分析



若かりし頃は、街の看板、有名デザイナーのポスター、いかした本の装丁などなど、それらを自分のパソコン上に再現し、色を変えてみたり、配置を変えてみたりして、デザインのコツや秘密、どうして最終的にこうなったのか、どのようにしてこの最終形に落ち着いたのかを、必死で探った。

貧乏デザイナーゆえ、パーツを組み合わせて自作したパソコンでの作業は困難の連続だったけど、とにかく必死だった。
「分析」と呼んでたこの作業によって、僕は「場数」を増やしてきた。
毎日毎日、それこそもう、数えきれないほど。


先日、ふと東横インの看板を見ていて、どうしてURLがロゴの上にあるのかが気になったので、かなり久しぶりに分析してみた。
結果的には、URLが下にあると、なんだか普通の目立たない看板になってしまった。

若いデザイナー達に「場数を踏んで経験値をあげろ」と言うと、仕事として「依頼」を受けて場数を踏んでいくものと理解するようだ。
だけど地方の案件だけでは全然足りない。
それじゃあなかなか経験値は上がらない。
そのことに気づいていない若いデザイナーが多いように思う。

「架空の依頼」を何十何百と積み重ね、(あくまでも架空だけど)NASAの仕事も3件こなした。
時には依頼人として注文をつけ、時にはユーザーとして批評もする。
スーパーに行って、自作したパッケージをこっそり並べて写真を撮って検証した。

確かに、暇だったのかも知れないけど、寝る間も惜しんで手と頭を動かしてきたことには自負もある。
今は、あの頃よりも忙しくさせてもらってる分、分析遊びをしてる暇はなかなかないけど、移動中や休憩中に頭の中でやることはある。
もう、癖みたいなものだけど、今の自分の現在地を把握し続けるためにも、必要な遊びだと信じてる。
伊勢のみそぎ湯



リラックスや癒やしをテーマにプロダクト展開しているブランド「LIBAL」の新しい入浴剤「伊勢のみそぎ湯」のパッケージデザインを担当させていただきました。
本日より、丸川商店でも販売開始してます!
 
私達も何度も体験させていただき、お風呂上がりのしっとり感のすごさは感動ものです。
次の日になってもしっとり感がちゃんと続いてます。
三重県の天然成分でできていますので、乾燥肌にお困りの方にはもってこいな商品かも知れませんね。
 
商品展開は、伊勢茶の香りの「琥珀(こはく)」と、柑橘系の香りの「瑠璃(るり)」の2種類があり、それぞれ2パック入りで、500円(税別)です。
 
ご購入は、リバル伊勢さんが運営している、伊勢市小俣町の「リラクゼーション時楽 伊勢小俣店」か、丸川商店へお問い合わせを。
 
尚、販売先も随時募集しているので、「伊勢のみそぎ湯」を取り扱いたいと思うショップ様または会社様もお気軽にお問い合わせくださいませ。
 
 
夜はだいぶ冷え込むようになってきました。
デザインの際にいただいたサンプルがまだ残ってるので、お先にあったまらせていただきまーす。
 
 
リラクゼーション時楽 伊勢小俣店
https://relaxjiraku.com

丸川商店
http://mrkw.jp
理想のアシスタント



どんなアシスタントさんが希望なんですか?、と聞かれ、深津絵里!っと即答&かぶり気味に答える。
いやいや、そういうことじゃなくて、スキル的にとか、そういう。
ああ、そっちか、と我に返り、こんなだからなかなか理想的なアシスタントに出会えないのか、と今更にして反省。

とにかく、良い人、が理想です!
ん?まだ間違ってるか?
結局、深津絵里さんが好きなだけ。
保育園の運動会



秋晴れにも程があるぞ、というくらい強い日差しの中、今年も次女の保育園の運動会へ。
あいかわらずゆる~い感じの、でもまあ、そこがいい感じでもあるほっこり運動会でしたが、それでも47歳の体には確実にダメージを与えてくれます。

次女が中学にあがるまで、あと8年弱。
その時僕は50代半ば。

敬老席へまっしぐら、でしょうか。
それとも、永ちゃんバリのかっけーおっさんになれているでしょうか。

答え合わせは、8年後に。
僕らの仕事



地域(地方)の強みは、「そこにしかない」こと(又はモノ)。

地域(地方)の弱みは、「そこにしかない」こと(又はモノ)。

ようは、捉え方次第。
やり方次第。
取り組み方次第。

同じこと(又はモノ)でも、視点を変えて、それを強みに変えていくのが、僕らの仕事。
プレゼン



今からプレゼン。
決定打を見つけられないままこの日を迎えてしまいましたが、あとはプレゼンやりながら、その中で見つけるしかないな。

あとは神のみぞ知る。
線香花火



昨日は師匠の命日。
今日は昔一緒に暮らしてた犬の命日。
そんなことを想いながら、家族だけの夏の終わりの小さな花火大会を楽しみました。

今年の夏も色んなことがありましたが、おかげさまで楽しい夏でした。
娘達の成長も感じられたし、良き出会いにも恵まれました。

少しずつ年老いていく親と、日々成長していく娘達。
ふたつの世代の真ん中で、滔々と引き継がれていく命のバトンの尊さを感じます。

最後の線香花火を持つ長女がポツリ。
この花火が終わったら、今年の夏も終わりやなあ。


来年もまた、楽しい夏にしようね、一緒に。
牧野富太郎植物画集





ずっと見てられる美しさ。
愛が溢れてる。
特殊メイク



長女(8歳)。
急に何を思ったか、はじめての特殊メイクに挑む。

将来、親子で浮田くんに弟子入りするか。
地球



次女(5歳)が描いた、地球。

なんだかグッときたので、スキャンして永久保存。
呼子



ふらりと初めて立ち寄った焼肉屋さんの味も接客もすごく良かった件。
このお店、かなりオススメです。
漫画



1984年11月11日、第2刷発行。

あの時代、健康な男の子が小学校6年生にもなれば、自分で単行本を作ったりするものです。
それが例え、「〇〇の拳」のもろ過ぎるへったクソな模倣だとしても、デザインだって音楽だって、創造性は、まず真似ることから始まるものなのさ。

それにしても、顔の表情を描くのは難しいのと、せめてまんま「〇〇の拳」になってしまわぬようにと、主人公をマスクマンにしたのは、まあ、我ながらいいアイデアだ(笑)。
若き職人たちと。



昨日、伊勢型紙の那須さんと、伊賀組紐の松島くんと共に、伊勢新聞社の取材を受けました。
昔から職人への憧れと尊敬を抱いていた僕にとって、次世代を担っていく若き2人の職人との対談は刺激になりました。

とかくメディアは、「非効率だろうと手作業にこだわる職人魂」とか言って、職人をアーティスト扱いしたがるわけですが、彼ら彼女らはあくまでも職人であって、黙々と、淡々と、職人という生き方を積み重ねているだけ。
非効率とか効率とか以前に、機械には出来ないから、手作業でしか出来ないから、だからただ、そうしているだけの話。
現場をよく知らないまま上辺だけをすくって、いかにもな物語に仕立て上げるのは、職人達に失礼だし、困らせるだけだと思う。

彼らはアーティストでも、ナルシストでもない。
だからこそ価値があり、だからこそ、かっこいいのです。

これからの時代、多くの人が、伝統工芸は消えていく運命だと言うけれど、僕はそうは思わない。
今の時代のニュータイプな若者達は、すぐにゴミになる偽物よりも、ずっと長く使える本物を求めてる。
ただし、若者がひょいと変えるような値段じゃないから手が出せないだけ。
ならば、伝統工芸側の工夫とアイデアで、何とかするしかない。
サブスクやシェアリングの仕組みを採用してみるとか、思い切って「お試し期間」を設けて、試してから買える仕組みにしてみるとか、まだまだ方法はあると思う。

鉛筆の基本的な形は、それが誕生してから今までの間、ほとんど変わっていません。
それは、使い手である人間の手の形が、ほとんど変わっていないから。
反対に、人間の生活スタイルは、時代と共にどんどんと変わってきました。
であれば、そこに関係するプロダクトもまた、変わっていく必要があるのではないかと思う。

変えるべき所は変える。
変えない所は変えない。
もう一度、その原点の意味に立ち返ろう。
未来は自分で創れる



その昔、友人と飲食店を立ち上げた。
客足は順調だったし、売上も伸びてたけど、僕は、ある問題を重要視して、オープンから5ヶ月目に、店を閉めることを提案した。
彼は首を振らず、その後も何回も話し合いをしたけど、彼の意見を尊重して、営業を続けることにした。

でも結局、オープンから9ヶ月目に、店を閉めた。
借金だけが残り、それ以外にも色々なものを失ったけど、不思議と今は、少しも後悔していない。
店を閉めたことも、店を始めたことも、全部。


高校野球で、佐々木投手を登板させなかった監督がめちゃくちゃ叩かれてる。
弱った者をここぞとばかりに叩きまくって気を晴らしてるクソ野郎共には心底吐き気がするけど、今回の監督の決断が正しかったかどうかなんて、今の時点では誰にもわからない。

店を閉めるかどうかでさえ、毎日のように悩んだのに、溢れんばかりの可能性を秘めた少年の、これからの人生を左右しかねない決断なんて、気が狂いそうになる。

ゲームを続けるのか降りるのか、タオルを投げるのか投げないのか、その判断はとてつなく難しいし、それを判断しなければいけない立場の底なしの苦しみは計り知れない。
この監督は、とても勇気がある人だと思う。
でも、だからといって、正しいかどうかは、判断できない。
今回の件が、正しかったのかどうかは、その後の佐々木投手の生き方によって決まる。

人生は、挑戦と選択の積み重ねで出来ていて、過去の意味は、未来の在り方で変わるんだ。
これで腐ってしまったら、それは間違っていたってことかも知れないし、今回のことを糧にして更に飛躍していけば、正解だったといえる。


未来は自分で創れる。
デザインはそのためにある。
何をしないか
それがどんな業界であれ、僕が尊敬するトップランナー達はみな、「何をするか」よりも、「何をしないか」の明確な意思があり、ぶれてない。
柳宗理や三宅一生がしないこと、坂本龍一や山下達郎がしないこと、明石家さんまや松本人志がしないこと、中井貴一や樹木希林がしないこと、三浦知良やイチローがしないこと、などなど。

人の「質」を計るとき、その人がどんなコミュニティに属しているか、その人のまわりにどんな人達が多くいるか、そういうことも判断材料になり得る。
特に、奥さんであれ、恋人であれ、パートナーであれ、一番近くにいる人がどんな人であるかは、その人の属性をはっきりと示していると思う。

もしもあなたが、自分の「質」をより良くしたいと思うなら、自分がどうありたいか、どんな自分になりたいか、まずはそのビジョンを明確に持つこと。
その上で、それを叶えるためにはやっぱり、「そういう人達」といる時間をより多く持つことが大切だと思う。
最初は不釣り合いでも、場違いでも構わない。
やがてその環境が、僕やあなたの「質」を育てる。

尊敬する人や目標とする人が「しないこと」を、まずは真似て、自分も「しない」。
そのあとで、なぜ「しない」のかの理由と本質を徹底的に考える。
理由なんて、あとから考えればいい。

服装や持ち物ではなく、人やメディアの評価でもない。
かっこいいとチヤホヤされてる人よりも、その人をチヤホヤしてる側の人の「質」をよく見ること。
キレイな言葉に騙されず、常に本質を見抜ける人になるためには、「何をしないか」の観察がとても大切なんじゃないだろうか。
深夜高速



22年前の1997年6月19日、生まれ故郷の三重県から東京へ引っ越した。
現在の奥さんと友人2人の4人で、トラックとバンを借りて自分達で荷物を運んだ。

フラワーカンパニーズの「深夜高速」はまだリリースされてなかったけど、あの歌みたいに、荷物と一緒に、たくさんの希望とたくさんの不安を荷台に積んで、東名を走った。
その時に借りたアパートはもうないけど、楽しいことも辛いことも、お腹一杯に味わった。

東名を走るトラックの中の僕らは、間違いなくキラキラしていて、でもあの頃の僕らには、今の自分を想像することはできなかったな。
思っていた道のりとは少し違うけど、まあ、良しとしよう。

あの頃の自分にとっては、それが人生最大の挑戦だったと思う。
だいぶ歳をとったけど、あの頃の自分に負けないように、がっかりされないように、これからも、ずっと挑み続けよう。
茶道
何気なくふと、デザイナーが茶道から学べることについて考えてみた。

きっと茶道は「五感」で味わうもの。
その中でも特に、耳で味わうもの、ではないだろうかと、ど素人ながらに思う。

デザイナーである僕らは、さもわかったかのように「五感」を語りがちだけど、茶道のそれに比べたら、それこそ浅い。
茶道にはいくつもの所作があり、そのひとつひとつの意味を考えるのではなく、無心でひたすらにそれを繰り返していったその先で、ようやく、その意味に出会える「己」を持つことができる。

ど素人の僕なんぞが見たら、美しいというよりも、あまりにも多い「無駄な動き」に目がいってしまう。
その無駄なほどの美しさにこだわり続けること、そしてそれを徹底的にカラダに染みこませること、その「己」になるために必要なのが、苦行とも思えるあの無数の所作なのか。

だからたぶん、「無数の(無駄に見える)所作がある」ということがとても大切なことで、アーティストではない僕らデザイナーには、表現よりもまずは精神的にも肉体的にも「己」を持つこと、が必要なのではないのかな、と。

どこぞのクリエイティブ・ディレクターしかり、馴染みのない横文字を使って、自分に酔う姿は、滑稽以外の何者でもない。
デザイナーの使命は、茶道の達人になることではないけれど、本質を見抜く、という目的においては、共通項がないわけじゃない。

利休さんには見えていたもの、聞こえていた音。
アタマで考えずに、身を委ね、溶ける。
意味がわかるのは、ずっとずっと、その先のこと。
アタマではなく、体がひとりでに、動く。
そうやって、本質へと導いてくれる。
きっと茶道とは、それを教えてくれる「道」なのかなあと思う。
カルチャー



対向する何台かの車から、「この先でねずみ捕りやってるよ。気をつけてね。」という意味のパッシング(ライトをチカチカ)の合図。

いいか悪いかは別として、こういうカルチャーは好きです。
ブランド



商品名を書かなくても、それが何であるかがすぐわかる商品というものがあります。
ブランドとは、たくさんの時間を経て、確かな信頼を積み上げてきたものだけに与えられる称号なのです。
では、テクニカルな視点から見て、それらの意匠に関する共通点や方式みたいなものはあるのでしょうか?
もちろん、シンプルにすればいい、シンプルが大事、とかいう単純な話では決してありません。
では、どうすれば?

僕が主宰するデザインスクールでは、そんなことをノンデザイナーさんにもお伝えしています。
何か怪しいもの



アートではありません。
打ち合わせ時のメモです。

何か怪しいものを製造するつもりではありませんのでご心配なく。