DBC 2020 2/3



明日18日は、2015年から続けているデザイン教育プロジェクト「DESIGNED BY CHILDREN 2020」の2回目。
前回の1回目は「デザイン」ってなんだろう?ってことを子どもたちと一緒に学んだ。
2回目以降はいよいよ実践編。
実際に手と頭を動かしてデザインの視点と考え方を学びます。

前回同様に見学は自由ですが、コロナ対策のため、必ずマスクの着用をお願いいたします。
体調の悪い方は見学をお断りさせていただく場合もございますので予めご了承ください。


さあ、明日も楽しもう!


創造教室プログラム
「DESIGNED BY CHILDREN ~デザインを手にいれたコドモたち~ 2020」(全3回)
場所:勢和小学校の体育館
(三重県多気郡多気町片野2343)

(1) 6月11日(木) 13:40-15:15
(2) 6月18日(木) 13:40-15:15
(3) 6月25日(木) 13:40-15:15
DBC2020 初日



2015年から続けているデザイン教育プロジェクト「DESIGNED BY CHILDREN 2020(以下、DBC)」の初日が無事に終了。
今回はついに、ドローン参戦!
中谷さん、ありがとう!

今回のDBCは、コロナの影響を受けて、通常全6回のところ、全3回に凝縮したバージョン。
さらに密を避けるため、会議室ではなく、体育館を使用。
空間が広いので、マスクをしながらの授業は結構つらい。
次回はマイクを使わせてもらおうかな。

今年は初日に12人もの方に見学に来ていただきました。
もっと色々な学校へ広まってほしいと願って続けてきたプロジェクトですが、僕の力不足のせいで、全然広がっていません。
でも、今日見学に来ていただいた皆様に、諦めずに続けていく勇気をいただけた気がします。
本当にありがとうございました!

2回目の授業は、来週の18日(木)13:40から。
しっかり準備して、子ども達と一緒に楽しみながらデザインを学びたいと思います。
会いたい人



6月の空の下、会いたい人に今年も会いに来た。
沈む船



今日、新たなクライアントの担当者さんと第1回目の打ち合わせをしてて思った。
彼はまだ24歳だが、その会社の社長の長男なので、つまりは次期社長。
世間一般の常識的には、まだまだこれから経験を積まないと社長の座にはつけない。

でも、本当にそれでいいんだろうか?
VUCAの時代だと言われて久しい現代において、いや、この先の未来を見据えて、「十分に経験を積んで」という発想自体がすごく危険な気がする。
まだ足りない、まだ早い、それって本当に意味があるんだろうか?

完成度にこだわって、というより憑りつかれて、なかなか市場にリリースできない企業や会社が日本にはまだまだ多い。
でも世界を見渡せば、20%の完成度で世に放ち、そこからフィードバックを得て改良を重ねていくのが主流になりつつある。
未だかつてないスピードで変化しつづける世界の中で、日本のそれはあまりにも時代遅れ感が否めない。

むしろ、24歳で社長にして、それを回りが支え、フィードバックを得ながら成長させていくべきじゃないのかな。
十分に経験を積んでから、なんて、少し過保護すぎやしないか?
時代の変化に柔軟に対応できる本当に強い企業を目指すなら、24歳という年齢が若すぎるってことはないと思う。
だって、デジタルネイティブな彼ら彼女らのほうが、時代の匂いに圧倒的に近い。
もちろん業種や業界によっても違うんだろうけど、起業家だけじゃなく、世襲経営でもそうあるべき時代になったんじゃないのかな。

何度も言ってることだけど、僕は美大も芸大も出てないし、どこかのデザイン事務所に勤めたこともないし、デザインもパソコンも全部独学で学んだ。
それなのに、28歳の時にほぼ未経験のままで独立した。
東京っていう、ある意味ライバルしかいない激戦区の中で、経験も実績もない未経験社長でスタートしたけど、独立から20年、なんとか会社を潰さずにこれた。
もちろん、吹けば飛ぶようなチョー零細だし、経営のど素人が偉そうに、と言われたらその通りですが、ちょっとした空気の変化で季節の往来を感じるように、時代の変化を見逃さないように気をつけてきたつもりです。
確かに今は、あまりにも変化が速すぎてそろそろついていくのがしんどいけど、できる限りに柔軟に、自分という軸を持ちつつ変化していける自分でいたいなと思います。

ずっと変わらないもの。
変わり続けていくもの。
今こそ、今という時代においての「不易流行」の真の意味と向き合おう。
それができなければ、その船はきっと、ゆっくりと、でも確実に、沈んでいく。
小泉今日子



仕事中に音楽は欠かせない。
なんてったって、今日の仕事のお供は小泉今日子。
仕事がはかどります。
ただ、「優しい雨」のときは毎度手を止めて聴き入ってしまう。
いいのやら悪いのやら。

とにかく、キョンキョンの力を借りて、溜まってる仕事を片付けます!
泡風呂



娘たちは、キャッキャ言いながら泡風呂をご堪能。
後片付けで大人は大変。

今夜も楽しい夢が見れますように。
ぐっすりおやすみ。
したたかさ
広告とは「広く告知するもの」、つまり、多くの人に知ってもらうための手段。
ならば、ターゲットを絞り込んで、ある特定の人たちだけに刺さることを目的とした広告は「狭告」と呼ぶべきかも知れない。
いずれにせよ、そこに届けたい想いや情報があり、それを確実に届ける、つまり「刺さる」ために何をどうするべきか、それが僕らの仕事。

昔から広告はラブレターだと言われていることは何度も触れてきた。
想いを伝える、届ける。
それがちゃんと伝わる、届く。
そのために、広告やデザインは昔から、心理学や行動経済学や統計学なんかを駆使して進化してきた。


星野源さんの「歌を歌うときは」という歌、

歌を歌うときは 背筋を伸ばすのよ
人を殴るときは 素手で殴るのよ
さよならするときは 目を見て言うのよ
好きだと言うときは 笑顔で言うのよ
想い伝えるには 真面目にやるのよ

の歌詞の通り、手段はいつもひとつではない。
手段は目的に合わせて変えるもの。
人を殴るときに笑顔はヤバいし、さよならするときに背筋を伸ばすのもちょっと変。
広くても狭くても、届けたい想い、情報、叶えたい目的を手中に収めるには正しい手段が大切だ。

例えばあなたが、空を飛びたいと思ったとする。
さて、どうする?
必死に腕をバタバタする?
きっとそれじゃあ上手くいかない。

あなたの目的が、自分の体だけで空を飛ぶこと、であれば、どこか高いところから落ちながら飛ぶしかない。
でももしあなたの目的が、空を飛ぶこと、であれば、人や道具やテクノロジーが役に立ってくれる。
本当に叶えたいこと、果たしたい約束、掴みたい夢、守りたい人、そしてそれらを叶えるのがとてつもなく難しいことなら「他力」が欠かせない。
たとえ1%の可能性しかなくても、方法を見つけ出すことが僕らの役割であり、仕事なのだ。


何度も言ってきたことだけど、目的と手段を間違えてる会社やお店や人がすごく多い。
え?結局それがやりたかったの?って拍子抜けするほど、手段がいつの間にか目的にすり替わってる。
そういう会社やお店や人を見るといつも思う。
ああ、本気じゃなかったんだなあ、と。

誤解を恐れずに言えば、本気には「したたかさ」が不可欠だと思う。
したたかさとは、強さのこと。
目的を叶えるためにあらゆる手段を講じて、そして決してあきらめない。

本来の言葉の意味とは違うかも知れないけど、例えば枕営業は一般的には悪いことだとされているが、全部が全部、僕は必ずしもそうとは思わない。
そこまでしてでも叶えたいこと、果たしたい約束、掴みたい夢、守りたい人がいるのなら、「他力」をうまく使い、したたかに生き抜き、決してあきらめない。
むしろ僕は、そういう人のほうが好きだとさえ思う。

きれいごとばかり言って、耳障りのいい言葉を並べて、でも結局言い訳ばかりで行動しない。
そういう人を見ると気分が悪くなる。
善か偽善かなんてどうでもいい。
何があってもあきらめない、したたかに生きる人を応援したい。
映画やドラマでも、そういう役(たいていは悪役)の人に惹かれる。
僕はそういう人が好きだし、主人公を好きになれる映画やドラマはと聞かれても、すぐには思いつかない。


では、どうして手段が目的へと変わってしまうのだろう。
色々な理由や事情があるだろうけど、よくあるのは「楽(らく)」と「楽しい」をはき違えてるパターン。
楽しいほうを選んだつもりでも、それは所詮、楽なほうを選んだだけ。
同じ字でも、意味はまるで違う。
楽はほうばかり選ぶスーパーヒーローを見ても楽しくない。
困難を乗り越えるからこそ、敵わない相手に立ち向かうからこそ、その先に楽しさがある。
楽な道の先に求めている世界はない。
本来の目的をあきらめて手段にしがみつく姿は痛々しい。
それで仕事をした気になってる会社には、たとえそれが大企業であろうとも、きっと未来はない。
僕はそう思う。


あなたが本当に叶えたいことは何ですか?
あなたが果たしたい約束は何ですか?
あなたが掴みたい夢は何ですか?
あなたが守りたい人は誰ですか?
そのために、あなたは何をしますか?
今歩いてるその道の先で、本当に夢は叶いますか?
置き忘れてきてしまった夢を、取りに戻らなくて本当にいいんですか?
美空ひばり



美空ひばりさんの最後のステージとなった小倉公演のCD。
そもそも販売することを目的として録音されたものではないゆえ、音源の質も本人の歌唱も、いわゆる「美空クオリティ」には及ばない。
けれど、ドクターストップを押し切り、文字通り命を懸けて歌い切った最後のステージ、その終盤に収められている「川の流れのように」は、何度聴いても胸の奥の奥にくる。

1989年と言えば、僕は高校2年生かな。
その後の僕の人生は、まさに「でこぼこ道や曲がりくねった道」の連続だったけど、「愛する人をそばに連れて夢探しながら」、ここまで歩いてこれた。


「1滴の雨が木の根を伝ってせせらぎが小川になる。やがて大河になってゆっくりと海にたどり着く。人生っていうのも同じように真っ直ぐだったり、曲がっていたり、流れが速かったり、遅かったり…本当に川の流れのようなものなのよ。でもね、最後はみんな同じ海にそそいでいるのよ。」


僕も少しは大人になったから、今ならわかる。
今こそ、ひばりさんのこの言葉を、強く噛みしめたい。
うるせーよ



僕は基本的に人を信じないし、人に期待しない。
それは反面、人を信じたいからとも言える。
でも色々あって、いつも誤解されて、その結果として、僕は人を信じないほうを選んだ。
期待しても、ろくなことがない。

そんな僕でも、時々出会う。
真っすぐに僕を信じてくれる人。
そういう人を無条件に尊敬してしまう。
だから僕も、信じてみようと試みる。
だけど、だいたいいつも、それはあっけなく終わる。

本気のレベルが合わない人とは、結果的に付き合いは短くなる。
この人は本物かな、と期待はするけど、そんなものはそうそうあるものじゃない。

ある人が言う。
まずはあなたが信じないと、相手にも信じてもらえないよ。
しばらくはそれを信じて、そうやってみた時期もあったけど、でも結局僕はまた、信じないほうを選ぶ。
小中高の友達で、「今でもしょっちゅう会う」っていう友達はひとりもいない。
会えば楽しいし、元気にしてるかなと思うこともあるけど、だからといって会いにいくわけでもない。
友達はたくさんいたし、いじめられたこともないし、学校が嫌いだったわけでもない。
むしろ学校が好きだったし、狂ってしまうほど好きだった女の子もいたし、そんなあの頃の日々は、かけがのない一生の宝物だ。

でもきっと、残りの僕の人生で、あの頃の友達に会う機会は、ものすごく少ないと思う。
それがいいわけでも、それでいいわけでもなく、そうなんだろうなと、ただ思うだけ。
会いたくないわけでも、会えないわけでも決してないけど、実際、たぶんそうなる。

東京のデザイナー仲間には、今でも時々会いにいく。
自分の足りさなを毎回思い知らされるのに、それなのにすごく心地いい。

信頼は結果で勝ち取るしかない。
お互いにプロフェショナルとして、結果を出す。
結果が出れば、次がある。
それがなければ、次はない。
僕を信じてくれたクライアントを笑顔にしたい。
その笑顔をずっと守りたい。
一緒に夢を見たい。
追いかけたい。
そして必ず、夢を叶えた丘で、一緒にその景色を見たい。

おかしな言い方だけど、僕はこのシステムがとても気に入ってる。
シンプルでわかりやすいし、筋が通ってる。
ただ付き合いが長いから、ではなく、ただ近い存在だから、でもなく、プロ対プロでゲームに挑む。
アドレナリンやドーパミンがドバーっと放出される瞬間が好き。
傷つくことも傷つけることも、失うことさえ恐れずに、それをただがむしゃらに掴みにいく。
何度も本気だと言っておいて、結局途中で逃げ出すやつらは大嫌いだけど、ある意味ではもう慣れっこ。
変態だと言われたらその通りだし、子どもっぽいと言われたら、きっとそうなんだろう。


今年も6月になったら、20代で逝ってしまった中学の同級生の墓参りにいく。
僕はなんで、毎年彼女に会いに行くんだろう。
死んだから?
もういないから?
たぶん、彼女との会話に癒されてるからだと思う。
大好きだったあの笑顔で、未だに陸上部のマネージャー気取りで、まだまだだね、っていう声が聞こえてくる。
ちゃんと自分から信じるようにしてる?
何度も言ってるけど、そのうち本当にひとりぼっちになるよ、ってまたきっと言ってくる。

うるせーよ、って言いながら、でも、それがきっと、心地いいんだな。
価値



世界中のあちらこちら、コロナショックの傷跡はまだまだ癒えない。
けど、色々と新たに発見したことも多かったと思う。

ある人は、今回のコロナは、自然界の浄化作用だと言う。
またある人は、いよいよ資本主義経済の崩壊が始まったと言う。
いずれも僕には、まだよくわからない。

わかるのは、世界が闇に落ちた時、僕らの仕事の「価値」もまた、ずずずーっと落ちていくってこと。
軒並みに新規仕事は延期か中止となった。
マスクの高額転売を擁護するつもりは1ミリもないけど、これもまた「価値」なんだなと思う。
高くても、それを求める人がいる。

山の上の自動販売機と、ある意味では同じ理屈だ。
ドローンの登場で運搬は格段に楽になったのに、それでも値段が下がらない。
ということは、山の上まで運ぶのが大変だから、だからジュースが高かったわけじゃないってことだ。
そこにある「価値」はただひとつ。
高くても、それを求める人がいる。


資本主義経済が崩壊したあとは「価値主義」へと変わっていくらしいけど、そもそも「価値」って何だろう、と改めて思う。
あくまでも資本主義経済をベースにして、そのうえで何をもって「価値」と定義づけるのかによっても答えは変わるけど、例えば、クリエイティブディレクターとかは技術よりもアイデアだけど、スタイリストやオペレーターは技術が全て。
でも、時給で計算してしまうと、仕事が遅い人のほうが報酬が高くなってしまう。

僕も最近、イラストを描く作業が増えたけど、僕はイラストがすごく苦手なので、ものすごく時間がかかる。
でも、だからといって、通常の仕事と同じ金額では算出できない。
なぜって、僕はイラストのプロではないから、プロのイラストレーターと同じクオリティの仕事はできっこない。
だから、プロのイラストレーターの10倍の時間がかかっても、10分の1のギャラが妥当だろう。
つまり、ものすごく効率も能率も割も悪い。
結果、つまりは僕のイラストは「価値が低い」ってことだ。

そもそも、コストダウンのために求められてしている作業。
求められてしている作業なら、本来はそこに価値があるはずなのに、でも価値が低い。
つまり、「あれ」が決定的に異なるんだ。

高くても、それを求める人がいる。
安いから、それを求める人がいる。

文字数は同じでも、そこにある「価値」には雲泥の差がある。

東京にいた頃と今とでは、仕事の単価がまるで違う。
それでも、仕事に向かう姿勢は同じ。
僕らの使命は、クライアントさんの仕事や商品の価値を最大限に引き出し、「高くても求められるもの」にしていくことだ。
それができて初めて、僕自身にも価値が生まれる。
場所はもう関係ない。
いや、ちょっとは関係あるんだろうけど、言い訳にしかならない。
自分の夢を叶えるには、誰かの夢を叶えてあげるしかないんだから。



今、外は強めの雨がずっと降ってる。
僕の価値は、ビニール傘か、それとももっと質のいいものか。
ただ雨をしのぐだけなら、そこに違いはあんまりない。
それでも、あえて質のいい傘を選ぶ人に、選んでもらえる傘にならないと。

安いから求められているだけなのだとしたら、とっとと足を洗わないといけない。
前を向きながら、でも同時に、引き際のこともちゃんと考えておこう。
コロナショックの傷に気休めの絆創膏を貼りながら、夜中の作業はまだまだ続く。
椅子に座りすぎて、お尻が割れそう。


道端に生えてる小さな花には、どれくらいの価値があるのかな。
そこに価値を見出す人とそうでない人の差は何なんだろう。
そんなことより、やっぱり、お尻が痛い。
そして、眠い。
48回目の誕生日



先週の24日は、48回目の誕生日でした。
奥さんと娘たちが、手作りのバースデーケーキでお祝いしてくれた。
外出自粛でずっと家にいるのに、それはそれで楽しみを見つけていける娘たちは、なかなかたくましい。
僕という人間をこの世で一番理解してくれているのは奥さん。
僕の全部を知ったうえで、もう27年も一緒にいてくれてる。
 
考えてみれば、僕はずっと誤解される人生を歩んできた。
子どもの頃から、見た目や言動がよく裏目に出る。
奥さんとカフェに行って、ジョッキのビールとカルーアミルクを頼んだら、間違いなく僕のほうへビールが運ばれるけど、正解はいつも逆。
人は見た目が9割、なんて本もあったし、印象の力は凄まじい。
そして今僕はその「印象」を仕事にしてる。
 
先日、ある会議の席で、「丸川さんに仕事をお願いして印象操作の大切さを痛感しました。とても大切なお仕事。感謝してます。」と言われた。
若い彼は僕に感謝の意を表してくれたんだと思うし、それはとても嬉しいけど、ひとつだけ、「印象操作ではなく、印象の最適化、ね。」とお答えした。

違いを聞かれたので、その商品やサービスが粗悪であれば必要なのは印象操作、すごくいいものなのに市場にうまく伝わっていない場合に必要なのは印象の最適化だと思う、と答えた。
そしてその点において僕は、印象操作が必要じゃないクライアント、そして商品ばかりを扱わせてもらえている今に心から感謝しているし、とてもラッキーだと思う。
 
広告はラブレターだと言われて久しいけど、その商品やサービスの良さを正しく伝えていくために必要なのは、何を言うか、そして、何を言わないか。
特に、時として「何を言わないか」はとても重要だ。
好きだ好きだとただ言っても届かない。響かない。
仕事である以上、戦略の質がものを言う。
 
でも、相手が人である場合、時として「好きだ」とただひと言、まっすぐに目を見て伝えることのほうが心に深く響く場合があることも知ってる。
僕も若い頃に、そのひと言が最後の最後まで言えなかったことを死にほど後悔しつづけた。
もしも言えたところで、あんなに素敵な彼女が最後に僕を選んでくれるとはどうしても思えなかった。
そしてそれは、僕の思い違いだったとずいぶん後で知って、死ぬほど後悔した。
「本当」がちゃんとわかっていれば、想いをちゃんと伝えられたかも知れない。
 
「本当」を知ることは難しい。
心理テストは「本当」を知るためにするもの。
本心や本当がわからなければ道を正しく選択できない。
 
でも例えば、Aを選んだらこうなる、Bを選んだらこうなる、さあどっち、なんて心理テストでは「本当」は見つからない。
何かを選ぶ際にその選択を大きく左右するような「重要な要素」はあらかじめ隠しておく必要がある。
答えに影響が出ないように余計なバイアスは外しておくのがセオリーだ。
 
先日、別のクライアントに、コロナ禍で大変な今の状況を踏まえ、事業の今後の方向性を見極めるため、心理テストの要領でAという目的地を選んでもBという目的地を選んでも「重要な要素」には変わりはない、とした上で方向性を選んでもらった。
でも実際はAという目的地を選んだら方向性に変わりはないけど、Bという目的地を選んだらそうはいかない。
進む道が変われば、向かう目的地が変われば、服装もお小遣いも靴も地図もコースも、そしてガイドも変わる。
でもそしたら、「重要な要素」には変わりはないと言ったから選んだのに、嘘つきだ、もう信用できない、豹変だ、怖い、と言っていると、あとで人づてに聞いた。
 
お年玉は預かっておいてあげる、怒らないから本当のことを言いなさい、とは意味が違う。
僕は確かに嘘をついたけど、それは道を正しく選択するためで、本当を引き出すためだった。
それをもう一度説明する機会はもう閉ざされてしまったけど、いつの時も、「本当」を引き出すのは簡単じゃないしリスクもある。
僕はこうしていつも誤解され、良かれと思うことが裏目に出る。
もちろん、今回のことで信用を落としたのは、それだけが原因ではなく、何かが積もり積もったもの。
それもわかってる。
まあでも、それで信用を失う程度の付き合いなら結果オーライだろう。
ちゃんとわかってくれる人もいるし、それでいいんだと思う。
 
目利きで頭のいい奥さんが、僕の全部を知ったうえで27年も一緒にいてくれる。
それが僕にとって、どれほど心強いことか。

誤解されるのには理由もあるし、僕に非がないとは思ってないし、そもそも火のないところに煙は立たない。
でも、それもわかったうえで、奥さんには「本当」が見えている。
それでいて、こっちの服を着たほうが良い人に見える、というアドバイスもちゃんとくれる。
これは印象操作、ではなく、印象の最適化だと、僕は強く、信じてる。

毎日が誰かの誕生日。
コロナ禍の中、僕にとっても、ある意味で記憶に残る誕生日になりました。
両親、奥さん、娘たち、師匠、数少ない友よ、どんな時でも信じてくれて本当にありがとう。
夜明け前が一番暗い。
でも永遠に続くわけじゃない。
こんなにもたくさん、子どもたちと笑い、遊び、話し、抱きしめられるこの日々を、まるごと抱きしめよう。
分析



若かりし頃は、街の看板、有名デザイナーのポスター、いかした本の装丁などなど、それらを自分のパソコン上に再現し、色を変えてみたり、配置を変えてみたりして、デザインのコツや秘密、どうして最終的にこうなったのか、どのようにしてこの最終形に落ち着いたのかを、必死で探った。

貧乏デザイナーゆえ、パーツを組み合わせて自作したパソコンでの作業は困難の連続だったけど、とにかく必死だった。
「分析」と呼んでたこの作業によって、僕は「場数」を増やしてきた。
毎日毎日、それこそもう、数えきれないほど。


先日、ふと東横インの看板を見ていて、どうしてURLがロゴの上にあるのかが気になったので、かなり久しぶりに分析してみた。
結果的には、URLが下にあると、なんだか普通の目立たない看板になってしまった。

若いデザイナー達に「場数を踏んで経験値をあげろ」と言うと、仕事として「依頼」を受けて場数を踏んでいくものと理解するようだ。
だけど地方の案件だけでは全然足りない。
それじゃあなかなか経験値は上がらない。
そのことに気づいていない若いデザイナーが多いように思う。

「架空の依頼」を何十何百と積み重ね、(あくまでも架空だけど)NASAの仕事も3件こなした。
時には依頼人として注文をつけ、時にはユーザーとして批評もする。
スーパーに行って、自作したパッケージをこっそり並べて写真を撮って検証した。

確かに、暇だったのかも知れないけど、寝る間も惜しんで手と頭を動かしてきたことには自負もある。
今は、あの頃よりも忙しくさせてもらってる分、分析遊びをしてる暇はなかなかないけど、移動中や休憩中に頭の中でやることはある。
もう、癖みたいなものだけど、今の自分の現在地を把握し続けるためにも、必要な遊びだと信じてる。
伊勢のみそぎ湯



リラックスや癒やしをテーマにプロダクト展開しているブランド「LIBAL」の新しい入浴剤「伊勢のみそぎ湯」のパッケージデザインを担当させていただきました。
本日より、丸川商店でも販売開始してます!
 
私達も何度も体験させていただき、お風呂上がりのしっとり感のすごさは感動ものです。
次の日になってもしっとり感がちゃんと続いてます。
三重県の天然成分でできていますので、乾燥肌にお困りの方にはもってこいな商品かも知れませんね。
 
商品展開は、伊勢茶の香りの「琥珀(こはく)」と、柑橘系の香りの「瑠璃(るり)」の2種類があり、それぞれ2パック入りで、500円(税別)です。
 
ご購入は、リバル伊勢さんが運営している、伊勢市小俣町の「リラクゼーション時楽 伊勢小俣店」か、丸川商店へお問い合わせを。
 
尚、販売先も随時募集しているので、「伊勢のみそぎ湯」を取り扱いたいと思うショップ様または会社様もお気軽にお問い合わせくださいませ。
 
 
夜はだいぶ冷え込むようになってきました。
デザインの際にいただいたサンプルがまだ残ってるので、お先にあったまらせていただきまーす。
 
 
リラクゼーション時楽 伊勢小俣店
https://relaxjiraku.com

丸川商店
http://mrkw.jp
理想のアシスタント



どんなアシスタントさんが希望なんですか?、と聞かれ、深津絵里!っと即答&かぶり気味に答える。
いやいや、そういうことじゃなくて、スキル的にとか、そういう。
ああ、そっちか、と我に返り、こんなだからなかなか理想的なアシスタントに出会えないのか、と今更にして反省。

とにかく、良い人、が理想です!
ん?まだ間違ってるか?
結局、深津絵里さんが好きなだけ。
保育園の運動会



秋晴れにも程があるぞ、というくらい強い日差しの中、今年も次女の保育園の運動会へ。
あいかわらずゆる~い感じの、でもまあ、そこがいい感じでもあるほっこり運動会でしたが、それでも47歳の体には確実にダメージを与えてくれます。

次女が中学にあがるまで、あと8年弱。
その時僕は50代半ば。

敬老席へまっしぐら、でしょうか。
それとも、永ちゃんバリのかっけーおっさんになれているでしょうか。

答え合わせは、8年後に。
僕らの仕事



地域(地方)の強みは、「そこにしかない」こと(又はモノ)。

地域(地方)の弱みは、「そこにしかない」こと(又はモノ)。

ようは、捉え方次第。
やり方次第。
取り組み方次第。

同じこと(又はモノ)でも、視点を変えて、それを強みに変えていくのが、僕らの仕事。
プレゼン



今からプレゼン。
決定打を見つけられないままこの日を迎えてしまいましたが、あとはプレゼンやりながら、その中で見つけるしかないな。

あとは神のみぞ知る。
線香花火



昨日は師匠の命日。
今日は昔一緒に暮らしてた犬の命日。
そんなことを想いながら、家族だけの夏の終わりの小さな花火大会を楽しみました。

今年の夏も色んなことがありましたが、おかげさまで楽しい夏でした。
娘達の成長も感じられたし、良き出会いにも恵まれました。

少しずつ年老いていく親と、日々成長していく娘達。
ふたつの世代の真ん中で、滔々と引き継がれていく命のバトンの尊さを感じます。

最後の線香花火を持つ長女がポツリ。
この花火が終わったら、今年の夏も終わりやなあ。


来年もまた、楽しい夏にしようね、一緒に。
牧野富太郎植物画集





ずっと見てられる美しさ。
愛が溢れてる。
特殊メイク



長女(8歳)。
急に何を思ったか、はじめての特殊メイクに挑む。

将来、親子で浮田くんに弟子入りするか。