伊勢のみそぎ湯
リラックスや癒やしをテーマにプロダクト展開しているブランド「LIBAL」の新しい入浴剤「伊勢のみそぎ湯」のパッケージデザインを担当させていただきました。
本日より、丸川商店でも販売開始してます!
私達も何度も体験させていただき、お風呂上がりのしっとり感のすごさは感動ものです。
次の日になってもしっとり感がちゃんと続いてます。
三重県の天然成分でできていますので、乾燥肌にお困りの方にはもってこいな商品かも知れませんね。
商品展開は、伊勢茶の香りの「琥珀(こはく)」と、柑橘系の香りの「瑠璃(るり)」の2種類があり、それぞれ2パック入りで、500円(税別)です。
ご購入は、リバル伊勢さんが運営している、伊勢市小俣町の「リラクゼーション時楽 伊勢小俣店」か、丸川商店へお問い合わせを。
尚、販売先も随時募集しているので、「伊勢のみそぎ湯」を取り扱いたいと思うショップ様または会社様もお気軽にお問い合わせくださいませ。
夜はだいぶ冷え込むようになってきました。
デザインの際にいただいたサンプルがまだ残ってるので、お先にあったまらせていただきまーす。
リラクゼーション時楽 伊勢小俣店
https://relaxjiraku.com
丸川商店
http://mrkw.jp
理想のアシスタント
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若き職人たちと。
昨日、伊勢型紙の那須さんと、伊賀組紐の松島くんと共に、伊勢新聞社の取材を受けました。
昔から職人への憧れと尊敬を抱いていた僕にとって、次世代を担っていく若き2人の職人との対談は刺激になりました。
とかくメディアは、「非効率だろうと手作業にこだわる職人魂」とか言って、職人をアーティスト扱いしたがるわけですが、彼ら彼女らはあくまでも職人であって、黙々と、淡々と、職人という生き方を積み重ねているだけ。
非効率とか効率とか以前に、機械には出来ないから、手作業でしか出来ないから、だからただ、そうしているだけの話。
現場をよく知らないまま上辺だけをすくって、いかにもな物語に仕立て上げるのは、職人達に失礼だし、困らせるだけだと思う。
彼らはアーティストでも、ナルシストでもない。
だからこそ価値があり、だからこそ、かっこいいのです。
これからの時代、多くの人が、伝統工芸は消えていく運命だと言うけれど、僕はそうは思わない。
今の時代のニュータイプな若者達は、すぐにゴミになる偽物よりも、ずっと長く使える本物を求めてる。
ただし、若者がひょいと変えるような値段じゃないから手が出せないだけ。
ならば、伝統工芸側の工夫とアイデアで、何とかするしかない。
サブスクやシェアリングの仕組みを採用してみるとか、思い切って「お試し期間」を設けて、試してから買える仕組みにしてみるとか、まだまだ方法はあると思う。
鉛筆の基本的な形は、それが誕生してから今までの間、ほとんど変わっていません。
それは、使い手である人間の手の形が、ほとんど変わっていないから。
反対に、人間の生活スタイルは、時代と共にどんどんと変わってきました。
であれば、そこに関係するプロダクトもまた、変わっていく必要があるのではないかと思う。
変えるべき所は変える。
変えない所は変えない。
もう一度、その原点の意味に立ち返ろう。
未来は自分で創れる
その昔、友人と飲食店を立ち上げた。
客足は順調だったし、売上も伸びてたけど、僕は、ある問題を重要視して、オープンから5ヶ月目に、店を閉めることを提案した。
彼は首を振らず、その後も何回も話し合いをしたけど、彼の意見を尊重して、営業を続けることにした。
でも結局、オープンから9ヶ月目に、店を閉めた。
借金だけが残り、それ以外にも色々なものを失ったけど、不思議と今は、少しも後悔していない。
店を閉めたことも、店を始めたことも、全部。
高校野球で、佐々木投手を登板させなかった監督がめちゃくちゃ叩かれてる。
弱った者をここぞとばかりに叩きまくって気を晴らしてるクソ野郎共には心底吐き気がするけど、今回の監督の決断が正しかったかどうかなんて、今の時点では誰にもわからない。
店を閉めるかどうかでさえ、毎日のように悩んだのに、溢れんばかりの可能性を秘めた少年の、これからの人生を左右しかねない決断なんて、気が狂いそうになる。
ゲームを続けるのか降りるのか、タオルを投げるのか投げないのか、その判断はとてつなく難しいし、それを判断しなければいけない立場の底なしの苦しみは計り知れない。
この監督は、とても勇気がある人だと思う。
でも、だからといって、正しいかどうかは、判断できない。
今回の件が、正しかったのかどうかは、その後の佐々木投手の生き方によって決まる。
人生は、挑戦と選択の積み重ねで出来ていて、過去の意味は、未来の在り方で変わるんだ。
これで腐ってしまったら、それは間違っていたってことかも知れないし、今回のことを糧にして更に飛躍していけば、正解だったといえる。
未来は自分で創れる。
デザインはそのためにある。
何をしないか
それがどんな業界であれ、僕が尊敬するトップランナー達はみな、「何をするか」よりも、「何をしないか」の明確な意思があり、ぶれてない。
柳宗理や三宅一生がしないこと、坂本龍一や山下達郎がしないこと、明石家さんまや松本人志がしないこと、中井貴一や樹木希林がしないこと、三浦知良やイチローがしないこと、などなど。
人の「質」を計るとき、その人がどんなコミュニティに属しているか、その人のまわりにどんな人達が多くいるか、そういうことも判断材料になり得る。
特に、奥さんであれ、恋人であれ、パートナーであれ、一番近くにいる人がどんな人であるかは、その人の属性をはっきりと示していると思う。
もしもあなたが、自分の「質」をより良くしたいと思うなら、自分がどうありたいか、どんな自分になりたいか、まずはそのビジョンを明確に持つこと。
その上で、それを叶えるためにはやっぱり、「そういう人達」といる時間をより多く持つことが大切だと思う。
最初は不釣り合いでも、場違いでも構わない。
やがてその環境が、僕やあなたの「質」を育てる。
尊敬する人や目標とする人が「しないこと」を、まずは真似て、自分も「しない」。
そのあとで、なぜ「しない」のかの理由と本質を徹底的に考える。
理由なんて、あとから考えればいい。
服装や持ち物ではなく、人やメディアの評価でもない。
かっこいいとチヤホヤされてる人よりも、その人をチヤホヤしてる側の人の「質」をよく見ること。
キレイな言葉に騙されず、常に本質を見抜ける人になるためには、「何をしないか」の観察がとても大切なんじゃないだろうか。
柳宗理や三宅一生がしないこと、坂本龍一や山下達郎がしないこと、明石家さんまや松本人志がしないこと、中井貴一や樹木希林がしないこと、三浦知良やイチローがしないこと、などなど。
人の「質」を計るとき、その人がどんなコミュニティに属しているか、その人のまわりにどんな人達が多くいるか、そういうことも判断材料になり得る。
特に、奥さんであれ、恋人であれ、パートナーであれ、一番近くにいる人がどんな人であるかは、その人の属性をはっきりと示していると思う。
もしもあなたが、自分の「質」をより良くしたいと思うなら、自分がどうありたいか、どんな自分になりたいか、まずはそのビジョンを明確に持つこと。
その上で、それを叶えるためにはやっぱり、「そういう人達」といる時間をより多く持つことが大切だと思う。
最初は不釣り合いでも、場違いでも構わない。
やがてその環境が、僕やあなたの「質」を育てる。
尊敬する人や目標とする人が「しないこと」を、まずは真似て、自分も「しない」。
そのあとで、なぜ「しない」のかの理由と本質を徹底的に考える。
理由なんて、あとから考えればいい。
服装や持ち物ではなく、人やメディアの評価でもない。
かっこいいとチヤホヤされてる人よりも、その人をチヤホヤしてる側の人の「質」をよく見ること。
キレイな言葉に騙されず、常に本質を見抜ける人になるためには、「何をしないか」の観察がとても大切なんじゃないだろうか。
深夜高速
22年前の1997年6月19日、生まれ故郷の三重県から東京へ引っ越した。
現在の奥さんと友人2人の4人で、トラックとバンを借りて自分達で荷物を運んだ。
フラワーカンパニーズの「深夜高速」はまだリリースされてなかったけど、あの歌みたいに、荷物と一緒に、たくさんの希望とたくさんの不安を荷台に積んで、東名を走った。
その時に借りたアパートはもうないけど、楽しいことも辛いことも、お腹一杯に味わった。
東名を走るトラックの中の僕らは、間違いなくキラキラしていて、でもあの頃の僕らには、今の自分を想像することはできなかったな。
思っていた道のりとは少し違うけど、まあ、良しとしよう。
あの頃の自分にとっては、それが人生最大の挑戦だったと思う。
だいぶ歳をとったけど、あの頃の自分に負けないように、がっかりされないように、これからも、ずっと挑み続けよう。
茶道
何気なくふと、デザイナーが茶道から学べることについて考えてみた。
きっと茶道は「五感」で味わうもの。
その中でも特に、耳で味わうもの、ではないだろうかと、ど素人ながらに思う。
デザイナーである僕らは、さもわかったかのように「五感」を語りがちだけど、茶道のそれに比べたら、それこそ浅い。
茶道にはいくつもの所作があり、そのひとつひとつの意味を考えるのではなく、無心でひたすらにそれを繰り返していったその先で、ようやく、その意味に出会える「己」を持つことができる。
ど素人の僕なんぞが見たら、美しいというよりも、あまりにも多い「無駄な動き」に目がいってしまう。
その無駄なほどの美しさにこだわり続けること、そしてそれを徹底的にカラダに染みこませること、その「己」になるために必要なのが、苦行とも思えるあの無数の所作なのか。
だからたぶん、「無数の(無駄に見える)所作がある」ということがとても大切なことで、アーティストではない僕らデザイナーには、表現よりもまずは精神的にも肉体的にも「己」を持つこと、が必要なのではないのかな、と。
どこぞのクリエイティブ・ディレクターしかり、馴染みのない横文字を使って、自分に酔う姿は、滑稽以外の何者でもない。
デザイナーの使命は、茶道の達人になることではないけれど、本質を見抜く、という目的においては、共通項がないわけじゃない。
利休さんには見えていたもの、聞こえていた音。
アタマで考えずに、身を委ね、溶ける。
意味がわかるのは、ずっとずっと、その先のこと。
アタマではなく、体がひとりでに、動く。
そうやって、本質へと導いてくれる。
きっと茶道とは、それを教えてくれる「道」なのかなあと思う。
きっと茶道は「五感」で味わうもの。
その中でも特に、耳で味わうもの、ではないだろうかと、ど素人ながらに思う。
デザイナーである僕らは、さもわかったかのように「五感」を語りがちだけど、茶道のそれに比べたら、それこそ浅い。
茶道にはいくつもの所作があり、そのひとつひとつの意味を考えるのではなく、無心でひたすらにそれを繰り返していったその先で、ようやく、その意味に出会える「己」を持つことができる。
ど素人の僕なんぞが見たら、美しいというよりも、あまりにも多い「無駄な動き」に目がいってしまう。
その無駄なほどの美しさにこだわり続けること、そしてそれを徹底的にカラダに染みこませること、その「己」になるために必要なのが、苦行とも思えるあの無数の所作なのか。
だからたぶん、「無数の(無駄に見える)所作がある」ということがとても大切なことで、アーティストではない僕らデザイナーには、表現よりもまずは精神的にも肉体的にも「己」を持つこと、が必要なのではないのかな、と。
どこぞのクリエイティブ・ディレクターしかり、馴染みのない横文字を使って、自分に酔う姿は、滑稽以外の何者でもない。
デザイナーの使命は、茶道の達人になることではないけれど、本質を見抜く、という目的においては、共通項がないわけじゃない。
利休さんには見えていたもの、聞こえていた音。
アタマで考えずに、身を委ね、溶ける。
意味がわかるのは、ずっとずっと、その先のこと。
アタマではなく、体がひとりでに、動く。
そうやって、本質へと導いてくれる。
きっと茶道とは、それを教えてくれる「道」なのかなあと思う。
カルチャー
ブランド
何か怪しいもの
癒やしの習慣化
何かとストレスを抱えざるえない現代社会を生きている僕らですが、だからこそ、自分で自分を癒やしてあげる時間や方法を持つことが大切です。
晴れた日にはウォーキングを、雨の日には好きな本や映画を観て、よく笑い、よく泣き、よく食べて、夜はゆっくりとお風呂に入り、睡眠をしっかりとる。
簡単なことのはずなのに、それもままならないほどの忙しい人生を走り続けていれば、ココロとカラダも、誰だっていつかは壊れてしまう。
そんな時は、何かをきっかけに「癒やしの習慣化」を取り入れてみることが大事です。
三重県伊勢市で、大人気のリラクゼーションサロンを運営する「リバル伊勢」さんは、日頃の疲れでこわばったココロとカラダを、どうすればほぐし、癒やすことができるかを知り尽くしているプロ。
カラダの疲れがなくなると、ココロまで風船みたいに軽くなります。
そんなリバル伊勢さんが、これまでサロンでしか味わえなかった癒やしの時間を、家庭でも堪能していただきたいという想いで立ち上げた新しいブランドが「LIBAL(リバル)」で、僕は「LIBAL」というネーミングの考案とロゴのデザイン、そして、現在開発中の、三重県産の天然素材をふんだんに使用した「ボディ・クリーム」と「バス・エッセンス(入浴剤)」のパッケージデザインも担当させていただきました。
容器の素材や全体の予算などの制約の中でのデザインは簡単ではありませんでしたが、実際に何度もお風呂で体験させていただけたことは嬉しい産物でした(笑)。
その実体験の中で気づいたことですが、手元にバス・エッセンスがあれば、そこに「意識」が生まれ、それが「行動」へとつながります。
これはデザインの活動においても同じことが言えますが、何かを「習慣化」してやるには、手元に「それ」があることがすごく有効でした。
この「癒やしの習慣化」は、皆さんにもお勧めします。
そして、何度も体験させてもらったバス・エッセンスの商品化を目指して、本日より、クラウドファンディングがスタートしましたので、ぜひとも皆さんのご支援をお願い致します!
▼詳しくは下記のサイトをご覧ください!
https://www.makuake.com/project/libal_ise/
カラダの疲れがとれて、ココロが軽くなると、人は自然と優しくなるそうです。
誰にだって、悲しい出来事はあるし、時間を戻したいと思うこともあります。
目を背けたくなるような事件や事故が相次いでいますが、もっと自然に、もっと優しく毎日を生きていけたら、と、そんなことを願いながら、溜まりまくっている仕事からちょっとだけ目を背けて(クライアントさん、ごめんなさい)、今夜もゆっくりとお風呂に入りたいと思います。