ありがとう、2023年。



2023年も大変お世話になりました。
僕の活動に対し、ご理解とご協力をいただきました方々には心よりお礼申し上げます。
ありがとうございました。

2000年に独立して以降、たくさんの出会いと別れを繰り返し、まわりに助けてもらいっぱなしではありましたが、なんとか今日まで歩き続けてこれました。
決して大きな何かを成し遂げられたわけではありませんが、その道のりは、とても恵まれた日々だったと思います。

2023年は、それまでの自身の活動を鑑みて立てた仮説をもとに、今後の可能性を検証してきた一年でした。
若い世代との協働からは、多くの発見と学びがありました。
おも校の子どもたちもどんどん増えて、やるべきことの輪郭がはっきりと見えてきたようにも思います。

加えて、SNSをやめてブログに戻ったり、アシスタントがいらない仕事のやり方を模索したり、慌ただしくも冷静に、情熱を持ちながらもゆっくりと、丁寧を心掛けながらも全力で駆け抜け、解像度をあげることに全力で取り組んだ一年でもありました。

結果、今後はさらに余計なものをどんどんそぎ落として、より小さく、より本質的な活動に注力していくことになろうかと思います。
そんなわけで、2024年も日々を楽しみながら、いざ参ります。

2024年も、皆々様方にとって、ハッピーな一年でありますように。
教育にお金をかける、とは?
文部科学省が2023年12月22日に公表した「令和4年度公立学校教職員の人事行政状況調査」によれば、精神疾患を理由に病気休職した教職員数は6539人で過去最多となった。

日本の教育現場では、いったい何が起こっているのか。

そんな中、学校の先生たちと話をするたびに、ブラック企業並にきつい仕事を、それでも子どもたちを想う気持ちを忘れずにいたいと言う純粋な瞳と想いに感銘を受ける一方で、やっぱりまだまだ、方法論よりも、精神論や感情論にかなり頼りきってる感が否めないなと感じます。

その中でも特に問題だなと感じるのは、どう考えても無理ゲーな状況の中で、それでもまだ教師のスキルをあげることに重きを置いている点。
もっともっと私たちも勉強して、教師としての腕をあげていかないといけないなと思っています、といえば聞こえはいいのかもしれないけど、すでにコップの水はとうに溢れているのに、そこにまだ何かを足そうとして、いやいやそれはさずがに無理があるんじゃないのかな、と思う。

コップの水がもうすでに溢れているんだから、もっとスキルを磨いて、そうやってその水をもっと良い水に入れ替えるんだとしても、それによってやっぱりこぼれてしまう水がかなりあるわけで、そのこぼれた水の親はたまったもんじゃないと思うんです。
だからまずやらなければいけないのは、コップの水を減らすことなんじゃないのかな。
余計な仕事や行事やPTAや指導要綱やらやら、削れるものやことはまだまだいっぱいあると思う。

コップの水があふれていることを見て見ぬふりしながら、それでもなお、水を足そうとしていること自体が、最も無責任なことなのだと気づいてほしい。
失われた信頼を取り戻すべく、という名目で、まださらに何かを足そうとするのであれば、日本の教育はますます疲弊し、壊れ、崩れ、明るい未来なんて夢のまた夢。
そのツケは、そのまままるごと、子どもたちに覆いかぶさる。

だからまずはコップの水を減らすこと。
そのうえで、教師のスキルに頼るんじゃなく、どの先生でも同じようなレベルで授業が行えるような仕組みや仕掛けを早急に作るべきです。
そのために、お金や人材や先進技術をつぎ込むことこそが、教育にお金をかける、ということだと思います。
財産
商売だろうと何だろうと、ほかの誰かもしてることを自分のほうがちょっと上手くできたとして、そんなことでずいぶんと偉そぶってる人よりも、どんなに小さなことでも、まだ誰もしてないことに挑める人って、僕は素敵だと思うけどな。

大丈夫。
あなたがしているそれはきっと、かけがえのない財産になるから。
Merry Christmas 2023



今宵、優しく誰かを想うあなたのことを、きっと誰かも想ってる。


世代間で受け継がれていく、優しさのバトンリレー。

どうか、素敵な夜を。
強さと弱さ
落ちないことが強さではなく、落ちたときに這い上がろうとすることが強さ。
落ちたことが弱さではなく、落ちたときに這い上がろうとしないことが弱さ。

落ちたことを見て見ぬふりして、現実から目を背けるな。
誰だって落ちる。
つまづく。
転ぶ。
間違う。

そのこと自体は弱さでもなんでもなく、人間だという証拠。
大事なのは、そこからどう立ち上がるか。
ひとりで無理なら誰かとでいい。
誰かは人間である必要もない。
複雑と単純
複雑である、ということは、単純ではない、ということではなく、単純な部分もあるし、そうじゃない部分もある、という意味の複雑。

複雑か単純か、なんてそんな単純な話ではないのです。
税金
仕事柄、色々な人たちと仕事をしますが、若くてもベテランでも、「税金」に対して少々間違った解釈をしている経営者が目につきます。
税金は、どっかから勝手に湧いてくるものではなく、他の誰かに負担させることによって捻出されてきています。

もちろん、経営者本人も多額の税金を負担しているわけですが、政治家や経営者が税金を無駄に使えば使うほど、将来、やがて僕の娘たちが大人になったときに、彼女たちがそのツケを払わされることになる。

そこには、強い憤りを感じます。
鬼と仏
うちには、子どもたちと交わした5つのルールがあり、それを守れなかったときは、はっきりとしっかりと叱ります。
ただし、夫婦で決めているルールは、2人同時に叱らないこと。
どっちがか鬼になっているときは、どっちかが仏の役をして逃げ場を作っといてあげる。

でも、鬼と仏はいいけど、決して、敵と味方にわかれてはいけません。
ママに叱られた子どもがパパに泣きついてきたとして、最悪なのは、

「かわいそうに。ママもあんな言い方しなくてもいいのにね。ちょっと失敗しちゃっただけなのにねえ。」

これは明らかに、ママは敵、パパは味方、という構図になってしまい、NGです。
こういう場合は、

「よしよし。怒られて怖かったね。でもダメなことしたんだから怒られても仕方ないね。次からは守れるようにしないとね。もう一回ママにちゃんと謝っておいで。」

とかかな。

だって親はどちらも、いつだって子どもの味方ですから。