ブラす。

僕はこれまでずっと、「トライ(アル)&エラー」な人生を送ってきました。
頭が良くないせいか、何でも自分でやってみないと腑に落ちず、未経験とかそんなことは気にもせず、無謀な挑戦の繰り返しです。
稼いだお金のほとんどを、そんな無謀な挑戦に費やし、結構な額の勉強料を払ってきてなお、おそらくはこれからも、そういう生き方をしていくのだと思います。
そんなだからか、時々、頼んでもいないスパイから色々な情報が一方的に届き、その中には、僕はよく「ブレている」と陰口を言われているようで、まあ、そう言われても仕方ないよなと思っています。
社名も変わりました。
飲食店も1年足らずで閉めました。
プロジェクトを立ち上げては消えていくってことも多いし、自費出版の「ミエノコ」は、カタチや料金体系がコロコロ変わります。
朝言ってたことを夜にひっくり返すことも、1度や2度ではありません。
(スタッフは大変だったろうなあ)。
まあ、そう陰で言われていることは、いくつになっても友達は少ないままだし、いつまで経っても成功できていないことが、全てを証明しております。
でも思うのは、ブレる、ブレないの「軸」は、どこにあるんだろうか、ということ。
もっと言えば、「誰」の「軸」が基準になっているんだろうか。
僕の中では、目指すゴールが変わることがブレることであり、そこへ向かう進路や行き方がコロコロ変わったとしても、それはブレることにはなりません。
僕が自分の人生を生きていくうえで、自分の直感と経験をもとに、右や左に進路を変えたとして、でも僕は、かなり遠回りしながら、それでも1ミリずつ、目指すゴールへ近づいていると思っています。
そもそも、目指すゴールが人それぞれ違うのに、進路や行き方が同じなわけがなく、例えば僕は、若い頃に陸上競技をやっていて、三種競技という種目で全国ランキング1位になったし、専門外ではあったけど、100メートルの自己記録は10秒9でした。
このタイムは、全国で決勝にも残れないタイムでしたが、一般の人に比べればそこそこ走れる奴ということになります。
そういう僕が陸上競技をやっていて、一番困った質問は、「何のために走ってるの?」でした。
「気持ちがいいから」とか「自分の限界への挑戦」とか、それなりのことはいくらでも言えますが、はてさて、僕は何のために走っていたのか。
でもそれは、芸術やアートに答えを求めるようなもので、そもそも答えなんてないものなんだと思うようにしてますが、毎日毎日、少しでも速くなるように、フォームを見直し、食べるものを変え、新しいシューズを試し、それこそ試行錯誤の繰り返しでした。
でもそれは、ブレている、ということになるんでしょうか。
昨日までのフォームを変えて、昨日までのシューズを変えて、ダメだなと思ったらまた元に戻す。
これは、ブレているのか?
おそらくは、世間に受け入れられているかどうか、または、結果が出ているかどうか、ということも、ブレていると言われるかどうかに影響しているのかも知れませんが、僕はきっと、これからも試行錯誤を繰り返し、カタチや体系もコロコロと変えていくと思います。
また社名を変えるかもしれないし、懲りもせずまた飲食を始めるかもしれないし、自費出版のミエノコはきっとまた、無料のフリーマガジンに戻るでしょう。
僕は天才ではないし、カリスマでもありません。
この道何十年という職人さんのような忍耐力も集中力も持続力もありません。
だから、人が言うように、僕はブレながら、失敗して転んでいっぱいケガをしながら、知識と経験を少しずつ身につけ、積み上げていくしか、ゴールに向かう術がありません。
陰で言いたい人には言わせておきます。
誤解を恐れずに言えば、「ブラし」ながら、自分を生きていきたいと思います。
大好きな人達と共に生き、最後に楽しかったなあと言って死ぬ。
ゴールに向かって、フォームを見直し、シューズを変え、また元に戻しながら、自分を信じて走り続けます。
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