墓参り
今日は、中学の時の同級生の命日が近いので、毎年恒例の墓参り。
彼女は、素敵な旦那様と出会って結婚した数年後、念願だった妊娠と同時にガンが見つかり、お腹の子のために抗がん剤を拒否して、なんとか無事に出産した直後、生まれたばかりの息子をその胸に抱くこともなく、天国へと旅立ってしまいました。
中学時代、陸上部のマネージャーだった彼女は、気立てがよくて、分け隔てなく誰にも優しくて、笑顔がとっても素敵な、みんなに愛された女性でした。
まだ誰も君のことを忘れてないし、俺もずっと忘れることはない。
君が命をかけて産んだ最愛の息子も、今年で20歳になりますね。
無念だったのか、それとも、無事に産めたことだけで満足だったのか。
いつかまた会えたら、教えてね。
速読は禁物
デザイナーとしての僕的には、「速読」は禁物だと思っています。
それが小説であれ、ビジネス本であれ、漫画であれ、写真集であれ、装丁のデザインや紙質から、ひとつひとつの文字や言葉のリズムから、行間や余白や句読点から、作者が感じていたであろう手触りや匂いや息づかいや情景などを丁寧に思い浮かべながら、でも最後は僕の自分勝手な解釈で、しっとりと、じっくりと、味わいます。
あくまでも面白い本であったなら、と思われがちですが、そこはあまり関係がなく、何らかの興味を持って手にとった本なのであれば、結果的に面白くてもそうじゃなくても、「本を味わう」という、いつもの僕のスタイルで迎え入れるだけ。
それに、面白かったー!と感動できる本なんて、そうそうあるものじゃないし。
さあ、今回の本はどうでしょうか。
というわけで、今夜は作業をやめて、読書にふけります。
2019.06.05 06:33
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それが、デザインだろう。
人生は風船のよう
伊勢市でリラクゼーションサロンを運営されているリバル伊勢さんが立ち上げた新ブランドのブランド名の考案とロゴマークのデザインを担当させていただきました。
結果的に、その名前が「リバル伊勢」という会社名にもなりました!
オーナーご夫妻から、「一人でも多くの方の1日がんばった疲れをほぐしてあげたい」という、僕の汚れきった心を反省させられるようなあったかい想いを受け、真っ先に僕の中に浮かんだのは「風船」のイメージ。
僕個人の勝手な解釈ですが、鳥の羽根はひらひらと「落ちてくる」イメージがあるけど、風船はふわふわと「浮かんでいく」イメージがあって、サロンを出る時には、まるで風船になったような、身も心も軽~くなってもらいたいなあと考え、いつものごとく、まずはイメージを膨らませる恒例の文章作りからスタート。
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人生は風船のようです。
時々は、縛る紐から手を離し、
高く、自由に、ふわふわと舞う時間が必要です。
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という文章を書き、そこから、「人生は風船のよう=Life is like a balloon」となり、「Life」と「Like」の「LI」と「Balloon」を合わせて「LIBAL(リバル)」。
ロゴマークも、風船がふわふわと舞い上がっていく、その残像のイメージです。
この新ブランド「リバル」から、三重県産の天然素材をふんだんに使ったボディ・クリームとバス・エッセンスが新登場します。
これまではサロンでしか体験できなかった極上の癒やしが、これからはご自宅でも体験できるわけです。
僕も自宅のお風呂でバス・エッセンスを体験してみましたが、潤い肌が続く続く!
次の日までしっとりしてました。
もちろん、それぞれのパッケージのデザインも担当させていただきました。
さらに、バス・エッセンスは近々クラウドファンディングに挑戦の予定。
詳細は追ってご案内させていただきまーす!
挑戦と選択の積み重ね
先日の松本人志さんのツイートですが、まさにその通りだと思います。
禅の修行ならまだしも、子どもではない社会人にとって、「ルーティーン」だけを繰り返しても成長できません。
デザイナーにも同じことが言えて、出来ることをいくら繰り返しても、それ以上の成長率は微々たるもの。
自分より強い奴に挑むことが美学だった昭和男としては、自分がまだ出来ないことに挑むことで、何度も転ぶし、激しく傷ついたとして、それでしか自分の成長を確かなものに出来ないのではないか、と思うわけです。
そういう機会がない、と情けないことをいうデザイナーもいますが、ないなら作る、が基本です。
僕には、慕っているデザイナーはいても、これといった師匠という存在がいません。
師匠がいれば、もっともっと早く成長できたのだろうと思います。
まして、美大も芸大もデザイン事務所に勤めたこともない僕には、自分でトライ&エラーを繰り返すことでしか、学びの機会はありませんでした。
ミエノコというフリーマガジンを作る時も、どういう紙質がいいのか、コストはどれくらいかかるのか、どういう形なら無駄がないのかを、未だにトライ&エラーしてるので、毎回形が違う!そんな雑誌は普通ない!ひとつに決めろ!とよく突っ込まれます。
これまでの「挑み賃」の金額を考えると気絶しそうになりますが、そこから得られたもの全部が今の僕の財産なわけです。
まあ、そんなこと言うとまた、今の若いデザイナー達に煙たがれると思いますけど。
人生は挑戦と選択の積み重ね。
未来は、挑戦してきたものと選択してきたものの通りにしかなりません。
転売ヤー?
伊勢
今日は、伊勢市にある、住宅・店舗デザイン・施工の「toiro lifestyle design labo」さんの建物をお借りして、クライアントの商品撮影をしました。
代表の西山さんも建物もわんこも素敵で、気持ちよく撮影させていただけました。
次の打ち合わせの時間が迫ってたので、インスタ用に写真を撮ってくるのをすっかり忘れてました。
なので、西山さんに承諾を得たうえで、トイロさんのインスタ写真を拝借。
家や店舗を建てる時は、トイロの西山さんにご相談を!
そんなこんなで、久しぶりの伊勢を満喫するヒマもなく津市へ大急ぎで帰りました。
トイロさんがある場所の近くは、たくさんお世話になったフジサト動物病院があったり、そこからさらに先へ行くと、高校時代の元カノの元実家がある場所だったり、とにかく伊勢市には青い春の思い出がありすぎるくらいにいっぱい。
今度こそはゆっくり伊勢を堪能したいものです。
2019.05.21 10:37
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草刈正雄
続・しじみバック
昨日の投稿で、丸川商店の「しじみ」の模倣品の問題を書きましたが、個人の方で個人使用の方は問題なし、と思っていたけど、企業は別。
消費者をバカにする行為はやっぱり許せない。
例えばこのブランド、ちょっとひどいです。
「ルーツを巡り、伝統を重んじ、革新を求めるという姿勢を表した」
と堂々と書いてますが、いやいや、ウソもいいとこでしょ。
さらに、
「持った時の形が貝のしじみに似ていることからその名がついた、」
とありますが、それ、僕の奥さんが適当に言ったに過ぎませんから(笑)。
インスタにもFBにもかなりのフォロワーがついてますが、消費者をバカにしすぎてます。
サイトによっては、江戸時代から呼ばれている名前、みたいに説明しているとこもあるけど、だとしたらうちの奥さんは逆にすごい(笑)。
さて、どうしたものか。
しじみバック
僕の小売りのブランド「丸川商店」で2008年から製造&販売している、松阪木綿で作ったオリジナルのバック「しじみ」ですが、あちらこちらで、別の素材で作った「しじみバック」という名前の模造品(?)が出回っているようです。
ネットやインスタなどで「しじみバック」で検索してみると、出るわ出るわ(笑)。
うちの商品の露出よりも遙かに多いです(笑)
ちなみに、「しじみ」という名前は、僕の奥さんが試作品を見た時に見た目で適当につけた名前であって、それがなぜか、どういう伝わり方をしたのか、例えば「トートバック」みたいに、「しじみバック」という昔から存在する伝統的なジャンルだと思われているようです。
結構大きな会社から個人の方まで作っていらっしゃるようですが、商品の説明文が、まんまうちのサイトのパクリの場合や、少し変えただけの場合も多く、さらに、ご丁寧に型紙まで作ってサイトで公開されている方もいらっしゃいますので、これはそのまま黙認して放っておくべきなのかどうか、悩むところです。
ただ、個人の方のサイトとか見ると、すごく楽しそうに作っていらっしゃるんだよなあ。
この形を気に入ってくださっていることもすごく伝わってくるし、そういうのを見ると、何も言えなくなってしまいます。
ON THE STREET CORNER
WINDUCATION
「WINDUCATION PROJECT(ウィンデュケーション・プロジェクト)」のロゴ。
「WIND(風)」+「EDUCATION(教育)」を掛け合わせた造語。
まずは、方向性の軸となる短いストーリー(下記)を考案。
そのストーリーのもと、ロゴのデザインは、受け取る側のイメージを固定させてしまわぬよう、全体的にシンプルで普遍的に。
さらに、「WIND」を透明にしました。
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風はどこからくるんだろう。
風はどこへいくんだろう。
そこにいるのに見えないのはなんでだろう。
見えないのに感じるのはなんでだろう。
見えないけれど、いつも、どんな時も、そばにいる。
時には追い風となって、君の背中をおす。
時には向かい風となって、君を強くする。
疲れた時は、柔らかな風で、そっと包んであげよう。
風によって葉を落とし、風によって芽吹くもの。
風は形を変え、風は大地を走り、風は空を動かして、
君の髪をなびかせる。
君は君の帆をあげて、風をうまくつかむんだ。
そうして、なりたい自分へと、進んでいけばいい。
教育とは、風のことだ。
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腰痛
三重問屋
志摩市の酒屋さん「べんのや酒店」さんが立ち上げた地域商社「三重問屋」のネーミング考案とロゴとパンフレットのデザインを担当させていただきました。
「三重問屋」という、一見するとどこにでもありそうなネーミングですが、代表の竹内さんから、三重県の食や酒蔵、農業などの現状と、三重が誇る良い品々をもっともっと広めていきたいという竹内さんの熱のあるお話を聞いているうちに、三重県らしさや、三重県の食材や食卓の風景などを僕なりに解釈して、変化球なネーミングではなく、英語でもなく、ズシリと真っ直ぐに響く、横綱の、美しく、かつ安定感のある四股のような、それでいて洗練されたイメージも併せ持つネーミングとロゴが必要だなと感じ、このネーミングとロゴに落ち着きました。
ロゴマークは、お酒の一升瓶を逆さまにした状態、つまり、誰かにお酌している状態を、カタカナの「ミエ」で表現しました。
まあまあまずは一杯、そんな言葉とお互いの笑顔が浮かんできます。
食やお酒は、最高のコミュニケーションツールであり、言葉を超えた、世界共通のアイコンでもあります。
パンフレットもできる限りシンプルに仕上げ、伊勢神宮を持つ県としての凜とした佇まいと、底力を感じさせる無骨さを表現しています。
合わせて、こんなコピーも考えました。
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心地いい風。健やかな人達。丁寧に育まれた品。
それはきっと、子ども達に残してあげたいモノ。
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良品は良人が作っている、という竹内代表の言葉を手がかりにして、それを世に広めていくのはなぜか?、何のために地域商社を立ち上げるのか?をたくさん考えました。
そして僕がたどり着いた答えは、心地いい風も、素晴らしい風景も、地元を愛し、誇りを持ってモノ作りを続ける人達の技術や知識や経験も、そしてそれによって生み出された良品の数々も、それらは全部、子ども達に必ず残してあげたいモノだ、ということ。
だからこそ広めていきたい。
残していきたい。
つなげていきたい。
竹内代表の想いとは、きっとそういうことなんじゃないか、と考えました。
今後も、三重問屋のデザインチームとして、商品のパッケージやイベントなどのデザインを担当させていただきますので、県内外、いや、国内外を問わず、末永く宜しくお願い致します。
北風と太陽
半纏
10年来愛用している半纏(ちゃんちゃんこ・どてら)。
もうヨレヨレだしシワだらけだけど、冬の間は絶対に欠かすことの出来ない大切な相棒。
デザインする時もずっと着てるし、それ以外でも家にいる時は必ず着用。
しかしまあこの半纏ってのは間違いなく大発明で、温めるべき所をしっかりと温めながら、いかなる作業をするにも決して邪魔にならない工夫が随所にあり、まさに用の美なわけです。
相棒よ、今年の冬も本当にお世話になりました。
寒さからも風邪からも寂しさからも、まるで背中から抱き締めるかのごとく、やさしく、そして力強く、包み込むように守ってくれたね。
君のいない冬なんて、もう考えられないんだ。
だからまた寒い季節になったら会おうね。
それまでしばしのお別れだ。
大好きだぜ、半纏。
ありがとう、半纏。
ああ~、いつの日か、外でも着れるおしゃれな半纏のブランドを作りたい!
既存の要素の組み合わせ
ジェームズ・W・ヤングが「アイデアのつくり方」という本の中で、「アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ以外の何ものでもない」と言ったのは有名は話。
僕らデザイナーが新しいアイデアを考える時も、ほぼ忠実に、このセオリーを守っている。
そうして、普段は絶対にそばにいない、なるべく遠いもの同士を見事にくっつけることが出来た時の感動は言い表せない。
そういう意味で言えば、写真の2冊の本は、既存の、そして遠い(っぽく見える)要素を見事にくっつけて、新しいコンセプトを生み出していると思う。
しかも、乱暴に無理矢理にくっつけたわけじゃなく、むしろ何で今までなかったんだろうってくらいにスタンダード感を併せ持ちながら。
で、やはりどちらの本も売れている。
しかも、タイトルやコンセプトだけの本ではなく、中身も非常に面白かった。
うまいところを見つけたなあって、素直に感動しました。
目的と手段
デザイナーという職業柄、色んな業種の方とお話させていただく日々ですが、求められるのは、本質的な問題点と解決策を見つけ出すこと。
その中でいつも思うのは、問題が起こっている根本的な原因として、「目的」と「手段」を間違えているケースが多く見受けられます。
文字通り、「手段」は「目的」を果たすため、または、「目的地」へたどり着くための、あくまでも「手段」であって、それ自体が「目的」になってしまっては意味がありません。
誰もがわかりきっているようで、実はいつの間にか「手段」であるはずのことが「目的」になってしまっていた、というケースは意外とあります。
建築家は、家を建てることを「目的」にしてはいけません。
美容師は、髪を切ることを「目的」にしてはいけません。
シェフは、料理を作ることを「目的」にしてはいけません。
政治家は、政治家になることを「目的」にしてはいけません。
飲食店は、料理を提供することを「目的」にしてはいけません。
マッサージ店は、マッサージすることを「目的」にしてはいけません。
教師は、勉強を教えることを「目的」にしてはいけません。
車屋は、車を売ることを「目的」にしてはいけません。
不動産屋は、土地や家を売ることを「目的」にしてはいけません。
会計士は、会計を処理することを「目的」にしてはいけません。
パン屋は、パンを焼くことを「目的」にしてはいけません。
市長は、市長になることを「目的」にしてはいけません。
英会話スクールは、英会話を教えることを「目的」にしてはいけません。
パイロットは、飛行機を操縦することを「目的」にしてはいけません。
酒蔵は、お酒を造ることを「目的」にしてはいけません。
経営者は、お金を稼ぐことを「目的」にしてはいけません。
デザイナーは、デザイナーになることを「目的」にしてはいけません。
それらは全て、「手段」に過ぎません。
その「手段」を使って、何を叶えたいのか、誰を、どんな風にハッピーにしたいのか、どこへたどり着きたいのか、その意識の欠如や、はき違えによって生まれている問題がたくさんあります。
そこに気づければ、自分のまわりに溢れている、多くの「違和感」に気づけるようになります。
例えば飲食店であれば、店舗の外観や内装やスタッフの服装や接客だって、「目的」を果たすための大切な「手段」のひとつです。
そのひとつひとつが、ズレてはいないか、「目的」を果たすための大事な「手段」になり得ているか、そもそも「目的」は何だったのか、デザインを担当する際に、まずはそこを確認して、間違っていれば正す、ということから始めるようにしています。
はてさて、「生きること」は、「手段」だろうか、「目的」だろうか。
忍者バス
続・高齢者のセックス事情
前回の投稿で、高齢者のセックス事情の件について書きました。
早速、知り合いのデザイナーが、スウェーデンの事例について色々な情報を教えてくれました。
スウェーデンといえば、誰とでもやりまくるフリーセックスの国、というまったくでたらめな噂もある国ですが、決してそんなことはないと教えてもらったことがあります。
さて、教えてもらった、現代ビジネスの4年前の記事を読む限り、日本人はやはり、「幼い」んだなあと実感し、日本人が考える「先進」とは何なのか、という疑問を抱きました。
▼性の先進国スウェーデンに学ぶ「幸福な”夜”の過ごし方」
https://bit.ly/2I6yhfD
自分でも、色々とスウェーデンの事例について調べてみました。
▼日本の女子大生「性の先進国」スウェーデンで衝撃を受ける
https://bit.ly/2Vx8DUd
▼男女としての愛情が大前提?スウェーデン人の考える夫婦の在り方
https://bit.ly/2IldPHb
ほかにも、日本で問題になっている「セックスレス」の問題などについても色々と調べてみました。
ぜひみなさんも検索してみてください。
「日本人はセックスの年間回数が世界一少ない」という記事も以前話題になりましたが、「世界幸福度ランキング」では常に上位にいるスウェーデンに比べて、日本はいつも低い。
もちろん、何をもって幸せなのかの基準が違うので、このランキング自体に意味があるのかないのかは考えないといけませんが、それにしても色々と違いすぎます。
そもそも、セックスレスは本当に「悪」なのか、という議論も必要ですが、ここでは、それに苦しむ人達がいることの事実の側に立って書きますので、ご了承ください。
セックスレスについて堂々と議論も出来ず、相談もしにくいこの国においては、セックスレスがなくならないのも、ある意味では当然なのかも知れません。
ただ、なんでセックスレスな状況が起きるのか、正直僕にはよく理解できませんでした。
それでも、僕のまわりにも、セックスレスで悩んでいる人達がたくさんいることがわかってくると、なるほど、これはかなり根深い問題だなあと思うようになりました。
根本には「教育」と「文化度」の問題があり、「コミュニケーション」の問題であるという意見もいただきました。
特に「教育」に関しては、「今までの常識はもはや常識ではないと言える勇気も、デザイナーなら持てるはずだ」という意見も。
三重県では、ロゴやパンフレットやチラシやホームページを作る人がデザイナーだと思われてるし、実際に、それしかしてない自称デザイナーのなんと多いことか。
そうではなく、勇気を持って発言し、行動できるデザイナーでいたいと心から思う。
なので、勇気を持って、色々と発言をしていきます。
まず思うのは、日本人の、「奥ゆかしさの美学」も理解できるし、決して嫌いでもないけれど、例えばセックスを「自分から楽しむ」という女性が少ないんじゃないかとは思います。
恥ずかしいって気持ちは当然わかるけど、あまりにも受け身になりすぎて、それを楽しもうって気持ちが少ないんじゃないだろうか。
SとかMとか、そんなものは本当にどうでもよくて、SにもMにもなりながら楽しめばいいと思う。
もしかしたら、セックスレスじゃない人のほうが少ないんじゃないかってさえ思うくらいだけど、ハリウッドの女優達が、自分はバイセクシャルだと公言できるあのかっこよさは、日本ではまだまだ無理なんだろうなあ。
現実として、セックスレスで苦しんでいる人達がたくさんいる。
バカにする奴らもいるだろうけど、そんな奴らは放っておけばいい。
セックスレスの解消によって、充実した日々を取り戻した人達もいる。
何が問題なのか?
どうすれば解決できるのか?
セックスしなければ幸せになれないのか?
100年後はどういう状況になっているだろうか?
色々な意見があると思うし、興味がある人もない人もいる。
とにかく、僕の関心は、高齢者のセックス事情やセックスレスについて研究してる人も団体もたくさんある中で、デザイナーやクリエイターがこの問題にどう関わっていくのか、ということ。
こんな大切な問題に対して、デザイナーがアプローチしないほうが不自然だし、興味を持たないことのほうが問題です。
高齢者のセックス事情にしても、現代のセックスレスの問題にしても、ここはクリエイティブの、デザイナーの役割がすごくあるんだと思う。
なぜなら、その土地の色々な文化や文化度が、その土地の風景を作るんじゃないかって思うから。
いわゆる当事者ではない僕のような人間が、この問題に関心を持ち、勇気を持って発言し、何かの行動を起こすことが、すごくすごく、大切な気がするのです。
現代ビジネスの記事には、「スウェーデンという国の成熟を「セックスの質」が表している。」と書かれていた。
ガンジーさんも、「その国の偉大さ、道徳的発展は、その国における動物の扱い方で判る」という言葉を残してる。
やはり大切なのは、「教育」や「文化」や「文化度」。
超高齢化社会がやってくるこの国の、下ネタなどではないド真面目で大切な問題あることを、僕もこれをきっかけにして、たくさんの人達と議論を交えて学びたいと思います。
世間的にはまたすごく引かれてしまうんだろうけど、そんなことは恐れずに、デザイナーとして、クリエイターとして、何ができるか、何をすべきか、一生懸命、ド真面目に考えてみたいと思います。