茶道
何気なくふと、デザイナーが茶道から学べることについて考えてみた。

きっと茶道は「五感」で味わうもの。
その中でも特に、耳で味わうもの、ではないだろうかと、ど素人ながらに思う。

デザイナーである僕らは、さもわかったかのように「五感」を語りがちだけど、茶道のそれに比べたら、それこそ浅い。
茶道にはいくつもの所作があり、そのひとつひとつの意味を考えるのではなく、無心でひたすらにそれを繰り返していったその先で、ようやく、その意味に出会える「己」を持つことができる。

ど素人の僕なんぞが見たら、美しいというよりも、あまりにも多い「無駄な動き」に目がいってしまう。
その無駄なほどの美しさにこだわり続けること、そしてそれを徹底的にカラダに染みこませること、その「己」になるために必要なのが、苦行とも思えるあの無数の所作なのか。

だからたぶん、「無数の(無駄に見える)所作がある」ということがとても大切なことで、アーティストではない僕らデザイナーには、表現よりもまずは精神的にも肉体的にも「己」を持つこと、が必要なのではないのかな、と。

どこぞのクリエイティブ・ディレクターしかり、馴染みのない横文字を使って、自分に酔う姿は、滑稽以外の何者でもない。
デザイナーの使命は、茶道の達人になることではないけれど、本質を見抜く、という目的においては、共通項がないわけじゃない。

利休さんには見えていたもの、聞こえていた音。
アタマで考えずに、身を委ね、溶ける。
意味がわかるのは、ずっとずっと、その先のこと。
アタマではなく、体がひとりでに、動く。
そうやって、本質へと導いてくれる。
きっと茶道とは、それを教えてくれる「道」なのかなあと思う。
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