白と黒とグレーと。
今まさに日本中で沸き起こっている「教育を変えよう!」の大きなムーブメント。
それはそれでタイミングだし、良いことだと思いますが、ブームになってしまうことの懸念も多くの人が感じていることだと思います。

果たして、うちの「地立おもしろい学校(おも校)」も含め、10年後も残っているプロジェクトはいくつあるでしょうか。
そしてその中で、本当に教育を変えることができたプロジェクトは生まれるでしょうか。

いくら日本の教育が旧態依然だとしても、それでなければ困る事情や理由や人達や勢力がたくさんいて、その壁はとてつもなく分厚く高い。
だからこそ、目を向けるべきものや変えるべきことや救うべき人や倒すべき相手を間違えると、1塁へ走らないといけないのに全力で3塁に向かって走ることになり、ただの徒労で終わってしまいかねません。

元首相を殺しても、かえって彼(元首相)をヒーローにしてしまうだけ。
見えるところに、ラスボスはいません。
もっと言えば、本当のラスボスは向こう側にいるのではなく、ずっとこっち側にいる。
だから見えないんだけど、そのことに気づいていないことこそが、このラスボスの本当の恐ろしさです。
反対側から見ることができる「デザインの視点」が必要なのは、そのためでもあります。


教育を変えようとするプロジェクトに関わる人たちの多くは、僕のような下衆系ではなく、本当に高い志と優しい心と純粋な想いを持っている人達。
ウソでも嫌味でもなんでもなく、本当に尊敬もするし、あこがれもある。
でも、だからこそ、余計なお世話なんだけど、ちょっと心配でもあります。

例えばあなたなら、結婚相手には、自分によく似た人を選ぶか、自分にはない部分を持っている人を選ぶか、どちらでしょうか。
もちろん、どちらもと答える人が多いと思いますが、何対何かのバランスが大事です。

そして難しいのは、「自分によく似た」と「自分にはない部分」をどのように定義づけるかです。
僕個人としては、好きなものや好みよりも、何に腹が立つか、や、何を許せないか、について共感できることが大事かなと思うし、「自分にはない部分」が何なのか、どういうものなのかの見極めも欠かせません。

恋人の時は、自分によく似た人でないと心地よくないとしても、例えば結婚して子どもが生まれたりすると、「自分によく似た」と「自分にはない部分」がそれぞれ強みでもあり、同時に大きな弊害となる場合も少なくないのではないでしょうか。

教育を変えようとする優しい人達の多くは、かつて自分も同じ境遇だったという人が多いと思いますが、だからこそ出来ることと、だからこそ出来ないことをしっかりと把握する必要があるように感じます。

誤解を恐れずに言えば、「自分によく似た」人達の集団にしかない強さと弱さがあり、ひどい目にあっている子ども達のために大人と戦う子ども、ではなく、大人と戦う大人が必要で、子ども達を逃がしてあげるだけでなく、その元凶の正体をもっと熟知する必要もあるように思うのです。

自分も子どもになってそばに寄り添える「白」と、それを食い物にしようとする元凶を、時には真正面から、時にはあざとく多方面からぶっ倒せる「黒」。
そしてそれを繋ぐ「グレー」の3つがバランスよく揃っているプロジェクトは、きっとずっと残っていける。

おも校でいえば、本校校長の森松さんやその仲間達はまぶしいほどに真っ白で、僕は漆黒の真っ黒(笑)。
「撮光」ではなく「撮影」と言うように、影の黒さが、白をさらに白くする。
このバランスがおも校の強みなんだと思います。
あとは、それが混ざり合ってぼやけてしまわないためのグレーをちゃんと整備して、彼女達がずっと真っ白でいられるように、影である僕の黒さを磨いていけば、10年後のおも校はかなりおもしろいことになっているはずです。


お年頃ゆえ、あっと言う間に1年が過ぎていく今日この頃。
となると10年後もあっと言う間。
ぼやぼやしてる暇はありませんね。

老いも若きも、きばっていきまっしょい!
楽しみながら。
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