小さな学校の大きな挑戦



もしかすると色物企画だと思われがちな「デザイン教育実践校 地立おもしろい学校(おも校)」ですが、プロジェクトの内容も参加している人たちもいたって本気のプロジェクトです。

おも校は、「おもしろい(面白い)」の語源のとおり、暗くて長いトンネルや暗闇から抜け出して、困っている子ども達の目の前(面)をパッと明るく(白く)照らせる仕組みづくりと場所づくりの場。

「デザイン教育実践校」と名付けた理由も、それを実現させるためにデザインの視点と考え方をフルに活用するためです。

不登校やひきこもりの問題がいよいよ深刻化する中で、おも校では、セーブ・ザ・チルドレンならぬ、セーブ・ザ・ペアレンツ、特に「ママ」たちの力になることが、子ども達を救う大切な手段だと考えています。

「困っている子ども」の背景には、きっと「困っているママ」がいる。
困っているママたちを救うことができれば、もっとたくさんの子どもたちを救うことができる。

さて、ママたちを苦しめている問題の根源は何か?
それをデザインの視点と考え方で突き止め、解決していきたい。
そして、おも校の企画と並行して、ママたちがおも校でできる仕事をたくさん生み出していけるプロジェクトも同時に進めていきたいと思っています。


そんなおも校ですが、いよいよ開校の日(11月1日)が迫ってきました。
ですが、開き直るしかないほどに、準備が追いついていません(笑)。
さあ、いよいよあなたの出番ですよ!
何のおもてなしも出来ませんが、18日または21日のどちらかで手伝いにいけるよー、という方がもしいらっしゃいましたらご連絡ください。
力仕事もまだまだあるので、男性の方のご参加も大歓迎です。

それと、本やおもちゃや家具や家電などをご寄付いただけるとさらに助かります!
あつかましいお願いばかりですが、何卒よろしくお願い申し上げます。


小さな学校の大きな挑戦。
挑戦の英訳は「Challenge(チャレンジ)」ではなく、現代では「Risk Taking(リスクテイク)」のほうが本来の意味に近い、という記事もありました。
これからも様々なリスクが立ちはだかるでしょうが、恐れずひるまず、子ども達と一緒にがっはっは!と笑い飛ばしながら、素敵な道を創っていきたいと思います。
d desgin travel MIE号





先日無事に発売された「d desgin travel MIE号」にてご紹介していただきました。

しかも、インタビュー記事だけでなく、本の中のあちらこちらで、丸川商店の商品等をたくさん紹介してくださっていて、心から感謝。

そして、インタビューの際に、僕のことなんかより、「擬革紙」や「みのりや」や「おも校」のことを紹介してほしいという、編集の意向を無視したワガママな希望もちゃんと叶えてくれていて、重ねて感謝です。


それにしても、こんなに素敵な観光ガイドは今まで三重県にはありませんでしたね。
あらためて、三重県っていいとこだなあとしみじみ。
まだご覧になられていない方は、D&DEPERTMENT さんのネットショップ、または10月21日からの全国販売にてお買い求めいただけますので、ぜひに。

▼D&DEPERTMENT
https://www.d-department.com/item/D_DESIGN_TRAVEL_MIE.html

本の価値を下げぬよう、これからも精進してまいります。
ありがとうございましたー!
白と黒とグレーと。
今まさに日本中で沸き起こっている「教育を変えよう!」の大きなムーブメント。
それはそれでタイミングだし、良いことだと思いますが、ブームになってしまうことの懸念も多くの人が感じていることだと思います。

果たして、うちの「地立おもしろい学校(おも校)」も含め、10年後も残っているプロジェクトはいくつあるでしょうか。
そしてその中で、本当に教育を変えることができたプロジェクトは生まれるでしょうか。

いくら日本の教育が旧態依然だとしても、それでなければ困る事情や理由や人達や勢力がたくさんいて、その壁はとてつもなく分厚く高い。
だからこそ、目を向けるべきものや変えるべきことや救うべき人や倒すべき相手を間違えると、1塁へ走らないといけないのに全力で3塁に向かって走ることになり、ただの徒労で終わってしまいかねません。

元首相を殺しても、かえって彼(元首相)をヒーローにしてしまうだけ。
見えるところに、ラスボスはいません。
もっと言えば、本当のラスボスは向こう側にいるのではなく、ずっとこっち側にいる。
だから見えないんだけど、そのことに気づいていないことこそが、このラスボスの本当の恐ろしさです。
反対側から見ることができる「デザインの視点」が必要なのは、そのためでもあります。


教育を変えようとするプロジェクトに関わる人たちの多くは、僕のような下衆系ではなく、本当に高い志と優しい心と純粋な想いを持っている人達。
ウソでも嫌味でもなんでもなく、本当に尊敬もするし、あこがれもある。
でも、だからこそ、余計なお世話なんだけど、ちょっと心配でもあります。

例えばあなたなら、結婚相手には、自分によく似た人を選ぶか、自分にはない部分を持っている人を選ぶか、どちらでしょうか。
もちろん、どちらもと答える人が多いと思いますが、何対何かのバランスが大事です。

そして難しいのは、「自分によく似た」と「自分にはない部分」をどのように定義づけるかです。
僕個人としては、好きなものや好みよりも、何に腹が立つか、や、何を許せないか、について共感できることが大事かなと思うし、「自分にはない部分」が何なのか、どういうものなのかの見極めも欠かせません。

恋人の時は、自分によく似た人でないと心地よくないとしても、例えば結婚して子どもが生まれたりすると、「自分によく似た」と「自分にはない部分」がそれぞれ強みでもあり、同時に大きな弊害となる場合も少なくないのではないでしょうか。

教育を変えようとする優しい人達の多くは、かつて自分も同じ境遇だったという人が多いと思いますが、だからこそ出来ることと、だからこそ出来ないことをしっかりと把握する必要があるように感じます。

誤解を恐れずに言えば、「自分によく似た」人達の集団にしかない強さと弱さがあり、ひどい目にあっている子ども達のために大人と戦う子ども、ではなく、大人と戦う大人が必要で、子ども達を逃がしてあげるだけでなく、その元凶の正体をもっと熟知する必要もあるように思うのです。

自分も子どもになってそばに寄り添える「白」と、それを食い物にしようとする元凶を、時には真正面から、時にはあざとく多方面からぶっ倒せる「黒」。
そしてそれを繋ぐ「グレー」の3つがバランスよく揃っているプロジェクトは、きっとずっと残っていける。

おも校でいえば、本校校長の森松さんやその仲間達はまぶしいほどに真っ白で、僕は漆黒の真っ黒(笑)。
「撮光」ではなく「撮影」と言うように、影の黒さが、白をさらに白くする。
このバランスがおも校の強みなんだと思います。
あとは、それが混ざり合ってぼやけてしまわないためのグレーをちゃんと整備して、彼女達がずっと真っ白でいられるように、影である僕の黒さを磨いていけば、10年後のおも校はかなりおもしろいことになっているはずです。


お年頃ゆえ、あっと言う間に1年が過ぎていく今日この頃。
となると10年後もあっと言う間。
ぼやぼやしてる暇はありませんね。

老いも若きも、きばっていきまっしょい!
楽しみながら。
ドールハウス
答えのない時代とは、抽象化の時代とも言える気がして、正しく抽象化できるスキルが今後ますます重要になってくる気がします。
わかりやすさ至上主義時代が少し収まってきた今、カメラのピントを合わすように抽象と具体を自由に行き来できる「デザイン」という道具の重要度も増しているのではないでしょうか。

あいかわらず世の中には、げんなりするような嫌なニュースもたくさんあって、ごくごく個人的には、あんなにも大きな葬式をする意味がさっぱりわからないし、有名なアウトドアメーカーの社長だからってここまで叩かれる必要があるのかと疑問だし、信仰心のない僕には宗教にのめり込む心理も、多額の税金をもらいながら暴露話ばっかりしてる人もそれに群がる人の気持ちも、「無言の抵抗」とやらで花束を投げ捨てる人の存在意義もわからないし、こんな無意味な戦争をする理由など検討もつきません。

でも、これやあれやに、あれやこれやと文句を言ってる人がたくさんいますが、叩かれる方も叩く方も、それもこれも全ての元凶は「教育」。
だからこそ、あれやこれやと文句を言ってしまうほどに嫌なら、全国に数多ある何かしらの教育プロジェクトに参加または投資することをお勧めします。
「教育」がちゃんとデザインされれば、その嫌なことのほとんどが解消されるのではないでしょうか。

人は誰しも、気を抜くとすぐに表面だけで判断してしまう生き物です。
色々なバイアスがかかっているし、自分だけはバイアスに縛られていないというバイアスが一番やっかいだったりします。

僕がやっていることも、僕が言っていることも、僕が届けたいターゲットの人以外の人には耳障りも目障りも心地よくないのかも知れません。
でもそれで目的が果たせるならそれでいいし、それ以上のことが出来るセンスも才能も僕にはありません。

引いてみたり、寄ってみたり、ピントを変えるように抽象と具体を行き来する。
そうすれば見えてくるもの、そうしないと見えてこないこと、そういうものがたくさんあります。
「わからない」とか「知らない」という感情は、あっという間に「怖い」とか「気味悪い」に形を変えますが、そういう時はきっと、具体しか見ていなかったりする時だったりします。
もっと引いてみて森全体を、さらに引いてもっともっと全体を見渡してみれば、あれやこれやと文句を言うよりも、よく似たものをさらに増やすために多額のお金を使うことよりも、他にやることがこんなにもたくさんあるってことにも気がつけるんじゃないかな。
といいつつ、僕もこうやって文句を言ってますが(笑)。


だから、というと誤解されるかも知れませんが、小さな小さな学校を作ってみました。
ドールハウス程度じゃねえかと言われたらその通りで、このドールハウスが今の僕にできる最大級の大きさです。
もちろん、僕よりももっと上手にもっと大きな規模でできる力を持った人はたくさんいるはずですが、まあ、誰もやらないですよね。
でも、やらない善よりやる偽善、悪名は無名に勝る、たとえそれが「ハチドリのひとしずく」だとしても、何もしないよりは少しはマシなんじゃないかと自分では思っています。

この小さな小さな学校プロジェクトを起こしてみて、不登校児を知れば知るほど、彼ら彼女らが敏感に感じ取っている時代の変化と社会との歪みがさらに鮮明に見えるようになってきました。
僕も含め、僕らは大きな大きなミス犯してしまっていたのかも知れません。
彼ら彼女らのおかげで、解決すべきことの目星はついたので、時間はかかるかも知れませんがそれを確かめるために、子ども達と一緒に小さな種を蒔き続けていきたいと思います。


さあ、明日は土曜日ですがおも校に大集合の日。
残暑が少しは和らいでるといいんですが。