不登校のままで大丈夫?
地立おもしろい学校(おも校)を運営していく中で、保護者の方々から色々とご質問をいただきます。
その中で特に多いのは、「自分の子どもが不登校。このままで大丈夫?」というご質問。
自分の子どもが不登校のまま社会に出ても問題なく生き抜いていけるかどうかをご心配されているのだと思います。
実際はしっかりと時間をかけて、実例や根拠とともに丁寧にご説明させていただくのですが、結論から言えば、不登校であろうとなかろうと、やりたいことだけしかやってこなかった人や、それによって結果的に得られた選択肢(手持ちのカード)が少ない人にとっては、これからの社会は難しいゲームになると思います。
つまり、不登校自体というより、必要なものを身につけずに社会へ出てしまうことが問題の本質です。
人と比べて突出している才能がある人以外は、選べる選択肢、切れるカードをひとつでも多く持っておいて損はありません。
「やりたくないことはやらない」は決して自由ではなく、やれなかったことがやれるようになったうえで、それを「するかしないかを選択できる」ことが本当の自由です。
おも校では、決して安易に「不登校でも大丈夫」とは言いません。
「不登校」とか「子ども」とかをひと括りで語ることもできません。
「元気な不登校」は決して弱者ではないし、嫌なことからただ逃げたいだけの人がそのままで生きていけるわけでもありません。
先の質問にも、希望的観測や根拠のない感情論ではなく、しっかりとした根拠と方法論でお答えしています。
不登校になっておも校へ来て、自信をつけて学校へ戻っていく子も実際にいますが、学校へ戻ることを推奨しているわけではありません。
実際、旧態依然とした学校から得られるメリットはそれほど多くもありません。
それでも、社会を生き抜いていくために有効な選択肢を増やすことはできると思います。
不登校といえど、最低限の学力や知力、スキルや体力を身につける努力をしないのは絶対にダメ。
それは、得られたはずの選択肢を自ら捨てることであり、自分を諦めてしまうこととほぼ同義です。
不登校だからダメとかではなく、不登校のメリットもデメリットも正しく把握したうえで、伸ばすべきところを伸ばし、ダメなところは改善していく。
それらをきちんと理解し納得したうえでなら、不登校でも十分に生き抜いていけると思います。
ただし、これらのことは、あくまでも不登校の子の側から見た主体的な視点での話。
これを、不登校ではない子たちの側の視点も含めて相対的に見ると、また話はガラッと変わってきます。
自分だけが自由に生きていきたいのであればそれも実際可能でしょう。
ですが、そのためにほかの誰かが割りを食わされているのも事実です。
不登校の問題を、一方のみの視点から語ってはいけません。
例えば、2040年の超高齢化問題をど真ん中で支えるのは、今の小中高の年代の子ども達です。
AIやロボットがその全てを担ってくれる可能性に期待しつつ、ひきこもりや精神疾患等の増加によって支える側の人が減るほど、支えている人達にかかる負担が増していくのもまた事実。
コロナ過に振り回され、あらゆることが制限され、たくさん我慢して、でもがんばり抜いてようやく社会へ出た結果が、過去最大級の重荷を背負わされる人生ではあまりにも可哀想です。
その社会構造自体が問題ですが、政治や社会を変えていく地道な努力は続けていくとして、それでも残念ながら簡単に変えられるものでもありません。
現在の大人世代はなんとか逃げ切れるかもしれませんが、今の子ども達が大人になる頃には、今以上の超格差社会がやってくるかもしれず、であれば、見たいことだけを見て、聞きたい言葉だけを聞いて、そうやって現実から目を背けるのではなく、過去に学び、未来を見据え、今できることの精一杯で、不登校の子ども達にも最低限の装備を持たせてあげるべきです。
社会に出ることだけが人生ではない、不登校の子こそが新時代を作っていく、次の時代は不登校の子にこそ有利になる、自給自足でもハッピーに生きていける、という人もいますが、その生き方自体を否定はしないし、むしろそうであってほしいと願う気持ちもあります。
ですが、「寄り添う」とか「見守る」とか「信じて待つ」ことを、方法も手段も持っていないことの言い訳に使っているのなら話は別。
どんな未来になるかを誰にも断言することができないからこそ、時代が変わっても、たとえ変わらなくても、どちらにも対応できるようになっておくほうがいいと思います。
〇〇の時代、という言葉をよく聞きますが、これからやってくる時代を表面だけでとらえていると、こんなはずじゃなかったとなりかねません。
暴走する好奇心に突き動かされるまま、毎日のように学校帰りに山や川に行って遊び、何度も大けがしていた山猿な子ども時期を経て大人になり、30年近くもクリエイティブの業界で生きてきたデザイナーとしての僕から見て、確かに山や川や自然は言葉にできぬほどの魅力に溢れた魅惑的な場所であり、今でも大好きなかけがえのない存在ですが、同時に、そこには「命をつなぐ」という使命のみがあり、人権も生活保護もコンプライアンスもなく、力のないものは無慈悲に淘汰されていく、恐ろしいほどに容赦のない世界でもあります。
それと同様、クリエイティブや多様性は、一見するとカラフルで魅力的で楽し気に思われるかもしれませんが、「真の多様性」を生き抜いていくのは決して簡単なことではありません。
ゆえに、根拠も方法もない「大丈夫」は、子どもにとっても大人にとっても、とても危険なのです。
おも校は、自由気ままに楽しく、やりたいことだけやっていくための場所ではありません。
勉強だけを教える塾でもないし、ひとつのことだけを教える専門の学校でもありません。
おも校は、学校とは別の場所で、将来の選択肢を少しでも増やすための最低限の学力やスキルを、どうせなら楽しくておもしろい方法で身に着けていくための場所です。
おも校のコンセプトは、「学校をおもしろくする」。
それを可能にしているのが「デザイン教育」の手法であり、おも校の運営を支えているクリエイター達の熱量です。
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