年男
ねずみは「寝ず身」と言われ、ねずみ年の人は寝る間も惜しんでコツコツ働き続けるんだそうです。
どうりで(笑)。

でも、なんで大金持ちになれないのでしょう。
またあの人に「仕事をちゃんと選ばないからでしょ!」って言われそう。

でも、20年前に、美大も芸大も出てない僕が、ましてやデザイン業界での経験もないのにデザイン事務所を立ち上げて、それでも仕事をいただけたあの頃の喜びがこびり付いてて、たとえ新人デザイナーよりも低いギャラだったとしても、普通ならひとりで抱えられる案件の量をはるかに超えていたとしても、依頼された仕事を全部受けてしまうのは、癖というか性分というか、もう仕方のないことなのです。


今年は子年。
つまりは年男。

次の子年までのラスト1週は、仕事をちゃんと選んでいければと思うけど、こんな僕にお仕事を依頼していただけることには、引き続き、感謝をしていきたいと思います。


事務所を立ち上げて、今年でまるっと20年。
ラスト1週。
踏ん張りどころ。
美人なしぐさ



デザイナーとしての僕を救ってくれた憧れのデザイナー、柳宗理さんはかつて、「本当の美は生まれるもので、つくり出すものではない」と言った。
デザイナーである僕らは、言うなれば産婆のように、「本当の美」が生まれやすくなるように導き、手助けをする役目でもある。
僕がいつも心に留めてる「指針」のような言葉のひとつだ。

一方で、良し悪しは別として、「美しい」という「印象」は、徹底的に細部にこだわり抜くことで表現することならできる。
ズボラでガサツな人より、言葉や所作が美しい女性に惹かれるのは、デザイナーならごく自然なこと。
もちろん、過剰で、演出じみた嘘っぱちの所作はたちが悪いし、ズボラでガサツだけどかわいい人っていうのもごくごく稀にいるけどね。


僕らデザイナーは、日々、広告で、文字で、レイアウトで、造形で、この「美しい」という印象の表現に挑み続けている。
男の色気、女の色気、人の色気。
車であれ、道具であれ、料理であれ、色気は細部に宿り、その蓄積によって醸し出されるもの。
本物の色気は決して隠し通せない。

どうすれば「美しい」を正しく表現できるのか。
そもそも「美しい」とはどういうことなのか。

そんな「美しい」という印象を完璧に表現できるデザイン力が欲しい。
パイクカーシリーズ



Be-1、パオ、エスカルゴ、フィガロ、ラシーン。
日産のパイクカーシリーズは輝いてた。
今でも、日産のパイクカーシリーズに乗ってる女子を見ると、もうそれだけで惚れてしまう。

日産はまた、マイクロソフト対マイクロソフトの戦いに突き進んでしまった。
マイクロソフト対アップルの構図にしなければ、トヨタにはきっと勝てない。
車のデザインも広告もCMも、全てが迷走の現れ。

奥さんの最初の車もBe-1だった。
あの頃の日産が恋しい。
草枕



山路を登りながら、ふと思った。
仕事や学業において優秀であればあるで角が立ち、情を持ちすぎてもそれに流されてしまう。
かといって、自分は自分と意地を通せば、余計な敵や対立を生み出し、なお窮屈になる。
人の世とは、どのみち、とにかく住みにくいものだ。

あまりにも住みにくいと感じれば、もっと良い場所へ引っ越したくなる。
でも、どこへ引っ越しても、所詮は同じ。
結局はどこに行っても、住みにくさは変わらないなと悟った時、詩が生まれて、絵が出来る。

人の世を作ったのは、神様でも鬼でもなく、所詮はただの弱き人間。
ただの人間が作った人の世が住みにくいからといって、ほかに良い場所などあるわけがない。
もし、そんな場所があったとすれば、それは人間ではない誰か、例えば鬼が作った国かも知れない。
であれば、そこはきっと、人の世以上に住みにくいに違いない。

そこがどこであれ、全てを自分の思い通りに出来ないのなら、そこが少しでも住みやすい場所になるように努力し、工夫するべき。
そのために、だからこそ、詩人や画家や文化が必要なのだ。

あらゆるアーティストやクリエイターの使命は、くだらない世の中を、少しでも良くするために、人々の心を豊かにすること。
だからこそ、尊い。
くだらない世の中から、くだらないモノやコトを消し去り、隠れて見えなくなっていた世界の真の美しさを、ありのままに映し出すのが詩であり、絵である。
または、音楽やアートも。
もちろん、詩人や画家のように、形にできなくても構わない。
ただありのままに、あなたの心の向くままに見つめれば、そこに詩が生き、歌が生まれる。



これは、夏目漱石が遺した「草枕」の冒頭の言葉(の僕なりの現代語訳)。
いくら時代が進んでも、変わるものがあれば、変わらないものもある。
100年しか生きられない僕らにとっては、今のこの世の中が全て。
今の時代が最高!と言うべきだろうが、そう言える確証はどこにもない。

でも、アートがある。歌がある。デザインがある。
文化は心を豊かにし、ただの景色を風景へと変えていく。
下品で汚い都会の夜の景色も、タクシーの後部座席から、ヘッドフォンで「ラストクリスマス」を聴きながら眺めれば、たちまちそこに、ロマンスの香りが漂ってくる。
単純で愚かでも、詩や歌は時に、ただの人をアーティストに変えてくれる。

文化が育たなかったら、世の中はどうなってしまうだろう。
夏目漱石の期待に、今のアーティストやクリエイター達は応えられているだろうか。


「あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。(原文)」


いつまでも、そうあってほしい。
そして僕も、そうありたい。
夏が終わった
徹夜明けの朝6時。
夜明け前の冷え込みは、もう本当に夏が終わったんだってことの証明。

今年の夏は、大した思い出も作ることもできず、つまらない夏だった。
来年の夏は、きっともっといい夏にしよう。


夏の終わりは、やっぱりこれが聴きたくなります。
歳を重ねるごとに、遠く離れていくたびに、強く強く、胸にしみる。


若者のすべて(フジファブリック)
https://youtu.be/IPBXepn5jTA


さあ、今日はこのまま仕事続行です。
デザイナーあるある







ボトルのパッケージをミリ単位でひたすら調整。
文字や要素ごとに「カチッ」って音が心の中で聞こえる位置をひたすら探す。
ひたすらひたすら、100回200回は当たり前。

画面上で拡大してミリ単位で調整して、印刷して、カットして、ボトルに当ててみて、また調整。
印刷すると小さい文字なので、普通ではその違いには誰も気づけない。

夜中の1時過ぎから始めて、現在夜中の3時をまわったところ。
2時間、もうずっとこの作業。
ひたすらに手や首や腰や足や目も痛い。
こういう夜にはチョコが欠かせないけど、減り方がやばいな。


デザイナーあるあるな作業。
世のデザイナーの皆様。
誰にも気づいてもらえなくても、誰にも褒めてもらえなくても、それでもただひたすらに調整しましょう。
変態とはそういうものです。
パッケージデザイン



僕の商品のパッケージデザインについての持論。

生産者や技術者や製造者が職人魂を込めて良品を生み出す。
ここを「A」とする。

ではそれをどう売るか?
どうすればたくさん売れるか?
ターゲット層を決めて、女性向けとか30代向けとかシズル感とかを考える。
ここを「B」とする。

※「B」から始めて「A」を作るパターンもありますが今回は「A」から「B」の場合です。


商品のパッケージをデザインする時、ほとんどの場合は「B」の中でデザインが行われ、決定される。
でも、本来は「A」の時にパッケージをデザインするべきだと思う。
「A」の時にパッケージをデザインして、それをどう売るかを「B」の中で考える、という流れが僕には腑に落ちる。

その商品に一番似合う服を着せてあげる。
その商品の本当のかっこよさや良い所を正しく表現する。
この段階では、ターゲット層はあえて意識しない。

つまりは当然、ターゲット層の好みに反するデザインになる可能性も大いにある。
失笑されるのはここだ。
それじゃあ売れない。
売れなければ何の意味がない。
お前はビジネスがまるでわかっていない。
だからお前は、と笑われる。

でも、だからこそ、それをどう「ガワ」でフォローしていくか。
それがマーケターやプランナーやバイヤー達の腕の見せ所でもあるはずだ。

例えば、伊勢の名物、伊勢うどん。
伊勢うどんの印象を聞いて回ったら、きっと「シンプルだけどインパクトもある」とかの意見が多いはず。
でも、世の中の伊勢うどんのパッケージは、ごちゃごちゃしたものがほとんどだ。


美味しくないものを美味しそうに見せるためにデザインがあるわけじゃない。
本当はそんなキャラじゃないのに、売れるために着たくもない衣装と作り物の笑顔で客に媚を売る昔のアイドルでもあるまいし、これじゃあ製造者や職人魂が浮かばれない。
三重県には、パッケージと中身の印象がまったく違う商品も多いし、店のロゴの雰囲気と料理の質が一致しないレストランがどれほど多いことか。
意味のない変なズレは、本当に気持ちが悪い。
このズレが、三重県の印象を益々ぼやけさせてしまう気がしてならない。
エレジー



if you read the book again in 10 years,
it will change again,
because you've changed.
もしも10年後に読み直したら
本は違うものになる。
それはあたなが変わったから。



この映画の肝となるこの台詞がとても印象的だった、2008年の映画「エレジー」。
10年後に観直したら、その10年間の経験と今現在の心境や状況によって映画もまた違うものになる。
だから僕はいつも映画や音楽を何度も観たり聴いたりする。

映画や音楽の中に、その日その時の自分が生きている。
10年経っても変わらないのは、この映画を観ると、今すぐ誰かに逢いたくなること。
あなたにとっての、僕にとっての、大切な、誰か。



Time passes when you're not looking.
時は知らぬ間に過ぎていく。
名は体を表す
僕の仕事は、ブランド名や商品名を考える機会も多い。
気をつけているのは、言葉の意味、語源、響き、歴史、見た目など。
毎回いつも頭を悩ませる、難しいけど好きな作業です。

とあるサイトによると、五十音それぞれが持つイメージがあるそうで、それらは思っている以上に、誰にとっても共通しているとのこと。
試しに、僕の名前、「たつや」を例にとってみると、

--------------

■「た」という音のイメージ
外柔内剛型/温和/信念/正義感/争いを好まない/弱者に優しい/熱心/実力/地位/重厚/実直/希望/繁栄/行動力/高潔さ/強い精神力/タフ/努力家/やりとげる力/頼られる/リーダー気質/直観力/自分でする/人に任せられない/決断力

■真面目でたくましい、とても頼りになる存在。

■「た」が使われた言葉
たいせつ、たいとう、たすける、たくす、たかい、たたかう、たくましい、たんぽぽ、たき、たつまきなど

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■「つ」という音のイメージ
強い意志/行動力/明るさ/考えることが好き/思考型/勉強好き/知識が豊富/知的/こだわり/才能/世渡り上手/自信が強い/他人を軽視/見えっ張り/挑戦的/協調性に欠ける/単独/感情/ひかえめ/内にこもる/論理的/分析力

■何か一点に集中したイメージの強い音、集中的に物事を突き詰めて考え続ける。

■「つ」が使われた言葉
つかう、つくす、つくる、つつむ、つながる、つつく、つたえる、つくえ、つる、つき、つばさ、つくし など

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■「や」という音のイメージ
まっすぐ表現/飽き性/積極的/器用/頭の回転が速い/おおらか/行動力/芯が強い/裏表がない/決断力/好奇心/協調性がない/鋭い感性/孤立/まっすぐな性格/はっきりしてる/感じたまま 

■素直でまっすぐ

■「や」が使われた言葉
やくそく、やさい、やけい、やぶる、やね、やめる、やみ、やま、やきいも、やり など

--------------

「協調性」のなさがわざわざ2回も出てくるあたり、確かに、なかなか当たっていると思います(笑)。


昔から「名は体を表す」と言います。
ネーミングは、適当ではなく、ちゃんと考えたいものです。


▼SIRUHA
https://bit.ly/3247cBf
三重問屋





クリエイティブディテクターとして参加させていただいている三重県志摩市の地域商社「三重問屋」のプロデュース第一弾商品、早川酒造部さんの「朝(あさつ)」が、おかげ様で大変好調です!!!

日本酒があまり売れないとされるこの夏の中、異例のヒットを連発中!
ご購入いただいた方々からは、「とにかく美味い!」と大評判!
正直、この売れ行きに自分たちでも驚いていますが、これはきっと三重問屋サポーターの方が作ってくれた手縫いの朝(あさつ)のキーホルダーのおかげですね(笑)。
そしてもちろん、早川酒造部さんの作るお酒がめちゃくちゃ美味しいのと、地域商社はこうあるべきだよなと改めて実感できる三重問屋のチームワークの良さもヒット連発につながった要因。

そうそう、日本酒好きの女子にぴったりのお仕事があるので、三重問屋に参加したい!って思ってくれる日本酒大好きな女子の方はぜひご一報ください!

さあ、まだまだ「朝(あさつ)」シリーズはこれで終わりではありません。
すでに「朝(あさつ)」シリーズの新商品のデザインに取り掛かっていますので、楽しみに待っていてください!


三重の良い人が作る良い品を、全国、海外、そして、次代を担う子ども達の未来へ!
残りのデザイナー人生をかけて、三重県の正しいリ・ブランディングに挑み続けていきます!
ことっとスタート



毎年、小学校で6年生にデザインの視点と考え方を教えてる。
昨年の授業の最後は、こんな言葉で締めくくった。

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君たちはこれから中学へ行って、それからどんどん大人になっていく。
だから、どうか素敵な恋をしてね。
素敵な恋の思い出が、君たちの人生をどんな時でも支えてくれるから。
だからどうか、素敵な恋をしてください。
---
.
いくつになっても、恋心は大切。
恋をすることを忘れちゃいけない。
例えばこの本のホッピーさんのように。

自分の心に嘘をつかず、花々を愛でるように、丁寧に育てよう。
水をやって、潤いを与えて、丁寧に、大切に。
恋は、あなたの人生を、どんな時でも支えてくれるから。
お手伝い



今日も天気がいいので、プール遊び、ではなく、先週の大雨で補修した箇所のペンキの下地塗りをお願いしました。

次女(6歳)はすぐに飽きてしまうけど、長女(10歳)はこういうことをさせるとすごく優秀。
ちゃんと自分で工夫するし、もともと絵を描くのも好きだし、文化的なもの全般への興味も高い。

がんばれー。
それぞれの道



懐かしい写真を整理していると、会話の内容までは思い出せませんが、その時その日の音や匂いが蘇ってきます。
大学に行っていない僕にとっては、最終学歴である高校での思い出が一番濃く残っていて、嫌な思い出もあったはずですが、思い出すのは心地いい風や匂いのするシーンが多い。

例えばこの写真は、バンド仲間達と校内でしょっちゅうミニライブみたいなものをしていた時の写真。
先生たちも目をつぶってくれてたし、それを楽しみにしてくれている子たちがたくさんいた。
今の僕では考えられない、勘違いしてしまいそうなくらいの、なんともいい時代でした(笑)。


時々こうして振り返ると、確かに今の僕につながっている道や足跡が見えてきます。
そしてその事実に背中を押されて、また歩き出そうと思える。
なぜなら、これまでの時間の価値は、これからの時間が決めるから。
今の僕には、そしてこれからの僕にも、振り返ると続くすべてのシーンをちゃんといい思い出にする責任があるわけです。

大好きだったあの子のこと、中途半端で投げ出してしまった陸上のこと、僕が嫌いな奴らのこと、僕のことが嫌いな奴らのこと、一緒に泣いてくれた高校の先生のこと、ダルかった授業、一緒に抜け出した屋上、なんだかんだ言っても、やっぱりキラキラしてた全部の時間。

だから時々、こうしてきちんと振り返る。
これも大切なルーティンワークです。


色々なことを乗り越えてきた古い靴は心から感謝して脱ぎ捨てて、新しい靴でバシッと決めて、前を向いてまた歩き出そう。

僕も、あなたも、君も、それぞれの道を。
ミナ本



面白くて、数時間で読み切ってしまった、皆川さんの「生きる はたらく つくる」。
ジャンルこそ違えど、僕が奥さんが連日連夜語り合った自分たちのやりたかったこと、そして出来なかったことが、全部つまってた。
僕の中で、「皆川さんの人柄」だけではとても表現しきれなかったミナの世界観がどうやって育ってきたのかが、この本でようやく理解できた気がする。

肌寒いくらいの真夜中でも、読み進めるごとに全身の熱量が高くなっていくのを感じた。
もう遅すぎるかも知れないけど、もう一度だけ、自分たちのブランドをつくること、育てることに、挑んでみたくなった。
あの頃には出来なかったことが、今ならできるかも知れない。
あの頃には出会えなかった人とも、今なら出会えるかも知れない。
それよりもまず、僕と僕の奥さんが、2人で作りたかった世界と、もう一度だけ向き合ってみたい、そんな風に思えた。

ものづくりの本質、醍醐味、厳しさも含めた楽しさ。
僕は今まで、こだわりが強すぎる、とか、難しいことはいいからさ、とか、色んなことを色んな人に言われてきたし、丸く収まってればよかった場面でも、ものづくりやデザインを理解しようとさえしない相手の言動に黙ってることができない性格。
そのせいで、無駄な対立も生んできたと思うし、もらえたはずの仕事をたくさん失ってきた。

僕には、「人柄」とか「人徳」とか、確かにそういうものが欠けているんだろう。
それでも、僕には確かに見えているものがあった。
言葉や形で正しく的確に表現できない無力さが今でも本当に嫌になるけれど、僕には確かに見えているものがあったんだ。
誰にも理解できない、のではなく、理解してもらえる力がなかっただけ。
だから、代わりにそれを言葉や形にしてくれる仲間をずっと求めてきたけど、ここでも、「人柄」や「人徳」の欠如が重く立ちふさがる。

ミナ・ペルホネンに、田中景子さんと長江青さんがいたように、僕には、その2人の役割をこなしてくれる奥さんがいる。
独立したての極貧生活にも、思うようにいかないことでイライラする僕にも、彼女は常にそばにいて、放り出すことも、逃げ出すこともせず、まっすぐに向き合ってくれた。
何日もかけた作品に、迷うことなくダメ出ししてくる。
でも、その指摘はいつも正しい。
だから、いつの頃からか、彼女さえいいと言ってくれたら、もうそれで十分だと思えるようになった。
今でも、それは変わらぬまま。
彼女がいいと言ってくれたものは、絶対に間違いがない。
そう確信できるほど信頼してる、唯一無二のパートナーだ。

東京ではチヨに、三重に戻ってからはリナに出会えた。
給料とは呼べないくらいのほんのちょっとのお金しか出してあげられなかったのに、彼女たちはうちで働く毎日が楽しいと言ってくれた。
2人ともすごく優秀で、ほかの事務所に行けばエースになれる人たちだ。
彼女たちがいてくれなかったら、間違いなく今の僕はいない。
僕の人生の中で、この2人との出会いは最高の宝物。
もっともっと、一緒にいたかったなあ。
もっともっと、一緒に見たい風景があった。
僕がもし自伝を書いたら、本の半分はこの2人のことで埋まると思う。
皆川さんの本を読んで、改めて、チヨとリナに、心からありがとうって思った。

無地の服ばかり着て、ファッションにはめちゃくちゃ疎い僕でも、ミナ・ペルホネンの世界観が放つ心地よさは伝わってくる。
いい本と出合えた。
もう一度、って思えた。
これからも、丸くならずに尖っていこう。
自分の直感と本能をもっと信じてやろう。
周りの人は、ものすごく迷惑だろうけど(笑)。
景色と風景



三重県に戻ってきてから、「目的と手段」という言葉を使うシーンが増えた。
なにも、どこぞのコンサルみたいに、ただそう言いたいだけなのとは意味が違う。
本当にそう言わざる得ないことが多いのです。

そして、「目的と手段」と同じくらい口にする機会が増えたワードは、「景色と風景」。
あくまでも僕個人の勝手な解釈ですが、似て非なるこの景色と風景、ものすごく雑に言ってしまえば、目に見えるものを景色、それに加えて目に見えないものも含めたのが風景だと考えています。
つまり、風景には、その土地の「文化」が含まれていて、目に見えるものと目に見えないものが常にセットになっていると考える必要があります。

よく、家族の風景と言いますが、家族の景色とはあまり言いません。
それは、そこに文化、風習、関係性などのドラマやストーリがあるからです。
どっちがいいとか悪いとか、そういう話ではなく、その中から、見た目の部分だけを抜き出したのが景色なんだと思います。

なので、いきなり風景を作ることは不可能です。
文化やドラマが育っていないうちは、まだ風景にはなれません。
楽しいことだけでもないでしょう。
悲しい歴史や辛い出来事もあったはず。
風景とは、その積み重ね以外の何ものでもなく、最初はただの景色だったものが、やがてそう呼ばれるもの、であるはずです。

さらに、たとえ同じ場所に立っていても、そこがいくら歴史のある場所でも、ある人にとってはただの景色で、ある人にとっては風景だったりします。
同じものを見ているつもりでも、実際に見えているものは全然違う。
まるで、だまし絵のように。
そこがズレている関係は、遅かれ早かれ道を分かつことになります。


三重県には、素晴らしい景色も風景もたくさんあります。
なのに、それらが正しく活かされているとは思えません。
きっとそれは、景色と風景の違いが理解されていないのと、理解する術を持たないからでしょう。
学校でも教わらないし、そもそもそれを教えられる先生なんてほとんどいません。

三重県だけではないと思いますが、そこに素敵な文化が生まれ育つ土壌ができていない。
いや、かつてはあったのかも知れませんが、今の状況を見ると、育てるつもりがないようにさえ思えます。
誰もが結局は、自分のことばかり。
木だけを見て、森を見ていないし、感じようともしない。
狭い世界しか知らない人、広い世界を知ろうともしない人ほど、「みんなを」とか「みんなで」という言葉を軽々しく使う。
多様性の本当の厳しさを知っている人は、その言葉の重みを知っています。
デザインは、根っこからデザインして、はじめてデザインと呼ばれるのです。

そして僕らの仕事は、まさに風景を作っていくこと。
長く続く仕組みを考え、登場人物のために大まかな道筋や、舞台、ステージ、小物、時間などを丁寧にデザインする。
あとは、そこに色々なドラマが生まれ、やがて風景と呼ばれるまで、寄り添っていきます。
それがモノであれ、場所であれ、人であれ。
だから時間もかかるし、手間もかかる。
なかなか理解してもらえないことですが、それが真実です。


やがて風景と呼ばれるもの。
そこに寄り添う仕事。
ドラマのない人も場所も存在しない。
そこには必ずストーリーが生まれ、育っている。

息を合わせて、手を繋いで、どうせなら、素敵な風景をご一緒に。
いすゞ





今ではトラックのイメージしか無いいすゞ自動車にも、かつてはこんなに素敵な車があったわけです。

色々な事情があって現代の車では表現できないわけですが、この時代特有の優美さには、デザイナーとして学ぶべきことがたくさんあります。
ゴリラがいっぱい



三鷹の森はジブリでいっぱいだろうけど、僕のデスクはゴリラ好きの僕のために娘たちがプレゼントしてくれたゴリラや、父の日のたびに長女が自作してくれたアクセサリーでいっぱい。
貫きたい志



昔、雑誌の取材で、「デザイナーを辞めたいと思ったことはありますか?」と聞かれ、「はい、何度もあります。いつも考えてます。」と即答して驚かれたことがある。

誤解を恐れずに言えば、今でも変わらず、常にそう思ってる。
デザインが嫌いになってしまう前に辞めなきゃな、と。

そういえば僕の恩師は、信じた道をまっすぐに進むため、保身に走らず覚悟を持って役目を果たすために、いつでも懐に辞表を持っている、と表現してた。
自分の信じた道、自分のやるべきこと、ありたい自分の姿、貫きたい志。
叶えたい未来のために、時に体制を欺いたとしても、決して自分の心だけには嘘をつくな、と。

なぜ?どうして?と問いまくる子どもはウザがられる。
僕はたぶん、そういうタイプのデザイナー。
そんなことはどうでもいい、って親の声が聞こえてくる。
子どもは元来、哲学くさい生き物で、大人になるにつれ、消えていく。
デザイナーはどっちでいるべきだろう。


高校の体育祭の時の写真が出てきた。
夕日のオレンジ色か、それともただ色褪せたのか、みかん色のその写真の僕は、一番先頭で、ちょうど最終コーナーをまわってる所。

でも、30年以上経った今でも、まだゴールできていない気がする。
ゴールがまだ見つかっていないのか、そもそもゴールなんて存在しないのか。
誰かに託されたはずの、右手のバトン。
自分の信じた道、自分のやるべきこと、ありたい自分の姿、貫きたい志。
三重問屋プロジェクト



クリエイティブディレクターとして関わらせていただいている三重県志摩市の地域商社「三重問屋」から、本日、7月1日に、三重県川越町の早川酒造部さんとのコラボ第一弾として、「朝(あさつ)」という名の日本酒がリリースされました!

7月1日は、日本酒業界では酒造年度元旦だそうで、この日の発表を目指してチーム一丸となって取り組んできました。

蔵元である早川酒造部の早川社長と竹内さんから、このお酒はどんな料理にも合うさっぱりとした味が特徴で、いわゆる高級酒とかではなく、最高の「食卓の定番酒」でありたいんです、とお聞きし、実際に現場を見学させていただき、そこからデザインのテーマを決め、要となるストーリーを組み立て、試行錯誤の末に「朝(あさつ)」というネーミングを考え、ラベルをデザインしました。

特別な日に飲むシャンパンも素敵ですが、「朝(あさつ)」には、なんでもないごく普通の日々を、でも、だからこそ祝おうよ、というテーマを設定しました。
そこで、一見地味に見えるデザインですが、どんな食卓にも合うように、「俺はここにいるぜ!」っていう特別な主張はせず、控えめでありながら、でも上質なデザインを心がけました。

もっとも大切にしたのは、味とデザインの印象が一致すること。
似合わない服を着せず、「朝(あさつ)」らしい振る舞いと佇まいを表現したつもりです。


あけない夜はない。
「朝(あさつ)」を飲まない夜もない。
そんな食卓の定番酒として、長く愛されるお酒になるように、これからも丁寧に育てていきたいと思います。

今後も第二弾、第三弾と新しい商品が生まれていくと思いますので、お楽しみに。


発売開始は、7月7日。
下記の特約店にて一斉に販売開始されます。
ぜひぜひ、お買い求めくださいませ!

【特約販売店】
四日市:福田屋酒店
鈴鹿市:太田屋
亀山市:山形屋酒店
津 市:マスダ
伊賀市:ナガタヤ
伊賀市:リカーショップヒラオカ
伊勢市:ニコマート
伊勢市:酒のあおき
伊勢市:田所酒販
鳥羽市:丸佐ハロー店
志摩市:べんのや酒店
志摩市:KANPAIISESHIMA


▼ 三重問屋
https://miedonya.jp/

▼ KANPAIISESHIMA
https://jizake-mie.jp/
しじみの白スラブ



形のみならず、名前まで色んなところで真似をされて何かと話題の丸川商店オリジナルの「しじみ」に、ついに、いや、ようやく、「白スラブ」がラインナップに加わりました。

使いやすさはそのままに、これまでの藍染よりもグッと涼し気で、これからの季節に最適です。

もちろん、男女問わずお使いいただけますので、僕とお揃いが嫌でなければチェックしてみてください。


▼丸川商店
https://www.mrkw.jp