ドールハウス
答えのない時代とは、抽象化の時代とも言える気がして、正しく抽象化できるスキルが今後ますます重要になってくる気がします。
わかりやすさ至上主義時代が少し収まってきた今、カメラのピントを合わすように抽象と具体を自由に行き来できる「デザイン」という道具の重要度も増しているのではないでしょうか。

あいかわらず世の中には、げんなりするような嫌なニュースもたくさんあって、ごくごく個人的には、あんなにも大きな葬式をする意味がさっぱりわからないし、有名なアウトドアメーカーの社長だからってここまで叩かれる必要があるのかと疑問だし、信仰心のない僕には宗教にのめり込む心理も、多額の税金をもらいながら暴露話ばっかりしてる人もそれに群がる人の気持ちも、「無言の抵抗」とやらで花束を投げ捨てる人の存在意義もわからないし、こんな無意味な戦争をする理由など検討もつきません。

でも、これやあれやに、あれやこれやと文句を言ってる人がたくさんいますが、叩かれる方も叩く方も、それもこれも全ての元凶は「教育」。
だからこそ、あれやこれやと文句を言ってしまうほどに嫌なら、全国に数多ある何かしらの教育プロジェクトに参加または投資することをお勧めします。
「教育」がちゃんとデザインされれば、その嫌なことのほとんどが解消されるのではないでしょうか。

人は誰しも、気を抜くとすぐに表面だけで判断してしまう生き物です。
色々なバイアスがかかっているし、自分だけはバイアスに縛られていないというバイアスが一番やっかいだったりします。

僕がやっていることも、僕が言っていることも、僕が届けたいターゲットの人以外の人には耳障りも目障りも心地よくないのかも知れません。
でもそれで目的が果たせるならそれでいいし、それ以上のことが出来るセンスも才能も僕にはありません。

引いてみたり、寄ってみたり、ピントを変えるように抽象と具体を行き来する。
そうすれば見えてくるもの、そうしないと見えてこないこと、そういうものがたくさんあります。
「わからない」とか「知らない」という感情は、あっという間に「怖い」とか「気味悪い」に形を変えますが、そういう時はきっと、具体しか見ていなかったりする時だったりします。
もっと引いてみて森全体を、さらに引いてもっともっと全体を見渡してみれば、あれやこれやと文句を言うよりも、よく似たものをさらに増やすために多額のお金を使うことよりも、他にやることがこんなにもたくさんあるってことにも気がつけるんじゃないかな。
といいつつ、僕もこうやって文句を言ってますが(笑)。


だから、というと誤解されるかも知れませんが、小さな小さな学校を作ってみました。
ドールハウス程度じゃねえかと言われたらその通りで、このドールハウスが今の僕にできる最大級の大きさです。
もちろん、僕よりももっと上手にもっと大きな規模でできる力を持った人はたくさんいるはずですが、まあ、誰もやらないですよね。
でも、やらない善よりやる偽善、悪名は無名に勝る、たとえそれが「ハチドリのひとしずく」だとしても、何もしないよりは少しはマシなんじゃないかと自分では思っています。

この小さな小さな学校プロジェクトを起こしてみて、不登校児を知れば知るほど、彼ら彼女らが敏感に感じ取っている時代の変化と社会との歪みがさらに鮮明に見えるようになってきました。
僕も含め、僕らは大きな大きなミス犯してしまっていたのかも知れません。
彼ら彼女らのおかげで、解決すべきことの目星はついたので、時間はかかるかも知れませんがそれを確かめるために、子ども達と一緒に小さな種を蒔き続けていきたいと思います。


さあ、明日は土曜日ですがおも校に大集合の日。
残暑が少しは和らいでるといいんですが。
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