いだお金のほとんどを、そんな無謀な挑戦に費やし、結構な額の勉強料を払ってきてなお、おそらくはこれからも、そういう生き方をしていくのだと思います。

そんなだからか、時々、頼んでもいないスパイから色々な情報が一方的に届き、その中には、僕はよく「ブレている」と陰口を言われているようで、まあ、そう言われても仕方ないよなと思っています。
社名も変わりました。
飲食店も1年足らずで閉めました。
プロジェクトを立ち上げては消えていくってことも多いし、自費出版の「ミエノコ」は、カタチや料金体系がコロコロ変わります。
朝言ってたことを夜にひっくり返すことも、1度や2度ではありません。
(スタッフは大変だったろうなあ)。
まあ、そう陰で言われていることは、いくつになっても友達は少ないままだし、いつまで経っても成功できていないことが、全てを証明しております。

でも思うのは、ブレる、ブレないの「軸」は、どこにあるんだろうか、ということ。
もっと言えば、「誰」の「軸」が基準になっているんだろうか。
僕の中では、目指すゴールが変わることがブレることであり、そこへ向かう進路や行き方がコロコロ変わったとしても、それはブレることにはなりません。
僕が自分の人生を生きていくうえで、自分の直感と経験をもとに、右や左に進路を変えたとして、でも僕は、かなり遠回りしながら、それでも1ミリずつ、目指すゴールへ近づいていると思っています。

そもそも、目指すゴールが人それぞれ違うのに、進路や行き方が同じなわけがなく、例えば僕は、若い頃に陸上競技をやっていて、三種競技という種目で全国ランキング1位になったし、専門外ではあったけど、100メートルの自己記録は10秒9でした。
このタイムは、全国で決勝にも残れないタイムでしたが、一般の人に比べればそこそこ走れる奴ということになります。
そういう僕が陸上競技をやっていて、一番困った質問は、「何のために走ってるの?」でした。
「気持ちがいいから」とか「自分の限界への挑戦」とか、それなりのことはいくらでも言えますが、はてさて、僕は何のために走っていたのか。
でもそれは、芸術やアートに答えを求めるようなもので、そもそも答えなんてないものなんだと思うようにしてますが、毎日毎日、少しでも速くなるように、フォームを見直し、食べるものを変え、新しいシューズを試し、それこそ試行錯誤の繰り返しでした。
でもそれは、ブレている、ということになるんでしょうか。
昨日までのフォームを変えて、昨日までのシューズを変えて、ダメだなと思ったらまた元に戻す。
これは、ブレているのか?

おそらくは、世間に受け入れられているかどうか、または、結果が出ているかどうか、ということも、ブレていると言われるかどうかに影響しているのかも知れませんが、僕はきっと、これからも試行錯誤を繰り返し、カタチや体系もコロコロと変えていくと思います。
また社名を変えるかもしれないし、懲りもせずまた飲食を始めるかもしれないし、自費出版のミエノコはきっとまた、無料のフリーマガジンに戻るでしょう。

僕は天才ではないし、カリスマでもありません。
この道何十年という職人さんのような忍耐力も集中力も持続力もありません。
だから、人が言うように、僕はブレながら、失敗して転んでいっぱいケガをしながら、知識と経験を少しずつ身につけ、積み上げていくしか、ゴールに向かう術がありません。
陰で言いたい人には言わせておきます。
誤解を恐れずに言えば、「ブラし」ながら、自分を生きていきたいと思います。


大好きな人達と共に生き、最後に楽しかったなあと言って死ぬ。
ゴールに向かって、フォームを見直し、シューズを変え、また元に戻しながら、自分を信じて走り続けます。
海デート



休日、長女と海デート。