高齢者のセックス事情



これまで、デザインの活動を通して、たくさんのこと学んできました。
デザイナー人生があとどれくらい残っているかはわかりませんが、時々ふと思うのは、これまで学んできたデザインやクリエイティブのスキルを、デザイナーではなく、別の形で活かす生き方ってあるのかなあってこと。

例えば、なんとかしなければ、いずれ消えてなくなってしまうかも知れない業種や、デザインが最大限に力を発揮できる業態などへ転身し、そこに集中し、これまで学んできたものを全部まるごとつっこんでみる生き方、とか。

そういう意味で、すこし関心があるのは、「高齢者のセックス事情」です。
こういうことを発言すると、それだけで引かれることもあるし、SNSでも評価も低くなりますが、そういうことは気にしないでおきます。

なぜなら、以前、友人の女性からセックスレスに関する涙ながらの相談を受けたことがきっかけで、今後、急速に高齢化が進んでいくのであれば、これは大きな社会問題になるのではないかなあと強く感じたから。
これまでも、日本におけるセックスレス化の問題はあちこちで話題になってきましたが、他国と比べると、日本のその問題はすでに看過できないレベルとのこと。

つい先日も、世界的な経済誌であるForbesに、「日本人の「童貞率」が25%に上昇、セックス離れが鮮明に」という記事が掲載されていました。
現在は、セクシャルの多様化もあり、本当に現状を正しく把握できているのかと疑いたくもなりますが、それと同時に、今はそんなことになっているのか、となんだか嫌な胸騒ぎを感じました。
しかも日本は、性に関することはまだまだタブーだし、ただの下ネタだと思われることが多く、それはつまり、他国に比べて、成熟度が著しく低い、ということなのかも知れません。

いや待てよ、もっともっと成熟していけば、いずれはそういう営みは必要なくなって、純粋に心の結びつきだけでいいってことになるのだとしたら、逆に日本は成熟してるってことなのかなあ?
うーん、難しいですが、いずれにせよ、日本人の奥ゆかしさだからこその良さも確かにあるはずですが、当の本人達にしてみれば、笑い事ではないことは明白です。

デザインとは、決して装飾のことではなく、問題や課題を見つけ出し、それらを見事に解決していくこと。
だからこその、セックスを十分に楽しんでおられる人達に向けたものではなく、それをしたいのにできないことでひどく悩んでいる人達を対象にしたデザイン。

それがどういう形の取り組みなのかはまだわかりませんが、僕が僕のスキルを最大限に活かせる分野で考えるのなら、プロダクトだったり、ビジュアルによる提起だったり、になるのかなあ。
まあもちろん、僕ひとりでは何もできないので、チームや仲間が必要ですが。

問題の原因はなんなのか?
そもそもセックスは必要なのか?
そんなこんなを含めた、もっとつっこんだ議論や調査が必要なのだと思います。

みなさんはこの問題、どう思いますか?
フィードバック恐怖症



本日の打ち合わせの席で、デザイナーの仕事の内容や役割の範囲などについて質問を受けました。
確かに、デザイナーでない方には、なんてわかりにくい世界だろうと思います。
僕の場合、肩書きを聞かれた時は、グラフィック・デザイナーとかクリエイティブ・ディレクターとか答えていますが、デザイナーの仕事は、「北風と太陽」で言えば、太陽のやり方で色んな問題を解決することが求められます。
つまり、自分からそうしたくなるように仕掛ける、という感じ。

まあ、そういうことを言うから余計にわかりにくいのかも知れませんが、役割についても、どこからどこまで、と明確に分けることが出来ません。
でも、それでは質問への回答にならないので、大まかな役割をご説明させていただいたので、ここでもシェアしておきます。
ただし、これはあくまでも「おおまか」な役割であり、この限りではないことだけはご理解ください。


例えば、あいうえお商事という会社があったとして、30周年を記念して発売したある商品が思うように売れてない、という問題が発覚(または発生、認識、発見など)したとします。
担当者や幹部達が集まり、現状の把握と原因の究明に取りかかり、対応策を話し合い、解決するための企画を立ち上げます。
さらに会議を重ね、最終的な方向性を決定します。
例えばこの場合、営業チームが配るパンフレットを作り直そう、となったとします。
そこで、デザイナーに、パンフレットの制作を依頼します。
デザイナーはこれを受注し、では、どんなパンフレットにするべきかを検討し、制作します。
この際に、パンフレットの内容だけを考え、実際の制作は他の人に依頼することもあります。

さて、この場合、社内の人達と一緒に対応策を考えるのが、「クリエイティブ・ディレクター」や「デザイナー」達です。
ここでは、「パンフレット」が解決の「策」ということになりました。
どんなパンフレットがいいかを考えるのは、「デザイナー」や「スタイリスト」と呼ばれる人達です。
そして、実際の制作のみを担当する人を、「オペレーター」と呼んだりします。

つまり、「策」を考える立場にいるかどうか、または、「策」を一緒に考えるかどうかで、役割が変わってきます。
少なくとも僕の事務所では、「策」を考えない案件、つまり、制作だけを行う場合は、「スタイリング仕事」と呼んでいて、「策」を考えて初めて、デザイン仕事と呼びます。
ちなみに、「オペレーター」の仕事は、「デザイナー」や「スタイリスト」が考えた制作案の指示に従って、実際の制作作業のみを担当します。


三重県では、スタイリングやオペレーター仕事しかしていなくても、デザイナーと呼ばれるし、自らもデザイナーと呼んでいる人が多いですが、ちょっとそこには違和感を感じます。
パンフレットの内容を考えるのは、決して、「策」を考えたことにはならず、パンフレットという「策」を考えたのはあくまでも社内の人やディレクターなどです。
ましてや、言われたとおりに、はい作りました、では、デザイナーとは呼べないんじゃないかなあと。

ただし、クリエイティブ・ディレクターやデザイナーが、自分で全ての作業を担当する場合もたくさんありますから、明確にどこからどこまでとは言えません。
もちろん、大手の事務所なら明確に役割分担されているのでしょうが、小さい事務所やフリーランスの場合は全部をこなすことなんてザラにあります。
ようは、デザイナーがいい、スタイリストやオペレーターがだめ、ということではなく、自分の役割をちゃんと認識して仕事をすべきだし、そこを曖昧にしてるデザイナーが多いから、デザインへの誤解がなくならないのだと思うんです。

まあ、依頼する側からすれば、いいものが出来れば、役割なんてどうでもいいのかも知れませんが、デザインする側の者は、その案件における自分の役割を正しく認識しないと、太陽のつもりが北風になっていた、なんて笑えない状況を生み出しかねません。
フィードバック恐怖症



世の中には、フィードバック恐怖症の人がかなり多い。
「弱い」と言われたらそれまでだけど、そりゃあ誰だって、自分の作品や仕事や趣味やアイデアをけなされたり、スルーされたり、好きになってもらえなかったりしたら、へこむよ。
でもね、これだけ人の好みがバラバラなんだから、もうこれ、しょうがない。
自分だって、好きな作品やデザイナーやモデルさんや歌や映画とかあるわけで、そしてその逆も当然あるわけです。
何も自分だけへこまされてるわけじゃない。

フィードバック恐怖症の人は、作品を否定とかダメ出しされると、人格まで否定された気分になる。
もっと言えば、存在そのものを否定されたような、存在価値なんてないんだと言われてるような。
ダメ出しってのは、カレーを食べるからスプーン取って、っていってるのにフォークを出してきたことに対する、いやいやこれじゃなくて、ってだけの話。
ひとことも人格を否定することは言ってない。

人格を否定された、なんて、そんなことは考えなくていいんだよ。
ダメ出しされたら、そこから学べばいい。
次への力に変えてやるんだ。


どんな大御所にだって、アンチはいる。
どんなに美人な女優さんにだって、どんなに優しい人にだって、アンチはいる。
僕のデザインが嫌い人もたくさんいるし、僕のアイデアを鼻で笑われたことなんて山ほどある。

ガンジーさんが嫌いな人も、マザーテレサさんが嫌いな人も、明石家さんまさんが嫌いな人もいる。
ドラえもんが嫌いな人は・・・、いないか。
障がい者にだって、性格の悪い奴はいる。
外面と内面がおもいっきり違う人の数なんて数え切れない。

いいじゃないですか。
アンチがいたって、否定されたって、ダメ出しされたって。
足りないものは足りないだから仕方ない。
そっから学んで、伸ばせばいいだけ。


ひとつだけ、絶対にやってはいけないこと。
否定してきた相手を、あいつがバカだから理解できないんだとか、むかつくからなんとかして消し去ってしまいたいとか、そんなことを思っても意味がない。
そんな風に思うくらいなら、「しょうがない」で片付けよう。
理解なんてそうそうされない。
誤解なんてしょちゅうされる。
むしろそれが普通。

そんなつまらないものから自由になろう。
くよくよしてるヒマがあったら、もっともっと学んで、もっともっと挑んで、もっともっと目立ってやろう。
数ヶ月か数年あれば、ひっくり返せる。
全ての人に「いいね!」されるものなんて、きっとつまらない。

アメリカの教育者、エルバート・ハバードさんも言ってる。
「やる気をすっかりなくさない限り、失敗はありえない。「自分の内部から生まれる敗北」以外に敗北はない。「心の弱さ」以外に越えられない障害などない。」

素直に、謙虚に、もっともっと学ぼう。
生きている限り、学び続けよう。
確かに、自分の評価は他人が決めるのかも知れない。
でも、他人の期待通りに生きる意味なんて、そもそもないんだ。


自分の人生を、叶えたい未来を、思う存分、デザインしよう。
ダメだったら直して、必要ならふりだしに戻って、全力で取り組もう。

あなたの人生の主人公は、あなたなんだから。
アート感覚



今日は1日中、外周りだったので、真夜中すぎた今から事務所仕事です。
今夜のBGMは、教授。

ところで、デザインとアートは明確に違うと僕は思っていますが、かといって、デザイナーにもアート感覚は絶対に必要だと思います。
別に僕は絵画に詳しいわけでも、作者に詳しいわけでもありませんし、自分の好きな絵の作者がどこかの無名の人だったりすることが多いわけですが、その絵を見て、その絵がアタマの中で動き出して、どこからともなく音が聞こえてきて、匂いがしてきて、ジトッと少し汗をかく。
まったく関係のないメッセージが浮かんできて、作者が意図しない物語を勝手に紡ぎ出したりする。

デザイナーにとってこういう感覚が必要だなあって思うのは、やっぱり、喜怒哀楽が作品に表れるから、だと思います。
喜怒哀楽のあいまいな作品には、総じて色気を感じなかったりするし、あとはこの喜怒哀楽をどんな風にデザインの要素として落とし込めるか、が腕の見せ所。

あとは、コミュニケーションスキルというか、洞察力というか、観察力というか、そういうスキルを磨くにも、このアート感覚は役に立つのではないのかなあと。
つまり、相手が今、何を考えていて、どう感じているのかを的確に感じ取るスキルというか、そういうスキルを鍛えるのは、普段からの「想像の習慣」が大切だと思うのです。

僕のサイトで公開している「デザインとデザイナーの説明書」の中で、「壁に掛かっている絵画がアートで、それを壁に掛けることがデザイン。」と僕は書きました。
よくわからなくても、美術館やギャラリーに行って、「目利き力」を鍛えることもデザイナーには必要だし、難しいことは抜きにしても、何かを感じ取る力は、何事においても、やっぱり大切です。

以前、友人の女性デザイナーが岡本太郎展を見にいく際に、私にはアートがよくわからないんですが、どういう風に見ればいいでしょうか、という質問を受けました。
難しく考えずに、でも何度も見てみて、君がどの作品に「濡れる」か、じゃないかな。
っと、サラッと言ったものの、どん引きされるかと思いきや、「なるほど!」って言ってもらえたので助かった。
確かにちょっと乱暴すぎるアドバイスだったと思うけど、何かを感じる時は、アタマではなくて、体や心や魂であるはず。

こういうことも、学者さん達ならもっと科学的に説明してくれるんでしょうけど、僕にはそんなアタマはないので、なんとなくの説明で申し訳ないんですが、普段から積極的にアートに触れつつ、これをどうすれば多くの人に見てもらえるか、これを知らない人に、どう説明すれば的確に伝わるか、そんな風に、デザイン的に考えてみるクセが、普段のデザインの仕事にも大いに役に立つのではないかなあと思います。
完コピ



音楽をやってた頃、来る日も来る日も好きな曲やヒットしている曲を色々な方面から分析して「完コピ」した。
コード進行やアレンジや歌い方には、それぞれのアーティストのクセがある。
その作業は、自分の技術のレベルを確実に上げてくれたと思う。

デザイナーとして駆けだした頃も、同じように好きなデザイナーや作品を自分のパソコンの中で再現してみた。
タイトルはなぜこのフォントなのか、ロゴのこのカーブにはどんな意味があるのか、レイアウトを逆にしてみたらどうなるのか。
それこそ、来る日も来る日も。
そしてそれはまた、デザインの学校にも行っていない、どこかのデザイン事務所に勤めたこともない我流の自分の技術のレベルを確実に上げてくれたと思う。


全員とは言わないけど、今の若いデザイナー達は、あまり「完コピ」をしないらしい。
いきなり「オリジナリティ」を追い求めて、もしかすると、そうしなければいけないと思い込まされたのかも知れないけど、結果的に出来上がったその「オリジナリティ」は、アートと呼ぶなら許されても、デザインと呼ぶには値しない。

「完コピ」をしない理由は明白だ。
彼ら彼女らにとって、「完コピ」は恥ずかしい行為であり、かっこ悪いことであり、面倒くさいのだ。


柳宗理氏がデザインしたバス停の写真を何度も何度もトレースしてた自分にとって、なぜそのカーブでなければならなかったのかは、どうしても知りたいことだった。
岡本一宣氏がデザインしたポスターを自分のパソコン上で再現してみて、どうしてその色を選んだのかを全身で理解したかった。

技術力を上げるには、「まずは完コピ」が欠かせないと今でも思う。
僕のそれは、例えばピンタレストで探してパクる行為とは意味が違う。
技術うんぬんよりも、その理由や意味を知りたかったのだ。

それとも、もうそんな時代ではないってことなんだろうか。
BGM



今日の仕事のBGMはrycooder。
曲先



22年前、音楽プロデューサーになりたくて上京した頃、明けても暮れても曲を作ってた。
曲を作る場合は、詩先(詩から先に作る)と曲先(曲から先に作る)にわかれる。
僕の場合は、ほとんどが詩先の作り方だった。

今になって思うと、詩先で作った曲は、なんて言うか、「言い過ぎてる」感がすごい。
とにかく言葉で伝えよう、言いたいだけ言いまくろう的な、暑苦しさが満載な感じで、ちょっと恥ずかしい。

曲先の場合は、すでに「枠」が決まっているので、言いたいだけ言いまくるのは難しい。
結果、言葉数を削り、言葉を厳選して詩をつけていく。

デザインにも、多くの制約がある。
その中で、最もベストだと思うものを生み出す。
だから必然的に無駄をそぎ落とし、結果的にシンプルになる。
でもそのほうが、より「刺さる」ことは、経験上、身に染みてる。

あの頃の僕が、デザインをわかっていたら、きっとほとんどの曲を、曲先で作ったと思う。
デザイン事務所の合併
本日も、三重県志摩市へ。

志摩市の酒蔵さんの素敵な夢に乗っからせていただけることになって、ワクワクしてる今日この頃です。
色々とお話を聞いていると、次々と閉めていく酒蔵の現状や、後継者が見つからずに疲弊していく農産事業者の実情を教えていただき、さすがに僕も、三重県の食文化に対する強い「危機感」を感じずにおれません。

この酒蔵さんは、もう何年も前から打開策を模索し、活動を続けてこられました。
そこで感じるのは、「チームの力」です。
ひとりではなく、チームで戦う。
「子ども達に残してあげたいモノ」を守り、育て、つなげる。
狭い商圏で、客を奪い合うのではなく、ひとり勝ちよりも、全体的な底上げこそが重要なんだと僕も思います。
そのための、今回の新しいプロジェクト。
ワクワクしないわけがありません。

さて、いつものことながら、これをデザイン業界に転換して考えてみるわけです。
特に地方のデザイン業界も、割と「個」の単位で活動をしているところが多いわけで、言ってみれば、狭い商圏で客を奪い合っているのは、この業界も同じなわけです。
作家性の強いデザイナーさんは、チームよりも個が合います。
それを否定するつもりはさらさらありません。

でも、これまで三重県では実現されてこなかったことを実現していくためには、「チームの力」を考える必要性があるのかも知れません。
方法はいくつかあると思いますが、プロジェクト単位でデザイン事務所同士が連携することはすでによくあることです。
もっと根本的な策として、もしかしたら、「デザイン事務所の合併」も有効な手なのかも知れません。

小さい事務所同士が、それも、それぞれの長所を活かし、それぞれの短所を補える合併は、案外ありなのではないかと感じます。
うちで言えば、グラフィックデザインを専門にしている事務所と、ウェブデザインを専門にしている事務所とは相性が良さそうです。
そこに、うちのような、デザインコンサル的な仕事が中心となる事務所が加われば、実現できることは増えそうな気がします。
ロスや非効率を解消できるかも知れないし、共に学び、成長していくにもメリットが多いでしょう。
さらにそこに、建築関係や印刷関係、営業関係や経理関係の個人的な事務所も加われば、さらに面白いことができそう。
全然関係のない業種、例えば飲食とか服飾とかの事務所も加わる、とかもすごく面白そうです。

もちろん、簡単な話ではないし、デメリットもあるはずです。
これまであまり実現されてこなかったのには、ちゃんと理由があるはずです。
でも、世界最大のデザイン・コンサルティング・ファームである、あのIDEOだって、もともとは3つの小さなデザイン事務所が合併してできた会社です。
それからのIDEOが世界に与えたインパクトや良い影響は、デザイナーなら疑う余地がないでしょう。
世界規模とは言いません。
三重県というサイズ感だとしても、十分なメリットをもたらすことが出来るのではないか、と思うんです。

昔から、マーケティングの人は群れたがり、ブランディングの人は孤立好き。
デザイン事務所は、ブランディング側が多いでしょうから、なかなか進まないのもある意味仕方ない。
それでも、ちょっと本気で模索してみようかな、と思います。
ヨシタ兄ちゃん



ヨシタ兄ちゃん、見っけ!

僕が死ぬほど憧れたデザイナー、柳宗理さんの最後のお弟子さん。
ヨシタ手工業デザイン室さんの生み出すプロダクトは、
見た目の美しさはもちろんのこと、とにかく使いやすい!
うちでもずっと愛用してます。
メアリーオリバー



Tell me, what is it you plan to do
with your one wild and precious life?

聞かせてください。
そのたった一度の、ワイルドで貴重な人生を、
あなたはどのように生きるつもりですか?
(メアリー・オリバー/詩人)


教えてください。
このたった一度きりの、クリエイティブで大切な人生を、
僕はどのように、デザインしていけばいいのですか?
横山展望台



今日は三重県志摩市での打ち合わせのついでに、久しぶりに「横山展望台」に立ち寄ってみました。

気の遠くなるような長い年月を重ねて生まれたリアス式の美しいうねりをぼーっと眺めながら、
自分にとっての「長く続いてほしいモノやコト」について考える、良い機会となりました。

目の前に積まれた課題の山を、いかにクリエイティブに解決していくか、日々、デザイナーとしての力量が試されています。

ストレスなんて誰にでもあります。
どれだけ寝ても疲れは全然取れません。
でも進む。
決して止まりません。

少しずつでも進み続けていれば、その積み重ねが、やがて道となり、見事な風景を創っていきます。

ちょうど、伊勢志摩のこの風景のように。
New Me



始まれば、いつか終わる。
終われば、また始まる。
出会いは必然。
別れも必然。
後ろばかり振り返らずに、ちゃんと前を向いて歩こう。

森の中で迷っても、
寂しさに負けてしまいそうになっても、
歩き続けていれば、
きっとたどり着ける。

新しい夜明けと、新しい自分に。
伊丹十三



「マージャンやパチンコ、勉強しろ!
競馬、カラオケ、犯罪者が好きそうなこと、
何でも一通りできなきゃダメだよ。」

(マルタイの女/伊丹十三)
クロレッツの自転車



知人から譲り受けた、クロレッツの自転車。
何年も雨ざらしで放置され、ホコリやらサビやらがひどかったけど、なんとか復活。
春は自転車が気持ちいい季節です。

クロレッツといえば、当時のCMで富永愛さんとキスしまくってた、愛しの我が弟、桑田君は元気でやってるのかなあ。
またあの頃みたいにバカ言いながら飲みたいね。
掃除機



掃除機は誰が掃除してくれるんだろう。
室外機は誰が冷やしてくれるんだろう。
傘は誰が雨から守ってくれるんだろう。

スーパーマンは、誰が守ってくれるんだろう。
2019.02.24 04:41 | Permanent Link | 日記・デザイン
広告はラブレター



昔から、広告はラブレターだといわれている。

グッとくるコピーや広告が作れる人は、きっとグッとくるラブレターが書ける人。
一方的な想いの押し付けではなく、グッとくる方法で想いを伝えられる人。
恋愛経験が少なくても、経験人数が少なくても、好きの「深さ」があればいい。
どれくらい相手のことを考えたか。
どれくらい相手のことを想ったか。
相手のことを考えたり、想ったりした「深さ」だけは誰にも負けない。
そんな想いがあれば、いい広告が作れるはず。

だからたぶん、恋をしたことがないって人は、
本気で誰かを好きになったことがないって人は、
いい広告は作れないのかもしれない。

ラブレターが、デジタルの0と1で作られた絵文字に変わってしまったとしても、
きっとその本質は変わっていないのだと思う。
だからたぶん、広告はきっと、ラブレターなんだろうなあと思う。


デザイナー諸君、どうか、いい恋を。
2019.02.23 02:46 | Permanent Link | 日記・デザイン
28年後の風景



今日は、三重県志摩市にて打ち合わせ。
19歳の時、8ヶ月だけ志摩市の鵜方駅近くでボロアパートを借りて一人暮らしをしてたことがある。
予定より早い時間に到着したこともあって、久しぶりに懐かしい場所を訪れてみた。

町もすっかり変わってて、あやうく道に迷いそうになったけど、記憶を総動員して辿ってみる。
鵜方駅はすっかり様変わりしていて、思い出のベンチもなくなってて、当時の面影はどこにもなかった。
でも、当時すでにボロボロだったアパートが今も健在していたことにはさすがに驚いた。

あのベンチにちょこんと座って、来るか来ないかわからない僕を、何時間もずっと待っててくれてた子がいたなあ。

毎日毎日、飽きもせずに一緒に飲み歩いたクレイジーな仲間達との濃厚な時間はキョーレツな思い出。

そして何より、あの夜あのボロアパートで、言いたくて言いたくて、でも結局最後まで言えなかった言葉をもしも僕が言えてたら、今でも2人は一緒にいれたんだろうか、と今でも悔やむ、切ない思い出も。


28年も経てば色々と変わる。

僕は今、幸せにやってます。
みんなも、きっと。
クリエイティブな人



□何かを創っている。
□他人や社会の価値(又はものさし)ではなく、自分のそれで生きていて、それでも、納得してる社会のルールには普通に従う。
□事実には振り回されず、真実に心を向ける。
□花や器にではなく、そこに花があることの意味にこだわり、大事にする。
□「見た目の風景」ではなく、「風景の見た目」にこだわる。
□徹底的に考えることと、徹底的に考えないことを切り替えながら、でも決して止まることなく、常に前へ進んでいる。
□自分自身にまつわる物事を複雑化してる張本人は自分自身だと知っている。(難しいことはシンプルに、簡単なことは慎重に)
□何事もシンプルに捉える。でもだからこそ、「奥」を見る(感じる)方法を知っている。
□大事だと「思い込んでいる」ものを切り捨て、自分にとって本当に大事にしなければいけないもの(本質)に集中する。
□自信なんて持たないが、自分のことは当たり前に信じてる。
□今の自分を常に疑う。でも、未来の自分のことは信じてる。
□本能の声が聞ける。
□本能に正しく従う。
□直感を見逃さない。
□直感を大事にする。
□日常と非日常を行き来できる(してる)。
□マーケティングとブランディングを学んでないのに、普通に自然にそれができている。
□愛してる人がいて、でも関係の形態や統計的なデータにはこだわりがない。
□愛してる相手の大切を大切にする。
□太陽にはない色気を、月に感じる。
□光より影が好き。(影を見ている)
□常に自分より強い相手に挑む。勝ち負けはその結果でしかなく、重要視はしない。
□優先事項が独特。
□他人の過去と他人の財布に興味がない。
□できないかもしれない約束をしてしまうが、必ず守る。
□中途半端を何より嫌う。
□生まれ変わりを信じるよりも、今を良くするための努力を惜しまない。
□その人の笑った顔を思い出せる。
□相手によって戦略は変えても、大事な決断を相手に委ねない。
□他人や何かのせいにしない。
□動物的な目をしている。
□特定の宗教はもたないが、信仰心に近い感情がないわけではない。
□時々ちゃんとサボる。
□普通にエロい。
□後を濁さない。
□優しい嘘を言う。
□優しい嘘に、優しく騙されてあげる。
□世の中の全てが美しいなどとは思わない。だからこそ、美しさの希少価値を知っている。
□暑がりであり、寒がりである。
□自然は好きだが、そこにこもらない。
□空をよく見る。
□理解者よりも、共犯者を求める。
□自分らしさを取り戻せる「場所」を持っている。
□文化を大事にする。
□人の根っこが優しい。

などなどなど。

挙げたらキリがないけど、こういうクリエイティブな人に、僕もなりたい。
モスバーガー



モスバーガーは僕と同い年なんですね。
おとうさんとぼく



デザインに必要で大切な要素がつまりまくったバイブル。
下手なデザイン系の教則本の何倍も学べる。
非日常



デザイナー、特にクリエイティブ・ディレクター的な役割の人は、常にアタマの中で、日常と非日常、そしてアートとビジネスを縦横無尽に自由に行き来できるスキルが必要なんだと思う。

それは何も境界線を曖昧にしろということではなく、日常の中にも美を見出し、非日常を言語化する必要があるからで、どっちかに偏ったアタマでは、優れたアイデアは見つけられない。

「まとも」な人が考えることは、決して「まとも」の域を超えられない。
それが悪いということではなく、様々な問題を解決し、色々な物事を時代に合わせてアップデートしていくためのヒントや答えは、いつだって「まとも」の外側にあるから。

そのためには、本来、誰もが平等に持っているはずの本能や欲望の声をちゃんと聞けるように、心を真っ白にして開いておくこと。
くだらない偏見やつまらないプライドで曇ってしまった窓には、ぼやけた自分の姿しかうつらない。
ノイズだらけのアタマや目では、その向こうにある景色など、決して見れるはずもない。


そういう僕も、日々の業務に追われていると、どうしてもビジネスと日常に偏っていってしまって、アタマがかたくなってしまう。
イライラしたり、必要以上に頑固になったり、体調を崩したり、まあ、ろくなことがない。

日常の中に美を見出せる人は、非日常へも簡単にトリップできる人。
その全部がまるごと、その人の日常だ。


どんな方法でも構わない。
どこへ行くの?
ちょっとそこまで。
ぐらいの感覚で、怖がらずに、あなたが思う非日常へ、トリップしよう。

でも決して、帰り道を忘れないようにね。
三宅一生



三宅一生さんの作品に詳しいわけでもなく、そもそも服飾にそれほどの興味も持っていない僕なんぞに語れる何もありませんが、ずっと昔から、三宅さんの活動や言動から勝手に色々と刺激を受けてきました。

今でも三宅さんが特集されている記事を見かけると必ず目を通します。
でもやっぱり、その作品や服飾のことはよくわからないままなのですが、わからないままなりに、文章を読み、作品の写真を見ていると、不思議といつも、なぜか僕の中に情熱の火が灯り、ほぼ無意識に、そしてものすごく自分勝手に、創造の種を受け取ります。

いつかお会いできればとずっと思ってきましたが、もしもお会いできたとしても、僕は服を語れません。
遠くから、どこまでも自分勝手に刺激を受けて、またひとつずつ、創造の種を受け取るくらいがちょうどいい、ですね。
チーム小野口



今日は東京からはるばる、弟夫婦が三重に遊びにきてくれました。
と言っても、本当の兄弟ではありませんが、僕のことをアニキと慕ってくれる、大好きなクリエイター夫妻です。

旦那も嫁も、共に温厚とした雰囲気を持ちながら、しっかりと本物を生み出せる、憧れと尊敬のクリエイター。
今回も非常に面白い企画をお土産に持ってきてくれました。
そういえば、付き合いは長いのに、がっつりと一緒に仕事をしたことはなかったかもなあ。
来年の楽しみがひとつ増えました。

ありがとうー、弟夫婦よ!
時計



世の中には、様々な理由で、時計を見るのが苦手な子ども達がいます。
そういう子ども達がいらっしゃるご家庭で、しかもインテリアを邪魔しない時計があれば、と3年前にデザインした文字盤を使った時計の試作品。

当時、商品化を目指しましたがうまく進まず、現在は、モニターをしてくださるご家庭でまずは使っていただいて、文字の大きさや効果などのデータを収集し、なんとか商品化を実現させたいと考えています。

写真の時計も、モニター役をご快諾いただいた、松阪市のとあるご家庭へ。
そのご家庭にも、障がいのある子ども達がいます。

この時計を使って、その子ども達が時計への苦手を克服してくれたら、たまらなく嬉しい。
不安と期待を胸いっぱいに詰め込んで、サンタの気分で直接お届けしてきます!
ペイフォワード



今日、ガソリンスタンドでガソリンを入れてたら、となりの車の女性が近寄ってきて、
「あたりが出たんですけど、わたしコーヒーを飲まないので、もらってもらえませんか?」
と言ってあたり券をくれた。

ペイフォワード、だっけ?
この施しを、ちゃんと次にまわします。
おにぎり



年内に、ロゴや店舗のデザインなどを担当させていただいたおにぎり屋さんがオープンします。

日本人のソウルフードである「おにぎり」ですが、色々調べていくと、知ってるつもりでも、実は知らないことがすごく多いことに驚きました。

いくつになっても、学ぶことは無限にあります。
4千円



そういえば、この本もまだ残してる。
僕が買った最初のイラレ本。
全くお金がない頃の4千円の出費には相当な勇気が必要だった。

美大にも芸大にもいかず、デザイン事務所に勤めたこともない僕には、独学しか方法がなかった。
寝るヒマも惜しんでこの本を読みあさり、買えない本は本屋で立ち読みして必死に読み込み、写メも何もない時だから、こっそりメモしたり。

今でも捨てずに残してあるのは、あの頃の気持ちを忘れずにって気持ちも確かにあるけど、本当は、清水の舞台から飛び降りたつもりで出した4千円の衝撃波が未だ癒えないでいるから。

この本を見ると、なぜか今でも心臓がドキドキしてくる。
世紀末の詩



初版が発行されたのが、上京して2年目の1998年のクリスマス。
26歳の冬。
それから20年経った今も、ずっと捨てられず、ずっとここにある。

時々ページをめくる。
いろんな思い出がぐわっと匂ってくる。
永遠に戻れない場所。
2度と取り戻せない、あの頃。


ハローベイビー
20年経っても、変わらないものは何?

僕はずいぶん、おっさんになりました。
腰とひざが、チクチクと痛いです。
歌ウサギ



「何かを探して何処かへ行こう」とか
そんなどうでもいい歌ではなく
君の耳たぶに触れた感動だけを歌い続ける

by スピッツ「歌ウサギ」より
ムナーリ



アイディアに貧しいデザイナーほど、高価な材料を使いたがる。

by ムナーリ
2代目ジムニー



新しいジムニーがすごく好評のようなので少し言い出しにくいですが、僕は断然、1981年から1998年の間に販売された2代目のジムニーのデザインのほうが好きです。
岡本敏子



芸術家、岡本太郎が、生涯に渡って岡本太郎を貫き通せたのはやはり、岡本敏子の存在あってこそ。
写真の言葉は敏子さんの言葉だが、こんなことを言ってくれる女性と出会い、愛し愛された男の人生は、不幸であるはずがない。
デザインは意識活動である。



迷ったら、柳宗理に戻る。

「デザインは意識活動である。しかし、自然に逆らった意識活動は醜くなる。なるたけ自然の摂理に従うという意識である。この意識はデザインする行為の中で、究極のところ無意識となる。この無意識に到達したところより、美が生まれる。」

当時、この文章に出会った時は心が大きく揺さぶられたけど、おそらくその時の僕は間違った解釈をしたのだと思う。
多少意味をはき違えたまま、僕は僕の無意識に到達しようと、ある行動をはじめた。
やがて自分の中に、本来の自分とはまるで違うもうひとりの自分を生み出した。
もうひとりのそいつは、今でもちゃんと僕の中にいる。
勘違いからはじめた行動だけど、確かに僕の中に美が生まれた気がした。
それ以降、僕のデザインを美しいと表現してくれる人が劇的に増えたのも、きっと偶然ではない。

だけど、それを続けるのは大変だ。
時に全てがうまくいかない。
そしてまた迷う。
迷ったらまた、そこに戻る。

僕にとっての柳宗理は、森で迷った時の、北極星なのだ。
イノベーション



日本みたいな、例えばセックスのことを堂々とくそ真面目に語れない国で、しびれるようなイノベーションが起こせるわけがない、とつくづく思う。

さあ、行こう!
サイン
今日、僕がデザインを担当した印刷物に、ありえないほどの初歩的なミスがあることが発覚しました。
全然大丈夫な箇所だからと、先方は笑って許してくれましたが、いやいや、あり得ません。
僕はもう、こんな新人のようなミスが決してあってはならない立場であり、年齢です。

いくつになっても、ミスは起こる。
あってはならないけれど、それでも、時に起こり得る。
これは紛れもなく、「サイン」です。
足元をちゃんと見ろ、決しておごることなかれ、どれほど忙しくても、心を亡くすな、と。

今日はとことんへこんで、たくさん寝て、明日からまた、気持ちを切り替えて精進します。
誰にも愚痴れないので、こんな所で愚痴ってしまいました。

今日は、とても夕焼けがキレイでした。

おやすみなさい。
痩せればモテる



お盆休み恒例のバカ喰いがたたり、体重増加が危険水域に達してしまっています。
いよいよリアルゴリラなカラダに進化(退化?)しそう。

痩せればモテる、なんて心にもないことを言う人達もいますが、痩せたら好きになると約束してくれた女性はいまだかつて一人もいません。
当たり前ですが。
風景を邪魔しないソーラーパネル



デザイナーはよく、クライアントの想いを形にすることが仕事だと言われますが、そこをゴールにしてしまうと変なものが生まれやすくなります。
やはり、その商品やサービスを利用する消費者のことや、それをもう使わなくなったあとのことを想ってデザインする必要があると思うし、それはつまり、僕らデザイナーが魂込めて作っていかなければいけないのは、やはり、「正しい風景」なのではないのかなあと。

今、クライアントの中に、お米屋さんがいらっしゃいますが、お米屋さんが見つめなければいけないのは、お米だけではなく、そのお米で炊いたおいしいごはんが生み出す、食卓における「正しい風景」であるはずです。
クライアントやお米だけを見たデザインと、その後の風景をちゃんと考えて作ったデザインでは、生まれてくるものに圧倒的な差があります。
そのことに気づいてもらうことからはじめなければいけないし、それはデザイナーの使命でもあると思います。

例えば、田舎では今、猛烈な勢いでソーラーパネルが増えてます。
ソーラーパネルのない、または、ソーラーパネルがまわりにない空き地を見つけるのは本当に困難になってきました。
ソーラーパネルは、間違いなく田舎の風景を邪魔します。
でも、太陽が作る電気は地球にとっても大切なこと。
問題は、ソーラーパネルが最初に計画されたその場に、「正しい風景」を理解しているデザイナーが関わっていなかったということ。
風景を邪魔しないソーラーパネルは作れたはずなのに、そうしなかった。
それが残念でならない。

田舎でがんばるデザイナーこそ、「正しい風景」とは何なのかを学ばなければいけません。
それを、クライアントにちゃんと説明できるスキルが必須です。
僕が主宰している、デザイナーのためのデザインスクール「ワイプ・アカデミア」でも、この、「正しい風景」とは何なのか、という課題を、門下生と一緒に学んでいきたいと思います。
ブツ撮り





今日は、フラワーアーティストの佐々木さんのアトリエにてブツ撮り。

涼しげなアトリエの外は一転して猛暑!
それにしても暑い!
痛い!
暑いの嫌い!
「学び」と「習う」



先日のセブンルールは、ホテルプロデューサーの龍崎翔子さんだった。
僕的には、現在22歳でありながら5つのホテルを経営しているという点よりも、「学び」と「習う」の違いについてのコメントに興味を覚えた。

彼女曰く、「自分で独りよがりな勉強をすると、どんどん自分の世界に入ってしまい、間違ったまま、それを正しいと思い込んで突き進んで行ってしまう。なので、ちゃんと、正しい先生に正しい方法で習うべきだと思う」とのこと。
これにはとても共感する。
これは僕のいるデザインの業界でも同じこと。

例えば、「自ら学ぶ」と言えば聞こえはいいが、現在の自分に足りないものや、学ぶべきものを正確に判断することはとても難しい。
だいたいが、自分に都合のいいものだけを取り入れ、それで学んだと思い込む。
さらに、誰かに教えられることが嫌だから自分で学ぶ、という意味でこの言葉を使っているとしたら、おそらく、身につくものの質はたかがしれてる。
間違った方向へ全力疾走したところで、満足なのは自分だけ。
それでは本当にもったいない。

だからこそ、正しく習い、そこから学び、身につけていく、という過程が大事なのだと思う。
いい歳した人達でも、ここを勘違いしてる人が多いのに、この若さですごいなあと思う。
ホーミー



七夕祭りの屋台の裏に停めてあったテキ屋さんの古い日産ホーミー。
カッコいいな!
好きになってもいいですか?
狂ったわけでも、間違ったわけでもないが、映画「先生! 、、、好きになってもいいですか?」を観てみた。
あまりにもキラキラしていて、汚れたおっさんには感情移入は無理だったけど、スピッツの歌はすごく良かったし、もう恐ろしささえ感じるほどの広瀬すずさんの異常なカワイさにはおったまげた。

「あの頃の気持ちは、今もずっと、胸の中に残ってる」。
それだけは、こんなおっさんでも思い当たる。
それが唯一の救いか。

次はもうちょっと年齢に合った映画を観ようと思う。


▼スピッツ「歌ウサギ」スペシャルショートムービー
https://goo.gl/sRz3yf
46歳の誕生日



いつの間にか、今日は僕の誕生日のようですね(笑)。
46歳になりました。
あいかわらず頭の中は10代のまま進化していませんが、体は確実に40代らしく、あちこち痛いです。
 
4月24日の誕生花のひとつに、ゼラニウムという花があって、花言葉のひとつが、「君ありて幸福」だそうです。
素敵な言葉ですが、忙しかったりすると、つい感謝の気持ちを忘れてしまうこともありますので、気をつけないと。
 
自転車は、走ればこそ転倒しない。
転ぶのは、歩こうとしたからこそ。
そんな想いで、今年も失敗や失態を恐れずに、色々なことに挑戦していきたいと思います。
 
大好きな人達に感謝。
最高の癒やしと最強の勇気をくれる家族に感謝。
親として僕を見守ってくれている山と海のような両親に感謝。
見捨てずに応援してくれる仲間達に感謝。
心に忘れ得ぬ人に感謝。
仕事をくれるクライアント様方に感謝。
 
あなたにハグを、世界にキスを!
今年もがんばります!
2018.04.24 05:49 | Permanent Link | 日記・デザイン
GAM



企画を立ててみたけど、色々あって話が進んでいないプロジェクトというのがいくつかあります。
そのひとつに、数年前に企画した「GAM(ガム)」というプロジェクトがあって、東海三県の岐阜(G)と愛知(A)と三重(M)のクリエイターが連携して、それぞれのデザインの類似性や違い、現在のデザインの方向性やそれぞれが抱えるクリエイティブ分野における問題や課題の共有などを目的として、共同で会議やイベントや商品開発や人材育成などを行っていこう、というものでした。
 
話が進んでないだけで、なくなったわけではないので、いつかは実現させてみたいなと思っていますが、中心となって動いていくメンバーが固まらないと進みません。
誰か手を挙げてもらえれば、一気に進んでいきそうな気もするんですが、はたしてどうでしょうか。
ヘルプマーク



「ヘルプマーク」のデザインの話。

とある連載記事に、
「障害を持っている人でも違和感なく持てるようにとおしゃれなデザインなので、僕のような若くて見た目も元気そうな人だとこれだけつけていてもおしゃれアイテムだと見られてしまう。」
という文章。

本来の目的は、正しい情報を正しくすばやく伝えること。
それを、「おしゃれに」という余計なおせっかいが邪魔をしているということか。

デザインの意味や目的についても考えさせられた。
短い言葉



やたらと横文字を並べてわざわざ難しく言う人っています。
学者タイプ、というのでしょうか。
僕のデザイン教室でも、子ども達に「要約」の大切さやテクニックを教えています。
つまりはこういうこと、という風に、できる限り短い言葉で表現することは、デザインの視点を通して、モノゴトの本質を見極めるために、とても大切なことです。
 
アインシュタインさんは、「もし6歳の子に説明できないのであれば、それは自分でも理解できていないということである」とか、「簡にして要の説明ができないのは、十分に理解できていないからだ」と言っています。
ドイツの画家 ハンス・ホフマンさんも、「簡素化というのは、不要なものを削り、必要なものの言葉が聞こえるようにすることだ」と言ってます。
スティーブ・ジョブズさんも、ディーター・ラムスさんも、みんな同じようなことを言ってます。
 
そういえば昔、18年くらい前に東京で、マンツーマンのパソコンスクールを経営していたことがあります。
初心者にパソコンをどう説明するか、心がけたことは、パソコンの「すごさ」ではなく、パソコンがいかに「友達」としてすごく身近な存在であるかを知ってもらうことでした。
パソコンは敵じゃないし、噛みついたりしないし、やっつける相手でもない。
デジタルなことはアナログで説明する。
デスクトップ画面をダンボールで再現した。
CPUは脳で、メモリは机の広さで、ハードディスクは引き出しで、デスクトップは机の上。
机のうえに引き出しからノートを取り出す。
そこに落書きをして遊んだ。

次は引き出しから会社の書類を取り出した。
ノートの上に置いたから、ノートが見えなくなった。
さて、ノートの落書きに戻るにはどうすればいいと思いますか?と問いかけた。
生徒さん(60代女性)はまよわず会社の書類を横にずらした。

そうして次から次へと引き出しから色々なものを机のうえに取り出した。
あっと言う間に机の上がいっぱいになった。
はてさて、ここに何があったかよくわからなくなってしまった。
どうしましょうか?とまた問いかけた。
生徒さんは、机の端に、出した書類の名前を書いたポストイットを貼っていけばいいのでは、と言った。
それこそまさしく、タスクバーだ。
 
インターネットもプロバイダもメールもチャットもレンタルサーバーも、ウーバーだってビットコインだってブロックチェーンだって、全部アナログで説明できる。
ピクトグラムを世に知らしめたのは日本だ。
6歳の子にだって、そこがトイレであることがすぐに理解できる。
ロゴマークは、ピクトグラムに理念や哲学のふりかけをふりかけたもの。

シンプルは強い。
シンプルは色褪せない。
今の日本の車のデザインとは、対極の存在。
今の日本の車のデザインは、やたらと横文字を並べてわざわざ難しく言う人に似ている。
 
難しく言うことは誰にでもできること。
いかにシンプルにできるか、それがデザインであり、醍醐味だと思う。
 
 
で、いつも文章が長くて、今日もまた長くて、全然短い言葉で表現できてない僕はどうなんだ?って話。
流行型
ここ数ヶ月は、ウェブサイト制作の案件が結構続いたので、割と今、そっち方面にアンテナが立ってる状態です。
そういう目線で色々なウェブサイトを見ていると、最近の流行型のサイトはとにかくあっちやこっちへ動くわ動くわで、正直、目的の情報に辿り着く前にげんなりしてサイトからすぐに離れてしまいます。

あくまでもイメージや雰囲気や世界観を伝えなければいけないサイトは別として、現在のウェブデザイナー達が、なんでもかんでもトリッキーな動きをすればいいって本気で思ってるのなら、大きな勘違いだと伝えたい。
このサイトにこの動き、いる?って思うサイトの多いこと多いこと。
思いがけない動きが多すぎて、結局目的の情報にすんなりとは辿り着けない。
もちろん、心地よい動きは大歓迎。
でもほとんどのサイトはそうじゃない。

こういうことを言うと、でも若い人達はこういうのが好きなんだぜって声が聞こえてきそうですが、そもそも若い人達はパソコンでサイト見ないし。
結局はウェブデザイナーのエゴなだけじゃないのって思ってしまいます。

こういう「流行型」ってすぐに古くさくなってしまうから、常に他と違うトリッキーさを追いかけるあまり、無駄にごちゃごちゃしてしまうって、そういえば昔もそういう時代ってあったなあと思い出します。
昔のは、動きっていうより、ぴかぴか光る装飾合戦だったけどね。
で結局、シンプルがいいよねって流れになって、今はまた、動き重視になってる。

思うに、未来を舞台にした映画でコンピューター的なものを操作する場面って、なんだかやたらとボタン押したりスライドしたりするよね。
でもそこまで技術が進歩したのなら、絶対そんな無駄な動きはしなくてもよくなってるはずだし、もしかしたらウェブデザイナーは、そうやって派手に動かないと未来感が出ないと思ってるのかなあ。
だとしたら、それこそ大間違いだと思うよ。
操作をいかにシンプルにするか、そのための創意工夫であって、それを支えてるのが、最新のテクノロジーの存在価値だと思います。

余談ですが、そういえば昨年、俳優の阿部寛さんのホームページの表示速度が爆速すぎると絶賛されてるってニュースがありました。
確かに早いけど、失礼ながら、なんだか思わず笑ってしまいます。
放置されてるのかと思ったらちゃんと更新されてるところがまたすごい。
なんだか、ある意味で考えさせられる事件でもありますね。

何を伝えたいのか、何を表現したいのか、デザイナーなら、もっとちゃんと考えよう。


▼『阿部寛さんのホームページ』の表示が爆速すぎると絶賛の嵐!
https://rocketnews24.com/2017/11/15/982383/
デザインとコミュニティ



読みました。
僕も一応、規模はめちゃくちゃ小さいですが、子ども達にデザイン教育をさせていただいている関係で、とても為になる事例が色々と掲載されていて、多くのヒントを頂けました。
早速取り入れていきたいと思います。
 
特につくし文具店のしゅうさんのパートが面白くて、これまで知っていたようで知らなかった各プロジェクトの裏側が垣間見れた気がして、今後の広がり方がますます楽しみになりました。
「つくし文具店みえ」が三重県のどこかにできるといいなあと勝手に妄想してます(笑)。
 
しゅうさんの、まわりを巻き込んでいく人柄や魅力の意味が、なんだか少し、わかったような気がします。
やりたい人が、やりたいことをやれる仕組み。
関係者全員をきっちりと豊かな気持ちにさせてくれるプロジェクトの数々からは、僕が生まれ育った田舎の「小川」の匂いがしてきます。
ゆったりと流れる小川は実は、ものすごく緻密で複雑なプロセスの大集合なのに、それを感じさせない。
小川は焦らない。
気負わない。
自らの活動に打ち込みながら、同時にその他大勢の命の営みに貢献もする。
山から海へ、そしてまた山へ。
延々と流れ続けていく流れの中で、きっと参加者全員が、あったかい気持ちになっていくんだろうなあと思います。
僕には100年かかっても出来ないことです。
 
田舎でも色々な人達が、人や町やモノを繋ぐ様々なプロジェクトを展開していますが、しゅうさんのそれとはかなり意味合いが違ってる気がします。
もちろん、東京と田舎という違いはあるんでしょうけど、本質的な何かが、やっぱり違う。
そこにちゃんと、「正しいデザイン」があるからなんでしょうね、きっと。
田舎のそれには、そこが足りない。
まだまだ僕も、学ばないといけません。
でも、まだまだ学べるってことは、ものすごく楽しいことです。
肩の力を抜いて、小川のごとく、誰かの心を豊かにしていけるデザイナーにいつかきっと、なってみたいなあと思います。
石見銀山生活文化研究所





石見銀山の登美さんから、また素敵なものをいただきました。
またもやクリエイティブディレクションは大好きな佐藤卓さん。
これだけで心が躍ります。
それにしても、設立30周年、すごいなあ。
30年続けるって、本当にすごいことだと思います。
うちはまだ18年。
 
ちょうど先日、糸井重里さんの40歳へのメッセージについてFBに投稿しましたが、その中に「40にして惑わず(糸井さん的には「40歳は、惑う」でしたが。)」っていう孔子の言葉がありました。
今回、同封されていた登美さんからの書状にも、孔子の一文が書かれていて、「30にしてようやく立つ」とありました。
ということは、18歳はまだ、自分が何者かさえわかっていない時期なのでしょう。
 
実際の僕の18歳の頃を思い出します。
自分の中で、根拠のない自信と、かき消すことの出来ない不安がバランスをとって同居しているような、そんな辛さもありました。
コミュニケーションスキルには自信があった僕も、本当に好きな女の子には素直に気持ちを伝えられませんでした。
今でも心に強烈に突き刺さっている失敗と挫折と後悔の多くは、この時期の出来事が関係していると思います。
そんな懊悩(おうのう)な日々を、でもそれが何なのかを全く知らずに、現実から逃れるような妄想の中で過ごしていたようにも思います。
 
つまり、18歳の僕の事務所も、この時期をどう過ごすかが、すごく大事なのだなあと。
だからこそ、後悔のない道を選択するべきなんだと強烈に思います。
いつもいつも思い出す言葉、「人はやったことの後悔よりも、やらなかったことの後悔のほうが強く残る」。
この言葉が頭をよぎると胸や心や全身が痛くなります。
そんなことをもう繰り返さないためにも、失敗を恐れずに、18歳の若さが持つ無限の可能性を信じて、今、この時期、事務所も僕も、大事な局面であることを改めて胸に刻みました。
 
30年経った頃、今の登美さんのようになれている自信はまったくありませんが、少しでも近づけるよう、精進していきたいと思います。

30年、続くかなあ~。
それがまず心配。
 
登美さん、ありがとうございました~!
MIE食の産業セミナー2018



今日は、「MIE 食の産業セミナー2018」に参加してきました。
セミナーの講師を務めることは多々ありましたが、受講者として参加するのは今回を入れても片手で数えられるほどしかありません。
しかも、今回のセミナーは通常、デザイナーが参加するような内容ではなかったので、デザイナーはおそらく僕ひとりだったのではないかなと思います。

セミナーに参加してみて感じたことは、事業者の方々は、デザイナーに対して色々と不満を持っていらっしゃるんだなあということ。
デザイナーが参加してるなんて誰も思ってないので、気兼ねなく文句を言えたのでしょう。
デザイナーにとっては耳の痛い話もありましたが、普段聞けないことを聞けるのは貴重な体験であり、実におもしろかったです。

割と僕も普段から、同業者でありながらデザイナー批判みたいなことを言うほうなので、参加者の皆さんのおっしゃることもよくわかります。
デザイナーは流通のことを知らなすぎるという意見も、だからこそ僕は流通を学ぶために2008年から自社で小売業も始めたし、事業者とデザイナーのミスマッチが起きるという問題に対しても、「C荘」というプロジェクトで解決しようと数年前から動き出しているし、パネラーの方から、「優秀なデザイナーほど、企画の頭から参加したがる」という言葉のとおり、特に三重のデザイナーは出口近くになってからしか呼ばれないのが問題であり、企画の立ち上げから参加すべき(参加させるべき)と、もうずっと言い続けてきました。

ただ、デザイナーを擁護させていただくならば、気持ちがないわけでは決してないのだと思います。
いいものを作りたい、デザインでお役に立ちたい、金額うんぬんを超えた、もっと燃える仕事がしてみたい、とか、やる気自体はなくしてないと信じてます。
ただ、やはり、言い訳に聞こえるかも知れませんが、三重県という土地の難しさは必ずあると思うんです。
ならばここをどう解決するか、それが問題の本丸だと思っています。

もちろん、三重県の多くのデザイナーは、実際に流通や小売りを経験したこともないし、事業者に言われるままのデザインだったり、Pinterestで見たものをそのまま採用しました的なデザインも時々見かけるし、そういう、デザイナーとしての根本がなってない人も多いのは事実なので、このあたりも緊急の課題だよなと思います。

それに、お叱りをいただくことを覚悟して言うならば、事業者側の意識にも、解決しなければいけない課題はやっぱりあるようなあと思います。
例えば、パネラーのひとりの方が、「僕らは、なるべくぶっとんだデザイナーを起用するようにしています。我々が理解できる程度のものはダメで、理解できないようなデザインを積極的に採用します。」とおっしゃっていて、こういう言葉は、デザイナーにとっては勇気をいただける言葉だったように思います。

とにかく、デザイナー、特に僕のようなデザイナーは、この土地ではあきらかに浮いた存在で、「距離」みたいなものを強烈に感じました。
で、どうするか。今回参加してみて、色々課題も見えたし、いい経験をさせてもらったので、これらを活かし、デザイナーと事業者がそれぞれ、もっといい関係を築いていけるよう、僕も僕なりにがんばっていきたいと思います。

三重県のデザイナーさん、一緒にがんばっていきましょう!
tupera tupera 絵本の世界展



昨日、三重県立美術館にて開催されている、亀山達矢さん(三重県出身)と中川敦子さん(京都出身)の絵本ユニット「tupera tupera」の世界を体感できるイベント「tupera tupera 絵本の世界展」に家族と一緒に行ってきました。
もともと、僕も子ども達も彼らの絵本が大好きで、亀山さんが三重県の人だと知ってから余計に親近感を持ち、一度はミエノコのゲストとして取材を計画したこともありましたが、ここまで有名になってしまったらミエノコがお役に立てることはないので諦めた、という経緯があります。

会場に入ると、僕がもっとも観たかった、絵本を作るうえでの創作ノートや下書き、構想を練っている段階のメモなどがあり、そこでどういう会話が交わされて、どういうきっかけでアイデアがカタチを持って走り出したのかを妄想しながらじっと見つめていました。
他にも、今後の自分の活動においても参考になるものがいくつかあり、おおむねは満足したイベントでした。

さて、「おおむね満足」という、ちょっとトゲのある言葉には、僕なりの理由があります。
ダラダラとまた長く書いてもウザがられるのでポイントを絞りますが、まず思ったのは、多くの家族連れがそうであったと思うんですが、もっと彼らの絵本の世界観に没入できる体験や仕掛けを期待していたのに、それがすごく中途半端な状態になってしまっていたこと。
写真を撮るだけの「セット」だけでは、その世界に入り込んだ気分とはほど遠い。
長い列が後ろにあり、パシャパシャと急いで写真を撮ってすぐに交代、みたいな。

2つ目は、このイベントは大人に向けたものなのか子どもに向けたものなのか、おそらくはその両方を狙ったんでしょうが、それゆえにものすごく中途半端になってしまったこと。
例えば、丸く切り取られた装丁がどのようにして作られているのか、それを実際に作っている工場で撮影した動画が放映されていましたが、それをするなら、2つのモニターを用意して、それぞれを上下に配置して、上のモニターと下のモニターで同じ工程を同じタイミングで流しながら、でも、その作業をしている「人」を、上は普通の工場の人、で、下のモニターでは、人が着ぐるみかなにかをかぶって、tuperaっぽいキャラクターが作業している風に仕立てるのはどうでしょうか。
上下、といういうのは言うまでもなく、大人の目線の高さと子どもの目線の高さ。
この絵本は、パンダ温泉のパンダが作っているのかあ~って子どもには思わせてもいいと思うんだけど、やりすぎでしょうか。

3つ目は、美術館だから仕方ないのかも知れないけど、警備員達の「触らないで!」「この線から中へ入らないで!」のわりと大きな声があちこちから聞こえてくること。
あの声を聞くたびにイライラしました。
あくまでも僕の個人的な考えですが、tupera tuperaの世界観に触れたいから、もっと言えば、tupera tuperaの絵本の世界に入り込んだかのような体験を期待していたのに、触ってはいけない、入ってはいけない、そんなものだらけの世界は青ざめです。
もっと触らせなきゃダメ。
もっと体感させなきゃダメ。
壊されてもいいものをなぜ用意しておかないのかなあと。
美術館だからそれが出来ないんであれば、美術館でやらないほうがよかったと思う。
子どもはあの怖い声を聞く度に、「怒られた」というイメージを持ってしまうし、象徴的だったのは、「もう帰りたい」と途中でゴネだした子どもに「そんなこと言わないで!」と叱りつけるお母さんとますますつまらなそうな顔をする親子達の姿。
そりゃあそうなるよ、だって子ども達にとってはそれが本音だよ、って僕は思ってしまいました。

ほかにもいくつか気になることはありましたが、共通して言えるのは、「tupera tupera 絵本の世界展」と言うのなら、なんでこんな気持ちになって帰らなければいけないのか、このことを、ご本人達は知っているのか、もし知らないのであれば、なんてかわいそうなんだ、と思うこと。
tupera tuperaの絵本は大好き。
あの世界観は安心して子ども達にも見せられるし、帰りの車の中でも、子ども達と「おならのしりとり」をしてゲラゲラ笑っていました。
だからこそ、こういうイベントにはだいたいがっかりさせられる。
極端なことを言えば、このイベントは、あの世界観が好きな大人が、大人だけで行ったほうが、楽しめる、って感じ。
でも、それってすごく残念なことだと思う。
床屋



今日、クライアントさんと打ち合わせをしていて感じたこと。
「田舎あるある」かも知れませんが、三重県の経営者のおじさん達に、あなたの会社や製品にもデザインは必要なんだとどうして感じてもらえないのか、それはたぶん、デザインは、「かっこつけるためのもの」だと思っているからなのかも知れないなあと。

デザインは装飾だという勘違いが日本中に蔓延していますが、印刷会社ではなく、デザイン事務所にデザインを依頼するってことは、おじさん達にとって、通い慣れた床屋ではなく、キラキラしたおしゃれな美容室で髪を切る、みたいな、関係性における絶対的な心の距離の遠さがあるようです。

デザインはかっこつけるためにあるんじゃなく、ましてや、ウソをついたり、ごまかしたりするための便利な魔法ではなく、届けたい相手に、届けたい想い(商品やサービス)を、正しい価値(価格)で届けるための最適な助っ人(ツール)であり、かっこよく見た目だけを繕ったひ弱なブランディングでまかなえるものじゃないってことを、もっとご理解いただく必要があり、どっちかと言えば、デザイン事務所は床屋のほうに近い存在であるはずだと思うんだけど、さあさあさあ、どうやってそれを三重県中の社長さん達にご理解いただくか、それを現在、思案中です。

ところで、娘達と遊ぼうと、試しにダンボール製のVRゴーグルを買ってみましたが、老眼がどんどん進行している僕には、スマホの画面が近すぎて、映像がどえらくボケてしまって、挙げ句のはてには老眼鏡を掛けながらのぞき込んでみるけど、そんなんじゃあ、とてもじゃないけど没入感にはほど遠く、もっといいゴーグルだったら、こういうこともおきないんだろうなあと、ちょっと寂しくなりました。
まあでも、子ども達はキャッキャ言いながらそれなりに楽しんでくれたようなので、良しとしておきます。
今度は、もうちょっといいゴーグルで試してみたいと思います。
40歳は、惑う。
古い話ですが以前、糸井重里さんが雑誌で語った「40歳の人たちへのメッセージ」というものがありました。
「40代はゼロになってもがく」というフレーズが印象的でした。
同じ企画の中で、ライフネット生命の社長さんとの対談もあり、「40代は、若いときのツケの請求書がドカッと一気に来る。
ツケをぜんぶまとめて払うタイミングが40代なのかもしれない」とも。

僕は今45歳ですが、40歳からのこの5年間は、まさにその通りだったと思います。
2011年、39歳になる年に、東日本大震災があり、40代になってすぐに三重に戻ってきました。
仕事の環境も変わり、東京を離れたことへの焦りもあり、根拠の何もない「自信みたいなもの」だけを杖にして、もがき、迷い、苦しみ、諦めざる得ないことも多々ありました。

あの糸井さんをもってして、「暗いトンネルに入ったみたいでつらかったのを覚えている。絶対に戻りたくない、というくらいにね。」と言わせる「40代」という怪物。
僕にとって何がつらいかって、それなりに経験も積んで、色々なことがわかってきたからこそ、色んなことがわからなくなった、っていう感覚。
説明が難しいけど、40代になって、山の向こうがチラッと見えてきて、あっ、無理だ、何もない、こりゃダメだ、ってことに気づいてしまう。
言いようのない敗北感というか無力感というか劣等感というか。
確かに、50代や60代になったときに、僕も糸井さんと同じように、絶対に戻りたくないって思うかも知れないなあと思う。

でも、それも一時の話で、糸井さんはメッセージの最後に、「ぼくが40歳の時、このトンネルを抜けると何があるのか、誰かに教えてほしかった。だから、ぼくの話が40歳の誰かに届けばって思うんだよ。」と語ってる。
そうなんだろうか。
そうだといいなあって思う。
ここを抜ければ、何かが待っててくれている。
そう信じたい。

もうすぐ46歳になる、今年。
また新たな挑戦をはじめようと思う。
どうせ大した奴じゃないなら、どうせもがき苦しむなら、抱えきれないものは一旦横に置いておいて、捨てるものは潔く捨てて、全力で取り組めるサイズ感を見極めて、このトンネルを走りきってやろうと思います。

この糸井さんの企画ではもうひとつ、糸井さんと宮沢りえさんの対談もあり、その中で糸井さんは「逃げてるときに叩かれるとすごく痛いけどさ、「さあ叩けよ」と言って叩かれれば、「そうか」って思うよね(笑)。」と。
そう考えれば、何も怖いものはない。
45歳にもなれば、つまづいた時やケガをした時の対処法や治療法もわかってます。
ただ、このトンネルがずっと続くのかと思ってしまうから、経験してきたそれらがうまく活かせないだけ。
でも、トンネルはいつか終わる。
だったら思いっきり、どうせならでかい夢を持って、挑戦していこうと思います。

「40歳は、惑う」。
惑うとは、「行く先が見定められず、または、どうしていいか分からずに、心が混乱する。」こと。
そこに何か付け加えるとしたら、「だが、この混乱もいずれは収まる。本当かどうかはわからないけど、そうらしい。だから気にせず、ジャンプしてやれ!」かな。

待ってろよ、50代。
高らかに、でも朗らかに、楽しい~!って、笑ってやる。
 
https://aera.1101.com
ナイキ



おもしろかったあ。
次はナイキを買おう。

単純(笑)。
ブラす。



僕はこれまでずっと、「トライ(アル)&エラー」な人生を送ってきました。
頭が良くないせいか、何でも自分でやってみないと腑に落ちず、未経験とかそんなことは気にもせず、無謀な挑戦の繰り返しです。
稼いだお金のほとんどを、そんな無謀な挑戦に費やし、結構な額の勉強料を払ってきてなお、おそらくはこれからも、そういう生き方をしていくのだと思います。

そんなだからか、時々、頼んでもいないスパイから色々な情報が一方的に届き、その中には、僕はよく「ブレている」と陰口を言われているようで、まあ、そう言われても仕方ないよなと思っています。
社名も変わりました。
飲食店も1年足らずで閉めました。
プロジェクトを立ち上げては消えていくってことも多いし、自費出版の「ミエノコ」は、カタチや料金体系がコロコロ変わります。
朝言ってたことを夜にひっくり返すことも、1度や2度ではありません。
(スタッフは大変だったろうなあ)。
まあ、そう陰で言われていることは、いくつになっても友達は少ないままだし、いつまで経っても成功できていないことが、全てを証明しております。

でも思うのは、ブレる、ブレないの「軸」は、どこにあるんだろうか、ということ。
もっと言えば、「誰」の「軸」が基準になっているんだろうか。
僕の中では、目指すゴールが変わることがブレることであり、そこへ向かう進路や行き方がコロコロ変わったとしても、それはブレることにはなりません。
僕が自分の人生を生きていくうえで、自分の直感と経験をもとに、右や左に進路を変えたとして、でも僕は、かなり遠回りしながら、それでも1ミリずつ、目指すゴールへ近づいていると思っています。

そもそも、目指すゴールが人それぞれ違うのに、進路や行き方が同じなわけがなく、例えば僕は、若い頃に陸上競技をやっていて、三種競技という種目で全国ランキング1位になったし、専門外ではあったけど、100メートルの自己記録は10秒9でした。
このタイムは、全国で決勝にも残れないタイムでしたが、一般の人に比べればそこそこ走れる奴ということになります。
そういう僕が陸上競技をやっていて、一番困った質問は、「何のために走ってるの?」でした。
「気持ちがいいから」とか「自分の限界への挑戦」とか、それなりのことはいくらでも言えますが、はてさて、僕は何のために走っていたのか。
でもそれは、芸術やアートに答えを求めるようなもので、そもそも答えなんてないものなんだと思うようにしてますが、毎日毎日、少しでも速くなるように、フォームを見直し、食べるものを変え、新しいシューズを試し、それこそ試行錯誤の繰り返しでした。
でもそれは、ブレている、ということになるんでしょうか。
昨日までのフォームを変えて、昨日までのシューズを変えて、ダメだなと思ったらまた元に戻す。
これは、ブレているのか?

おそらくは、世間に受け入れられているかどうか、または、結果が出ているかどうか、ということも、ブレていると言われるかどうかに影響しているのかも知れませんが、僕はきっと、これからも試行錯誤を繰り返し、カタチや体系もコロコロと変えていくと思います。
また社名を変えるかもしれないし、懲りもせずまた飲食を始めるかもしれないし、自費出版のミエノコはきっとまた、無料のフリーマガジンに戻るでしょう。

僕は天才ではないし、カリスマでもありません。
この道何十年という職人さんのような忍耐力も集中力も持続力もありません。
だから、人が言うように、僕はブレながら、失敗して転んでいっぱいケガをしながら、知識と経験を少しずつ身につけ、積み上げていくしか、ゴールに向かう術がありません。
陰で言いたい人には言わせておきます。
誤解を恐れずに言えば、「ブラし」ながら、自分を生きていきたいと思います。


大好きな人達と共に生き、最後に楽しかったなあと言って死ぬ。
ゴールに向かって、フォームを見直し、シューズを変え、また元に戻しながら、自分を信じて走り続けます。
海デート



休日、長女と海デート。
じゃまして、すまん。
うわ~、思わずめちゃくちゃ懐かしいものを発見!
いちごにの演奏も、子ども達も最高!
ただひとつ、うしろのおっさんを除けば(笑)。

じゃまして、すまん。


https://www.youtube.com/watch?v=PtmMD2qCsTI&pbjreload=10
少しずつ。



少しずつ、少しずつ、春の空。
2冊目の日事記



丸川商店の最初のオリジナル商品だった10年日記帳の日事記。
2年かけてようやく完成して販売を開始したのが2008年。
ついに最初の10年を迎え、僕の日事記も2冊目に突入。
松阪木綿の表紙も、いい感じに色あせてます。

いろいろと読みかえしてみると、楽しかったことや苦しかったことや、色んなシーンが蘇ってきます。
僕のこれまでの10年。
正しかったのか間違っていたのか、そんなことはわかりませんが、なるようにしかならないのが人生であり、なるべくしてなっていくのが人生です。

僕の人生にも、とてつもなく大きな後悔が3つほどありますが、どんなにあがいても、どれほど胸が苦しくても、もうどうすることもできません。
きっとこれからも、楽しいことも辛いこともあるでしょうが、これ以上、後悔を増やさないように、抗わず、川の流れに身をまかせていきたいと思います。

これからの10年。
どんな物語ができあがるでしょうか。
僕の人生は、僕を必要としてくれてる人達のためにあります。
きっと、楽しい日々が待っているはず。
そう信じて、2冊目の日事記に、なんでもないけど、でもとっても大切な毎日を、記していきたいと思います。

また10年後、笑って読み返せる、その日まで。


▼日事記について
https://hijiki.storeinfo.jp
松阪木綿オールドブルー



松阪木綿の色をあえて落とし、長年使い込んだヴィンテージ布のような雰囲気に仕上げました。

丸川商店オリジナル
松阪木綿オールドブルー
各柄 3,240円
TSULEE BOOK HOTEL



三重県津市美杉町に、使われなくなった古民家をリノベーションした、「TSULEE BOOK HOTEL(ツリー・ブック・ホテル)」という名の、ちょっと変わったホテルがある。
「TSULEE」とは、津市の「TSU」と、森に住む人という意味の「LEE」を掛け合わせた造語。
このホテルは、本を読むことに特化したホテルだ。

建物の1階には、ホテルの受付を兼ねたカフェとショップがあり、ホテル利用者でなくても利用できる。
カフェでは、三重県の食材のみを使ったメニューを中心に、自家焙煎コーヒーやお酒類も充実している。
ショップには、地元美杉町の新鮮な野菜や、三重県内の様々な名産品が並ぶ。
カフェとガラスで仕切られたとなりのスペースには、5000冊を超える本がすらりと並ぶ。
本の貸し出しは自由で、コーヒーを飲みながら読書をたっぷりと楽しむことができる。

部屋はすべて2階にある。
築100年近い古民家は、ベースこそ和風だが、英語で書かれたサインやグラフィック、それに、ライトやソファーなど、海外のテイストがバランスよく馴染んでいる。
部屋も決して広くはないが、シンプルに、でもセンスよくデザインされていて好感が持てた。
もっとも目を引くのが、部屋の横幅いっぱいにとられた大きな窓。
その向こうに広がる圧倒的な自然の風景は、まるで1枚の絵のようだ。
足を伸ばすことができる大きなソファーも、まっすぐにその窓に向けて配置してある。
大自然の借景を堪能しながら、お気に入りの本を読む。
もちろん、BGMは鳥の声や川のせせらぎ。
時折、風にゆれた木々達が、ザーザーと声をあげるが、不快な音は何もない。

新鮮だったのは、ホテルの部屋なのにテレビがないこと。
でも、何も問題はない。
食事は、1階のカフェへ行くか、または、内線の電話で注文して、部屋まで届けてもらうこともできる。
大浴場などはなく、それぞれの部屋にあるシャワールームを利用する。
夜になれば、大きな窓からは、満天の星空が望める。
最小限の灯りだけを灯し、星空に包まれながら、本を読む。
なんという贅沢な時間だろうか。

このホテルには、本を楽しみための工夫がたくさんあって、逆に言えば、それ以外の設備やサービスが何もない。
田舎に泊まる、というと、アウトドアを満喫しないと行けないような風潮があるが、正直、僕は苦手だ。
嫌いではないけれど、もともと田舎で育っている僕は、わざわざお金を出してまでくり出す気にはなれない。
都会から田舎へ車でやってきて、川辺でバーベキューを楽しみながらはしゃぐことは悪いことではないけれど、それよりも、田舎の最大の良さは、その「静けさ」だと思う。
「何もない」からこその静けさは、本の世界に没頭するのに適している。
皆さんもぜひ、お気に入りの本を持って、田舎が誇るべき最高のラグジュアリーを堪能してみてはいかがでしょうか。



とまあ、実際は、TSULEE BOOK HOTELなどは存在せず、ただの僕の初夢でしたが、こういうホテルがあれば、鉛のように腰の重い僕でも、行ってみたいなあと思う。

さてさて、今年も相変わらず、ぼちぼちとがんばっていきますので、何卒、暖かい目で宜しくお願い致します。
おかえり。ただいま。



昨年に退職した丸川商店の天使が久しぶりに会いに来てくれました。

おかえり。
ただいま。

退職した後でも、そんな言葉を自然に交わせる関係って、やっぱり宝物だよね。
開け閉めボタン



長らく、エレベーターの開け閉めボタンのデザインがわかりにくくて、一瞬どっちなのか迷ったりして間違えやすい、という問題があちらこちらで議論されてきたわけですが、現在でも、新しい定番や常識になりそうなアイデアやデザインはなさそうです。
とりあえず文字を併用したりして対策が取られてきましたが、それでは何のためのマークなのか。

結局、シンプルな三角の向きで表現するのがわかりづらいなら、ちゃんと矢印で表現するしかないのではないか、または、マル(あける)とバツ(しめる)のほうがわかりやすいんじゃないか、とか、僕も僕なりに色々と考えてきました。

そんな中、「アップル・パーク」の建設がいよいよスタートし、僕はきっとそこに設置されるエレベーターのボタンには、アップルらしい、何か新しいアイデアやデザインが試されているはずだ、と大いに期待しました。

そして最近、ようやく少しずつ、内部の映像が紹介されはじめてきてて、僕は真っ先にエレベーターが写っている映像を探してみました。
で、結果としては、やはりというか、結局、世界共通のあのマークを採用したのかあと、なんだかちょっと残念な気持ち。
まあ、もしかしたら法律で決められていたりして変えられなかったのかもしれないけど。

それでも、くるりと半回転していくエレベーターはおもしろいけど、ボタンのデザイン、本当にそのままでよかったんでしょうかねえ、アップルさん。


▼動画
https://www.youtube.com/watch?v=LVdk6mXfjno
ポップで楽しいデザイン。
なんか、どれも楽しげでいい。
僕とは畑が全然違うけど、なんかこう、楽しく、さりげなく、問題や課題を解決するのって、言葉で言うのは簡単だけど、実現するのは結構難しい。
ポップで楽しいデザイン。
進む道は違えど、大いに勉強させていただきます。

さて、日本の伝統工芸はどうか。
伝統という見えない壁で自分達を守っている「つもり」の人たちがまだまだはびこる業界。
自分達の「サビ」を落とそうともせず、海の風の塩分のせいにしてばかり。
伝統を守っているのではなく、それ以上のものを創り出す勇気がないだけでは?

道のりは、果てしなく、険しく、遠い。


http://design-compe.jp/nominate2017
軽キャン
一昨年のデザインセミナーで、

「近年、若者の車離れがちょっとした問題になっていますが、センスのいい軽キャンパーがあれば売れると思う。東京の若者達は近い将来、車に住み始めるだろうから。」

という話しをした時、おじさん達はポカンとしていたのに対して、少し若い世代の人達の反応はよかった。

今でもこの考え方は変わらないけど、いかんせん、世の中のキャンピング系の車のセンスはどうにもおじさん臭いものばかり。
これじゃあ若者には響かないだろうな。
おじさん達がおじさん目線で作ったキャンパーで週末を楽しむのは大いにいいことだと思うけど、おじさん目線ではなく、若者目線や女性目線の軽キャンパーもあればいいのになあと思う。

いつかはデザインしてみたい。


http://gigazine.net/news/20170903-live-in-car/
つなぐひと。
大好きな妹、ウナの記事。

「商品をデザインして、売るだけの時代は終わりました。これからは、どのように次につないでいくか。」

まったくもってその通り。
デザイナーの仕事の本質は、ちゃんと次につながったその瞬間までを含めた全てにある。
そこまで責任を持てずに手を出せるほど、甘い仕事じゃなかったはずなんだ、本当は。

僕は昔、SyuRoを初めてみた時に、たまらなくワクワクした。
「SyuRoが動けば時代が動く」と彼女に言った時、からかわないでと彼女は笑った。
でも、お世辞を言ったわけでも、もちろん、からかっているわけでもない。
本当にそう思ったし、実際、そうなってきていると思う。

デザインが単なる職業ではなく、生き方である人。
彼女の想いや熱量は、確実に次世代を巻き込み、時代を変え、動かしていくはずだ。


http://www.newsweekjapan.jp/nippon/season2/2017/08/197702_1.php
本気の証拠
その町の小学校や中学校のキレイ度を見ればだいたいわかる。
小学校がキレイな町は、本気で未来を思ってる証拠。
反対に小学校が汚い町は、未来のことを本気で思ってない証拠。

町をおこすなら、まずは町の人みんなで協力して、小学校や中学校の壁(外も中も)をキレイに塗り直そう!
老眼鏡



とうとう、老眼鏡デビューです。
 
ここ1〜2年の間に、遠くはバッチリ見えるのに、どんどん近くが見えにくくなってきていて、先日の打ち合わせの際に、先方様が用意してくださった資料の文字がよく見えず、これはいよいよダメだなあと強く感じて、自分の誕生日プレゼントとして老眼鏡デビュー。

今後はメガネ姿が多くなると思いますので、よろしくお願いします。
本居宣長



今日は、丸川商店の商品を販売していただいている「本居宣長記念館」に在庫の補充へ行ってきました。

本居宣長と言えば、現存する日本最古の歴史書「古事記」の解読に成功し、約35年をかけて「古事記伝」44巻を執筆したことで知られる、松阪が生んだ物学びの天才。
意外と知らない人も多いけど、映画監督「小津安二郎」とは縁戚関係にあたる。

本居宣長という人は、知れば知るほど、先見性に富んだ、ものすごくクリエイティブな人だったんだなあと思う。
それと同時に、だからこそ、現代の本居宣長の扱われ方には、正直疑問も感じる。
本居宣長の肖像画と言えば、決まってあの、なんとも根暗っぽい冴えない面持ちの絵。
きっと天国で、彼は「やめてくれ」と思っている気がしてならない。
きっと彼は、もっと未来を生きている。
そんな気がする。
いつか天国で出会えたら、常に先を見つめてきたそのまなざしに、現代の世界はどのように写っているのかを、聞いてみたい。

松阪という町は、本居宣長だけでなく、三井高利など、多くの優れたクリエイター達を多く輩出してきた。
そもそも、松阪を作った「蒲生氏郷」自体が優れたクリエイターだったから当然と言えば当然なのかも知れない。

そこでひとつ提案。
多くの優れたクリエイター達を生み出してきた松阪市を、「クリエイティブな町」としてPRしていくために、全国から優れたアイデアを募集する「ノリナガ・クリエイティブ・アワード(仮)」みたいなコンテストを開いてみたらどうだろう。
そうすれば、若い子達も、もっと蒲生氏郷や本居宣長や三井高利などに興味や誇りを持てるんじゃないかな。

さてさて、GWなどというお祭りとは無縁の僕ですが、しばらく風邪気味でダル重だった体調もようやく持ち直してきたので、お待たせしているクライアント様方に怒られないように、そろそろエンジンかけてがんばります。
45歳の誕生日



本日、無事に45歳になりました。
誕生日は、産んでくれた両親に感謝する日でもあります。
朝から母親にありがとうと伝えました。
が、父親に伝えるのを忘れてました(笑)。

今年は社名も変わり、事務所も移転し、長女が小学一年生になり、色々なことがまさに心機一転の年です。
毎度のことですが、自分の本当にやるべきことが何なのかにいつも悩み、迷い、でも時には喜び、そうやって七転八倒しながら、ゴロゴロと転がりながら生きていますが、良き家族や友人達に恵まれた僕の人生は、無数の幸せに彩られた、幸福な日々です。
これからも、焦らずとも、やりたいことをやっていきたいと思います。

写真は、僕のへその緒が入っている箱です。
裏面には、産まれた日や時間、身長や体重などが書かれています。
確かにこの世に産まれて、今、45年が経ったことの奇跡に、心から感謝です。
娘達と。



夕暮れ時。
満開の桜。
近くの公園で娘達と。

静謐なひととき。
これもまた、創造性を育てる、片方の源。
作家モノ
東京の片隅で小さなデザイン事務所を立ち上げて17年。
年を追うごとに、デザインを学んでいく度に、僕の好みや趣向も変わっていきました。

例えば「作家モノ」。
昔は作家モノの器を集めていました。
どれも作家それぞれの個性が表現されていて、エネルギーが溢れていました。
でも、いつの頃からか、それぞれの作家モノ達が、それぞれのエネルギーを放出しあって、まるで喧嘩してるように感じられて、目には見えないそのエネルギーが飛び交う空間に、息がつまりそうになりました。
そしていつしか、作家モノを買わないようになってしまいました。
今でも作家モノは嫌いではありませんが、どうしても、その強すぎる主張に疲れてしまいます。

例えば「自然素材」。
これもちょっと苦手になってしまいました。
もちろん自然は大好きですが、家の中にあるテーブルや椅子や棚や小物などに使われている木材などの自然素材を見ているうちに、本来、自然の中にあるそれの姿との違いに、なんだか切ない気持ちになってしまいます。
やっぱり木は、山の中のあの姿こそであって、窮屈な家の中の感じが、なんだか切ないのです。

本来あるべき姿。
それを人間が道具として、飾りとして利用してきた歴史を否定するつもりは全くありません。
むしろ大好きです。
ただ、切ないのです。

だから僕は年々、身の回りのものに自然素材のものを選ばなくなってきてしまいました。
人工物のほうが、気負いなく、切ない気持ちが起こりません。
でも、人工物の多くは、やがて大量のゴミとなります。
これはダメです。
だから、100均で買ったものでも、壊れたら直して使います。
本来の使い道が出来なくなった場合も、子どものおもちゃなどに改造して使い続けます。

本当なら、作り手の想いが詰まった作品が一番です。
本当なら、自然に帰すことのできる自然素材が一番です。
それで問題ない人は絶対にそれらを選ぶべきです。
でも僕は、苦しくなって、切なくなります。
ただ、また何年かしたら、元に戻るかも知れません。
それまでは、工業製品達と折り合いをつけながら暮らしていきます。
影を撮る
撮影は「影を撮る」と書く。
美味しいは「美しい味」と書く。

どうすれば正しくできるのか、その答えはすでにそこにある。

そういえば、漢字の「裏」の中に、「表」が隠れている、というのもあったな。

日本語は本当に面白い。
僕らの想像を軽~く超えていくだけの圧倒的な創造性に満ちている。

正しいデザインの答えも、きっとすでに、そこにある。
それに気づける野郎でありたい。
W124



引っ越しの日が近づいてきました。
事務所の移転もいれると、今までかれこれ10回以上引っ越ししてます。
でもこれは僕にとってはとても大事なことだったんだと思います。
ひとつの所にずっといて、そこにしっかりと根を張れる人に憧れながら、でも僕は旅をするように暮らしていく、最近では、暮らすように旅をする、っていうのかな、そのほうが僕の性格には合ってるんだと思います。

完全にうろ覚えですが、昔何かで、「人は故郷とは別の場所に生まれて、本当の故郷を探す旅をする。それが人生。」とかなんとか、そんな感じの言葉がありました。
僕はまさに、そんな感じで生きてきたように思います。

今度の引っ越しもワクワクしてますが、唯一残念なのが、駐車場問題によって愛車の1台を手放さなければならないこと。
ちなみにその車は、96年式メルセデス・ベンツのステーションワゴン、E300・ディーゼルターボ。
今から21年前の車です。
走行距離ももうすぐ23万キロ!
でも毎日の通勤にもガンガン使えます。
21年経っても足腰はバリバリ強いし、高速安定性はハンパありません。
ディーゼルだからリッター13キロ~15キロ走ってとっても経済的!
さすがに古い外車なんで、購入した価格はめちゃくちゃ安いです(笑)。
日本の軽自動車のほうが全然高い。
ほんとです。

知らない方もいらっしゃると思うので一応解説しておきますが、このベンツは、いわゆる「W124」というシリーズで、「もっともベンツらしい最後のベンツ」と賞賛されているモデルです。
「最善か無か」というメルセデスが堅持してきた妥協を許さない哲学にもとづいて造られた最後のモデル、とも。
それに、W124は歴代のメルセデスの中で最も成功を収めたモデルでもあります。

現在絶好調のマツダをブレイクさせたきっかけは「スカイアクティブ・テクノロジー」という優れた走行性能でしたが、このスカイアクティブ・テクノロジーを研究するにあたり、マツダはこのW124を開発の参考車両として購入しています。
そしてスバルも、研究のためにこのW124を購入している。

最新の技術を開発する為に、20年も30年も前の車を参考にしていることが証明しているのは、このW124がいかに優れた車だったか、ということ。
このW124を発表した時、あまりの完成度に世界中の自動車メーカーが白旗をあげたそうで、でもその中で、ひとつのメーカーだけは、白旗をあげつつも、全く別の解釈で反撃に成功したことがある。
それが、トヨタのセルシオ。

W124は、エンジン音を完全に消すのではなく、どのくらい聞こえれば邪魔ではなく、W124の優雅なエンジン音をどのくらい聞かせるか、にかなりこだわって作られた車だったけど、セルシオが取った策は「全部消してしまえ」だった。
その静寂性を全面に売り込んで、しかもすごく安くて、あり得ないほどのコストパフォーマンスの良さが受け、結果、セルシオは大成功。
その大成功ぶりは尋常ではなく、ベンツでさえも、方向転換を余儀なくされた。
時代の流れに逆らえず、コストダウンが命題となり、その後発表された「W210」のシリーズが最悪の出来。
もちろん、販売台数も伸びず、悲惨な結果に。
一気にメルセデスのブランド力が弱まった。

このベンツの完成度は本当に高い。
デザインも文句なしにかっこいい。 
手放すのが本当に残念だけど、仕方ない。
あっ、もし欲しいって人がいたらご連絡を。

もうすぐでお別れ。
サヨナラ~ベンツくん。
50万キロ目指して、次のオーナーとお幸せに!
デザイナーのエージェント
海外では、グラフィックデザイナーやインテリアデザイナーなど、各分野のデザイナー達が一同に所属する、デザイナー達のエージェント的な役割の事務所があるそうで、日本でもそういうのが必要だなあと最近思う。

三重県のような田舎では、事業者や生産者にとって、自分達に合う良いデザイナーを探すことは結構むずかしいことで、だいたいが、所属している商工会の担当者に相談して、マッチングしてもらう、みたいなケースが多かったりするらしいけど、商工会が知ってるデザイナーの数もそんなに大したことはないし、そもそも商工会の担当者がデザインの内容を完璧に理解して、その案件にあうデザイナーを選別できるほどの知識を持ってないことが多いと思う。

マッチングサイトとかはあるんだろうけど、田舎の事業者や生産者にしてみれば、そもそもデザイナーに「違い」や「得手不得手」があることなどわからないし、どういうデザイナーが自分達にぴったりのデザイナーなのかを判断できないわけです。
なので結局、提示された見積金額の安いところを選んだりするわけですが、そうやってミスマッチがおきて、結局お金も時間も無駄になってしまったりします。

例えば、三重県のデザイナー達が多数所属する団体があって、事業者や生産者や商工会の担当者達が、その団体に相談して、その団体の担当者が所属しているデザイナーの中から案件にあったデザイナーを選出して紹介する、みたいなシステムがそろそろ三重県にも必要なのかもしれません。
デザイナー達からの会費や案件毎の手数料とかを使って、デザイン力の向上やデザイナーの成長に役立つことに使って、そうやって三重県全体のデザイン力を高めていくことが必須な気がします。

さらに、所属するデザイナー達にとっても、営業が苦手なデザイナーもいるわけで、そういう意味でも役に立つシステムかも知れません。
実際、センスのあるデザイナー、よりも、センスはないけど営業は得意、とか、テンプレート使いまくりとかのデザイン(もどき)会社が仕事をたくさん取っていく、なんてことが多いようにも見えます。

もしかしたら僕が知らないだけで、そういう団体がもう三重県にもあるのかも知れないけど、選出を担当する人物のセンスが相当肝心になってきますよね。
そう考えると、三重県にはまだ、それに見あう団体やシステムがないように思うんです。
もし僕がこういう団体を作るとしたら、営業が得意なビジネスマンを探さないといけないですね。
商工会や企業に団体の存在を売り込み、安定して案件を取ってこれる人。
今年はそういう人とも出会いたいなあ。
運の無駄遣い



いらないところで大事な運を使いたくないから、当たり付きの自動販売機では、はずれるとむしろホッとしてたのに、ついにこんなことで大事な運を使ってしまったあ•••。

これ、なかったことにできないかなあ。
近況報告







三重に戻っています。
近況報告を兼ねて、ご報告。

1月12日に、デザイン教育プロジェクト「DESIGNED BY CHILDREN ~デザインを手にいれたコドモたち~」の全5回のうちの3回目の授業が行われました。
3回目のテーマは「変化」でした。
僕がデザイナーとして、対象となる物事の「本質」を見つけるためにやることのひとつに、「キャラづけ」や「特徴やキーワードのあぶり出し」とかがあります。
問題の本質はどこにあるのか、それを見つけるためには、表面だけを見たり、安易にひっくり返してみたりするだけではうまくいきません。
そういう時は、思い切って、全く別の物に置き換えて考えてみることがあります。

そこで3回目の授業では、「空」「ビル」「群衆」の3つのテーマを、それぞれ「料理」に置き換えてみることにしました。
空には雲があり、その雲はわたがし(わたあめ)みたいだ、という誰でも思いつく簡単な置き換えの入口を用意しておくことで、奥へと進みやすいのではないか、と考えました。

案の定、雲をわたがしに置き換えた子どももいましたが、「ビル」を、「形」や「作るコストが高い」や「倒れない工夫」などのキーワードを探しだし、「ウェディングケーキ」に置き換えてみたり、「群衆」を、「見た目」や「臭そう」や「ゴチャゴチャ」などのキーワードを探しだし、「納豆」に置き換えてみたり、なかなか面白い結果となりました。

ここで大切なのは、置き換えた答えを見つけることではありません。
なので、「わたがし」や「ウェディングケーキ」や「納豆」を探し出すことではなく、問題に関連するキーワードをどれだけ見つけることができるかが大切なポイントです。

問題を擬人化してキャラづけしてみたり、特徴やキーワードをたくさんあぶり出すことで、問題の「本質」を見つけ出す。
商品のパッケージをデザインする時も同じです。
その商品には、どんな服を着せてあげるのがもっとも正しいのか、それを見つけ出すためには、その商品について、深く深く理解する必要があります。
そのためのキーワード探しであり、それを疑似体験してもらったわけです。


1月18日は、レクサスが主催する「レクサス・ニュー・タクミ・プロジェクト」の最終プレゼンが東京で行われました。
この1年間、レクサスにバックアップしてもらいながら、全国から選出された52名の匠達が新たなプロダクトの制作に挑戦してきたわけですが、おそらくは最年長ではないかと思う僕にとっても、大変いい経験をさせてもらったなあと思います。

自信が強まったポイントもあれば、大いに反省すべきポイントもあり、いくつになっても、新しい何かに挑戦できること、そしてそこから多くのことを学べることに、心から感謝したいと改めて感じました。
ここで得た経験を無駄にせず、今後の活動に活かしていきたいと思います。
来年以降もこのプロジェクトは続くそうですので、第2期生の方々には、大いにがんばってもらいたいなあと思います。


1月19日は、デザイン教育プロジェクト「DESIGNED BY CHILDREN ~デザインを手にいれたコドモたち~」の全5回のうちの4回目の授業でした。
4回目のテーマは「解決」。
自分達が暮らす地域が抱える、「少子高齢化」「遊休農地(放棄地)」「空き家」「獣害」「若者の地元離れ」などの問題に対して、これまで3回にわたって学んできたデザインの視点を活かし、その解決策を考えてみる授業です。
全5回のうちで、一番難しいテーマではありましたが、意外にもみんな、楽しんでやってくれたのでホッとしました。
何の解決策にもならない答えもありましたが、なかなか面白い発想もありました。

例えば、「少子高齢化」のテーマに取り組んだ子どもたちから、若者が減って老人だけになり、労働力が減るのであれば、ロボットに働いてもらって、それを観光資源にして若い人達を呼び込めば、労働力も補えるし、若者も増えるのではないだろうか、という意見があったので、ちょっと意地悪な質問をしてみました。
「ロボットが主の労働力になった町に若者が移住してきても、今度はその若者達の仕事がないよね」、と。
あ~そうか~とちょっと落ち込む子ども達。
そこで、ロボットが働き、人々も収入を得る方法を考えてみたらどうか、と提案してみました。
ヒントをくださいと言うので、アパート経営を例にして、「貸す」ことで収入を得る方法もあるよね、と話しをしました。
そこから色々考えて、ロボットをオーナー製にして、そのロボットを企業に貸し出して対価をもらえば、収入が得られるのではないか、となりました。
つまりは、それぞれの作業用ロボットの開発や制作に個人オーナーが出資して、それを企業に貸すことで、賃借料が発生する、という仕組み。
企業もロボット開発のコストを抑えることができます。
これもなかなか面白いアイデアだなあと思います。

さらに、「遊休農地」のテーマに取り組んでいた子ども達からもヒントをくださいと言われたので、言葉の捉え方を変えてみたらどうか、と提案してみました。
「遊んでるし、休んでる、ダメダメな農地」ではなく、「遊べるし休めるイケイケな農地」と捉えてみることで、何か見えてくるものはないかな、と。
そこからは、さすが子ども達、遊びのこととなると色々なアイデアが出てきました。

そして、僕が個人的にすごく嬉しかったことは、毎回、授業の感想を書いてくれるんですが、その中で、ある女の子が「デザイナーになってみたい」と書いてくれたことでした。
この教育プロジェクトは、決して職業としてのデザイナーを育てることが目的ではありません。
日々、自分達の身の回りに起こる色々な問題や課題に対して、デザイナーの視点やデザイン思考がその解決の役に立てること、そして、視点を変えてみることで、自分達が暮らす町の本当の価値に気がついて、もっともっと地元を好きになってくれるんじゃないか、というのが目的です。
サラリーマンになっても、公務員になっても、自営業でも、アーティストでも、どんな職業についたとしても、「デザイナーの視点」は、何かと役に立ちます。
だから、デザイナーを育てたいわけじゃない、と本気で思っていますが、実際、デザイナーの視点やデザインのことを学んだことで、自分もデザイナーになってみたくなった、と言ってもらえると、やっぱり嬉しいわけです。単純ですが(笑)。


さてさて、次回は全5回の最終回。
僕が教壇に立って行う授業です。
これまでの4回を総評し、今、僕が子ども達に伝えたいことを、まっすぐに話してきます。
それを受けて、子ども達は今度はどんな感想をもってくれるかが、本当に楽しみです。


お金にならない、いつか花を咲かせるかもしれないたった一粒の種を蒔く、そんな弱々しいプロジェクトですが、来年以降も続けていけるように、最後までしっかりと走り抜けたいと思います。
外国人には虫の声が聞こえない
「違うがゆえに独創的なものが生まれる」

本当にそう思う。

日本はデザイナーの数が世界でもっとも多い国だけど、デザインのレベルは低い、とは昔からよく言われてきたこと。
でもこれって、あがる土俵を間違えているからだと僕は思う。

アインシュタインの有名な言葉がある。
「人は誰もが天才である。しかし魚に木を登らせようとするのなら、その魚は一生、自分が愚かだと信じて生きていかなくてはならないだろう」。

日本人には日本のデザインがある。
この国にも、誇るべき文化がたくさん残っている。
日本のデザイナーは、そこに立ち返るべきだと思う。
そしてそれこそが、海外が日本のデザイナーに日々求めていることだから。


http://www.mag2.com/p/news/233784
ありがとう。



本日、2016年12月28日をもって、スタッフの大西がうちを卒業致しました。
これまで丸3年、前職の銀行員から全く畑違いのデザイン事務所に入社して、最初は慣れないことばかりで相当辛かっただろうけど、すぐにうちのエースに成長してくれた彼女。
彼女に聞かないと、僕ですらわからないことがたくさんあった。
何度も何度も助けてもらった。
この3年、彼女のおかげで本当に楽しく仕事をすることができた。

彼女がいてくれたおかげで、挑戦することができたプロジェクトがいくつもある。
彼女はデザイナーではないけれど、いつもずっと僕のそばにいて、一緒にデザインを見つめてきてくれた。
これだけは断言できる。
デザインとは何か、正しいデザインとは何であるかについて、そんじょそこらのデザイナーよりも彼女のほうがよっぽど正しく語ることができる。
そしてそうなれるまでに、どれほど彼女が努力をしてきたか。
言葉では言い表せないほどの不安や迷いや圧し潰されそうなプレッシャーを抱えながらも、彼女は目の前の道を最後まで自分の足で歩き切った。
そんな彼女を僕は心から尊敬しています。

また明日から、彼女の新しい日々が始まる。
時には迷い、不安になることもあると思う。
そんな時、うちにいたこの3年間の日々が、いつか花を咲かせる種のひとつになれたとしたら、こんなに嬉しいことはない。

「来る者拒まず、去る者追わず」が僕の生き方ですが、彼女がいなくなるのはとてもとてもさびしい。
それほどまでに、うちにとっては欠くことのできない存在でした。
だからこそ、大好きな彼女のこれからの人生を、心から応援していきたいと思います。

明日からはまた、2000年に独立した時と同じ、奥さんと2人だけの会社になります。
社名も体制も、すべてが原点へ戻る。
これは決して偶然ではないと思う。
もちろん、彼女がいなくなる寂しさはあるけど、でもその反面、また原点から始められることへのワクワクもある。
この出来事を大きな大きなメッセージだと受け止めて、またいちから、人生のデザインを楽しんでいきたいと思います。

新しい日々を歩き出した彼女と、また原点から歩き出そうとする小さな小さなデザイン事務所を、どうぞ見守ってやってください。

よろしくお願い致します。
今日のBGM



今日はなぜか、1日中ずっと松田聖子さんを聴いていた。
僕は同世代ではないので、同世代の人ほどの思い入れはないんだけど、なんか今日はずっと、聖子ちゃんでした。
ちなみにお気に入りは「Sweet Memories」。
松本隆さんの詞はやっぱりいいですね。
DBC 2016 2/5





本日、2016年度「DESIGNED BY CHILDREN ~デザインを手にいれたコドモたち~」の全5回のうちの2回目の授業が行われました。
本日のテーマは「反転」。
「紙」の「いいところ」と「ダメなところ」をボードに書き出し、最後に「いいところ」と「ダメなところ」を「反転」して、「ダメなところ」で出した項目を「よいところ」として無理矢理に発表してもらいました。

みんなそれぞれに想像力をフル発揮して、かなり無理矢理に、それこそこじつけ感満載の発表をしてくれて、苦悩の中にも楽しさが溢れた素敵な授業でした。

例えば、紙のダメなところとして「やぶれてしまう」と書いた子に、それを反転して、良いところとして理由を発表してもらったら、「小さく破けば捨てるときにかさばらない」という答えが返ってきたり、「指を切ってしまう」ことがダメなところだという子に、それを良いところとして説明してもらったら、「指を切るくらいに薄くすることができるし、薄くすることで出来ること(応用できること)がたくさん増える」という意見、その他、水に弱い性質のおかげでトイレットペーパーが生まれたり、などなど、まあ、ふざけた答えもたくさんあったけど(笑)、でも、正解を導くことが目的ではないのでそれでもOKです。

本日の授業の目的は、「物事を色々な角度から見る視点」を学ぶこと。
短所だと思い込んでることだって、見方を変えれば長所になる。
物事をくるりと裏返してみると、意外なことに気づけたりします。

様々な物事にも、それこそ自分自身にも当てはめることができます。
背が低い、足が遅い、天然パーマ、田舎に住んでる、イケメンじゃない、胸が小さい、などなど、誰もが何かしらのコンプレックスを抱えています。
でも、それだって見方を変えれば、必ず何かの役に立てるし、誰かにとってはすごくメリットのあることだったりします。
誰もがそういう視点を持てれば、相手の良いところを見つけるのが上手になるし、きっといじめもなくなるはず。
自分にも自信が持てるし、人に優しくすることができる。

商売にも当てはまります。
業績が落ちたとき、短所だと思い込んでいることが意外にもそうではないことなんてよくあります。

日本という国に最も欠けていて、最も必要なものが、想像力と創造力。
DBCの授業を受けた子達には、この2つをずっとなくさずに大人になっていってもらいたいなあと思います。
DBC 2016 1/5





2015年から始めているデザイン教育プロジェクト「DESIGNED BY CHILDREN ~デザインを手にいれたコドモたち~」も、今年で2年目。
本日、いよいよ2016年度の第1回目の授業が、三重県多気郡多気町の勢和小学校で行われました。

DESIGNED BY CHILDREN(DBC)のプロジェクトは、小学6年生達が、デザイナーの視点やデザイン思考をわかりやすく学び、そうして得た視点や思考を使って、自分達が住む町にある様々な問題(少子高齢化・空き家・獣害・農業の衰退・田畑の放棄地など)をどうすれば解決していけるのかを、自分達で考えてみること、そして、普段見慣れている、または見飽きている「何もない景色」の中にある、無数の「宝」に気づくこと、結果、自分達の町の良さを再発見し、誇りを持ち、ちょっとずつ良くしていくことなどを目指したプロジェクトです。

全5回にわたるデザインの授業。
1回目の今日のテーマは「解剖」でした。
それぞれの班で、目覚まし時計を解剖して、中にある部品をすべてボードに張り出し、どんな仕組みになっているのか、どんな部品が使われているのかを観察して、そこから感じたことや発見したことなどを発表しあいました。

本日の授業の目的は、「物事の向こう側を見る・知る」こと。
目に見えている表面上の姿だけしか見ていない日常のあらゆる物事にも、必ず「向こう側(中身)」が存在します。
時計の中、鉛筆削り機の中、パソコンの中、車の中、天井の中、床の中、食べ物だって、それこそ人間だって、見えている表面の向こう側に意識を向けて、より広く、深く、物事の状態を把握することを学びました。

子ども達は夢中になって時計を解剖していました。
ただ、そこは子ども達。解剖することだけに熱中してしまう子もいれば、ひとつひとつの部品に目をやる子もいます。
DBCでは、そこは強制も誘導もしません。
実は、5回のうちの1~4回は、最後の5回に向けた伏線になっていて、それぞれの点が、最後の5回目の授業の時に線になってつながります。
その時に、子ども達がどんな変化を見せてくれるか、それが楽しみでなりません。

さあ、来週は2回目の「反転」の授業です。
子ども達の、楽しくも苦悩する姿が目に浮かびます。
僕からの挑戦状に、どう応えてくれるのか、今から楽しみです。
まだ1回目が終わったばかりなので、もしも見学を希望される方はご連絡ください。
ホンダファンのつぶやき



僕は昔からホンダが好きだ。
だからこそ言わせてもらう。

枠にはまるな?

その言葉をそのまままるごと、
今のホンダさん、あなたに返す。
青い春
懐かしい友人(女性)と久しぶりに話しをしていて、彼女が、「丸川くんて、あの頃ものすごくモテてたよなあ。年上も同級も年下にもめっちゃファンおったやん。ほかの学校の子らもおったし。」なんて、お世辞だとしてもキスしてあげたいくらいに嬉しいことを言ってくれたのはいいんだけど、ってことはつまり、今は残念ながらそうじゃないけど、ってことがただただ確定しただけってことで。

でも、男女問わず、すごくモテてたはずの人が、本人にはその自覚がない場合ってあるわけで、そもそも「モテる」ってどういう状態なのかと言えば、一般的にはやっぱり「告白された数」なんだと思う。
告白する勇気がなかったけど好きでした、っていうのは、相手的にはモテたことにカウントできない。
だって本人は知らないんだから。

だから、たまにすごいイケメンとかすごい美人の人がそんなにモテてないって言うのは、全部が全部、ウソついてるってわけではないんだと思う。
かっこよすぎて、美人過ぎて、恐れ多くて告白なんてできないって層が多かったんだろうな。

そうなると、告白された数が多いってのも、考えようによってはどうなんだ?と思ってしまいますが、でもまあ、どんなんであれ、好きって言われるのは無条件で嬉しいから、それでいいんです。

2度と戻らない、夢のような青い春の頃。
反省の1日
今日、全く別の場所で、3人の方から同じことを言われてしまいました。

「あいかわらず、お忙しそうですね~。」

これが、大人の世界によくあるご挨拶程度のものならいいんだけど、もしも本当に忙しいと思われているんだとしたら・・・、と不安になりました。

僕はたいして忙しいわけではなく、ただ要領が悪くてジタバタしてるだけです。
これで忙しいなどと言ったら本当に忙しい人達に怒られてしまいます。
なのに、忙しいと思われてしまうってことは、打ち合わせに熱がこもってなかったのかなとか、顔がお疲れ顔になってしまっていたんだろうかとか、確かにちょっと鼻風邪っぽいけど、いやいや、そんなのたいしたことじゃないよなとか、色々と頭がモヤモヤしてしまいます。

本当に忙しいのならまだしも、そこまで忙しくないのにこれはよくないです。
かといって、余裕をぶっこくってのもちょっと違うんだろうけど、でも、余計なことで相手に気をつかわせてしまうのは大人としてスマートではありませんよね。
どうせなら、「あいかわらず楽しそうですね」、とかそういうことを言われるくらいじゃないと。

とにかく、反省の1日でした。
気を取り直して、明日からもがんばります。
セクシャルマイノリティ
ふとテレビをつけたら、セクシャルマイノリティ(LGBT)の人達の番組が放送されていました。
最後まで見てないので詳しくはわかりませんが、まだまだ日本ではLGBTの理解が進んでおらず、あいかわらず彼ら彼女らは生きづらい状況にある、ということだったと思います。

僕はいわゆる、この世界でいうところのノーマルという部類ですが、当然、LGBTの人達の意見に賛成です。
東京に住んでいた頃は、実際にレズビアンやゲイの知り合いがいました。
本当に優しくてユーモアがあって、大好きな人達でした。
彼ら彼女らと接していると、あの人達の持つクリエイティビティの凄さに触れるたび、まざまざと劣等感を感じさせられることが多かったです。
この感性、うらやましい~と何度も思いました。

で、ふと思いました。
東京や大阪などの都会はまだいいとして、僕が住んでいる三重県などの田舎にもきっとLGBTの人達がいるはずだけど、でも実際、どうしてるんだろうかなあと。
絶対的に都会よりも生きづらさを感じているはずだと思うんです。
まあ、だからこそ、そういう人達はどんどん都会へ移住していってしまうんでしょうけど、田舎でも堂々と生きられる社会が早くくればいいのになあと思うし、三重県にいても、東京に住んでいた頃のように、そういう人達ともっと知り合いになりたいなあと思うんです。
もっと言えば、そういう人達がうちの会社に欲しいなあと、本気で思います。

田舎にいて苦しんでいるLGBTのあなたへ。
苦しいことも、悔しいことも、たくさんあるでしょう。
敵も多いだろうけど、でも味方もちゃんといるからね。
だから諦めないでね。
どうか笑っていてください。
君が君であるために。
Mac
なぜだろう。
新しいMacBook Proが発表されたけど、何も心が躍らない。

そもそも今のアップルには、心躍らされるものがほとんどない。
なんだかすごく、寂しい気分。
キッチンカー募集



おいしいコーヒーが飲めるキッチンカー(移動販売車)をされていて、いい場所をお探しの方や、これからはじめてみたいと思っている方などいらっしゃいましたら、うちの事務所の前でいかがですか?
需要はあるいい場所だと思いますので、ご興味にある方はご連絡くださいませ。

※画像はただのイメージです。
※キッチンカーは軽バンサイズ限定です。
丸川賞



ドラマ「校閲ガール」内にて、丸川賞、差し上げました。
おめでとうございます。

このドラマ、大好きな本田翼さんも出られているので、これはもはや、「共演」、ということでよろしいのでしょうか?

でもなんで、よりによって「丸川賞」?
こんなレアな名前。
謎だ。
ルル



市販のかぜ薬を買う時は、中山美穂さんがCMしてた頃からずっとエスタックイヴだった。
これじゃないと治らない。
ってことでいつものようにエスタックイヴを買いに薬局に行ってみると、そこにはにっこり笑う有吉さん。
まあ、いいとしよう。

そう思ってエスタックイヴを手にとろうとしたその隣で、有村架純さんがこっちを見て笑ってるではないか。
はい、迷うことなく、ルルを買いました。
今後しばらくは、ルルでいきます。
農家用のテーブル



ホームセンターで売ってた農家の作業用のテーブルに一目惚れで即購入。
僕の仕事の机はこれに決まり。

それにしても、農家用の商品ってなんでこんなに魅力的なものが多いんだろうなあ。
シンプルで機能的で文句のつけようがない。
全力
今のままではきっとまた、僕はデザインを嫌いになってしまう。
デザインを楽しくないものにしてしまったのは、ほかの誰でもなく、僕を含めた、デザイナー本人達だと思う。
デザイナーが、デザインの邪魔をしている。
楽しくない。
つまらない。

でも、いい機会だ。
やりたかったことを、試してみよう。
それでダメなら、デザイナーをやめればいいだけ。

デザイナーの肩書きがないとデザインできないなら、それはもう、デザインでもクリエイティブでもない。
肩書きなんて、なんでもいい。

まずはとことんまでお話を聞いて、それから色々と調べたりして、色々悩んだうえで完成することがデザインだった僕のやり方は、ここでは正直、求められていない。

「僕」が求められていないのだから、「僕のやり方」でやってみよう。
それは僕が求めていることだから。
求めてくれる人のためにこその「全力」だから。
浮田くん



2012年から、三重県出身のクリエイターを紹介する「ミエノコ」というフリーマガジンを作っていますが、その第1号のゲストは、松阪市出身の特殊メイクアーティストの浮田くんでした。

これは言っていいのかどうかはわかりませんが、現在大ヒット中の映画「シン・ゴジラ」のゴジラも、浮田くんが製作したそうです。

ますますの大活躍。
本当に嬉しいなあと思います。
と同時に、どんどんと手の届かない人になっていくようで、ちょっと寂しい。





今日の夕方。
東の空に大きな虹。
後ろを振り返ると西の空には後光が射す。

不思議と勇気が湧いてくる。
夏と秋のあいだの空



夏と秋のあいだの空。
吸い込まれていきそうな不思議な感覚。

ただただ美しい。
ポケモンGOが嫌い。
娘達と名古屋へ。
見慣れない景色にキョロキョロして歩く娘に「ちゃんと前を見て歩きなさい」と注意。
と、周りを見渡してみると、周りを見ずに歩きスマホする大人のまあ多いこと。
これじゃあしめしがつきません。

そうこうしてる間に、娘が大学生くらいの女性とぶつかりそうになり、慌てて引き寄せたけどちょっとぶつかってしまった。
驚いた顔をした娘に「言わんこっちゃない」と言いそうになった時、前を見ずにスマホ見ながら歩いてたのはその大学生の女性のほうだと気づく。
しかも謝ることもせず夢中で歩き続ける始末。
もしやと振り返ってみると、やっぱりやってる、ポケモンGO。

いや別にするのはいいよ。
色んな人がいる。
それが多様性。
未来を感じることも全然悪いことじゃない。
でもほんと危ない。
もしもぶつかって娘がケガでもした日には、あ~、ポケモンGOやってたら仕方ないよね、とは絶対に言いません。
間違いなく、鬼よりも激しくぶちギレます。

都会の人混みの中で、120センチもない身長の子ども達は、まるで動く壁の中にいて、その壁がすごいスピードでどんどんと迫ってくる。
そしてその壁の多くが、前を見ずに歩きスマホしてる今の現状は、あきらかに異常です。
娘達にしたら、それこそモンスターがうじゃうじゃいるリアルな状態なんだと思う。
恐ろしいよね。

ポケモンGOのものすごい経済効果を「ポケモノミクス」とか言うそうですが、こんなことは言いたくはないけど、ポケモンGOのおかげで外へ出て歩く機会が増えてコミュニケーションが増えたっていったって、せっかくの外なのにスマホばっかり見て、どんなモンスターが居ましたか?なんて会話ばかりのコミュニケーションって、やっぱり僕には向いてません。

これからもポケモンGOユーザーは爆発的に増えていくだろうし、それによって経済が潤うのはきっといいことなのでしょう。
僕の周りの友人達も結構ハマっているようだし、だからってその人を嫌いになるわけもありません。
でも僕は、せっかく外に出たんなら、スマホをしまって、自然や植物や昆虫や動物や建物や景色とかと、無言のコミュニケーションを楽しみたいなあと思ってしまいます。

ただただ、僕はポケモンGOが嫌い。
ポケモンGOにハマってるこのゾンビのみたいな人たちの光景が嫌い。
おっさんになったんですねえ、僕も普通に。
七夕
今日は七夕。
逢えるといいね。
ランドセル



来年の春に小学生になる長女のランドセルを選びに名古屋へ。
子どもはもちろん、親の僕らにとっても初めてのイベント。
楽しみです。
完成祝典



今日は伊勢志摩サミット関連仕事の最後のお務め、国際メディアセンターの完成祝典に出席してきました。

一年に一回着るか着ないかのスーツ着用ということで朝からテンションがだだ下がりの僕でしたが、三重県で育った歌手の平井堅さんの生歌が聞けたのは嬉しかった。

それにしても、僕がスーツを着るとキヨハラ感が倍増するなあ。
SPの人たちに睨まれっぱなし。
誕生日



誕生日、おめでとう。
中部経済セミナー



本日は、名古屋にて、中部経済セミナーのパネルディスカッションのパネラーとして参加してきました。

経産省副大臣やら中小企業庁長官やら財務省長官やら、いやあ場違いもいいとこのアウェー感満載でしたが、なんとかお役目は果たせたのではないかと思うことにしておきます。