楽しんで越えていく術
地元の子ども達のためのプロジェクトを立ち上げた。
地元の方々と協同しながらの作業は、時に楽しくあり、時に大変なこともある。
保守的な層が多い地方では、こちらの真意をご理解いただくことが結構難しい。

苦しいことから逃げてはいけないという意見にはもちろん賛成だけど、僕の立場としては、苦しさに耐える強さより、楽しんで越えていく術を、子ども達にも知ってほしいと思う。

これを正しく伝えるのは、本当に難しい。
出立の地





東京日本橋・三重テラス2階にて開催される、玉城町展「熊野古道出立の地から」の設営完了!
三重へ戻りますす。
3歳のカメラマン



もうすぐ3歳になる娘が、僕のiPhoneで撮ってくれた写真。

スライドロックを解除し、カメラアプリを立ち上げ、ビデオになっていた設定をカメラに戻し、フィルタメニューからモノクロを選んで、カシャ。
ちゃんとカメラロールを立ち上げて写真を僕に見せたあと、完了ボタンを押してカメラに戻って、今度は部屋の中や母親などを撮影したあと、さらには内側カメラに切り替えて自分撮りまでこなす娘。

母親から、デジ物は1日1時間くらいまでって制限されてるのに、どうやったらこんなに早く操作を覚えられるんだろうか。

時代って恐ろしい。
傾奇者
怒涛のスケジュールも、ようやく峠を超えた。
考えてみたら、三重に戻ってきてからひたすら全力で走ってきて、松阪木綿をはじめとする伝統工芸の再興プロジェクトや、商品のパッケージやブランディング、最近は複数の町おこし的なプロジェクトに携わっている中で、いろんな新しい出会いがあって、味方になってくれる人もたくさん出来たけど、まるで外敵かのごとく、裏で口撃されることもずいぶん増えた。

もともと松阪という場所は、出る杭を徹底的に叩く町だということは昔から暗黙で知られているし、それが本当だったことは、この短い期間でも全身で実感してきた。
ただみんな、それを口にしないだけ。
僕はそれを言ってしまうので叩かれるんだろうな。

以前、ある社長に言われた言葉を今でも忘れていない。
「松阪市はすでに腐りきってる。あんな町を救っても、何の意味もない」。
残念ながら、返す言葉がなかった。
唯一返せた言葉は、「それでも僕は、自分のふるさとを諦めるわけにはいきません。」だった。

そんな風に言われていることや、地元の松阪木綿が県外ではどのような評価を下されているか、どれくらい遅れをとっているか、それをまともに伝えると、見事に嫌われる。
30年後や50年後の松阪木綿の話しがまともに出来ない。
伝承だけじゃいずれ消えてしまうってことを言える空気じゃない。
今の松阪木綿のダメな所を、覚悟を持って否定していかないと、継承なんて夢のまた夢だ。

松阪木綿が若い世代に受け継がれていないのは、誰が見たって事実。
なぜ今の人達は、松阪木綿ではなく、ユニクロを買うのか。
そのことについて、なんでもっと真剣に語り合えないんだろうか。
馬鹿げた話しだと、なんで一蹴できるんだろうか。
だったらなんで、松阪木綿をもっと広めたい、なんて平気な顔で言えるんだろうか。

僕を傾奇者だと揶揄する人がいるならそれでもいいんです。
もっともっとかぶいて、大きな大きな渦を作りたいと思います。
あいつはただの壊し屋だと非難する人がいるならそれもいいです。
時には、一度壊して、もう一度初めから作りなおしていく勇気も必要なんだと思います。

偉そうなことを言う以上、僕は僕なりに必死で走っていきます。
松阪木綿フェスティバル
松阪木綿フェスティバルの座談会に参加させていただきました。
松阪市長、富士宮の元市長、松阪市議、手織りの方々、商店街の方々、中学の校長と中学生たち、高校の教師と高校生たち、そして僕も交えて、松阪木綿のことについて語り合いました。

短い時間だったので、みんなそれぞれの想いが沿うこともあれば交差することもありでしたが、こういう場を持てる松阪市は、まだまだ捨てちゃもんじゃないなと思いました。

高校生たちも、自分たちの想いを市長にぶつけたり、大人の方々からアドバイスをもらったり、想いをうまく伝えられない場面では歯がゆい想いもあっただろうけど、いい経験になったと思います。
ただ、十分な予備知識も持たない彼ら彼女らに、いきなり意見を求めるやり方にはちょっと疑問を持ちました。
本来ならば、パネラーというよりは、大人たちが語り合う話をじっくりとリスナー席で聞いたうえで、自分たちが実際にどう感じたかを話してもらうべきだったようにも思います。
まあでも、定期的にこういう場を持つと市長も約束してくれたので、次はもっと勉強して挑んでくるでしょう。
それでいいと思います。

松阪木綿は、他の伝統工芸と同様に、様々な問題や課題を抱えています。
それでも、松阪木綿における僕の目的は、次の世代に繋ぐことのみなので、こうして直接子どもたちと、松阪木綿のことについて語り合えるということは、今までを考えたら、大きな前進です。
松阪木綿の着物を着せてもらうことは大変いいことですが、21世紀の現代の松阪木綿が存在しない、いわゆる昔のままの松阪木綿しかない状況では、なんだか虚しささえ感じてしまうのです。
彼ら彼女らが、本当に着たいと思える松阪木綿や身につけたいと思えるものを生み出さなければ、この文化はやがて、かなり近い将来に、消えてしまうでしょう。
進化しないものには、衰退の道しかありません。

若い世代が、ユニクロのステテコにしようか、それとも松阪木綿のステテコにしようか、伊勢木綿のステテコもいいな、となるような、そんな未来を必ず実現したいと、本気で思います。
こんにゃく



今年、三重県松阪市飯高町で美味しいこんにゃくを作っている上野屋さんの「さしみこんにゃく」のパッケージをデザインさせてもらい、売り上げが3〜4倍伸びたという嬉しい結果が出ましたが、いよいよ来月、第2弾の新商品が発売されます。

今回はかなりポッピーな感じでデザインしてみました。
売り上げが下がらないように祈るばかりです。
今日だけは。
今日は、ずっと好きだった女優さんがついに結婚したというニュースを受け、精一杯に祝福したうえで、ひっそりと悲しむために、一旦作業を中断して、寝ます。
火垂るの墓
仕事の資料集めのために、「火垂るの墓」を改めて観た。
子どもにお腹いっぱいご飯を食べさせてあげることが、親にとってものすごく大きな幸せなんだってことが今ならよくわかる。
母親の家に行くと、今だにびっくりするほどの量のご飯を用意してくれる意味もよくわかる。
おかげいつも、食べ過ぎてしまうけど。
何屋?
四日市ドームの設営をとりあえず他の人にまかせて、今から多気町で講演してきます。
大道具モードから、デザイナーモードへシフトです。

僕がいったい何屋なのか、母親が未だに理解できないのも仕方ないね。