日々、デザインたれ!
イチローが4000本以上のヒットを打つために、どれだけバッドを振ってきただろう。
カズが200以上のゴールを決めるために、どれだけボールを蹴ってきただろう。
「本番」の打席もシュートチャンスも、そう多くはない。
その数少ないチャンスをものにできたのは、決して才能だけではなく、誰にも負けないほどの練習量があったからだろう。
じゃあ、デザイナーはどうか。
「本番」、つまり、「実際に依頼を受けた仕事」の数は、どれだけ忙しくても、月に何千件をこなせるわけじゃない。
「本番」の打席もシュートチャンスもそう多くはない中で、どうやって実績を積んでいくのか。
その答えは、「どれくらいデザインが好きか」で決まるんだと思う。
学校の先生なら、「本番」が練習でもあり、失敗しながら成長していけるのかもしれない。
でも、外科医の医者が失敗すれば、その患者を死なせてしまう。
カメラマンなら、プライベートでもいっぱい写真を撮って練習量を増やせるだろうし、料理人だってそうだろう。
でも、パイロットが「本番」だけで実績を積もうとしても、それは無理。
失敗すれば、何百人が死んでしまう。
僕のような商業デザイナーはどうか。
大きな事務所の新人なら、失敗しながら成長できるだろう。
でも僕のような個人事務所は、失敗が続けば仕事を失う。
クライアントを死なせてしまうことはなくても、大きな損害を与えてしまうことになる。
若い頃、誰にも頼まれてないのに、ソニーやアップルの新しいロゴを作ってみたり、ビートルズの新作アルバムのジャケットをデザインしてみたりしてた頃が懐かしい。
毎日毎日、あらゆる職種の架空の仕事を設定して、何十何百ととにかく作り続けた。
忙しくなったあとでも、まちの中で何かを発見した時、車の中でアイデアを思いついた時、カフェで誰かと話してる時だって、頭の中でデザインのソフトを立ち上げて、頭の中でデザインをはじめた。
その体験が、その練習量が、今の僕を支えてる。
イチローやカズのような才能がないから、それでもまだまだ足りないんだけど、奇跡的に今までやってこれたのは、恵まれた出会いと、運の強さと、練習量だと思う。
独学でデザインを学び、未経験のままデザイン事務所を立ち上げたのが20代。
今でも、プロフィールに書けるような賞なんて何もないし、有名なデザイナーでもない。
でも、デザインが好きだ。
ものすごく、デザインが好き。
だから今でも、時間を見つけて練習を積む。
それは義務ではなく、欠かせない習慣のようなもの。
または、おまじない、なのかもしれない。
今月で49歳。
僕ももう若くはない。
ずっとアシスタントデザイナーを募集してるけど、いまだに見つからないから、後継者を育てたくても育てられないのがすごく残念だし、心残り。
だから、世の中の名前も知らない若きデザイナー達に、無名のおっさんからエールを贈ろう。
デザインの力で、世の中をもっともっと素敵にしておくれ。
常に「今が一番いい時代」って言える世の中にしておくれ。
若きデザイナー諸君、日々、デザインたれ!
配管工事
100年は長い。
毎年恒例の怒涛の年度末(3月)をなんとか乗り越え、少しだけひと息つけそうな4月になりました。
案の定、3月は体調もメンタルもとにかくボロボロ。
常にイライラして、わけのわからない所が猛烈に痛くなったり、そのせいでまた眠れなかったり、生活が荒れ、ストレスの症状が総動員でパレードです。
こんな時はいつも、暴飲暴食しながらNetflixとかの映画を観まくることでなんとかやり過ごすしかないんですが、もちろん、いい習慣とは言えません。
でも、何もしないでいると気が狂いそうになるので、いけないと思いつつもやめられない。
ただ、原因はわかってるので、なんとか対策を見つけたいと思います。
ところで、最近観た映画の中で印象に残っているのは、「シングストリート」という映画。
特に、弱い者いじめばかりしてる奴に、主人公が言い放った言葉、「お前は壊すだけで、何も作れない。」というセリフは印象深かった。
クリエイティブは、創造と破壊の繰り返し。
壊しては作り、また壊しては、また作る。
ただ壊すだけでは、クリエイティブとは言えません。
でも残念ながら日本では、質の高いクリエイティブでも、あっという間に消費されてしまいます。
生前、師匠が「100年続くデザインを。」と言ってましたが、それは本当に難題です。
「100年続くデザイン」とはつまり、「100年愛され続けるデザイン」ということ。
じゃあそういうものをデザイナーとして生み出せているか、と自分に問えば、言葉に詰まる。
「お前は壊すだけで、何も作れない。」という主人公のセリフがずっと耳から離れず、僕ももしかしたら、ただ壊しているだけで、実は何も作れていないんじゃないか、とまた不安になる。
師匠、100年は長いよ・・・。
なんとか復活。
ダウン。
招待状
世界が平和でありますように
初心忘るべからず。
かいだ製麺所さんの新しい3種類の伊勢うどんのパッケージとネーミングを担当させていただきました。
普段はあまり自分がした仕事をご紹介することはしないんですが、ご紹介するってことはつまり、そう、良くも悪くも、何かあるわけです。
今回は、僕がデザインした全体的な雰囲気は残しつつも、文字のサイズや字間&行間や余白等を印刷会社のインハウスデザイナーによって勝手に修正されてしまう、という事態が発生し、裏面に関しては、一番最初に印刷会社がしたデザインを全て僕が作り直したにも関わらず、最初の印刷会社バージョンに戻ってしまっているというあってはならないショックな出来事が起こり、でもそれに僕が気づいたのが、もうすでに販売がスタートしてしまっていたあとだったのでどうすることもできず、という悲しい案件となってしまいました。
付き合いの長いクライアントさんだったとはいえ、あまりの忙しさにかまけてしまった僕のチェック不足がまねいた悲劇であり、それは大いに反省すべきことですが、小さな文字のサイズくらい、裏面くらい、それくらいは別にいいだろう、という判断がなされたのだとしたら、たとえインハウスデザイナーだとしても、同じデザイナーを名乗る者としてあってはならない行為です。
もちろん、インハウスデザイナーはただのオペレーター業務をしたにすぎず、上司から言われるがままだったのかも知れませんが、こういうことが普通に起きるから、デザイナーを国家試験にすべきだと本気で思うわけです。
という、悲しい案件となってしまいましたが、肝心のうどん自体はめちゃくちゃ美味しいので、現在のパッケージの在庫を早くなくして、増刷の際にデザインをやり直すためにも、もしもどこかで見かけたら、抱えきれないくらいに買ってください(笑)。
初心忘るべからず。
今後はさらに最後の最後の最後までチェックを怠らず、まあそれでも事件は起きたりするものですが、うるさいデザイナーだなと思われても、そこは徹底していきたいと思います。
反省、反省、ああ、へこむ。
頼むから、運命のアシスタントさん、早く僕と出会っておくれ。
若者よ
ある所に、無知で経験も乏しく、力も信用もお金もない、でもハートだけは熱い若者がいたとする。
彼は、「三重県」とか「日本」とか、とにかくモノゴトを広く捉えたがる。
一方で、酸いも甘いも知ってる、経験も力もお金も信用もある、そんなとある大人がいたとして、彼はいつも「自社」とか「地域」とか、モノゴトを小さく捉える。
三重県に戻ってきて感じたことのひとつが、このズレ。
このズレを正さないと、三重県のリブランディングはきっとうまくいかないと思う。
もちろん、若者が大きな夢を追いかけることには大いに賛成だし、大人が足元を大切にするのは、人生は思ったよりも短く、だからこそ意味のない無駄な戦いを避け、大局をしっかりとつかんだうえで、モノゴトをスムーズに動かしていくことの大切さを知ってるからだってことも理解してる。
けれど、実際に問題や課題を解決していくためには、若者はスピード感をもって小さくはじめ、大人は持てる力を発揮して、さらなる巨人たちと戦うことも大事だと思う。
若者が巨人に挑み、惨敗し、諦めることを覚え、うつむいた視線の先で足元の草花に癒され、それを大切に守ることの尊さを知り、世の平和を願いながら余生を送る。
例えばそんな感じだったとしても、でもそれじゃあ問題や課題はなかなか解決できないし、若者が惨敗するのは、ロールモデルとなる大人になかなか出会えないからだし、特に田舎ではその傾向が強いように感じる。
僕自身がそうであったように、いつの時代も、大局が見えてない若者は無謀だし、無知だし、甘いし、うぬぼれてるし、でもだからこそのパワーもあって、こういう熱量をうまく引き出して活用できるシステムや大人が必要だよなあと思う。
ついでに言うと、マーケティングの人達は群れたがり、クリエイティブの人達は孤立したがる。
このズレも問題ですよね。
モノゴトを動かしていくには、どちらか一方ではダメで、ブランディング、マーケティング、テクニカル、プロモーション、ビジネスなどなど、色々な要素が同時に一緒に動かないとなかなか成果は出ない。
大企業ならこれら全てのセクションを持ってるから有利だけど、持たざる者たちはお互いにチームを組んでやるしかない。
問題は、誰もが主導権を持ちたがるから、そもそも大きなチームをつくること自体が想像以上に難しいってこと。
みんな、故郷をもっと良くしたいっていう想いは一緒なのに、人間のエゴが邪魔をする、のかな。
もちろん、僕も含めてですが。
でも、例えば、全ての人が、それぞれ別々の方法でも構わないから、共通の認識や同じ旗印を持って活動することができれば、もしかしたら大局を動かせるかも知れない。
その指針を定め、そのために自分に出来ることを、小さくてもいいし大きくてもいいから、とにかく行動し続けること。
かつて諸先輩方と立ち上げた、「三重基準会議(Mie Standard Conference)」というプロジェクトの目的はそれだったと思うけど、その活動も止まったままだ。
アメリカのことわざ「If every man would sweep before his own door, The city would soon be clean.(みんなが自分の家の前をキレイにすれば、町はあっという間にきれいになる)」っていうのもそういうことだと思うし、こんな簡単なことがこんなにも難しいってこと自体が、一番の問題なんだと思う。
そういえば、アフリカのことわざ「If you want to go fast, go alone. If you want to go far, go together.(早く行きたければ、ひとりで行け。遠くまで行きたければ、みんなで行け。)」ってのも、そのどっちかではなく、ちょうどいい塩梅って出来ないのかなあと思ったりもします。
若者よ 君は旅立つ
東へと向かう列車で
華やいだ街で見つけたい
贈り物ってなに?
君が贈りたい物と
相手が欲しい物が
ズレてる限り
うまくはいかないのに・・・
松阪木綿のハンカチーフください
涙で顔が藍色に染まってしまうけど・・・
そして最終的には、僕の奥さんがいつも言ってる、「無理に決めたりまとめたり束ねたりしようとせず、みんなそれぞれが正しいことをして、それがやがて、知らない間に三重県のためになっていればラッキーぐらいでちょうどいい」のかも知れません。
彼は、「三重県」とか「日本」とか、とにかくモノゴトを広く捉えたがる。
一方で、酸いも甘いも知ってる、経験も力もお金も信用もある、そんなとある大人がいたとして、彼はいつも「自社」とか「地域」とか、モノゴトを小さく捉える。
三重県に戻ってきて感じたことのひとつが、このズレ。
このズレを正さないと、三重県のリブランディングはきっとうまくいかないと思う。
もちろん、若者が大きな夢を追いかけることには大いに賛成だし、大人が足元を大切にするのは、人生は思ったよりも短く、だからこそ意味のない無駄な戦いを避け、大局をしっかりとつかんだうえで、モノゴトをスムーズに動かしていくことの大切さを知ってるからだってことも理解してる。
けれど、実際に問題や課題を解決していくためには、若者はスピード感をもって小さくはじめ、大人は持てる力を発揮して、さらなる巨人たちと戦うことも大事だと思う。
若者が巨人に挑み、惨敗し、諦めることを覚え、うつむいた視線の先で足元の草花に癒され、それを大切に守ることの尊さを知り、世の平和を願いながら余生を送る。
例えばそんな感じだったとしても、でもそれじゃあ問題や課題はなかなか解決できないし、若者が惨敗するのは、ロールモデルとなる大人になかなか出会えないからだし、特に田舎ではその傾向が強いように感じる。
僕自身がそうであったように、いつの時代も、大局が見えてない若者は無謀だし、無知だし、甘いし、うぬぼれてるし、でもだからこそのパワーもあって、こういう熱量をうまく引き出して活用できるシステムや大人が必要だよなあと思う。
ついでに言うと、マーケティングの人達は群れたがり、クリエイティブの人達は孤立したがる。
このズレも問題ですよね。
モノゴトを動かしていくには、どちらか一方ではダメで、ブランディング、マーケティング、テクニカル、プロモーション、ビジネスなどなど、色々な要素が同時に一緒に動かないとなかなか成果は出ない。
大企業ならこれら全てのセクションを持ってるから有利だけど、持たざる者たちはお互いにチームを組んでやるしかない。
問題は、誰もが主導権を持ちたがるから、そもそも大きなチームをつくること自体が想像以上に難しいってこと。
みんな、故郷をもっと良くしたいっていう想いは一緒なのに、人間のエゴが邪魔をする、のかな。
もちろん、僕も含めてですが。
でも、例えば、全ての人が、それぞれ別々の方法でも構わないから、共通の認識や同じ旗印を持って活動することができれば、もしかしたら大局を動かせるかも知れない。
その指針を定め、そのために自分に出来ることを、小さくてもいいし大きくてもいいから、とにかく行動し続けること。
かつて諸先輩方と立ち上げた、「三重基準会議(Mie Standard Conference)」というプロジェクトの目的はそれだったと思うけど、その活動も止まったままだ。
アメリカのことわざ「If every man would sweep before his own door, The city would soon be clean.(みんなが自分の家の前をキレイにすれば、町はあっという間にきれいになる)」っていうのもそういうことだと思うし、こんな簡単なことがこんなにも難しいってこと自体が、一番の問題なんだと思う。
そういえば、アフリカのことわざ「If you want to go fast, go alone. If you want to go far, go together.(早く行きたければ、ひとりで行け。遠くまで行きたければ、みんなで行け。)」ってのも、そのどっちかではなく、ちょうどいい塩梅って出来ないのかなあと思ったりもします。
若者よ 君は旅立つ
東へと向かう列車で
華やいだ街で見つけたい
贈り物ってなに?
君が贈りたい物と
相手が欲しい物が
ズレてる限り
うまくはいかないのに・・・
松阪木綿のハンカチーフください
涙で顔が藍色に染まってしまうけど・・・
そして最終的には、僕の奥さんがいつも言ってる、「無理に決めたりまとめたり束ねたりしようとせず、みんなそれぞれが正しいことをして、それがやがて、知らない間に三重県のためになっていればラッキーぐらいでちょうどいい」のかも知れません。
バレンタイン
建国記念日
今日は建国記念日。
建国をしのび、国を愛する心をやしなう日。
どうやってやしなうの?と聞きたくなってしまう日に、森さん辞任の意向のニュース。
そりゃそうなるだろうな。
この滑稽な茶番こそが今の日本。
時代が終わり、時代は変わり、時代が始まる。
いつの時代も、若者たちは言う。
こんな腐った時代に、
こんなクレイジーな国に、
なぜ僕らは生まれてきたのか、と。
でも、
戦争を知ってるおじいちゃんとおばあちゃんが今でも生きていたなら、きっとこう言うだろう。
昔に比べたら「今」はずいぶん良くなった、と。
世界中で繰り返されてきた真っ黒な歴史の証人たちも言うだろう。
「今」の一体何が不満なのか?と。
生まれた時から身分が決まっていた時代。
肌の色だけで、まるでゲームのように簡単に殺される時代。
自由に恋愛ができなかった時代。
結婚相手を自分の意志で選べなかった時代。
平均寿命が30代だった時代。
人を殺し、女性を犯し、動物を迫害し、自然を壊し続けてきた人類。
今でもそれはゼロではないけど、でも「ずいぶん良くなった」のは確かだろう。
「昔」の中でしか生きれない人達には、さぞ「今」は生きにくい時代だと思う。
こんなにも便利で豊かになったのに、「昔」を恋しいとさえ思うだろう。
子どもの頃に腹を抱えて笑い転げた経験があれば、人はその時の中で一生をさまよう。
どんなに貧しくとも、どんなに不便であっても、笑い転げたその「今」を、人は決して消し去ることができない。
一瞬で心を奪われたあの恋から、何年も何十年も離れられなくなるみたいに。
だから僕は、「時代」の匂いに誘われて、古い車や物に惹かれてしまうのだろう。
ついていけない自分を認めず、ついていかない道を選ぶ。
それが悪いわけじゃないけど、だからって「昔」を持ち出すのはセンスが悪い。
今頃森さんはぼやいてるだろうな。
あの頃は良かった、と。
でも、それでも、「今」を生きよう。
ちゃんと「今」を、最高にしよう。
娘たちにはこう言ってあげたい。
完璧にはほど遠いけど、それでも「今」が一番、最高の時代なんだよと。
そう言える時代でなければならない。
そう言い切れる自信がないからこそ、そうであってほしいと願う。
さあ、今を生きよう。楽しもう。
今日も子ども達と一緒に、笑い転げよう!
きっとそれが、「建国記念日」の正しい過ごし方だと思うから。
サファリ
DESIGN THINK ABOUT
東京で16年過ごし、故郷の三重県に戻ってきてから8年。
色んな人のおかげで、様々な案件に携わらせていただいてきて、伊勢志摩サミットの時も大事な役目を与えてもらえたりしたけど、僕レベルのデザイナーなんて世の中にそれこそ無数にいるわけで、もっとすんごいデザイナーが若い人の中から現れてくれないと、「三重県」のブランディングは成功しない。
だから若手を育てようと動いてきたけれど、その活動の中で痛感したのは、三重県から外へ出たクリエイター達に、三重県でもこんな面白いことができるんだよ、いつか三重県に戻ってきてね、と堂々と言える何かが必要で、彼ら彼女らの才能を思いっきり発揮できる場を、まずはここにいる僕らが作らないといけないよなということ。
今の三重県のままじゃ、戻ってきたいと思えなくても仕方ないもんね。
戻っても才能を無駄にするだけ、戻って何をするの?って実際言われたことあるし。
そのために今年は、三重県内で3つのプロジェクトを立ち上げる。
そして、そのためにも、僕はまだまだ学ばないといけない。
だからまずは、毎月最低でも1人ずつ、日本全国の大好きなクリエイターさんや各分野の専門家さん達に会いに行って、デザインの視点で、デザインのことや教育のことや色々な話を聞かせてもらって学ばせていただこうと思う。
もちろん、リモートでもいいんだけど、その場の空気を感じたいし、その人のゆかりの地やルーツも見てみたい。
で、せっかくだし、その対談の話を聞きたいと思う人もきっといるだろうから、それを動画で撮影して配信できたらいいなと。
どうせならこの行脚にも名前をつけたいなと思い、「DESIGN THINK ABOUT」に。
なんだかおかしな英語だけど、それはまあいいとして、基本的には緊急事態宣言が出されていない地域の方から会いにいきたいと思います。
まずはやっぱり、大好きな真喜志さんに会いに沖縄からスタート、がいいなあ。
沖縄の方、渡航費の足しになるような沖縄での案件があったらぜひご紹介ください(笑)!
詳細はまたご報告させていただきますが、同行メンバーも募集してますので、ご興味のある方はご連絡を。
さあ、今年は動くぞ!
もちろん、コロナ対策は万全に。
新年あけましておめでとうございます。
新年あけましておめでとうございます。
今年ももう3日が過ぎてしまいました。
早い。
この調子だと年末までまたあっという間、ですね。
今年の正月収めは高見山。
明日から仕事再開します。
今年の抱負は、
とにかく健康的な生活を送り、
納期を守り、
デザインにもっと真面目に取り組む。
人に優しく、
誰かの役に立つことをたくさんして、
なるべく笑顔で。
出無精もデブ症も改善し、
想像力と創造力をさらに磨く。
デザインにこだわり、
でもデザインに縛られず、
やりたいことをやりたい人とたくさんやって、
全力で日々を楽しむ。
そして今年も、
僕を求めてくれる人のためだけに生きて、
仕事して、
その人達を幸せにする。
汚れ役も喜んで引き受けて、
表通りも裏通りも選り好みせずにスキップで進む。
批判も評判も気にせずに、
作品ではなく商品作りに勤しんで、
マイクが来たなら微笑んで、
十八番を一つ歌うだけ。
飾った世界に流されず、
好きな誰かを想いつづける、
時代おくれの男になりたい(?)。
今年もたくさんの出逢いと別れがあるでしょう。
なりふり構わず時々後ろも振り返りながら、
たまにはセンチメンタルな遠い日の花火に心を預けてみたりして、
泣きたい時には泣いて、
笑いたい時にだけ笑って、
自分の中の流儀を信じ、
師匠に恥じぬデザイナーであるために、
腰を据えて懸命に生きる。
2021年も、あいかわらず来るもの拒まず去る者追わず。
いつまで経ってもつかめないデザインの尻尾を、
それでも腐らずに追い続けます。
本年も、あたたかーい眼差しで、よろしくお願いいたします!
モンスターブランド
次女が描いた落書き。
「ブランド」とは、全く全然どう見ても似ていないのに、それが何を表現したものかが一瞬でわかってしまうコトやモノ。
ましてや、年齢も性別も問わず、とくれば、それこそが、唯一無二のモンスターブランドだ。
デザイナーとして、今までにたくさんのロゴやパッケージや広告をデザインしてきたけど、そこにはどうしても、僕のデザインのクセやヘキが出てしまう。
アーティストとしてならそれでいいとしても、デザイナーとしてはいかがなものか?と時々悩む。
ここ10年くらいは、右を見ても左を見ても、ブランドだのブランディングだのの時代。
本も記事もセミナーも、それこそ会話の中にもこのワードがしきりに出てくる。
だけど、誰もがモンスターブランドになれるわけじゃない。
近道も魔法も唯一の正解もない。
コツがあるとすれば、「今の100%」を常に出し切ること。
背伸びも誇張もいらない。
デザイナーが0%を100%にしてくれるわけじゃない。
大事なのは、「今の100%」。
同じ「100%」でも、容量や面積や温度や体積はそれぞれの人や企業で異なる。
だけどそれは大した問題じゃない。
そこに「20%」のエッセンスの粉を振りかけて、120%にする。
それを積み重ねた先にだけ、そのドアは現れる。
いつの日か、こんなモンスターブランドを手がけてみたい。
次女が描いた落書きを眺めながら、「日本」が目指すべき、そしてなるべきブランドは、まさにコレだよな、と思った。
長女の誕生日
午前2時
岐阜県産品ブラッシュアップ事業
今回、岐阜県のブラッシュアップ事業にて、セミナー(2回)と商品選考委員を担当させていただくことになりました。
岐阜県にも素晴らしいモノづくりの人達がたくさんいます。
どんな人やモノと出会えるのか、今からものすごく楽しみです!
今回の事業をきっかけに、その後も岐阜県のモノづくりの発展のために尽力していければなと思いますので、岐阜県の皆さん、末永く宜しくお願いいたします!
▼岐阜県産品ブラッシュアップ事業概要
https://www.pref.gifu.lg.jp/site/pressrelease/106040.html
朝・天慶翠澄