大量生産

以前、小学6年生たちと、田舎の良い所はのどかで自然が豊かなとこで、田舎の不満なところは不便だってことについて一緒に考えた。
僕は、こういう矛盾の解決策を考えるのが個人的にすごく好き。
パズルのような、なんとも言えないワクワク感がある。
さて、現在探している僕のパズルのピースは、なぜ、日本車並に壊れないアストンマーチンやマセラティが作れないのか、ということ。
トヨタがお金のことを全く無視して作ったとしたら作れるんだろうか。
または、アップルがデザインをすれば作れるんだろうか。
大量生産する日本の安い車たちには、壊れないという安心感はあっても、そこにクラフトマンシップや職人魂という熱がないと誰かが言ってた。
本当にそうだろうか。
この、壊れない車(正しくは壊れにくい車)は、間違いなく、職人や技術者が必死になって作り上げた、高い技術の結晶のなせる技だと思うのだが、たとえ壊れやすくても、アストンマーチンに感じるクラフトマンシップに心が躍る本当の理由はなんだろうか。
そもそも、外車は本当に壊れやすいんだろうか。
壊れやすい理由が、作られた国の気候や風土が違うから、というのならば、海外の日本車は壊れやすいんだろうか。
カルマンギアに乗りたくても、すぐに壊れるのはやっぱりきつい。
壊れて手のかかるところもかわいいという感覚は理解できるけど、でもやっぱりなるべく壊れないほうがありがたい。
シトロエンの2CVに乗るオーナーは、壊れてもメーカーに文句を言ったりしないという人もいるけど、逆に壊れなかったら文句を言うんだろうか。
1時間も車で走っていると、少なくみても20台くらいはプリウスを見かける現代。
環境に優しい車がうじゃうじゃ増えることは、やっぱり良いことだと誰もが納得するんだろうか。
もっと言えば、大量生産はよくないという風潮のこの時代において、大量生産はまるごと悪なんだろうか。
確かに、ゴミを増やすのは最悪。
数は少なくても長く使えてゴミにならないものが良いに決まっている。
では、ゴミにならない大量生産は?
すべての人の腕時計がパテックフィリップだったら?
すべての人のシャツがオーガニックだったら?
世界中の人が、丸川商店の商品を使ってくれたとしたら?
そういう大量生産が可能だったら問題はないってことなんだろうか。
iPhone6とiPhone6Plusの販売台数が発売から1ヶ月で2000万台を突破したらしい。
これはもう立派な大量生産だと思うんだけど、それはどうなんだろうか。
心理学者のバリーさんは、選択肢の多さが逆に人々の幸福度を下げていると言ってた。
世の中が一斉に大量生産をやめて、作れる数は少ないけど、専門性を持ったメーカーがすごく増えたとすると、僕らの幸福度は下がるんだろうか?
ならば、幸福度が下がらない豊富な選択肢は可能だろうか?
矛盾は難しい。
でもどこか楽しい。
ねじれたつじつまをほどくこと、それもきっと、クリエイティブなんだろう。
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