傾奇者
怒涛のスケジュールも、ようやく峠を超えた。
考えてみたら、三重に戻ってきてからひたすら全力で走ってきて、松阪木綿をはじめとする伝統工芸の再興プロジェクトや、商品のパッケージやブランディング、最近は複数の町おこし的なプロジェクトに携わっている中で、いろんな新しい出会いがあって、味方になってくれる人もたくさん出来たけど、まるで外敵かのごとく、裏で口撃されることもずいぶん増えた。
もともと松阪という場所は、出る杭を徹底的に叩く町だということは昔から暗黙で知られているし、それが本当だったことは、この短い期間でも全身で実感してきた。
ただみんな、それを口にしないだけ。
僕はそれを言ってしまうので叩かれるんだろうな。
以前、ある社長に言われた言葉を今でも忘れていない。
「松阪市はすでに腐りきってる。あんな町を救っても、何の意味もない」。
残念ながら、返す言葉がなかった。
唯一返せた言葉は、「それでも僕は、自分のふるさとを諦めるわけにはいきません。」だった。
そんな風に言われていることや、地元の松阪木綿が県外ではどのような評価を下されているか、どれくらい遅れをとっているか、それをまともに伝えると、見事に嫌われる。
30年後や50年後の松阪木綿の話しがまともに出来ない。
伝承だけじゃいずれ消えてしまうってことを言える空気じゃない。
今の松阪木綿のダメな所を、覚悟を持って否定していかないと、継承なんて夢のまた夢だ。
松阪木綿が若い世代に受け継がれていないのは、誰が見たって事実。
なぜ今の人達は、松阪木綿ではなく、ユニクロを買うのか。
そのことについて、なんでもっと真剣に語り合えないんだろうか。
馬鹿げた話しだと、なんで一蹴できるんだろうか。
だったらなんで、松阪木綿をもっと広めたい、なんて平気な顔で言えるんだろうか。
僕を傾奇者だと揶揄する人がいるならそれでもいいんです。
もっともっとかぶいて、大きな大きな渦を作りたいと思います。
あいつはただの壊し屋だと非難する人がいるならそれもいいです。
時には、一度壊して、もう一度初めから作りなおしていく勇気も必要なんだと思います。
偉そうなことを言う以上、僕は僕なりに必死で走っていきます。
考えてみたら、三重に戻ってきてからひたすら全力で走ってきて、松阪木綿をはじめとする伝統工芸の再興プロジェクトや、商品のパッケージやブランディング、最近は複数の町おこし的なプロジェクトに携わっている中で、いろんな新しい出会いがあって、味方になってくれる人もたくさん出来たけど、まるで外敵かのごとく、裏で口撃されることもずいぶん増えた。
もともと松阪という場所は、出る杭を徹底的に叩く町だということは昔から暗黙で知られているし、それが本当だったことは、この短い期間でも全身で実感してきた。
ただみんな、それを口にしないだけ。
僕はそれを言ってしまうので叩かれるんだろうな。
以前、ある社長に言われた言葉を今でも忘れていない。
「松阪市はすでに腐りきってる。あんな町を救っても、何の意味もない」。
残念ながら、返す言葉がなかった。
唯一返せた言葉は、「それでも僕は、自分のふるさとを諦めるわけにはいきません。」だった。
そんな風に言われていることや、地元の松阪木綿が県外ではどのような評価を下されているか、どれくらい遅れをとっているか、それをまともに伝えると、見事に嫌われる。
30年後や50年後の松阪木綿の話しがまともに出来ない。
伝承だけじゃいずれ消えてしまうってことを言える空気じゃない。
今の松阪木綿のダメな所を、覚悟を持って否定していかないと、継承なんて夢のまた夢だ。
松阪木綿が若い世代に受け継がれていないのは、誰が見たって事実。
なぜ今の人達は、松阪木綿ではなく、ユニクロを買うのか。
そのことについて、なんでもっと真剣に語り合えないんだろうか。
馬鹿げた話しだと、なんで一蹴できるんだろうか。
だったらなんで、松阪木綿をもっと広めたい、なんて平気な顔で言えるんだろうか。
僕を傾奇者だと揶揄する人がいるならそれでもいいんです。
もっともっとかぶいて、大きな大きな渦を作りたいと思います。
あいつはただの壊し屋だと非難する人がいるならそれもいいです。
時には、一度壊して、もう一度初めから作りなおしていく勇気も必要なんだと思います。
偉そうなことを言う以上、僕は僕なりに必死で走っていきます。
コメント一覧
コメント投稿